D.カーネギーの真意「悩める若手リーダーへ、人を動かすのは態度だ」
転職が多かったデール・カーネギー
前回、「人を動かす」とは何か、自己啓発本とは何かにを解説していただきました。私もよく読む自己啓発本は、カーネギーさんなくして生まれなかったわけですね。今回、その内容について詳しく解説していただけますか。
カーネギーさんは、もともとビジネスというよりも芸術志向の人物だったと前回話しましたね。つまり演劇や小説に関心があった内向的な人間が、世間の荒波にもまれ続け、その中で人間という存在を観察し続けたんです。『人を動かす』その観察記録だったわけですね。カーネギーさんがこの本を完成させたのは1936年ですが、1920年代~30年代はアメリカの転換期です。 ここで少し時代背景として、世界史を解説しましょう。フォードがT型という自動車を発売するのが1908年。その後、大量生産方式が徐々に整備されていくわけです。
高校の「政治経済」の教科書にもありました。イノベーションの時代ですね。
注意すべきは、この時代の革新は生産分野だけではないことです。自動車が売れているということは、それを消費する人も増えたということ。新しい消費者の誕生です。新しい消費生活と大量生産方式は、資本主義発展の両輪です。アメリカの場合は典型ですが、先進国では多かれ少なかれ、この時期に大量生産と大量消費の勃興があるのです。日本も例外ではありません。
あまりにも古い話なので実感はありませんが、要するに今の経済環境の起源と考えればよいですか?
その通り。1920-30年代では、まだ大量生産・大量消費は一部分だったのですが、その後長い期間を経て隅々まで広がっていきました。日本では高度経済成長期に全体に広がります。ちなみに日本で「人を動かす」が発売されたのは、高度経済成長の初期の1958年でした。このような転換期には、人の生き方・働き方も変化します。それまでの大多数の人々の人生選択は家柄や地縁に縛られたものでした。要するに、生まれた時点で人生の大きな選択──仕事や住む場所──などは、限られた選択の範囲に絞られていた。恋愛や結婚という選択も空間的に限定されていたわけです。この時代、先進国では徐々に自由に選択できる人たちが増えてきたと思うのですが、これはメリットばかりではありません。
豊かになる以外にデメリットというと……自然破壊とか。
公害もありますが、ここでの正解は「自由と言われると、選べない人が生まれる」ことです。 経済学に「限定合理性」という議論があるのはご存じですか。情報が多すぎればそれを処理する人の能力が問われるわけで、選べないし悩む人が増える。昔の悩みは「親の仕事を継いで地元の人と結婚し、この土地に住み続けるのはいやだ」というものです。つまり「選ぶことができないという悩み」です。しかし新しい悩みは「え、何を選ぶの? という悩み」です。どうですか、我々の悩みそのものでしょう。
仕事も恋愛も選べない! でも時間は過ぎていきます。どうしましょう
占い師ではないので私には答えられません(笑)。資本主義の発展の1つのキーワードは「流動化」です。 この流動化社会は人と人の関係が短期的、かつ入れ替え可能になることです。血縁・地縁に縛られていて、地域移動もなければ、友人も同僚も「長い間に築かれた強固な関係性」の上になり立っていたわけですが、流動化社会では、今の人間関係は今だけの「短期で脆弱な関係性」なのです。
悲しい社会です。誰かとつながりたいです・・・。
あなたのつながりたい願望はちょっと置いておいて(笑)。他人と協力しなければ仕事にならないことはビジネスの大前提ですよ。すなわち期間限定の付き合いでチームワークを発揮するのはどうするかという課題が生まれるわけです。「人を動かす」は、流動化社会の最先端で転職を繰り返しつつ、人間を観察してきた人間がそれを教えてくれるというわけです。
すべての自己啓発本の目的は「態度の変容」
カーネギーの本はエピソードが多いと話しましたね。
はい。つまりぺらぺらと好きなところを読んでもよいと。それならばできそうだと思いました。
もちろん全部読んだ方がいいですが、部分的にエピソード読んでも十分価値があります。そもそも何でこんなエピソードが多いのでしょうか。 多い方が説得力ありますし、読んでいても面白いですよね。 でもこの本の結論は「他人の立場から考えよ」というシンプルなものなのです。今、説得力と言われましたがこれは実証力とは違います。エピソードがいくら多くても証明できたとはなりません。
あの~、この本を批判しちゃっても良いですか。「他人の立場から考えよ」と言われたら「言われなくてもわかっている」と言ってしまいそうです…。読んでいないのにすいません。
たしかにここでの教訓は単純です。第1章の「人を動かす三原則」をあげると、以下の文章ですよ。
原則1) 批判も非難もしない。苦情も言わない。原則2) 率直で誠実な評価を与える。原則3) 強い欲求を起こさせる
これを言うために、上司が部下のミスを叱責しなかったために部下が成長したエピソードや、小さな成功でも必ずほめることで相手のモチベーションが高まったエピソードが引用され続けます。教訓は単純で常識ですが、エピソードが多いという特徴はすべての自己啓発本に共通するものです。その理由は、自己啓発本の目的が読者に知識を与えることではなく、読者の「態度を変えさせる」ことだからです。「態度」とは心理学用語でして、一般的に使われる意味とは少しずれます。難しい言い方をすると「ある特定の対象または状況に対する行動の準備状態。また、ある対象に対する感情的傾向」と定義できますが、「物事に対する心構え」といった方がよいでしょう。
他人に対する配慮が欠け、つい自己中心的な態度をとってしまう人は多いですよね。もちろん、頭では悪いと分かっていても、ついつい行動に出てしまいます。 そもそも人間は自己中心的に世の中を見ているし、他人をほめるよりも自分がほめられる方がうれしい動物なのです。態度は長い時間をかけて醸成されたものなので、それを変えるためには特別な体験が必要なことが多い。たとえば、大病をした人が他人への思いやりを示せるようになったとか。態度とは知識と違って、変更が難しいものなのです。 しかしこの態度を変更しないと仕事で成功しませんよといえます。この教訓が、自己啓発本における1つの本質です。
知識や能力だけでは成功しないというわけですね。
有名大学出身で学力も高く、英語も流暢でも、仕事ができない人っていますよね。
いますね~。つまり、態度が変わっていないと……。
自尊心が高く常に自分を認めてほしいので自分の手柄だけを主張し、他人をほめず、いつも否定的な意見を述べる……。要するに幼いやつ、嫌なやつ。本当にできる人は他人をほめて、他人をいい気持ちさせて他人の仕事も自分の仕事も一緒に成功させられる人。 この時にほめればいいんだろと理解するだけではダメです。知識だけだと忘れてしまうし、肝心な時にボロが出る。そもそも、ほめるにしても言い方がある。形だけの賞賛は相手も伝わりますよ。態度は個人の行動に「継続性」を与えますが、知識が行動に与える影響は「不連続」です。 自己啓発本は教育であっても学問ではない。相手の態度が変わることに賭けているのです。 カーネギーさんは態度変容は誰にも生まれないからこそ、希少価値を持っていると思っている。人生の成功者とはそういう態度を形成している。カーネギーさんは内向的な文学・演劇青年でした。州立の学芸大学に入学したころ、異常な劣等感に悩んでいた。これはいわゆる自意識過剰。そのままでは仕事ができないタイプかと・・・。
例えば、太宰治が管理職とか想像できません! 管理職失格!
カーネギーさんは、成功者マニアになって「この人すごい」「へーこんな行動をしている」とエピソードを収集し続け、この自意識過剰な劣等感を解消したと考えられます。「自分大好き」から「他人大好き」への転向です。この人間観察には、若いころの芸術家志向の経験が役立ったと思います。振り返って凡百の自己啓発本を見てください。「自分が成功者だ」と思っている変に外交的な人が、自分のやり方を押し付けがましく自慢するだけでしょう。「人間」に対する好奇心が欠落している。「人間が面白いのは能力じゃなくて態度だ」というのがカーネギーさんの根本思想です。100メールを速く走るような能力じゃない。人生の中で熟成された「態度」こそが、我々社会人が学ぶべきもの! 人生に必要なものなんだよ! と訴えている。だから古典なんですよ。最後にちょっと熱くなってしまいました。解説者失格ですね。
いえいえ、先生の熱さにも充分に説得されました。今から本屋さんに買いに行きます。次回の偉人もよろしくお願いします。
photo credit: Life Mental Health,Wyoming_Jackrabbit,dok1 via photopin cc※平山先生と千野根 滋は架空の人物です。(原作:梅崎修)
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