イノベーターとイノベーション人材のたった1つの違い
“イノベーション”という言葉を聞けば「いままでにない斬新さで思わず欲しくなってしまう製品」「使いたくなるサービス」といったイメージが浮かびます。ではこうしたイノベーションはどうやって起きるのでしょうか?
それを学べるのが、東京大学の教育プログラム「東京大学i.school」。 イノベーションの“なぜ”に迫り、生み出し方を学ぶ場として、知識を世の中に役立てる姿勢や視点が見いだせます。
イノベーションのカラクリは一体何なのか。i.schoolでディレクターを務める横田幸信さんに、イノベーションを生み出そうと日々頭をひねっているサイボウズ式編集部が話を聞きます。
コムデギャルソン創始者に学んだ科学とビジネスの結節点
横田さんは九州大学で物理を専攻し、卒業後は経営コンサルタントをされていたのですね。科学からビジネスの世界に行ったいきさつを教えてください。
幼いころから、何の発見や新しい発明といったクリエイティブな仕事に対する憧れはありました。小学生の文集には「エジソンみたいな発明家になりたい」と書いた記憶があります。中学生の時はより科学的なことに興味が向き、「物理学を大学で学ぶ」という人生の目標を設定しました。
高校生になると、ファッション分野で斬新な創作活動とビジネスを両立していた川久保玲さんの存在を知り、心が躍りました。大学生になって、彼女が作り出した服や経営方針に触れてからビジネスにも興味が湧き、科学的な研究をしながら自分でビジネスも作り出してみたい。自らが創造したものを、同じく自分でビジネスの仕組みを通じて社会に提供したいと考えるようになりました。
川久保玲さんはコムデギャルソンの創始者ですね。具体的に魅了された点は?
川久保さんは、元々はデザインを専攻していませんでした。慶應義塾大学の哲学科で、特に西洋美術史の勉強をされていたようです。ある種、論理的に考えることと感覚的に感じることが融合した分野かもしれません。
私なりに考えたのは、川久保さんは、美しいものをつくり出すための審美眼というか、感覚的な力とともに、経営を持続的に行う論理的な力、その両方を学生時代に磨いたのではないかということでした。
感覚的な力と論理的な力を同時に学ぶ重要性に気づいたと。
ええ。そこで川久保さんをはじめ、歴史的にも創造的能力が高かったと思われる人の伝記等を読み、その趣味や習慣、経歴などを考察しました。その結果、直感的な思考と論理的な思考の融合するところに、私自身の目指す何かがあることに、おぼろげながら気付いていきました。
i.schoolがイノベーションの学校と呼ばれる理由
多彩なアイデアから「これだ」と思う1つを見つけ出す直感力と、論理的に方法を見出していく力を深める力。それが学べるのが「イノベーションの学校」と呼ばれるi.schoolですね。
はい、i.schoolの活動を一言でいうと、“人間中心イノベーション”という概念や方法論を学ぶ活動です。その方法論として、技術開発だけからアイデアを考えるのではなくて、人や社会の状況の理解を重視します。
例えば、生活者へのインタビューやフィールド観察調査から得た洞察を基に、アイデアを考えようというものです。最近は、“デザイン思考”という言葉で、こうした方法論が知られているのかもしれません。
具体的にはどんな活動を?
教育プログラムではある社会課題をテーマとして設定し、中心に学生と社会人の混成グループで解決方法を見いだしていきます。例えばテーマを「在宅医療」とした場合、「高齢化社会」「メンタリティ支援」「病院」「共働き」など、その周辺にあるさまざまな観点や課題を提示します。
その上で、社会をよくするツボになり得る課題を設定したり、解決策を模索します。抽象と具体を行き来しながら、テーマの全体観をつかんでいきます。最初から具体的に1つの課題や問題点を設定し、解決策を考えるという単純な構造にはなっていないのです。
テーマに関連する複数の課題を挙げ、全体を俯瞰(ふかん)して解決方法を見いだしていくんですね。
はい、その具体的なやり方が、年間8回程度のワークショップです。最初は「○○の未来」というテーマを設定します。これは、イノベーションを生み出す前提となる未来の社会像の全体観を得るためと、それを考える方法論を学ぶためです。
一般的には、起こる可能性(確実性)が高い未来ばかりを考えがちですが、ここではあえて、起こるか起こらないか可能性が半々ぐらい、つまり「不確実性が高い」未来を列挙していくんです。
なぜ「不確実性の高い未来」なのでしょう?
一般的に想定しない不確実性の高い未来シナリオを前提とすることで、課題設定やアイデアに新規性が生まれると考えているからです。不確実性の高い未来シナリオを想定して行動している人は少ないので、リスクマネジメントの観点からも、そこで課題を見つけて解決策を考えることが大切です。
それにより、未来を決定づけるために「自分にもできること」「社会に必要な製品・サービス」が整理され、未来に向けて、より主体的な議論ができるんですね。簡単にいうと、未来を自分ごとにするということですかね。
イノベーターとイノベーション人材の違い、分かりますか?
ずばり、イノベーションとは何でしょうか?
感覚的にいうと、使いやすい歯ブラシの形を開発するのではなく、歯ブラシを使わずに歯を健康に保つ方法を考えること、それが「イノベーション」だと思っています。もちろん、いろいろ定義はあるかと思いますが。
イノベーションを起こせる人材は簡単に作り出せるのでしょうか?
最初からいままでになかった価値を見つけるのは難しいので、まずは課題を設定し、解決に向けてさまざまなアイデアや意見が出す。ここから新しい価値は生まれます。i.schoolの目的はイノベーターを創りだすことではなく、”イノベーション人材”を生み出すことにあるんです。
イノベーターとイノベーション人材は違うんですね。
イノベーターは例えばスティーブ・ジョブズのこと。ある種、言語化しづらい天才的な閃きと突破力を持ち、世の中になかった価値提案ができる存在です。
一方、イノベーション人材とは、創造性と協調性を備え、ゴールに向けて他者と協力し、幅広いコミュニケーションがとれる人材のことです。自らそのプロセスをデザインしたり、マネジメントしたりする能力を持つ必要があるでしょう。
常に革新的な製品を世の中に提供するのがイノベーター、広範な意見やアイデアからイノベーションのタネを探し出し、それをマネジメントしていくのがイノベーション人材なんですね。
その通りです。イノベーション人材は、ある意味、天才的な突破力やひらめきの能力を持つ人ではなくて、後天的に方法論を学んで、マネジメントできるようになった人でしょうかね。
i.schoolは、イノベーションが起きるかもしれない場や空気、プロセスを提供しています。参加者が肯定的な雰囲気で自由に意見を出し合い、アイデアを真剣に生み出す経験をすることで、イノベーションを生み出す方法論やマインドセットに加え、自分がやってやる! というモチベーションをも参加者の中に醸成されたらと考えています。
ではなぜ、イノベーション人材を育てようと考えたのでしょう?
まず、自分が天才的なイノベーターではないと人生の早い段階で気付いたからです。一方で、イノベーションの創出にはとても興味が強いわけで、自分のためにその方法論を知りたいというのが最初の動機だったかもしれません。
別の理由で、すこし大きなことを言うと、50年後の未来を考えると、ロボティクスや人工知能が発達し、人間がやっている仕事の大部分がロボットやソフトウェアに代替されているかもしれない。
その世界で私は「知的特殊部隊」と呼んでいますが、人間がやるべき仕事はクリエイティブやコラボラティブなこと、さらには不確実性が伴い、常に繊細な判断が必要となるような仕事ではないかと。つまりはイノベーティブな仕事だと考えているのです。
イノベーション人材の育成は、まさにi.schoolが描く未来像に対する具体策だと。
来るべき未来にはイノベーション人材が必要です。i.schoolで育成する理由は2つあります。
1つは高等教育機関の目的は、世の中でリーダーシップをとっていく知的な人材を育てることにあると考えているからです。そんな人材が、先ほどの未来観の前提で学ぶべきことは、イノベーティブな仕事の仕方だということ。これは私自身が東大で活動する意味にもつながります。社会のためにも、東大生だからこそ、創造的なことができるようになってほしいのです。
もう1つは、本来、創造的な思考というのは、人間の性質の根源的なもので、一握りの人にその方法論の学習を限定する理由はありません。社会が多様化・複雑化すると、課題も多様化・複雑化し、画一的な解決策が有効ではなくなります。そうすると、課題認識を持つ誰もがその解決に対して責任を持ち、能動的にアイデアを出し、行動する必要性もあります。
その2つのアプローチが大切ですので、学びの場を東大に限定したり、立場や年齢を制限したりするのは実はナンセンス。だから「schoo」さんで授業を放送するなど、門戸を広げているんです。
イノベーションに不可欠な「多様な意見」を引き出すには
日本人は特に論理性が弱いと言われています。最終的なゴールを達成するために、チームで出てきた多様な意見を集約するのは難しくありませんか?
実は海外に比べて、日本の学生のほうが意見集約はしやすいと感じていました。根本的に「空気を読む」文化があり、集約しそうだと感じた時に主張をやめるからです。
対して、海外の学生はアイデア、意見に固執し続ける。だからこそ、グループとしての成果物の品質を上げるためには、日本では集約する前段階でいかに多様な意見を引き出すかが重要になります。
前段階で多様な意見を引き出すためにどんな工夫を?
プロセスデザインに力を入れています。i.schoolのワークショップには、多様な意見、つまりはアイデアが生まれる必然性をプロセスに織り込むようにしています。プロセスの必然性とは、あえて誰も着目していない「不確実性の高い未来シナリオ」を前提にしてアイデアを考えたりするといったことです。
そうした定石のようなプロセスがあるからこそ、ふとした偶然の会話や思考、議論の寄り道がスパイスのように効果を発揮したりもします。
そこがワークショップの特徴ですね。
はい。i.schoolのワークショップは、PDFとJPEGの違いで理解できます。引きで見るとどちらも綺麗な一枚の画像ですが、PDFはベクトルデータなのでくっきりしている。一方、JPEGは拡大したらギザギザですよね。
i.schoolのワークショップは前者、すなわちPDFのベクトルデータに近い。
そうです。全体像やゴールがくっきりと見え、細部も美しい状態になっている。その状態を出発点とするからこそ、くっきりとした議題が見え、議論に多様な広がりが生まれます。そんなワークショップを通じて得られるプロセスデザイン力やマネジメント力は、企業の長期の新規事業創出プロジェクトでも活用できるわけです。
なるほど。
ちなみに、ランニングマシンの上でいくら走ってみても、ゴールには近づかないですよね。トレーニングしたら、次はそれをいかにして社会で使い、実利に結びつけるかが大事です。
i.schoolで学んだ学生や社会人には、ぜひ「知的特殊部隊」として、慎重にリスクのあることに挑戦してもらいたいと考えています。そして、まずは私が皆さんに背中を見せられるように、自らリスクをとりながらも慎重に挑戦する行動をとり続けたいと思っています。
文:山川 譲 撮影:谷川真紀子
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