食の話だけは空気を読まなくていい──「めしばな刑事 タチバナ」「極道めし」に見る言論空間の心地よさ
前回触れたように「孤独のグルメ」(作:久住昌之)に代表される「めしマンガ」が花盛りです。ジャンルは細分化し続ける一方ですが、昔からの定番めしマンガといえば「うんちく系」や「バトル系」も挙げられます。
「うんちく系の王道はやっぱり『美味しんぼ』(作:雁屋哲)でしょう。でも『美味しんぼ』のとくに初期の頃は『こんなの食べたことがない!』といったものが多く登場する、けっこうバブリーな内容でしたよね。一方で、最近は傾向が変わってきて、うんちく系で取り扱われるのはB級グルメが多いです。その中でも隠れたヒット作品といえば、『めしばな刑事 タチバナ』(作:坂戸佐兵衛)でしょう」と語るのは、法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修先生。
めしばなとは、食をテーマに交わすアツい議論のこと。梅崎先生は「めしばな刑事 タチバナ」の読者は自分もこの場に参加して語り合いたい、といった気持ちを抱いているのではと指摘します。
今回は梅崎先生に、日本人がめしばなに夢中になる理由について語ってもらいましょう。
めしばなの現場はディベート空間
「めしばな刑事 タチバナ」は「週刊アサヒ芸能」で2010年12月から連載されている作品です。2013年にはテレビ東京系でドラマ化され、文庫本も発売されるほど、じわじわと人気を集めています。
主人公は40代の刑事・立花で、彼がうんちくを語るのは、カレーカツ丼や牛丼、袋入りラーメン、立ち食いそばなどのB級グルメばかり。店や商品、メーカーなどがすべて実名で登場するのも特徴です。
面白いのは、取調室など本来は仕事に集中するはずの場所で、立花が自身イチオシのグルメについて延々と語り続けるところ。
第1巻の第9ばな(話)〜第12ばな(話)では「立ち食いそば大論争」が描かれています。
「俺がハマってるのは小諸そばだ」とか「ゆで太郎の完成度が高い」など、お互いの嗜好性が具体的な理由を交えて語られ、さながらディベートの現場を見ているよう。
そう、まさにあれはディベート空間なんです。
ディベートのコツとして一般的に言われるのは「意見と(その意見を言った人の)人格は分けよう」ということ。最中は熱い議論を戦わせても、終われば仲よくできるのが理想的な形です。欧米ではそれが標準ですよね。
一方で、日本人は空気に縛られる民族。
なんとなく「個人批判になるから強めな意見を言うのはやめとこう」と思いながら生きている人は多いはず。
もし「安倍政権を支持する?」と尋ねられたとき、みなさんはどう答えますか。
「〜の理由で支持する」「〜だから支持しない」と意見を明確に表明する人は、一体どれくらいいるのでしょう。
食べ物を語るとき、人は空気を読まなくていい
そこでは「政治家なんて頼りにならないからねぇ」みたいに流して、意見表明をしないでおくのが、一番無難というか世渡り上手な対応だと思います。
でも、政治の話題に限らず趣味嗜好の分野においても、自分を全開にした意見を言えない状況は少なくありません。
たとえば「音楽は何が好き?」と聞かれて、正直に答えるのを戸惑った経験はありませんか。その代わりに、決して偏愛しているわけではないものの、まぁ好きかなといったニュアンスで「一応、ミスチルですかね〜」などと、最大多数を押さえているようなアーティストを挙げてみたり。
逆に相手が異色、またはとがったタイプのアーティストのファンだと知ると、「へぇ〜そういうのが好きなのね……」と、心の中で一線引いたことがある人もいると思います(笑)。
ここで自分が意見を表明すると空気を悪くするのではないか。アンタッチャブルになるのではないか。
そんな考えが働いてしまい、自分の本音を出せないのが日本人。
多くの人はその状況を「息苦しいな」と感じているはずです。その場を上手く流すことはできても、言いたいことを言えずにいると、ストレスは溜まっていきます。
と、ここまでいろいろと例を挙げてきて何が言いたいかというと、自分の意見を全力で主張できる唯一の題材が食べ物なんですよ。
もし「きつねうどん」をテーマに話していて、「断然、日清のどん兵衛でしょ」「いや、僕はマルちゃん派だ」と対立したとしても、険悪な雰囲気にはならないですよね。
むしろそんなに好きなんだ、と笑いに変わります。
「先輩はマルちゃん派かもしれませんが、自分は絶対にどん兵衛です!」と、目上の人にだって主張できる。
確かに「好きなおにぎりは?」と聞かれて、何かに遠慮して「どっちかと言えば鮭ですかね」と言う人は見たことがありません。
「自分はおにぎりならセブン-イレブンのシーチキンだ」と、周囲に気を遣う必要なく、100%の思いを主張できます。
食べ物は一種の聖域のようなトークテーマなんです。空気を読まなくてもOKなわけですから。
空気に縛られているビジネスマンたちは「めしばな刑事 タチバナ」にある自由なディベート空間を見て、それに天国を重ね合わせているのだと思います。
さて、そんな「めしばな刑事 タチバナ」の他にも、究極ともいえるめしばなバトルが繰り広げられる名作がある、と梅崎先生。うーん、気になります。
味や食材よりもディティール描写が決め手に
B級めしマンガの王道的な作品「極道めし」(作:土山しげる)です。
舞台は刑務所なので、贅沢なグルメとはもちろん縁がなく、主人公は全員囚人と設定は非常にユニーク。一体どんな状況で、どんな話をするのか不思議ではありませんか。
描かれているのは一年のはじまり、正月です。この日に提供されるおせち料理を巡り、めしばなバトルが行われます。過去に食べたものの話をして、他の人の喉を「ごくん」と言わせたら勝ちです。
優勝者は「ごくん」を一番多く集めた人。参加者のおせち料理から一品ずつ好きなものをもらう権利を手に入れます。いい意味でくだらない設定で、これが本当に面白いんです。
意外と奥が深いのが本作品。単にゴージャスな食事について語ったところで、「ごくん」を引き出すことはできません。
いかにエピソードを詳しく語り、相手の想像力を喚起させ、共感してもらうかが、勝利の決め手になります。
囚人の多くはそれまでの人生において、高いものを味わう機会は決して多くなかったはず。そんな相手に味について説明しても勝負はできません。そもそも味わっていないのですから。
もちろん「すごく美味しくて」と言うのも、相手の心を動かすことにはなりません。どんな状況下で食べたものだったのか、胃袋と結びついた記憶の内容を丁寧に語り、共感させなくてはなりません。
ちなみに梅崎先生が最も惹かれたのは、詐欺師の男の話だといいます。
男は裕福な家庭に生まれましたが、他人の借金を保証人として肩代わりすることになった父親が、ある日突然蒸発。母親は水商売で生計を立てることになり、男は田舎の祖母宅に引き取られたのだそう。
めしばなは現代における句会である
転校先でナメられたくないといった思いから、彼は周囲に対し「父親は社長で海外に住んでいる」と嘘を吐きます。当時から詐欺師の片鱗をうかがわせていますね。
しかし、白米とたくあんだけの質素な弁当を隠れて食べているのをクラスメイトに目撃され、嘘がバレてしまいます。「おかずを乗っけてやるぞ」と草を投げられたり、いじめられたりするようにもなります。
それでも負けん気で「運動会には母ちゃんがごちそう持ってきてくれるんや!」と言い返し、祖母にも母親に運動会を見にきてほしいと相談するほど。スナックに勤める母親は当日来られませんでしたが、代わりに祖母が見るからに高級な重箱を届けにきたんです。
そこには、お稲荷さんや海苔巻、玉子焼きなど、彼がしばらく食べていなかったごちそうがたくさん入っていました。いじめっ子も一緒にお稲荷さんや海苔巻を食べたり。でも後になって祖母が畑を売ったお金で、高い食材を買っていたことが判明します。
ちょっとほろりとするこの話で、詐欺師の男は見事勝利するわけですが、最後に「俺の作り話に共感してくれてみなさんおきに」と言ったんです。
みんなは「せっかくいい話だったのに、騙してたんかいな!」と呆れますが、男は「久々に騙したから汗かいた〜」とごまかしながら実は泣いているというオチ。
めしばなには自分の経験を相手に共感してもらえる楽しみがあるんです。
ところで、囚人ではありませんが、捕虜収容所に関する有名な話をご存じでしょうか。
「収容された捕虜の行動は国によって異なります。アメリカ人はリーダー役を担う人物を巡って選挙をし、ドイツ人はルールを決めようとし、日本人は句会を始めるんです」と梅崎先生。
日本人の集団におけるコミュニケーションのベースは句会、つまり「共感」なんです。
「古池や蛙飛び込む水の音〜」に対し、「わかるわかる〜」と共感が生まれるわけですね。とくに連句は他人の句と少しずつつながり、共同制作するものですから、上手くつながったときは楽しい。
めしばなはまさに「現代の句会」といっても過言ではありません。
めしばなは、誰もが自分らしさを全開にできる特殊な言論空間。それは同時に癒しの空間でもあるはずです。
めしマンガを読んで楽しむだけではなく、リアルでも優秀なコミュニケーションツールとして、めしばなに花を咲かせてみてはいかがでしょうか。
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