専属社員なし、みんな初体験――無茶苦茶なNEWSポストセブンはなぜうまくいったのか?
はじめまして。ネットのニュースを編集することが多い編集者の中川淳一郎と申します。今後、サイボウズ式で「チーム」について書くことになりました。初回は私が所属する「NEWSポストセブン」(NPS)のチームについて。「こんなチームの作り方があったのか!」と当初から驚かされたので、ここに報告します。
先にこの記事のポイントをまとめるぞ。・新しいことはやり続けた方がいい。その方が仕事の幅が広がる・同じ危機感と目標があれば、形式的な組織になってなくてもいい・全員が「欠けてはならない人」であることが理想
寄せ集めチームが5年も続いた?
NPSは小学館が運営するニュースサイトで、「週刊ポスト」「女性セブン」「SAPIO」「マネーポスト」の4誌の中からネットと親和性の高そうな記事を選び、編集をし直したうえで見出しも独自につけて掲載するサイトです。たとえば「引退の決意固いと言われる浅田真央 1年後に復帰する説登場」なんかがそうです。
ほかにも、「オリジナル記事」と呼ぶこれら4誌とは別の独自記事も存在します。これは「NHK朝ドラ人気が民放各局にも波及 出演者が高視聴率を連発」などですね。
2010年10月に開始し、このたび無事5年目に突入しました。関係者一同「よくぞここまでもったものだ……」と少しだけ感慨に浸っております(多分)。というのも、NPSは基本的には寄せ集めなチームに見えるからですね。現在は1名の専属社員がいますが、元々は専属社員が一人もいないという無茶苦茶なチームだったのです。
専属なし、無茶苦茶なチームの始まりとは?
NPS開始の発端は、私が2010年2月に小学館でネットについて講演をした際に、社員のN氏と名刺交換をしたことです。「今度、話を聞かせて下さい」と言われ、数日後にフレッシュネスバーガーでビールを飲みながらネットの話をしました。N氏はややポカーンとしており「今度もっと詳しい者を呼びますので……」となり、後日紹介してもらったのがK氏です。
このK氏が結果的にはNPSのプロジェクトリーダーになるわけです。その後も何度も会い「ニュースサイトを作ろう」という話がまとまりました。ちなみにK氏は現場の人ではなく管理職のため、雑誌も含め、ほかの仕事もマネジメントする立場です。
以後、K氏は社内でスタッフ集めを開始しましたが、まったく新しいことをするだけに、そしていつ潰れるかは分からないため、専任はつけられません。
アッ、その前にネットビジネスで心がけるべき3箇条
あっ、その前に、私がネットビジネスをするにあたって心がけることをエラソーに3つ話していたので、そこから紹介します。
【1】頑張り過ぎない
【2】お金はあまりかけない
【3】失敗のニオイがしたら躊躇せず撤退する
ネットというものは、何が当たるかよく分からないんですよ。ここで挙げた【1】【2】【3】は基本的には「あんまり期待しないでうまいこといったら儲けもの」という考えです。
幸いなことに、大型機械を買ったりするワケでもないので、余計な設備投資費はかからない。だったら期待値を低めにし、投資額を極力抑え、いつでも撤退できるようにするのが堅実です。
そもそも、カネをかけまくって作った凝ったサイトであっても、基本的には見出しの力とテキストの内容が集客力につながるので、見栄えだけ良くしても意味ありません。
専属ナシ、兼務から始まるチーム作り
NEWSポストセブン開始前
チームをアサインするのは事業責任者でプロデューサーのK氏、広告担当はN氏(女性セブン担当)。ここがガチッと決まっていたのですが、後がちょっと変わっています。前述の4誌から1人ずつ担当者が来て、記事の編集作業を「兼務」することになったのです。
マネーポストは季刊誌のため、編集作業期間以外は他の週刊誌(SAPIOは当時隔週誌)と比べて余裕があります。編集期間を終え、それほど忙しくなさそうにしていた編集者・S氏とM氏にK氏が「今時間ある?」と聞き、二人は「ありますよ」と。そのまま会議室へ行き「ニュースサイト作るんだけど、手伝える?」と聞かれ、「はい」と二人は答えます。
S氏はマネーポストだけでなく週刊ポストも担当し、S氏に至ってはSAPIOも担当することになりました。技術周りのデザイナーやプログラマーは、女性セブンの会員サイトを担当していたT氏がアサインしました。
ちなみに私は、全雑誌の編集に外部スタッフとしてかかわることに。ただし、年内で撤退し、小学館の社内にネットのノウハウを獲得した人々が社内でネットの知識を広めてください、と伝えていました。
5月からこれらメンバーに加え、広告担当でネットに詳しい別のK氏を加え、どんなサイトにするかの会議を繰り返し、10月にようやくNPSはスタートしたのでした。
NEWSポストセブン開始後
実際に記事を作り出す作業を始めると、すぐに人手が足りないことに気付きます。何せ、1冊読むのに4時間かかる。そこで過去4年間一緒に別のニュースサイトを作ってきたライターのA氏に女性セブンを、Y氏に週刊ポストの作業を手伝ってもらうことにしました。
その時も「Aさんゴメン、来週水曜日から、毎週午後2時に小学館に来れますか? 終了時間は8時くらいです」と言ったら「えっ?」と言われた後「まぁ、大丈夫ッスよ」で2人が組み込まれることに。そして弊社のY嬢には週刊ポストを手伝わせ、なし崩し的に広告営業まで担当してもらうことになりました。というか、Y嬢は広告営業の経験ゼロでした。
「よく分からんが、気付いたらチームに組み込まれていた……」――。全員がそんな状態でした。
忘年会でリーダーが言った一言
10月。オープンとともにすさまじいアクセスを稼ぎ、初月は目標値の3倍、12月まで爆発的に伸びました。当時のネットではゴシップや各界の識者に取材したネタはなかったということ。新聞社が出す社会派の記事とスポーツニュース、各種ノウハウ系記事やネタっぽい記事は多かったのですが、そのすき間のニーズを突けたのが成功の要因でしょう。
そんな折りに行われた忘年会でK氏はこうスピーチしました。
「おかげさまで成果を出せたうえで、こうして忘年会を開くことができました。ここにいる全員が誰一人として欠けてはいけないプロジェクトだったと思います」
私も同感でした。外部の人間も含め15人ほどのチームで、一人一人が初体験ながらも役割を与えられ、見よう見まねで仕事を進めたらあら不思議、うまくいっちゃった! というものでしたが、確かに仕事をしない人が一人もいない稀有なプロジェクトだったと思います。
ただし、このプロジェクト自体は、すでにプロの記者が長時間かけて取材したものをネットに転載するというモデルなので、元ネタが良かったのが最大の要因でしょう。
寄せ集めだったチームはなぜうまくいったのか?
あれから4年、専属の社員が1人つき、オリジナル記事を作るライターが常駐するなど、チームは少しずつ形を変えてきました。NPSのプロジェクトが、それなりにうまいことやったと評価してもらえている最大の理由は
寄せ集めではあったが、向いている方向は同じだった
このことに尽きるでしょう。2010年初夏の段階では「出版社はネットを何とかしなくてはいけない」という焦燥感がある中、NPSに一発トライし、「小学館のプレゼンスをネット上で高めてやれ、広告費を獲得しつつ、書籍の販売支援をやっちまおう!」という共通の目的がありました。
それまで紙の仕事では味わえなかったネット民による「拡散」「コメント」など様々な「反応」を得ることに快感を覚え、ネットニュースの仕事に楽しさを見いだせた――これが「同じ方向」です。
K氏からは件の忘年会の席で「1月からも仕事を続けて下さい」と言われ、今でも継続させてもらっています。外部の人間も含め、普段いる場所はバラバラだけど、心は1つという稀有な体験が今でも続いています。
文/中川淳一郎、イラスト/マツナガエイコ
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