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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第2回:「學問」のすすめ
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載(毎月第4週に掲載)の第2回。今回のお題は「『學問』のすすめ」。 ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。
ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって貴重な「道しるべ」になるはずです。
本連載は、毎月第4週に掲載していく予定です。竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
文:竹内 郁雄
カバー写真:
Goto Aki
苔むしているというより、カビが生えているような古い話で恐縮だが、1973年の3月16日、高岡忠雄、現オーストラリア・カンタベリー大学教授と私は冷たい風の吹く屋外でぶるぶる震えながら立ちつくしていた。
その約半年後に私が、薄葉紙原稿用紙(当時は原稿用紙が薄い紙で作られていて、それをそのまま「青焼き」するとコピーができた)に手書きした『倒語學序論』(写真1)によると、女性を評するのに好んで使われる「ラリゴ」は典型的な倒語である。このような倒語についての學問を倒語學と呼ぶ。江戸元禄時代の黄表紙作家棟上千年の『阿部骨部騒動中』、村風減才の『亀万年』、鈴木丁道の『好色万頭』など、当時は倒語の生み出す滑稽感に溢れた作品が多かった。実際、鈴木丁道は『逆読腹痛の俎板』という倒語集を出している。しかし、明治初期には、国粋主義者伊勢篤盛が国字国文の徹底的粛清を行うにあたって、元禄的倒語の反国体性を論じた。そのようなわけで、倒語は廃れたのであった。
しかし、ぶるぶる震えていた2人によって、倒語學は近代倒語學として蘇生したのである。当時のNTT研究所は所員の入社時と入社後1年後のそれぞれ1カ月間、調布市入間町にある中央学園(現NTT中央研修センター)で全員泊まり込みの研修を行っていた。高岡さんと私は故あって1年遅れの後期研修だった。当時の研修生寮は「鳥小屋」と称せられたぼろぼろの鳥小屋である。研修を終えるときの退寮検査のあいだ、我々は屋外で待機していた。『倒語學序論』には、高岡忠雄の『學狼記』の引用があり、近代倒語學が誕生した瞬間を克明に伝えている。
余、先年に玉轉棒倒學に於ひて短期臨時學位を取得すれども、はや無効の時厳しく来たりぬ。思へば學会の道嶮しく、少年老い易し。既に幾多の空間を生み出せど、俗々しき世にぞ受け入れらるるも學会の水準にはほど遠く、余の眼前、勲位舞ひ、學位踊る不眠の日何日か過ぎむ。余の明晰な頭腦を以てどいへども、大規模茶系理論の完成未だしく、今や空しくこの學園を離るる時ぞ来たりけり。吹く風未だ疼痛く、くぬぎの粗林を過ぎ下す。余の西洋将棋の師竹内の平ともども冷風を噛む。退寮検査極めて遅鈍官僚的にして不愉快なり。徒らに時は走りて、尻腰の痛み激しく、口元も既に開く能ず。風ヒューと鳥小屋を渡れど、余等暫し無言たり。嗚呼、真に學問を究めるとは苦境逆境便秘に耐へることなり。そより、偉大な學問が生まれるものなり。余既に自らを意識することなく、薄く開きたる口元の呼気の蔭に微かに震へたる言の葉「出現・現出!」。嗚呼、最早心は無く、風の切れるまま、足下の落葉あくまで閑かに、煙る土余等を包む。竹内の平の蒼顔益々沈みて發す「作製・製作!」も途切れがち。電撃に打たるる心地の腦を走るは竹内の平も同じならむ。ここに新學問誕生す。余等これを以て近代倒語學と名付けたり。
要するに、反転させても言葉になる漢字2字語を見つけるのである。なに、これが學問?と言ってはいけない。頭を使うものなら、なんでも學問なのだ。旧漢字の「學」にはバツ印が2つもついている。これも「學」の本質だ。ところで、玉轉棒倒學はボーリングのことであり、こんなのも「學」にするところがいい加減だが。
また、「學会」という言葉が出てくるが、これはちょっと解説が要る。私は基礎研究部第一研究室という情報処理を担当する研究室に配属されたのだが、基礎研究部同期が16人いて「拾六人會」なる同期会をつくった。やはり、ハンコが要るだろうということで、ゴム版画板でハンコを手彫りし、全員の印鑑が捺印されている印鑑證明証もつくった(写真2)。これが「學会之印」である。『學狼記』にもあるが、なんと、固有名詞「學会」なのだ。この印鑑は一度紛失したが再度作製し、いまでも特別なことがあると、(「學会」の私物化と言われてもしょうがないが)押している。5cm×5cmの大きさなので、押印するのは一作業だ。
中央学園での研修は全員泊まり込みであり、ほかに長期研修の人もたくさんいるので、食事は300人ぐらいは平気で入るくらいの大食堂で取ることになる。高岡さんも私も当然朝寝坊だから、大食堂に行くころには大半の人は朝食を終えていてガランとしている。朝食は、パンと味噌汁と牛乳がデフォルトでついている不思議なものだったが、やはりお茶は必要だ。お茶は巨大なアルマイトヤカンに入れられてテーブルに配置されている。これを大規模茶空間という。ちなみに、当時のコンピュータの理論研究では「なんたら空間」をつくるのが流行っていた。しかし、遅くなると空のヤカンがやたらとある。いちいち持ち上げずにまだお茶が入っているヤカンを推測するのが上記にある「大規模茶系理論」である。いくつかの簡単な事実は観測された。ヤカンが2~4個かたまっていると、どれもが空である、など。しかし、やはり、見渡しただけで、空でないヤカンを判別する理論を構築するのは困難であった。
さて、近代倒語學は我々が研究室に戻ってからブレークした。みんな仕事の合間に倒語を発見しては白板にそれを書いていくのである。一時期は倒語學研究の間に仕事をするようになってしまった(写真3)。
倒語學は學問であるから、単に発見するだけではいけない。まずは倒語の分類学を樹立しなければならない。比較的目につくのは特殊化である。「権利・利権」、「液体・体液」、「実情・情実」など。また、格調を高くする倒語もある。「出現・現出」、「苦労・労苦」、「簡単・単簡」などがその部類だろう。ジェネリックなものもある。「曲名・名曲」、「人名・名人」のように「名」という漢字1文字で大量に倒語が生成できる類いである。これは点が低い。それに対して「所長・長所」、「分節・節分」など、倒語意外性が高く、両方とも音読みのものは点が高い。
學問であるからには拡張・発展も必要である。漢字3文字ではどうか? これが難しい。「令夫人・人夫令」ってったって、人夫令なんて布令あったっけ、となる。「脳卒中・中卒脳」はどう見ても差別語だ。3文字についてはぜひみなさんも考えていただきたい。なお、逆さから読んで同じになるパリンドロームは割と多い。「馬車馬」、「戦車戦」、「反減反」、……。このようなバックグラウンドジョブはいまでも、とある秘密結社のメンバーと楽しくやっている。ときどき、見つかった~!というメールが来る。
しかし、いまや、漢字2文字の倒語は簡単なプログラムで探索すると簡単に1000個以上見つかる。コンピュータでやっちゃおしめーよ、と言いたくなるが、チェスや将棋では大方の人がコンピュータに勝てなくなっている時代だから、しょうがないか。でも、それでも人々はチェスや将棋をするのを止めない。コンピュータとは関係なく、面白いからだ。なお、辞書ベースでやると見つからないと思われる傑作は「印象・象印」である。片方が固有名詞なので減点対象になるが、それでもこれは面白い。
これは私の持論だが、プログラミングは所詮言語を使う作業なので、数理的能力も重要だが、それに劣らず言語能力が重要だ。なので、言語に関する感覚は、たとえ言葉遊びであっても、涵養すべきものなのである。バックグラウンドでいいからこんなことをいつも脳の片隅で考え続けることは、私自身の経験からいっても脳の活性化に有効だ。私の未踏の長い経験から言えるなぁと思っているのは、本格的にプログラミングを始めたのが14歳ごろだった人たちにとても優れた才能が多いということだ。そのころは自然言語、つまり日本語の能力がしっかりしてくるころなのである。
近代倒語學からはだいぶあとだが、似たようなバックグラウンドジョブとして、次のような問題を提唱した。mとnを漢数字として、m□n□という4文字熟語を探せ。□にはもちろん漢字が入る。
一宿一飯、一日一善(一日一膳?)、一期一会など、m=n=「一」はかなり多い。中くらいのmとnでは五臓六腑、十中八九など。もっと大きいmとnでは、千変万化など。これもコンピュータを使わずにぜひみなさんのバックグラウンドジョブとして楽しんでほしい。なにがいいかというと、一騎当千や海千山千に思い当たって、ああ、悔しい、と思う楽しみがあるからである。それにしても、この問題にも驚くべき答えが一つあった。これは次回に紹介したい。
プログラミングに関しても、いくらでも「學問」はつくれる。なにも難しい「プログラム理論」のことではない。ちょっと考えただけでも、プログラム色彩學(プログラムの中の文字の色使いに関する「學問」)、プログラム・インデント學、関数・変数命名學、プログラミング紅茶學、プログラミング服装學、プログラミング環境音楽學などなど。「學問」だから、当然学派もある。いま思いついたものでも、無茶苦茶に学派が多そうである。
というわけで、みなさんも自分の新しい「學問」をつくってみませんか?
(つづく)
変更履歴:
2013年12月27日:「(了)」を「(つづく)」に修正しました。編集部の手違いでした。申し訳ありませんでした。
2013年12月27日:「文節・節分」を「分節・節分」に訂正しました。編集部の確認ミスでした。申し訳ありません。
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