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書を捨てよ、世界へ出よう──tech book hack(2)
techな人によるbookコラム。自分で購入して読んだ本のうち、広くお勧めしたくなった本について、自由に語ってもらいます。今回は、飯尾 淳さん推薦の「深夜特急」(全6巻)、「5万4千円でアジア大横断」です。
文:飯尾 淳(中央大学)
もう四半世紀にもなろうかという私の昔話である。独身で、今よりもずっと身軽だった学生時代、ずいぶんあちこちに旅をした。といっても当時はまだ海外の広い世界を知らず、さまようといってもその範囲は日本国内のみだったが。それでも、当時、単車を乗り回していた私は、学生の特権である長い休暇を利用しては、日本全国、単車に跨って各地をあちらこちら回った。休暇でなくとも、少し隙間ができるとふらっとどこかに出かけがちな日々を過ごし、さながら糸の切れた凧のような生活をしていた。
今回紹介する2冊のうちの「深夜特急」(沢木耕太郎 著、新潮文庫)は、1986年から1992年にかけて刊行された。まさに私が高校生から大学生だったころ、いわゆる多感な時代と重なっている。そんな学生時代に私が本書に出会っていたとしたら、まず間違いなくバックパッカーになり世界を放浪していたのではないかと、今になっては夢想する。
そんな私も社会人になり、たまたま仕事や周囲の人々に恵まれて、世界各国へ出張する機会を得ることができた。なかでも、やはり、アジアとくにインドや東南アジアの熱気(活気)にアテられたくちで、東南アジア関連のプロジェクトには積極的に参加した。大学教員に転じた今でも、そのときのツテを頼りに、年に一度、学生をベトナムに連れて行き実地研修する科目を担当するようになっている。
面白い旅って何だろう
さて、「旅をする」といっても、いろいろな旅の形態がある。
いちばん楽な旅は、旅行会社の企画するパックツアーに参加して観光地を回る旅だろう。パックツアーは、旅慣れていないビギナーにはいいかもしれない。しかし、お仕着せの観光地を回り、もれなく付いてくる土産屋でつまらぬものを買わされ、見たいところを自由に見て回るというわけにはいかない。また、忙しい人であれば、飛行機で移動してめぼしい観光地だけとりあえず見て回る、という選択肢もあるだろう。しかしこれも点と点を繋ぐだけ、素っ気ない旅だ。業務なので致し方ないとはいえ、私がかつて仕事で回った東南アジアは主に首都のみで、「旅」という観点からすれば物足りないものだった。
面白い旅の手段といえば、ヒッチハイクという方法はなかなかにユニークな移動手段である。その昔、「進め!電波少年」というTV番組があった。そのなかで、ヒッチハイクでアジアを横断してロンドンを目指すという名物コーナーがあった。なお、このヒッチハイクの企画は「深夜特急」が下敷きになっているとか。
ともあれ、ヒッチハイクは、人と人とのふれあいがすべての旅といえるだろう。旅の過程では初めて会ったドライバーに命運を任せるわけだから、完全にドライバーを信用しなければならない。その点で、たいへん面白い旅といえる反面、リスクも高い旅である。実際、電波少年でも完全に陸路でヒッチハイクを続けることはできなかった。表向きはヒッチハイクで踏破したことになっていたが、実際には危険地域を飛行機でショートカットしたという事実は皆様ご存知のとおり。
では、列車の旅はどうだろうか。列車の旅も、時刻表を見ながら自分でプランを組み立てていくと、そこそこ面白いものになるだろう。とくに鉄分多めの人にとっては、申し分ない旅になるかもしれない。さらに、ハプニングを求める旅人であっても、アジア、とくにインドの鉄道はけっこうムチャクチャだったと聞く。今はどうなのか。余談だが、今から15年ほど前、スリランカを訪れた際に、鉄道に乗ってみようと駅を訪れたところ、時刻表どおりに列車が駅に滑りこんできたのでたいへん驚いた。その前に駅舎のチケット売り場でお釣りを誤魔化されたという体験をした直後だっただけに、なおさら驚いたものである。
しかし、列車の旅にも欠けている点はある。たとえば、列車とは、ひかれたレールの上をただ進んでいくものだということである。すなわち、そこには「乗ってしまえば必ず目的地に到着するだろう」という安心感があるのだ。途中駅で下りなければならないときに「ちゃんと下りられるか」という若干の問題は残るものの、この「なんとかなる」という安心感は、パックツアーの安易さに通じるものがあろう。
そこで、注目すべきは「バスの旅」である。列車の旅以上、ヒッチハイク未満。それも、長距離バスではない。大陸間を移動するような豪華なバスではなく、地元民の足となるようなローカルバス。TV東京の番組でよくやっているような、路線バスを乗り継いで旅ができるか、一見無謀とも思えるバスの旅にこそ、安全かつ自由な旅の醍醐味がある、というのは言い過ぎだろうか。
ここでようやく書籍の紹介を
ここまで、長々と「旅」論を展開してきた。ここから、2篇の物語を紹介していこう。
沢木耕太郎による「深夜特急」は、今ではバックパッカーのバイブルともいうべき書籍である。ある日思い立った主人公(沢木耕太郎本人)は、友人と賭けをする。いわく、「路線バスを乗り継いでデリーからロンドンまで行けるか」と。
面白いのは、本書はそれだけではなく、デリーまでの道中も克明に描いている点である。実際に、文庫版第1巻では、デリーどころか、香港・澳門でウロウロして終わっている。また、最後の描写もとてもおぼろげだ。ロンドンに向かうはずの主人公は、なぜかヨーロッパは西の果て、ポルトガルに向かう。ポルトガルで何かを得たところまでは稠密な描写がなされているのに、そこからロンドンに至るまではあっさりと描写されて終わり。最後はまた含みを持たせた形で終わっている。私は本書を何度か読んでいるにも関わらず、今回、再読するまで、ラストシーンはポルトガルのさいはてに到着したシーンだと誤解していた。実際、そこまでは記憶に残るのに、ラストがあまりにもあっさりしているので……。
一方の、下川裕治「5万4千円でアジア大横断」(新潮文庫)は、アジアハイウェイを日本からトルコに向かう旅。51歳の旅行作家、40歳のカメラマン、30歳の料理人が連れ立って、バスを乗り継いでアジアハイウェイの終点、トルコのカピクレを目指す。
どちらも行程に若干の違いこそあれ、東京からアジアを西へ向かうドキュメンタリーである。両者の違いは何だろう? 時代? それとも若者の一人旅とおっさん3人という違いだろうか?
移動手段は、基本的に両者ともバス、しかもローカルバスという設定である。もっとも、「深夜特急」では、厳密にはデリーからロンドンまでがバスの旅で、それ以前の香港やバンコク、カルカッタ(編集注:現在の名称は「コルカタ」)へは飛行機で飛んでいるし、インドシナ半島を南下する手段は鉄道だ。
時代はかなり違うので、それぞれの状況は変化しているだろう。たとえば「5万4千円でアジア大横断」には、バス泊を続けることで電源の心配をするシーンが何度も登場する。しかし、「深夜特急」にはせいぜい機械式カメラの話題が多少出てくるくらいで、電子機器に関する記述はまったくない。また、主人公である旅人の、金はなくとも活力はみなぎっている若者と、いささかくたびれかけたオジサンたちという違いも大きいかもしれぬ。しかし、もっとも大きな違いは、旅の性質、とくに、だらだらと街という街に滞在を続ける沢木青年と、できるだけ安く速くアジアハイウェイをバスで駆け抜けようとする下川氏のグループ、という違いだろう。旅の速度、といってもよいかもしない。
実は「深夜特急」の魅力はこの滞在記にこそあるのだ。なにしろ、メインであるはずのデリーからの旅に至るまでに、言い換えればスタート地点のデリーに到着するまでに、東京を出発してから半年以上もかけているのだから! そもそも、文庫版の全6巻中、第3巻の終わり、つまり物語の半分まで来てようやくデリーに到着するありさまである。一方の下川氏たちは、アジアハイウェイをのべ27日間、車中15泊で駆け抜けている。
沢木青年は、「とにかく安い宿を」という制約から、いろいろと変わった宿に泊まることになる。そしてその街が気にいると長逗留してしまう。香港で滞在したゴールデンパレス、この安宿は重慶大厦に実在したそうだ、と紹介すれば、香港をよく知る方ならその凄さは分かるだろう。ペナンで滞在した同楽旅社は、旅行者向けのホテルなどではなく、いわゆる娼館である。しかも、そこでその館を仕事場にしている娼婦たちやそのヒモたちと仲良くなって、実に楽しそうな日々を過ごす。一時が万事、すべてこの調子なので、デリーまで半年もかかってしまうのもさもありなん。素敵な旅である。
ゆったりとした沢木青年の旅も、とにかく急いで駆け抜けた下川グループの旅も、両者の旅行記には各地での地元の人々とのやりとりが情緒的に描かれている。気候のせいか、欧米諸国に比べるとアジアにはなんとなくいい加減さが漂っているのは事実かもしれない。しかし、それ故に人と人とのやりとりが「濃い」のもまた事実。本稿で紹介した2冊には、そのような人情あふれるエピソードが詰まっている。それがアジア旅紀行の魅力なのだろう。
まとめ(と、おまけ)
さて、皆さん、「深夜特急」もしくは「5万4千円でアジア大横断」を読んでみたくなりましたか? あるいは、アジアに旅立ってみたくなったでしょうか?
本稿の目的は、紹介した本を読んでくださいということではない。今どきの学生たちに聞いてみると、「日本で十分」という意見をよく聞く。しかし、グローバル時代にそれで大丈夫なのだろうか? 少子高齢化社会に向けて日本の市場は縮小する一方である。今満ち足りた生活を送っていられるからといって、将来その生活が確保されているという保証はない。今こそ、若者には世界に目を向けてほしいと願うのである。そんな意味で、本稿を読んで少しでも世界に目を向けてみたくなったとしたら、それに越したことはない。
さて、蛇足ながら、最後におまけの話題をひとつ。
「深夜特急」はアジア旅本としてはバイブルに近い存在となったため、それに影響を受けた多くの書籍やTV番組が制作されているということ。「5万4千円でアジア大横断」もそのうちのひとつといえるだろう。それ以外にも、西牟田靖による「僕たちの「深夜特急」―香港→デリー→ロンドン120日間バスの旅」や、映像化された「劇的紀行」シリーズなど、様々な作品が生み出されている。沢木耕太郎自身による「旅する力―深夜特急ノート」(新潮社)という補完的エッセイも、2008年に出版された。「深夜特急」から拡がる作品の世界、皆さんも旅してみてはいかがだろうか。(了)
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