なぜ日本人はひとりめしマンガにハマるのか? 孤独のグルメ・忘却のサチコから紐解く「癒やし」と「救い」
近年、マンガ界で存在感を増しているジャンルの1つに「めしマンガ」があります。中でも最もクラシックで王道といえるのが「孤独のグルメ」(作:久住昌之)。テレビ東京系でドラマ化されたことでハマった人も多いのでは。
実は孤独のグルメの歴史は古く、1994年から1996年にかけて「月刊PANJA」(扶桑社)で連載されたのが始まりです。2008年1月には「SPA!」(同)で読み切りとして復活。以後は同誌で新作が不定期で発表されています。
しかし、最近は孤独のグルメ以外にも、人気を集めるめしマンガが数多く登場するようになりました。「一言でめしマンガといっても内容は多岐にわたり、ジャンルの細分化が進んでいます」と分析するのは法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修先生。
今回はめしマンガが多くの日本人の共感を集め、高く支持される背景について語ってもらいましょう。
「楽しいひとりめし」が日本の新たな食文化に
ここ数年で「めしを食べること」を題材にしたマンガがどっと増えたなと感じています。あらゆる作品に共通しているのは「めしを食べること」だけが一貫して描かれていること。とてもシンプルな構成です。
中でも一番ヒットしたのは、ご存じ「孤独のグルメ」です。原作の面白さはもちろん、ドラマ化されてブームに火がついたことから、同じようなテイストの作品が次々と誕生しました。
めしマンガのベビーブーム到来かと思うくらい、さまざまな「めし」が描かれるようになり、めしマンガ界でも細分化が進んでいます。
たとえば、お取り寄せグルメを題材にしているのは「おとりよせ王子 飯田好実」(作:高瀬志帆)。ストーリーは主人公のサラリーマン・飯田好実が、毎週水曜日(ノー残業デー)に絶品お取り寄せグルメを味わうというもの。
ニッチなところを突いてきたなと感心したのは「いぶり暮らし」(作:大島千春)。同棲中のカップルがいろいろな食材で燻製に挑戦するストーリーですね。
鰻好きの主人公が鰻を食べ歩く「う」(作:ラズウェル細木)にも驚きました。
このようにめしマンガのジャンルは広がり続けていて、マニア心理をくすぐる作品も数多く出ているんです。
ちなみに、めしマンガというと男性の主人公が多いイメージがありましたが、先生が挙げてくれた作品を見ると、傾向が変わってきたような気がします。
おっしゃる通り、ジェンダーバイアスはなくなってきていますね。26歳のOL村崎ワカコが女性一人で居酒屋に入り、晩酌を楽しむ「ワカコ酒」(作:新久千映)も人気ですし。めしマンガ界で男女を問わず「ひとりめしブーム」が来ているといえます。
日本人マンガ家たちは「ひとりめしの楽しさ」を見出し、それらを描いた作品は多くの共感を得ています。でも登場するのは、特別感のあるゴージャスな料理でもなく、何気ない店やコンビニグルメ、B級グルメなどが大半。欧米の人にとっては「どうしてこれが楽しいの?」と疑問かもしれませんね(笑)。
とくにヨーロッパ圏において、料理はとてもソーシャルなもので、味+社交を楽しむのが基本ですから。ひとりでフレンチを食べにいく人はまずいません。
確かに。でも、日本人的な感覚なのか、「孤独のグルメ」しかり「ワカコ酒」しかり、孤独を寂しいものと捉えるのではなく、むしろ孤独な時間を満喫している印象があります。
孤独とポジティブに向き合っている、というような。
誰にも邪魔されない孤独は極上の癒やし
「孤独のグルメ」の象徴的なシーンを紹介します。主人公・井之頭五郎は毎回食べすぎてしまうのが恒例ですが、一度だけ食事を残したことがあるんです。「大山ハンバーグランチ」の回でした。
客も大勢いる中で、店主が中国人アルバイト青年にひたすら怒鳴り散らすんですね。食べながら店主の怒鳴り声を聞き続ける井之頭は、当然「食事中は聞きたくないな」と感じるわけです。
おかずを少しだけ残して立ち上がった井之頭は、あんなに怒らなくていいでしょう、と店主に伝えます。さらに、「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあ ダメなんだ」「独りで静かで豊かで……」(原文ママ)と語ります。
ここが唯一、井之頭がひとりめしについて自身の言葉で語るシーンなんです。「孤独のグルメ」の思想を見ることができます。
とびきり美味しいものを食べて大満足したいわけではなく、食事中に意識を自由な状態で行き来させることこそが幸せなのだ、と。
自ら進んで孤独な状態に身を置いて、自分の気持ちを遊ばせている、というのが適切かもしれません。
「孤独のグルメ」で一貫して描かれている「邪魔されない孤独」は、一人ぼっちでありながら自由に過ごせる癒やしの時間であり、救いになっているのではと梅崎先生は指摘します。
「孤独を味わう」といった感覚なんでしょう。孤独の中で意識を遊ばせるうちに、気持ちを浄化させてスッキリさせているんです。
文学の世界には、人間の思考を秩序立てて描くのではなく、絶え間ない流れとして描く手法(内的独白)があります。簡単に言うと、一人で思っていることを垂れ流していくような描き方ですね。
「孤独のグルメ」は文学作品ではないですが、内的独白が用いられています。普通に食事をするだけのストーリーでありながら、そこに到るまでや食べている間に彼が考える雑多なことが、ひたすら淡々と描かれているんです。
人は無意識下にあるときも含め、何でもない瞬間にどうでもいいことを考える生き物。
たとえば、カフェでサンドイッチを食べるとき「卵から食べようか。それともハムを最初に持ってくるか。そういえば昔のハムはもっと赤みが強かったなぁ」なんて、ムダなことがダラダラと脳内を巡っています。
ひとりめしには心を前向きにする効果も
むしろそういう状態が普通ですし、主人公が食事をしながら思うあらゆることが、逐一丁寧に描写されると、読み手としては、主人公の「意識の流れ」を追体験できるので、とても楽しいんですね。
たとえば「かっこいいスキヤキ」(作:泉昌之)に収録されている「夜行」という作品では、トレンチコートを羽織った男が弁当のフタを開けて「さてどれからどう食べようかな。俺はとんかつを最後に食べる派だな……」と、いろいろなことを考えながら独白しています。
これには、最後に残していたのはとんかつではなく、たまねぎのフライだったというオチがあるんですけどね。
人の心が揺れ動く様子をリアルに記述すると、何か一つの目的に向かって思索するわけではなく、どうでもいいようなバカバカしいことを考えているなぁ、と気づきます。
一方で、同じひとりめしマンガも「孤独のグルメ」に代表されるような「食を楽しみながら意識の中でボーッとする系」と「食がマインドチェンジをもたらす系」と大きく二分できるのだそう。
後者のパターンで最近注目されているのは「忘却のサチコ」(作:阿部潤)です。主人公は結婚式に婚約者に逃げられた、29歳の編集者・佐々木幸子。「早く忘れてしまいたい」と思うものの、あまりにもショックな出来事のため、なかなか忘れられずにいました。
そんな中、ふらりと入った定食屋でサバの味噌煮を食べて、その美味しさに感動をおぼえ「さっき、彼のことを忘れてた! 忘却できてた!」と気づきます。元婚約者のことを忘却できるくらい美味しいグルメを探し求めることをコンセプトにした作品ですね。
「いつかティファニーで朝食を」(作:マキヒロチ)も女性が主人公。28歳のOL佐藤麻里子がひとりめしを楽しむことで、気持ちがいい方向へ変わっていくというストーリーです。
恋人と別れたり、仕事が上手くいかなかったりすると、男性の場合は早い時間から酒を飲んで紛らわせるケースが多いですが、本作では美味しい朝食を食べにいくことで気持ちが救われる内容になっています。
心と体は密接につながっています。
悲しいときに無理にでも元気にふるまっていると、なんとなく気持ちも回復していきますが、泣くと余計に悲しくなって落ち込んでしまうのがその証拠。
少しスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが『落ち込んでいるから食べられない』ではなく、『美味しいものを食べていると落ち込まなくなるんだ』と考えを切り替えているわけです。食によってもたらされる体の変化が、心の状態に影響を及ぼすんだ、と。
めしマンガの王道ジャンル「ひとりめし」。
これが新たな食文化として市民権を得るのに伴い、孤独な時間を「自分のための贅沢なひととき」として捉え、共感しながらマンガを手に取る人がますます増えていくのではないでしょうか。
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