企業は利益のために、マインドフルネスを悪用していないか?──ブームに警鐘を鳴らす専門家に本来の意味を聞いてみた
ストレスに対する効果が注目を集め、数年前から話題になっている「マインドフルネス」。瞑想や呼吸法を生活に取り入れている人もいるのではないでしょうか。
一方、サンフランシスコ州立大学ビジネス学部経営学教授のロナルド・パーサーさんは、現在のマインドフルネスのあり方に疑問を呈しています。
「ストレスの問題解決を、個人に頼りすぎている」「企業は時として、従業員のストレス耐性を高め、会社の成果を上げるために、マインドフルネスを悪用している」
現状のマインドフルネスの問題点、そして、本来どのように生かすべきなのかについて、サイボウズ式、サイボウズ式のグローバルサイト「Kintopia」編集部員のアレックスが聞きました。
※この記事は、Kintopia掲載記事The Radical Potential of Civic Mindfulnessの抄訳です。
マインドフルネスは企業が利益を得るためのツールになっている
職場でストレスを感じている人が、上司からマインドフルネス実践プログラムを勧められ、受講したとします。何が得られるのでしょうか?
これは企業から社員への暗黙のメッセージなんです。「健康やメンタルヘルスは自己責任です。でも、職場環境や組織文化に適応する支援はしますよ」というね。
ストレス対策として、マインドフルネスに頼ることは、本質的には間違っていません。肝心なのは、それが誰のためのものなのかということです。
つまり、企業が利益を得るためのツールになっているということです。
つらくても「マインドフルネスで頑張って乗り越えてね」
これは、いわばプロテスタントの労働倫理の現代版です。
かつてピューリタンは、天国に召される可能性を高めるために、過酷な労働状況でも懸命に働きました。
この状況と、企業が社員に提供するマインドフルネスプログラムの関係は類似しているのです。「キャリアで成功する代償として、抑圧的な職場環境に耐えるための軟膏だよ」ということですね。
現代のマインドフルネスは、「マインドフルネスのプログラムを従業員に提供する俺たちはイケてるでしょ」という見せかけの企業スピリチュアリティに見えます。
個人がマインドフルネスでメリットを得るのは大いにけっこうです。
ただ、人間の苦しみの原因を狭く定義してはいけません。「個人の幸せは、社会的要因や周辺の環境から独立したものである。幸せは、自己管理と脳のトレーニングによって得られるものだ」というメッセージは危険です。
根本的な原因を解決せず、個人のストレスに対する対処能力や免疫力だけを強化するべきではないでしょう。
資本主義社会では、利益追求のために個人の限界を押し広げがちです。現代人がストレスとうまく付き合えれば、企業は従業員をさらに追い込み、労働環境が悪化することも考えられます。
本来のマインドフルネスの意味は「明瞭な理解」。現在と過去の大きな違い
マインドフルネスはパーリ語の「Sati(サティ)」(気づき)を訳した言葉です。ブッダの初期の教えを収録した「パーリ仏典」には、マインドフルネス瞑想の取扱説明書のようなものが含まれていました。
それがイギリスの学者によって、19世紀に英訳されたんです。
それは、過去の記憶だけでなく、あなたの考えや意図、態度がもたらす結果までを意識するものでした。
マインドフルネスの考えで重要なのは「sampajaña(サンパジャンニャ)」です。これは、起きていることをはっきり理解することを指し、「明瞭な理解」と訳します。
当時の仏教では倫理、瞑想、賢明さを大事にすることが重んじられていました。しかし、現代のマインドフルネスでは、このような仏教のスピリチュアルな側面を切り離されてしまったのです。
当時、瞑想は一部のエリート僧侶だけに許されていましたが、ビルマやタイで仏教の存在自体が脅威にさらされたことを機に、広く一般に解放されるようになりました。
彼らは西洋にアピールするために、仏教は宗教ではなく「心の科学」だと説きました。「マインドフルネスは、西洋の合理主義と科学がマッチしたもので、宗教ではない」と。
その後、1960年代初期にほぼ原型をとどめない、心の平穏を取り戻すための治療法としてアメリカに広まり、マインドフルネスが盛んになりました。しかし、マインドフルネスの識別や判断といった認知の側面がおろそかにされるようになってしまったんです。
これは、仏教における"Liberation"(解放)の意味合いでもあります。「自分が他から独立しているという幻想」から解放される意味です。
この気づきは、思いやりの概念にも影響します。この幻想を乗り越えられれば、他者と自分という線引きが消えてなくなります。必然的に周囲への思いやりを持てるようになるんです。
つまり、離れているように見えても、本質的にはすべてのことがつながっているという考え方です。
マインドフルネスは瞑想や休息だけではない。大事なのは会話
それでは今、マインドフルネスでストレスに対処している人は、どうしたらいいでしょうか。
3分間の呼吸法をやってみたり、面倒なメールを送信する前に深呼吸してみたりといった方法もけっこうですが、個人向けのテクニックにとどまっていては、マインドフルネスが持つ真の可能性に気づけません。
わたしたちはもっと高みを目指せるはずです。
具体的には、政治・社会システムを見直すことです。現代のマインドフルネスは、圧倒的に個人主義であり、社会・集団的な側面が忘れ去られています。
1つ言えるのは、集団生活での気配りや注意深さを養うコミュニケーションをはじめとした、組織的な苦難に立ち向かうマインドフルネスが求められているということです。
これは、現実を新たな目で見るように人々を刺激し、人間のつながりを実感させてくれるはずです。わたしはそれを「ラジカル(急進的)・マインドフルネス」と呼んでいます。
そして、マインドフルネスを、不公平さであふれる現代や企業に適応するツールとして使うことをやめるべきです。
「怒りが収まらなくて」と話す参加者に呼吸法を勧めても、意味がないですよね。そうではなく「何について怒っていたの?」と問いかけるのがふつうだと思います。このように、自らに問いかけて自身の感情を深く知ることが大切です。
臨床療法的マインドフルネスでさえ、人々は自分の体験を打ち明けるものですから。
私はこの考え方を「シビック (市民)・マインドフルネス」と呼んでいます。これを実践すれば、人は個人的なトラブルや不安を深く理解できます。
そして、社会や政治的状況と個人がどうひも付いているかを知ることで、集団の結束力が育まれます。
単なる療法の域を越えた、社会的に根付いた独自のマインドフルネスを編み出していく必要があるでしょうね。
マインドフルネスには根源的にも、政治的にも、可能性を秘めています。それが明らかになるのは、これからです。
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執筆
編集
三橋ゆか里
IT関連の話題をビジネス誌や女性誌などで執筆。BBC(英国放送協会)などで日本文化について発信し、2018年にイギリスで本を出版。海外の子育てネタを扱うポッドキャスト「HearMama」を配信中。ロサンゼルス在住。