「東京トイボックス」に学ぶ、ブラック企業とクリエイティブな熱狂集団を分けるたった1つの違い
「マンガから学ぶチームワーク」シリーズ。今回は、ゲーム業界で働く人たちを描いた『東京トイボックス』(全2巻)を紹介します。
この続編にあたる『大東京トイボックス』(全10巻)は、2012年のマンガ大賞で第2位にも選ばれている人気作品。弱小ゲーム会社を率いる天才肌のクリエイター天川太陽(てんかわ たいよう)と、大手ゲーム会社幹部を務める仙水伊鶴(せんすい いづる)の愛憎まみれた人間ドラマも読みどころです。とはいえ、なんといっても、コンテンツを作り出すことの苦労、寝食忘れて働くマンガの中のハードワーカーたちの姿を見ていると多くのことを考えさせられます。
法政大学の梅崎修先生、悪名高きブラック企業と、良質なコンテンツを生み出す「熱狂」集団に違いはあるのでしょうか。
3日間徹夜。なのに、楽しそう
まず感じたのは厳しい職場環境なのに、若い人たちには魅力的に見えるんだなということですね。3日間徹夜とか出てきますし、かなり問題がある。だけど、何か楽しそうだと思ってしまう。これがこのマンガで描かれているゲーム制作会社・スタジオG3です。
裏を返せば、若い人たちにとっては労働条件がしっかりしていてもその範囲内でルーティンの仕事をしているというのが、楽しく見えないということなんでしょうね。
たとえば主人公の太陽が、ほぼ完成したゲームソフトの仕様を変更すると宣言する場面が幾度となく出てきます。必死になってプログラミングをした努力も水の泡。ただ、周りのスタッフは不満をブーブー言いながら、どこか嬉しそうに再び作業に入っていきます。
太陽のこだわりによって皆に一種のすごい過剰負担が生じるわけですが、バーンとはじけて、超ハイテンションの集団になっていくんですよね。このような現象を、デュルケム(フランスの社会学者)は、『集合的沸騰』と言っています。これは昔の社会でいう『お祭り』ですね。1つの集団や組織、集合体には基本的に『ハレとケ』という非日常と日常があって、非日常の経験を定期的に作ることで、そのコミュニティを維持してきました。現代社会では無くなってきていますが、仕事においても、非日常を作り出すというのは効果があるんですね
集合的な沸騰がクリエイティビティを生み出す
たしかに仕事の場面でも、みんなでわーっと1つのことに集中して取りくんでいるとき、締め切りや納期なんて怖くない、もっといいものを作るために頑張ろう! なんてノリになること、よくありますよね。
1人で急にテンションを上げるのって難しいけど、集団で沸騰するというのは簡単。お互いに影響を与えているうちに超ハイテンションな集団が生まれるということなんですよ。集団がそうなると個人の持っている以上の能力を引き出していく。なので、集合的な沸騰は創造的な沸騰になってくるわけです。いいアイディアを出すときも、時間をかけたからっていいモノが出てくるわけではない。むしろテンションを上げた方がいいから、集団がお祭り状態になったほうが、体は疲労していてもすごくクリエイティブになる可能性が高いんです
気をつけないといけない副作用
ただ、集団で沸騰状態になるのを繰り返してくと副作用も出てきます。お祭りだったら、年にこの時期って、沸騰する期間が決められていて、そこで沸騰を起こして日常に戻るというパターンですが、それを仕事である程度作為的に作り出すには、限度がありますよね。あまりにもテンション高くやっていたら、仕事中毒で燃え尽きてしまうこともある。
なので、この沸騰状態をうまく組織で活かしていくには、どうやってコントロールするかということを考えるのがクリエイティビティを生み出すチーム作りの第二段階になってきます。しかし、沸騰をコントロールするというのは難しいし、無理矢理に肉体的限界を超えて集団を沸騰させると、それはブラック企業となってしまいます。
うーむ。ブラック企業の定義は難しいですが、法令に違反して労働者を酷使したり、必要以上に従業員の時間を拘束したりする会社に使われる言葉です。中には自殺に追い込まれる人もいるため、政府の産業競争力会議でも対策が検討されています。
一方、会社の成長期や世界をあっと言わせる商品を作るためには、法律の範囲内で、どこか「無理」をしたり「熱狂」したりする必要もある。特に、コンテンツ産業が経済をけん引することが期待されている日本では、こうした「集団的沸騰」を、労働者の人権侵害ではなく、「クリエイティブなビジネス」にうまくつなげていくことが求められています。
「集合的沸騰」を「クリエイティビティ」に変化させるために
集合的沸騰を創造的な沸騰に変えるのって、実は難しいんです。もちろん『東京トイボックス』のようなゲーム制作の現場においては、クリエイティブなものを作り出さなくてはいけないわけですが、集合的な沸騰の中には、クリエイティブのあるものとそうじゃないものがある。ちゃんと集合的な沸騰をクリエイティブにつなげるためには、幼児性、わかりやすく言えば「子供っぽさ」がカギとなるんですよ。
ふむふむ。ですが、梅崎先生から新たに出てきたキーワード「子供っぽさ」は、どうやら取り扱いに注意が必要なようです。
集団が沸騰するときに「子供っぽさ」を軸にすると、クリエイティブなものができていきます。主人公の太陽も、子どもの頃からずっとゲーム好きで、大人になることを拒否してそれを基本的な軸として持っている。それを仙水伊鶴(太陽の幼なじみでゲーム業界最大手ソリダスの局長)も評価していて、太陽の子供っぽさが集合的沸騰の真ん中にあるときにクリエイティブなものが生まれるのです。しかしここに第2の危険性が潜んでいるんです。
社会から嫌われる「子供っぽさ」
集団の沸騰状態をずっと続けると燃え尽きてしまう危険性を冒頭で指摘しましたが、第2の危険性というのは、子供っぽさや幼児性というのは社会的ルールの外にあるもので、不道徳という批判が出てくる恐れがあるということなんですね。
でも、たとえば暴力や性的表現が最初から規制されているマンガなどはクリエイティビティではないんですよ。イリーガルなコミュニケーションの中で、すごい作家やクリエイターが出てくることはありえるし、既存の価値観や法律・道徳から度外視されているから、子どもっぽいことができる。
「クールジャパン」をリードするマンガやアニメも、土台にあるのはそういう規格外のコミュニケーションであり、文化なのですね。どこか不真面目さとか、突拍子もなさ、汚さ、エロさがクリエイティビティには必要なのかもしれません。
どれがよくてどれが駄目だという基準はクリエイティブなものを生み出そうとするとき、はっきり言ってないんです。なので、暴力表現や性的表現など社会的には駄目だという危険性はあるけれども、そこをうまく調整しながら、社会的な大人フィルターを外してあげて幼児性や子供っぽさを全開できる場所を作らないと面白いものは出てこないんですよね。
猛獣使いこそ求められている!
『東京トイボックス』の子供っぽさ全開の太陽が社長であるスタジオG3は、経営がうまくいっていないし、作りたいゲームにも手が回らないという状態でした。そこで登場するのが、太陽が持つ幼児性を理解してその才能を引き出す仙水や、月山星乃(つきやま ほしの:大手企業からスタジオG3に出向させられたキャリアウーマン)です。
クリエイティブな人がうまくチーム内で才能を発揮するためには、仙水や月山のような猛獣使いが必要なのかもしれません。
仙水が『お前はオレに使われてこそ価値がある』(単行本2巻)と言っているのは、自分と組めば、太陽は幼児性を維持していけるし、他のことは自分がやるという状況を作りたいわけです。太陽は本質的にチャイルディッシュで天才肌だから、自分で幼児性をコントロールしようとすると失敗する。こういう天才肌の人をうまくチームで活かしていくには、仙水のように太陽に合わせながら、彼の子供っぽさを全開にできる世界を作ってあげて沸騰させ、その状態を調整する人が重要なのかもしれない。「一緒に子どもっぽくふるまいつつ、本当は素の幼児性は持っていない」という人がキーパーソンになってくるのではないでしょうか。
西洋人にはない 日本のchildish (ガキっぽさ)
ゲーム制作の現場から少し飛んで、梅崎先生には、コンテンツ産業の展望を最後に語っていただきました。東京トイボックスには、日本の未来に関するヒントがいろいろ詰まっているんです。
日本は、製造業の雇用吸収率が落ち込んでくる。となると、第三次産業の割合が増していきます。この第三次産業は二極化していて、一つはサービス業。これは、マンツーマンのサービスなので対価を考えると賃金が低くならざるを得ません。なので、クリエイティブなことをやらなくてはいけなくなります。
しかし、国の政策でクリエイティブな企業を支えるとか、クリエイティブなことを教えるというのをやった時点でもう負けなんですよね。そうではなく、チャイルディッシュで、かつテンションも高くて、リスクフリーで自由度の高い場所を作ってあげる。そして、みんなで沸騰状態になるしか、クリエイティブなものって生まれてこないじゃないでしょうか。コミケとか、すばらしい創造的沸騰の場でしょう。
西洋人って子どもっぽく振る舞うことを規律訓練で割と禁止されますけど、日本人だと『ゆるキャラ可愛い!』とか平気で言えますよね。それゆえ日本人は子どもっぽい民族だと思われているのですが、これはビジネス的にはすごいアドバンテージで、クリエイティブなものを生み出せる可能性がまだまだあると思いますよ。
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