転職を繰り返したD.カーネギー、世界最大の自己啓発本「人を動かす」を作った男
新連載「ビジネス偉人伝」は、世の中で「偉人」と呼ばれている人を取り上げ、その偉人が何者で、本当は何を言いたいのかをわかりやすく解説するものです。「ビックネームの偉人だから、説明なしでも誰でも知っているじゃない」という人もいるでしょう。いやいや、偉人だからこそ意外と知られていないものではないでしょうか。
大経営者でもなく大思想家でもなく、あえて「偉人」と呼んだのは、非常に有名だけど、本人についてよく理解されていない人を取り上げたいから。具体的な業績については知られなくなって、ただ単に「すごい人だ」という事実だけが残ってしまったり、神棚にあげられてよくわからなくなったりしてしまった人たち。そんな偉人を現代に復活させ、その知恵をビジネスに生かしてみます。
実際、神棚にいる偉人の著作は得てして読みにくく、かつ、食指が動きにくいです。その本心は「……今さら!」でしょう。今さら聞けないし今さら読むのも面倒。だから「要は何なの?」と質問したいし、わかりやすく説明を聞きたい。ぶっちゃけると、時間をかけずにその本質を理解したいはず。そんなわがままに答えるのが、企業文化研究家の平山登先生*です。先生、よろしくお願いします。
デール・カーネギーはふらふらした芸術家の男?
第1回目の偉人はデール・カーネギー。彼が執筆した「人を動かすは自己啓発本の古典です。今も多くの書店で平積みになっているので、「古典でありつつ、生きている本」ともいえます。私は読んだことがないですが……すいません。新人営業が売れない壁にぶつかったり、新管理職が部下の扱いがわからなくなったりすると、思わず手にとってしまう感じでしょうか。あくまでもイメージですが。先生、この本はどんな内容なのでしょうか。
いきなり直球ですね(笑)。その内容についてお話する前に、そもそも自己啓発本ってなんだ、という話からはじめませんか。デール・カーネギーという人は、アメリカの鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーと同じ名字なので紛らわしいのですが、今でいう企業研修の講師・コンサルタントですね。研究者ではありませんから、この本を経営学の本として読むのは間違いです。仕事のやり方について経験談を交えて語っている人なのです。ただ、広い一般性があり、仕事以外にも役立つわけです。やや古くさい言い方ですが、「人生訓」と定義した方が、実体に即しています。ところで、お手持ちの本を最後のページに略歴が書いてありますでしょう(創元社、文庫版)。
1888年生まれで、1955年に66歳で死去。大昔の人ですね。
そうです。本が出たのが1936年で、その後改訂版1981年。今も売れ続けている自己啓発本の化け物です。普通、ビジネス書の命は短くあっという間に読まれなくなるのに、今も売れ続けている。訳者の山口博さんによると、原書は1981年の改訂版がでるまでに世界各国語による訳書を含めて1500万部、1年平均30万部が売りつくされています。原著初版の日本語訳も1958年に第一版発行以来、1982年までの24年間で169刷を重ねています。もう少し詳しく彼の略歴を見ると、職業歴が多彩です。
州立学芸大学卒業後、雑誌記者、俳優、セールスパーソン等雑多な職業を経て、YMCAの弁論術担当となり、やがてD.カーネギー研究所を設立。
まあ、転職しすぎですよね(笑)。履歴書に転職が多いと、「また辞めるのではないか」と疑われるので、就職活動では苦労しますよ。関係ない話ですが・・・。でもここにはわざわざ書いている。何かこの人の本ならば、説得力があるような気もしませんか?
たしかに、すごい人物なのかもというオーラがあります。苦労人なのでしょうか。
カーネギーさんは、もともとビジネスの人というよりも芸術志向の人物です。つまり、演劇や小説に関心があった内向的な人間が世間の荒波にもまれ続け、その中で人間という存在を観察し続けた。この本はその観察記録なのです。
言っていることは「とことん相手の立場から考えろ」
なるほど、ここで偉人カーネギーの登場ですね。
いよいよ「人を動かす」についてお話しましょう。この本の英文題名は「How to Win Friends and Influence People」です。日本語訳では「友人に勝つ」は削られていますが、要するに「成功するために他人を動かす方法」ということです。章立ては次のようになっています。
1. 人を動かす三原則2. 人に好かれる六原則3. 人を説得する十二原則4. 人を変える九原則付. 幸せな家族をつくる七原則
社会では、家族を含めて多くの他人と付き合わねばならない。そして、その他人の「他人である度合い」は高まるのだから、他人から気に入られ、そして他人に影響を与えられるようになろう、と言っていることがわかります。伝統社会の「人生訓」は、地縁血縁という決められた人間関係を前提に親を大切にしよう、友人を大切にしようという教えですが、資本主義社会の「自己啓発本」は、流動性を前提に他人と関係を築くことを目標にしている。
難しいことですね。例えれば、許嫁と付き合うか、町でナンパするか。
適切な例えかなー。まあ、ここで言う「他人である度合い」とは、自分からみて「謎」が多いということです。この本で最初に取り上げられた事例が殺人鬼であることは象徴的です。カーネギーは、ある殺人鬼が「自らを優しい心を持っている人間だ」と思っていたことを記します。
殺人鬼なのに、ひどい奴! 頭がおかしいのでは?
普通はそう考えますが「他人が何を考えているかはわかりませんよ、謎ですよ」とカーネギーは言うわけです。むろん謎であることは、我々とって苦痛です。殺人鬼が「悪いことをしてやるぜ」と思ってくれていればひどい奴ではありますが、謎はありません。あなたのように誰しも他人が謎であること認めたくないものです。しかし、謎であること認識することから始めましょうというのが、この本の出だしです。その一方で、謎の他人を動かさないと仕事で成功することはできないぞとカーネギーさんは言っているのです。ここが次のポイントです。
つまり近代では、謎の他人と会う機会も増えるがその謎の他人に影響を与えましょうと。どうすればいいんでしょうか?
カーネギーさんは「とことん相手の立場から考えろ」と言っています。相手を観察し、その上で相手の立場で発想しろと。要約しちゃえばそれだけです。ただ数々のエピソードがあげられていて、それがとても多い。
現代の自己啓発本、営業研修とほとんど同じですよね。営業は「まずお客様の立場に立て!」と上司からよく言われます(というか、怒られています)。
古典だからこそ同じことが書かれてあるとも言えます。ただそれだけを言うために、どれだけの成功者と失敗者の例が挙げられていることか。ちなみにこの本は1981年に改訂されてますが、これはカーネギーの死後です。少し古くなったエピソードは削除し、カーネギー協会が集めた新しい事例を追加している。つまりこの本は個人著作というよりも共同著作で、カーネギー協会はエピソード収集マシンといえそうです。リンカーン、セルドア・ルーズベルト、ロックフェラーという超有名人のエピソードもありますが、モンタナ州ビリングスで車を販売しているハロルド・レインクさんとか、一般人のちょっとした成功例が挙がっていておもしろい。よく集めたなーと思います。ここでエピソードを説明することはできないので、気に入ったものを選んで読んでほしいです。ちなみに、日本でも無名の市民のエピソード集にはベストセラーが多いです。永六輔さんの「大往生」 (岩波新書)とか、谷沢永一さんの「人間通」 (新潮選書)は、自己啓発とは少しずれますが、エピソードを集めた人生訓です。この様式には普遍性があるんです。
要するに自己啓発本は、アメリカで生まれたビジネス版の人生訓だったのです。自分で自分の経験を語る自己啓発本もありますが、他人の経験を集めてきた自己啓発本がとても多い。その代表的モデルを作ったのがカーネギーさんの「人を動かす」です。
なるほど。この本のことが読まずにわかりました!
いやいや、内容についてもう少し考えてみましょう。「他人の立場になって考えろ」と言い続けた時代背景についても説明しましょう。
楽しみです。後半も続けてよろしくお願いします。
※平山先生と千野根 滋は架空の人物です。(原作:梅崎修)
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