一月九日の時点では、その事実は判明していなかった。──tech book hack(1)

techな人によるbookコラム。自分で購入して読んだ本のうち、広くお勧めしたくなった本について、自由に語ってもらいます。今回は、横田 真俊さん推薦の「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(文春文庫)です。

文:横田 真俊

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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生
佐々木健一 著、文春文庫

ベストセラーである「辞書」

今回、ご紹介する「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」は「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」を作ったケンボー先生こと見坊 豪紀(けんぼう ひでとし)氏と山田 忠雄氏の友情と決別までを書いたノンフィクションです。

「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」(佐々木 健一著、文春文庫)

本書の中心人物であるケンボー先生と山田先生は、元々「明解国語辞典」を共同で作成し、互いに尊敬し合っていました。しかし、ある時期を境に2人は決別し、別の道を歩みます。本書は2人の歴史を中心に、2人の決別までの経緯と、2人が作成した辞書に隠されたメッセージを明らかにするものとなっています。

個人的な感想で恐縮ですが、これまで読んだ本では断トツ(= 「一位にあって、二位以下をはるかに引き離した状態」の俗称。 新明解国語辞典より)に面白かった本で、未読の人にはぜひ「お勧め」したいと思います。

「辞書作り」と言えば、ベストセラーにもなった「舟を編む」(三浦しをん 著、光文社)を思い出す人も多いでしょう。三浦しをんのベストセラー小説であり、映像化もされた「舟を編む」では、主人公の馬締 光也(まじめ みつや)は、辞書編集部に異動しますが、その辞書編集部は人数が少なく、社内からも「金食い虫」と言われているような部署です。

インターネットがこれだけ普及し、スマートフォンなどでも手軽に「言葉」を検索できるようになった現在では、紙の辞書の役割はもう終わったと思われるかもしれません。

しかし、辞書は非常に売れている「隠れたベストセラー」です。特に本書のテーマとなっている「新明解国語辞典」は、あの「広辞苑」を抜いて累計で2000万部以上売れており、もう一方の「三省堂国語辞典」も1000万部以上売れております。この数字を聞くと「辞書を作る」ということは、映画版「舟を編む」で出てきた「金食い虫」と言われているオンボロな辞書編集部で行うようなことではないのでしょう。

本書はこの「隠れた大ベストセラー」である「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」の誕生と、それぞれの作者であるケンボー先生と山田先生に焦点を当てたものとなっています。しかし、単に「辞書ができるまで」のドキュメンタリーだけでなく、辞書の中に隠されたメッセージを解き明かす、ミステリー的な要素も入っています。それでは、この「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」の読みどころを紹介していきます。

新明解国語辞典と三省堂国語辞典

「辞書」といいますと、言葉を正確に伝えるものという印象が強いですが「新解さんの謎」(赤瀬川原平 著、文春文庫)でも話題になった通り「新明解国語辞典」は、他の辞書にはないユニークな語釈(= 問題となる語句の意味を分かりやすく説明すること。 新明解国語辞典より)があります。

三省堂国語辞典が、一般的な語釈や用例を掲載しているのに対し、新明解国語辞典は本書の表現を借りれば「自己主張の塊」「つぶやきのような用例」といった、他の辞書には見られない語釈や用例が数多く掲載されています。

例えば「白桃」。こちらを私の手元にある明鏡国語辞典でひくと「モモの栽培品種の一つ。果肉は白く、多汁で甘い。」となっており、大辞林では「水蜜桃(すいみつとう)の一品種。果肉が白く,多汁で甘味も強い。」となっています。ところが、これが新明解国語辞典となると

果実の肉が白い桃。果汁が多く、おいしい。

と「辞書」なのに、わざわざ(= 普通ならそこまでする必要はないと考えられることを、ある意図をもって行なう様子。 新明解国語辞典より)「おいしい」と個人の感想を書いてます。その他にも、

はまぐり
遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。殻は なめらか。
すっぽん
日本南部の泥沼や川にすむ、カメの一種。甲羅は丸く柔らかで、かみついたら離れない。吸い物にして、美味

と、辞書の割には「おいしい」「食べる貝としてもっとも普通」「美味」などと、個人の感想が並んでいます。味覚は人それぞれなので「はまぐり」や「すっぽん」が「うまい」と感じない人もいるとは思うのですが新明解国語辞典によれば「うまい」らしいです。

また、用例もユニークなものが多く掲載されています。新明解国語辞典(第三版)の「時点」の用例として

一月九日の時点では、その事実は判明していなかった。

と、突然「一月九日」という日付が出てきます。新明解国語辞典を有名にした「新解さんの謎」でも出てくる有名な記述ですが、なぜ「一月九日」なのかは、辞書をひいた人は分からないでしょう。

ちなみに、最近の新明解国語辞典(第七版)の「時点」の用例は「午後三時(三月末)の時点ではまだつぼみであったが、夜九時(四月初め)の時点では開花していた」と、きわめて普通の用例となっています。

また「読書」を新明解国語辞典で引くと

一時(イツトキ)現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために、(時間の束縛を受けること無く)本を読むこと。〔寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない〕

と、わざわざ「正しい読書」の方法まで指摘してくれます。

一方の「三省堂国語辞典」は、新明解国語辞典と違い「客観的」で「短文・簡潔」、そして「現代的」であることが特徴です。ただ、「客観的」で「短文・簡潔」であるのは、辞書としては当たり前で、この辞書の一番の特徴は「現代的」であるということです。本書では、その事例として「ウルトラマン」をあげています。

「ウルトラマン」が三省堂国語辞典に掲載されたのが1992年、ウルトラマンの初回放送は1966年ですので、実に26年もの年月が経過していますが、国語辞典の世界では、この採用例は極めて早いといいます。そもそも、国語辞書には原則として「固有名詞」は掲載されないといいます。固有名詞が広く認知され「流行語」というよりは「現代語」として認知されてから収録されるとのことです。

ケンボー先生は、三省堂国語辞典は、「『三省堂国語辞典』は徹底的に現代に即した辞書であることをめざしております。」と話していることや、三省堂国語辞典のWebサイトに行くと「新語に強い国語辞典」というキャッチコピーが掲載されており、現在でも三省堂国語辞典は「新語・現代語」に強いということをアピールしています。

ケンボー先生と山田先生のエピソード

山田先生の新明解国語辞典、ケンボー先生の三省堂国語辞典の特徴を見てきましたが、それぞれの性格は辞書にも反映されています。145万例もの用例を集め、それを基に辞書を作ったケンボー先生は「ことばとは音もなくかわる」とし「誤用も含めた客観的な事実を、客観的に記述すること」としています。

一般的に辞書は「正しい言葉」を掲載すると思っていたのですが、ケンボー先生の化身である「三省堂国語辞典」は「どの日本語が、正しいとか間違っているという書き方はほとんどしない」と言います。「言葉の乱れ」なんて言いますが、ケンボー先生にとっては辞書は言葉を正すためのものではなく、その時々で利用された言葉を正しく利用するためのものだったのかもしれません。

一方の「新明解国語辞典」の山田先生で印象的なエピソードは魚の「鱈」を巡る論争です。「明解国語辞典」を作成する時に「鱈」の語釈をどうするかについて議論が行われたのですが、山田先生は「鱈はうまい、美味・そう書けばいい」と発言、さすがにそれはないだろうと、他の編者は諭そうとしたのですが「いや、私が住んでいた富山県では鱈が一番おいしい」と真剣な表情で語り、山田先生以外の編者がその発言に笑い出して「分かった、分かった。それじゃあ『富山県では』、と書こうか」と言ったところ、「私は真剣に言っているんだ! 何なんだ、その言い方は!」と激昂したと紹介されております。

本書では「学生のひねたような人」という紹介をされている山田先生ですが、日本を代表する辞書の編者達がこんな冗談みたいなことで本気になって怒っていたのかと思うと「辞書」というものが、以前よりも「人間くさく」感じてしまいました。性格は辞書にも反映されています。

「新明解国語辞典」のユニークさに隠された意味

いろいろと「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」の内容を紹介してきましたが、本書の最大の見所は「ケンボー先生と山田先生の2人がどうして決別したのか?」と「新明解国語辞典の語釈は、なぜ他の辞書よりユニークなのか?」という2点です。

「新明解国語辞典」のユニークな語釈を紹介した「新解さんの謎」では「時点」という用法で「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった。」という箇所を紹介し

一月九日である。それははっきりしている。でもそれが何なのかはぜんぜんわからない
(中略)
これも一・二・三版にはこの用例がなく、四版ではじめて出てくるという。何か私小説を感じる。

と紹介しています。

この「一月九日」という日付、実はケンボー先生、山田先生ともに大事な日付で、共に同じ辞書を作っていた2人が決別する契機となった特別な日付となっています。このほかにも「新明解国語辞典」では、まさに「私小説」とも言うべき様々な語釈や用法がちりばめられています。本書では、ケンボー先生と山田先生の当時の状況から、それを明らかにしています。

辞書作りとしてのドキュメンタリーとしても、十分楽しめますが、膨大な辞書の語句の中からケンボー先生と山田先生の「思い」を考察する部分については、ある種のミステリーとしての要素も楽しめると思います。「辞書」をテーマにしておりますが、普段、言葉や辞書に関心がない人でも十分楽しめると思います。(了)


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