「あの人さえいなければ」──この誤診が、チームの生産性を下げる
話題の人気ブログ「おい、」シリーズの著者で、ソフトウェアエンジニアのnwiizoさんによる新連載「生産性を取り戻せ」が始まります。この連載では「仕事の生産性」をあらゆる角度から捉え、チームで生産性を高めていくためのヒントを探っていきます。
第1回のテーマは「なぜ私たちは“意味のない忙しさ”に陥るのか?」です。そもそも「生産性が下がる構図」とは何なのか、その本質に迫ります。
はじめに
金曜日の午後4時だった。
「来週のアラインメント会議の事前資料」を作っていた。正確に言えば、事前資料を作るための事前打ち合わせで「次回までにまとめておいてほしい」と言われた内容を、資料に起こしていた。その中身は、先週の会議で話したことの要約だ。
先週の会議も、その前の週の会議も、同じことの繰り返しだった。誰のための資料かわからない。何を決めるための会議かもわからない。ただ、カレンダーに入っている。入っているから出る。出たらまた「まとめておいてほしい」が生まれる。生まれたからには資料を作る。
ふと、Slackを見た。チーム全員がオンラインだった。全員が何かを打っている。全員が忙しそうだった。そして、たぶん全員が同じことを感じていた。全員忙しいのに、何も進んでいない。
この違和感には、名前がある。名前があることを知ったのは、もう少し後の話だ。
「あの人」という誤診
「チームの生産性が低い」と感じたとき、私たちは真っ先に人を探します。会議を脱線させるAさん。決まったことを後から覆すBさん。何をやっているかわからないCさん。「あの人さえいなければ」──この思考に、覚えがある方も多いのではないでしょうか。
正直に告白します。私もそう思っていました。3年ほど前、SRE(システムの信頼性を維持するエンジニア)としてチーム間の調整を担っていた時期のことです。「Aさんが余計な発言をしなければ、会議は30分で終わるのに」「Bさんが最初から参加していれば、手戻りは起きないのに」。犯人を特定すれば、問題は解決する。そう信じていました。
しかし、奇妙なことに気づきます。Aさんが休んだ日も、会議は脱線しました。別の人が脱線させたのです。Bさんが異動した後も、決定が覆る問題は残りました。別の人が覆したのです。犯人を排除しても、同じ現象が起き続ける。つまり、犯人は人ではなかった。人が問題に見えていたのは、構造が見えていなかったからです。
なぜ私たちは構造ではなく個人を責めるのか。理由はシンプルです。人を指さす方が楽だからです。「Aさんが悪い」と言えば、自分は安全な場所にいられます。「会議の設計が悪い」と言えば、「じゃあお前が直せ」と返ってきます。個人を責めるのは責任回避であり、構造を指摘するのは責任の引き受けです。
私たちには、他人の行動を「性格」で説明し、「状況」を無視する癖があります。同じ行動でも、自分がやれば「仕方なかった」と思い、他人がやれば「あの人はそういう人だ」と決めつける。だから、多くのチームが犯人探しで止まります。
では、構造とは何か。忙しさの正体は何なのか。ある時期、自分の1週間の仕事を記録してみました。何に何時間使っているか。そこで見えたものが、この連載の出発点です。
「意味のない忙しさ」の5つの型
記録をつけて最初に気づいたのは、月曜朝の定例会議の正体でした。各メンバーが「今週やること」を順番に読み上げます。全員がチャットで共有済みの内容を、声に出してもう一度言う。上司がうなずく。30分が過ぎる。
この会議は何のために存在しているのか。「チームはコミュニケーションを取っています」という証拠を作るための儀式でした。 やっていることを証明するための仕事は、やっていること自体ではありません。
自分の仕事にも目を向けました。当時、システムの信頼性を維持するエンジニアとして、チーム間の調整業務を多く担っていました。Aチームが変更した仕様をBチームに伝え、Bチームの要望をAチームに返す。
本来なら、仕様変更を自動的に通知する仕組みや、チーム間の依存関係を可視化するツールで恒久的に解決できるはずの問題を、毎週の調整会議で手動解決していました。壊れた仕組みを毎回手作業で補修する──これは応急処置であって、解決ではありません。
しかし、根本の設計を直す提案をしたとき、静かに首を振られました。その設計を決めたのが、今の部門長だったからです。問題が解決されると、その問題を管理してきた人の存在意義が消える。だから、問題は解決されません。解決できないのではなく、解決しない方が都合のいい人がいる。構造が腐り続けるのは、多くの場合、誰かにとっての利益になっているからです。
記録を眺めていて、パターンが見えてきました。「意味のない忙しさ」には5つの型があります。
見せるための仕事──偉い人が来るから作る資料。誰かの重要さを演出するためだけに存在する会議。あの資料は何を決めるためのものだったのか。何も決めません。ただ「報告しました」という事実を作ります。
対抗するための仕事──競合が出したからうちも出すレポート。意味はないが「やらないわけにはいかない」。双方が同時にやめれば問題ないが、一方的にはやめられません。あるとき、競合他社が四半期ごとに出している技術レポートに対抗して、うちも同じものを作ることになりました。「作る意味ありますか?」と聞いたら、「出さないと『出さない理由』を説明する会議が増える」と返ってきました。対抗しない方がコストが高い。構造はそうやって自己強化します。
応急処置の仕事──壊れた仕組みを毎回手で直す。データを手でコピーする。根本の設計を直すと政治コストが発生するから、応急処置を続ける方が「安い」と判断されます。
証拠づくりの仕事──誰も読まない報告書。形式的なチェックリスト。「見せるための仕事」が特定の人間の印象を管理するためにあるとすれば、こちらの受け手は監査やコンプライアンスといった「仕組み」です。記録が存在することが目的であって、誰かに届くことは想定されていません。
仕事を生むための仕事──他人にタスクを割り振るためだけの会議。管理のための管理。マネージャーが自分の存在意義を示すために部下の仕事を分割・再配分します。
チームの中にも、ある逆説がありました。本当に価値を生んでいる仕事の時間より、「仕事をしていることを説明する時間」の方が長い。見えにくい仕事ほど価値があり、見えやすい仕事ほど空洞でした。
この仕事は、誰に、どんな価値を生むのか?
これだけ整理すると、意味のない仕事は切り捨てればいいように見えます。しかし、本当にそうでしょうか。「本人が意味がないと感じている」ことと「客観的に不要である」ことは同じではありません。
セキュリティ監査のための書類仕事を例に取ります。「私たちの組織は情報セキュリティ対策をきちんと実行しています」と示すための文書を、決められたフォーマットに沿って埋めていく。単なる穴埋め作業です。書く側には虚しい。
しかし組織レベルでは、この書類の積み重ねが「信頼のインフラ」として機能しています。顧客はセキュリティ認証を見てサービスを選びます。投資家はコンプライアンス体制を見て投資判断をします。1人の視点では無意味に見える仕事が、集合すると組織の信頼になる。
問題は、その「集合的な意味」が個人にフィードバックされないことです。書いている本人には「形式を埋めている」という実感しかなく、それが誰のどんな判断を支えているかは見えません。だから手段が目的化します。
大規模な組織で働いたことのある方なら、心当たりがあるかもしれません。ミーティングの半分は調整です。チーム間の依存関係の確認、スケジュールの同期、障害時の連絡経路の合意。一見、何も「生産」していません。
しかも、チームの境界をまたぐたびにハンドオフが発生し、そのたびにフローが中断されます。AチームからBチームに依頼が渡ります。Bチームのキューに入り、着手されるまで待つことになります。着手後には仕様の確認が戻ってきます。1つの変更が3つのチームにまたがるとき、実作業よりも待ち時間の方が長くなります。
しかし、これらの調整をすべて取り除いた組織を想像してみてください。各チームが好き勝手に動き、依存関係を考えず、問題が起きたときに誰に連絡すべきか分からない。調整コストの存在は、組織が無駄であることの証拠ではなく、組織が複雑であることの証拠です。 問題は調整の存否ではなく、調整の投資対効果を誰も検証していないことにあります。
それでも問いとして有効です。「この仕事は、誰にとっての、何の価値を生んでいるのか」と自問する習慣は、答えが曖昧でも持つ意味があります。
代理指標の罠
では、なぜこの構造が生まれるのか。なぜ私たちは「意味のない忙しさ」に陥るのか。
工場には生産性の定義があります。1時間に何個の部品を作ったか。数えられます。測れます。改善できます。しかし、成果が定まらない仕事──企画、設計、調整、文章を書くこと──には生産性の定義がありません。
ある人の1時間は何を生み出したのか。企画書を書いたのか。Slackに返信したのか。3行のコードを書いたのか。どれが「生産的」で、どれが「非生産的」なのか。誰にもわかりません。
定義がないから、代理指標が登場します。目に見える忙しさが、生産性の代わりになります。Slackの即レス、会議への出席、メールの処理速度、タスクの消化数。忙しく見えることが、「仕事をしている」ことの証明になります。 測定できるものを測定しているのではありません。測定しやすいものを測定しているだけです。
しかも、この代理指標が厄介なのは、仕事の価値と仕事の可視性がしばしば反比例することです。
Slackに即レスしている姿は全員に見えます。じっくり設計を考えている姿は誰にも見えません。障害が起きたときの緊急対応は目立ちます。障害を未然に防いだ仕組みづくりは、うまくいっているときほど何も起きないから、誰にも気づかれません。何も起きないことが成果である仕事は、目に見える忙しさの指標では永遠に評価されません。
この構造は、誰かが意図的に作ったものではありません。全員が善意で動いた結果、自然にでき上がった罠です。
マネージャーは「チームの様子を知りたい」から会議を設定します。メンバーは「ちゃんとやっています」と示すために出席します。誰も悪くない。しかし、全員の善意の総和が、生産性を奪います。見えるものが評価され、見えないものが軽視される。この非対称性がある限り、善意は「目に見える忙しさ」の方向に流れ続けます。
そして、小さなタスクが構造を内側から食い荒らします。Slackへの返信、15分の打ち合わせ、ちょっとした確認。「5分で終わるから見てほしい」──これを断れる人を、あまり知りません。5分で終わります。本当に5分で終わります。
ただし、そのタスクに付随するやりとりが10分、確認が5分、フォローアップが10分。そして最大のコストは、中断された集中を取り戻す時間です。ある認知科学の研究では、中断後に元の集中状態に戻るまで平均23分かかるとされています。5分の依頼の実コストは50分です。
正直に言えば、この数字を知ったとき、まず思ったのは「盾にしたい」でした。「集中を壊すな」と言い返せる根拠が手に入った、と。しかし実際にそれをやったエンジニアを見たことがあります。チームの信頼というインフラが先に壊れました。正しさは、使い方を間違えると凶器になります。
問題は、断る側のコスト──「協力しない人間だと思われる」──が、頼む側のコスト──「チャットで1行送るだけ」──より桁違いに高いことにあります。この非対称性がある限り、タスクは常に一方向に流入します。
流入させる側には悪意がありません。ただ構造がそうなっています。そしてプロジェクトが1つ増えるごとに、管理コストは加算ではなく乗算で増えます。あるしきい値を超えると、仕事を管理する仕事だけで1日が終わります。
冒頭の金曜午後を思い出してください。「全員忙しいのに、何も進んでいない」。怠惰が原因ではなかったのです。全員が代理指標の罠にかかり、小さなタスクに構造を食い荒らされていました。忙しさは本物です。しかし、忙しさの中身が空洞でした。
AIが代理指標を破壊する
代理指標の罠は、知識労働に生産性の定義がないから生まれました。定義がないから、コミット数、ドキュメントの量、Slackの応答速度といった「目に見える忙しさ」が代わりを務めてきた。しかし今、この代理指標そのものが足元から崩れ始めています。AIです。
コードを書く、資料を作る、データを分析する、議事録をまとめる──これまで「生産的な仕事」と見なされてきた行為の多くを、AIがこなせるようになりつつあります。
AIが1時間で100コミット出せるとき、コミット数は何を測っているのか。AIが無限にドキュメントを生成できるとき、ドキュメントの量は誰の「貢献」を示しているのか。代理指標は、少なくとも人間の活動量とは相関していました。その相関すら消えようとしています。
これは単なる効率化の話ではないかもしれません。これまでの代理指標は、不正確ではあっても、「人間が動いた痕跡」ではありました。AIの時代には、痕跡だけなら無限に作れます。目に見える忙しさが人間の専売でなくなったとき、私たちは何をもって「仕事をした」と言えるのか。
まだ答えは出ていません。ただ、忙しさの量ではなく、何に対して責任を引き受け、何に自分の時間を不可逆に賭けるか──仕事の意味がそちらへ移りつつあるのではないか、と感じています。
構造が人を作る
ここまで読んで、「うちのチームもそうだ」と感じた方もいるでしょう。ではもう一歩踏み込みます。
私はかつて、あるチームで「生産性が低い人」と見なされていたメンバーと働いたことがあります。会議で発言が少ない。タスクの進捗が遅い。Slackの返信も遅い。周囲は「やる気がないのでは」と噂していました。
半年後、組織変更でそのメンバーは別のチームに移りました。移った先のチームでは、最も生産性の高いメンバーの1人になりました。コードレビューは的確で、設計の提案は筋が通っていて、チームの議論を建設的にまとめる力がありました。
何が変わったのか。人は変わっていません。構造が変わったのです。
前のチームでは、意思決定がトップダウンで、会議は「報告の場」であり、発言は「指名されてからするもの」でした。Slackの即レスが暗黙の評価基準で、「深く考えてから返す人」よりも「すぐ返す人」が評価されていました。そのメンバーは、じっくり考えてから発言するタイプでした。構造が、その人の強みを潰していたのです。
新しいチームでは、意思決定がボトムアップで、会議は「議論の場」であり、発言は「思いついたらするもの」でした。非同期コミュニケーション(リアルタイムではなく、各自のペースで情報をやり取りする方法)が基本で、考えてから返すことが自然でした。構造が、その人の強みを活かしていたのです。同じ人が、違う構造では違う「生産性」を発揮します。
問題は人ではなく、その人が置かれた構造です。「あの人は生産性が低い」と言うとき、私たちは無意識に「今の構造は正しい」と前提を置いています。しかし、構造が正しいかどうかは検証されていません。検証されていない前提の上で人を評価するのは、誤診です。
ここで1つ、自分に正直に書いておきます。私自身が「構造が悪い」と言い始めたのは、構造を変える立場になってからでした。メンバーだった頃は、私も人を責めていました。構造を語るには、構造を変える覚悟がセットで必要です。覚悟がない「構造批判」は、犯人探しの亜種に過ぎません。
では今の私に覚悟はあるのか。「構造を変えた」と言いながら、実際は自分の手が届く範囲の小さな会議を1つ潰しただけかもしれません。構造を語ることには、独特の心地よさがあります。「個人のせいではない」と言った瞬間、自分も免責される。構造批判は知的に見えますが、実行を伴わなければただの傍観です。
たぶん、この記事を書いている時点で、私はまだ傍観と実行の間にいます。それでも、傍観を言葉にすることで、次の一歩を踏む人が出るかもしれない。少なくとも自分はそうでした。
違和感に名前がつくと、対話が始まる
「意味のない忙しさ」の5つの型と、代理指標の罠。この2つの眼鏡を手に入れてから、チームの会話が変わりました。
きっかけは些細なことでした。ある週次ミーティングの後、同僚に「今日の会議、証拠づくりだったよね」と言ってみたのです。同僚は笑いました。「たしかに、先週共有した内容を声に出しただけだった」。翌週、その同僚が別の会議の後に言いました。「あの打ち合わせ、応急処置だった。根本の仕組みを直せば要らなくなる会議だ」。
名前がないとき、違和感は「なんとなくモヤモヤする」で終わります。名前があると、「これは証拠づくりだ」と言語化できます。言語化できると、「ではどうする」という次の問いが立ちます。問いが立つと、対話が始まります。
「忙しい」は現象であって課題ではありません。「証拠づくりの仕事が全体の3割を占めている」──これが課題の名前です。
名前が曖昧だと議論も曖昧になります。「もっと効率化しよう」では何も動きません。「この会議は誰も読まない資料を作るために存在している」と即物的に名指す言葉が、対話の起点になります。問題を「解く」のではなく、要素と関係性を「組み立て直す」。ソフトウェアのコンポーネントを再設計するように、仕事の構造を再設計する。名前はその最初の一手です。
私たちのチームでは、月次の振り返りに「仕事の棚卸し」を取り入れました。先月の仕事を5つの型に当てはめてみます。「この資料作成、見せるためだけの仕事じゃないか」「この調整会議、応急処置だよね。元の仕組みを直そうよ」。個人を責めるのではなく、仕事の構造を問い直します。
重要なのは、全員が同じ語彙を持っていることです。「証拠づくりの仕事」「応急処置の仕事」という言葉を全員が知っていれば、誰かが言ったとき、説明不要で議論が始まります。語彙の共有は、チームの構造を可視化する最初のステップです。
逆に言えば、語彙がなければ構造は見えません。見えないものは変えられません。私たちが最初にやるべきことは、構造を直すことではなく、構造を「見る道具」を手に入れることです。
──ただし、注意点があります。名前をつけることは万能ではありません。「あの仕事は無意味だ」と名指すことが、その仕事をしている人への攻撃になってはいけません。名前は構造を照らすための道具であって、個人を裁くための武器ではない。
「あなたの仕事は無意味だ」ではなく、「この仕事の構造に無意味な要素がある」と言います。主語を人から構造に変える。この区別を怠ると、名前は対話ではなく対立を生みます。
おわりに
金曜日の午後4時に戻ります。
「来週のアラインメント会議の事前資料」を作っていた。あの瞬間、私はSlackでチームに聞いてみました。「この資料、誰が読んでいますか?」
沈黙があり、やがて返信が来ました。「……読んでないです」「先週の議事録と同じ内容ですよね」「たしかに」。
誰も読んでいない資料を、毎週作っていた。全員が知っていた。全員が黙っていた。「誰かが必要としているはずだ」と、全員が思い込んでいた。証拠づくりの完璧な例です。
翌週、私たちはその資料を廃止しました。アラインメント会議そのものも見直しました。廃止するのに、たった5分のSlackのやり取りで十分でした。それまでの数ヶ月間、誰も問わなかった問いを、1人が投げただけで変わった。
ただし、すべてがうまくいったわけではありません。廃止した3つの会議のうち1つは、2ヶ月後に形を変えて復活しました。情報共有の場がなくなったことで、チーム間の認識齟齬が増えたためです。
ただ、復活した会議は以前とは違っていました。参加者は半分になり、議題は「チーム間で今不安なこと」に絞られていた。壊す前には見えなかった、あの会議の「本当の用途」──不安の共有──が、壊した後に見えたのです。
構造を壊すのは簡単です。しかし、壊した後に何が失われるかは、壊してみないとわからない。構造を変えることは、新しい構造の実験を始めることです。一度で正解にたどり着く保証はない。構造が見えると、変えられるものが見えます。変えられるものが見えると、動けます。動けると、忙しさの質が変わります。
この連載では、チームの生産性を「個人の問題」ではなく「構造の問題」として考えていきます。
今回は、「意味のない忙しさ」の5つの型と代理指標の罠で、忙しさの正体を診断する眼鏡を手に入れました。眼鏡は診断の道具であって、処方箋ではありません。構造が見えたからといって、すぐに変えられるとは限りません。しかし、見えないまま走り続けるよりは、立ち止まって見る方が速い。
「生産性を取り戻せ」──この連載のタイトルに、自分でも引っかかっています。取り戻すとは、どこに戻ることなのか。AIが仕事の意味を書き換えつつある今、「元の生産性」に戻る場所があるのかどうか、正直わかりません。この連載で探すのは、帰り道ではなく、新しい定義なのかもしれません。
構造が見えた。では、私たちはその構造をどう「直そう」としてきたか。答えは「測ること」でした。次回は、計測という道具が、チームの生産性をどう歪めてきたかを見ていきます。
参考資料
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執筆
nwiizo
インフラ運用の現場で鍛えられ、現在は株式会社スリーシェイクのソフトウェアエンジニア。技術書翻訳を複数手がけ、nwiizoとしてブログ「じゃあ、おうちで学べる」を運営中。
編集
深水麻初
2021年にサイボウズへ新卒入社。マーケティング本部ブランディング部所属。大学では社会学を専攻。女性向けコンテンツを中心に、サイボウズ式の企画・編集を担当。趣味はサウナ。