社長から「サイボウズ式、もうやめたら?」と言われた話──やる気がなかったアラサー社会人の苦悩
入社8年目、社歴を重ねるにつれて、慣れと諦めばかりが増えていく。
仕事はひとりで進められる。専門性が高まってきて、頼られることもある。でも、心が動かない。波風を立てないように、無難な正解を求めるようになる。挑戦しないから、悔しくもないし嬉しくもない。入社した頃の「何者かになれるかもしれない」という高揚感は消え、自分には突き抜けた才能がないことに気づき、上限が見えて立場を察しはじめる。中堅になるってこういうことか。
これが最近までの正直な気持ちだった。そんな僕は、2026年にサイボウズ式の4代目の編集長になった。
このコラムは、僕が仕事への熱量を失うまでの過程と、そこから抜け出すまでの日々を書いたものだ。中堅になって仕事のワクワクを失った人。でも、転職するほどの熱量もない人。そんなかつての僕と同じ気持ちの人に、このコラムが届いたら嬉しい。
気づいたら仕事がつまらなくなっていた
サイボウズ式は、サイボウズの認知度向上とブランディングを目的として、2012年にできたメディアだ。
2019年に入社した僕は、はじめての新卒編集部員だった。当時のサイボウズ式は「オウンドメディアの成功例」なんて言われていて、編集部は全員、ヒット記事を連発するエースみたいな人たちだった。タイトルひとつに何時間も議論して、こだわり抜いた記事を世に送り出す。「こんなふうになれるのか??」と思いながら必死に食らいつく毎日は、充実感に満ちていた。
やがて時は流れ、独立、転職、異動などでメンバーはひとり、またひとりと入れ替わっていく。僕も経験がついてきて副編集長になり、企画のGO判断やブラッシュアップを担当する、コンテンツの責任者を務めるようになった。社員数は1000人を超え、サイボウズはいつしか大企業と呼ばれるようになっていた。
このころから、徐々に仕事がつまらなくなってきた。
「らしさ」という名の、心地よい停滞
「まあ、組織が大きくなるってこういうものだよな」と思うことが多くなった。
ひとりの熱量よりも、誰がやっても一定の成果が出る仕組みや、リスクを最小限に抑える再現性の方が、組織にとっては優先される。効率化という正論の前に、僕の個人的なこだわりはノイズのように思えてしまった。
企画が簡単に通りすぎている。でも、更新頻度も大事だから。
この企画、本当におもしろいかな。でも、社内の大事なプロジェクトだから。
なんか無難にまとまっちゃったな。でも、炎上したら大変だから。
でも、でも、でも……。
「柔軟に変わっていけるのが、うちのチームらしさだよね」と言い訳をして、違和感を無視していた。そもそも、自分ひとりのエゴでチームのやり方を変えるわけにもいかないし、そんな覚悟もスキルもない。「あの頃のワクワクはもうない」とあきらめていた。
そのうち、読者にとってのおもしろさにこだわることをやめて、自分の安心感のために記事をつくるようになっていった。「会社が言いたいこと」を発信しておけば、少なくとも社内では「いい記事だね」と言ってもらえる。失敗しないで済む。「自分は読まないけど、興味のある人は読むかもしれない」と言い聞かせていた。
僕自身が伝えたいことは、特にない。過去のノウハウでかたちだけ真似して、それっぽい記事をつくり続ける。
そんな怠慢は読者に伝わってしまう。記事を出しても関係者だけが喜んでくれる。どんな記事をつくっても読まれるイメージがわかなくなり、反響はやる気に呼応するようにゆるやかに減っていった。
「オウンドメディアなんて、やっていて意味があるんだろうか。この予算をまるごと広告に回した方が、会社にとっていいんじゃないか」とも考え始めていた。
「やりたいことがないなら、解散でもいいですよ」
そんなとき、転機があった。組織再編のタイミングで、社長の青野さんに「僕らは何をすべきか」と聞きにいったことがある。自分の存在価値を、誰かに決めてほしかったのだ。その時に言われた言葉が今でも忘れられない。
「やりたいことがないなら、解散でもいいですよ」
正直、腹が立った。「無責任だ、僕たちはサイボウズ式のために配属されたのに」と。
しかし同時に、羞恥心が込み上げた。愕然とした。僕は会社が用意してくれた場所に、ぶら下がっていただけなんだと気づいたからだ。
会社のやりたいことのために、人がいるのではない。やりたいことがある人がいて、その目的を果たすために会社や組織がつくられるのだ。そんな当たり前のことさえ、僕は忘れていた。自分の居場所は会社が与えてくれるものだと思い込んでいた。
「会社さん」という人が意思決定をして指示を出すことはない。会社とは、本来ただの仕組みであり、実際に動いているのは一人ひとりの人間だ。「会社の方針」と口にするとき、人は無意識に自分の意思を消し、実体のない「会社さん」に責任を転嫁してしまいがちだ。まさしく、僕はこれだった。
「あの頃のワクワクはもうない」のではない。僕が勝手にあきらめていただけだった。不満があっても誰かが変えてくれるのを待ち、責任を放棄していた。
僕は先輩たちが築いた「サイボウズ式さん」の顔色をうかがい、機嫌を取り、ただぶら下がっているだけのフリーライダーだったのだ。もう編集部にいない先輩たちの影を追い、今の自分がやるべきことに向き合わず、用意された場所で、いかに失敗しないかばかりを考えていた。
当事者ではなく傍観者になったから、僕の仕事からワクワク感が消えたのだ。
仕事をつまらなくしていたのは、自分自身だった。
もう一度、つくる人になる
僕は本当に今の仕事をやりたいのか? そう問いかけながら、何気なくエゴサをしていたとき、あるXのポストが目に留まった。
「サイボウズ式」は成功事例なんて言われていたけど、今となっては、内輪ネタと提灯記事を無難にまとめた企業紹介サイトに見えるのが悲しい
不思議とショックはなかった。ああ、やっぱりそう見えているんだなと思った。不謹慎かもしれないけれど、ちゃんとつまらなくなっていたんだとわかって、むしろすっきりした。
僕はサイボウズ式で、まだ何もできていない。変わろうとさえしていなかった。そこまで考えて、やっと決心がついた。
「やっぱりサイボウズ式で記事をつくり続けたい」
そんな僕の変化を察してくれたのか、2025年の終わり頃、当時の編集長から「来年から新しい編集長になってほしい」と提案をいただいた。
これまで頭でこねくり回していた妄想が、急に現実味を帯びてきた。「編集長」という実体を伴った役割として目の前に現れたことで、「ここで逃げたら、次はない」という緊張感とともに「自分がやるんだ」という実感がわいてきた。
ふと、今は編集部を離れてしまったある人のことを思い出した。
その人はかつて、自分の悩みについての取材中に、感極まって泣いてしまったことがある。当時は「情緒が豊かだなあ」としか思っていなかった。けれど、今ならわかる。あの人はつくり手として、自分を深くさらけ出す覚悟を決めていたのだ。
ひるがえって、自分はどうだったか。僕は一味違う、できるビジネスパーソンに思われたくて、カッコつけることばかりに必死だった。本気でつくって読まれなかったときに、自分自身が否定されるのが怖くて、そこまで興味もないくせに「サステナブルがー」とか流行りの言葉を並べて、逃げ道をつくっていた。
思ってもいないことを言うのは、もうやめよう。これからは編集長として泥臭く自分をさらし、自分たちの手で新しい「サイボウズ式」を、もう一度つくるのだ。そうすれば、きっと価値を感じてくれる人が増えるはずだ。
「おもしろいですね」という嘘をやめる
編集長になってから、僕はひとつの小さな行動を変えた。 自分の違和感を無視して「おもしろいですね」と嘘をつくのをやめたのだ。
波風を立てないように「いいですね」と同調する。無理やり「おもしろい」と思おうとする。それらは相手への優しさではなく、単に対話という負荷から逃げていただけだったのかもしれない。
自分の本当の感覚にふたをすることは、結果として企画そのものの熱量を奪い、自分の仕事をつまらなくしてしまう。でも、お互いの違和感や、もっとこうしたいという熱意を共有すれば、みんなの企画が、仕事が、おもしろくなっていく。
僕は「みんな違ってみんないい」と無条件に受け入れていては、いいものはつくれないと思っている。必要なのは、それぞれが持ち寄った異なる視点を手がかりにして、さらに深く、深く掘り下げていくことだ。その濃密な対話のなかに、仕事のおもしろさがあるのだと思う。
そして、そのプロセスこそが、読者の心を動かす熱量になり、サイボウズ式らしさをかたちづくると信じている。
以前の僕は、多様性という言葉を都合よくとらえて、意見をぶつけ合うこと自体を避けていた。踏み込まないことで、結局はコンテンツの質に対する責任から逃げていたのだと思う。でも、僕の役割は、誰よりも仲間との対話をたのしみ、チームみんなでおもしろい答えを探すための問いを投げ続けることだ。
だからこそ、今はまず、チームの一人ひとりと向き合い、逃げずに議論を尽くすことから始めている。
仕事は攻略に変わった
「責任をもって自分で仕事をおもしろくする」
そう覚悟を決めてから、仕事がつまらない無力感はだいぶマシになっていた。これまでは会社が決めたルールだと思っていた予算も、人員配置も、他部署との関係性も、すべては自分がやりたいことを実現するために動かせる変数なのだと気づいた。
この経験を通してわかったこともある。自分自身、編集長という役割を与えてもらってから、かなり意識の変化があった。どれだけ自律をうながしても、個人の気合いでどうにかするには限界がある。責任と権限がセットで与えられるのは、やっぱり大事だ。
だから「経営者でもないのに、そこまで考える必要はない」という意見もわかる。ただ、僕はあのつまらない腐った自分に戻りたくない気持ちの方が大きい。なぜなら責任をもって、逃げ場をなくして吐き気がするほど不安な今の方が全然たのしいし、いいものをつくれる気がしてならないからだ。
とは息巻いたものの、そんなすぐに変わっていける自信もなく、オワコンになるのが怖すぎて、ここ2週間くらい胃腸の調子が悪いです。グオーー。
2026年、新たなサイボウズ式をどうぞよろしくお願いします。
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