あのチームのコラボ術
目指すはソチ五輪──町工場の夢をかけた下町ボブスレープロジェクト
世の中で話題になっているトピックと、その中心にいる“チーム”に焦点を当てる「あのチームのコラボ術」。2014年ロシア・ソチ五輪に熱い思いをかける「下町ボブスレーネットワークプロジェクト(以下、下町ボブスレー)」です。
チームの活動拠点は、東京・大田区。地域の町工場が中心となり、氷上のF1と呼ばれる「ボブスレー」日本代表の公式マシン作りに励んでいます。目指すはソチ五輪で採用されること。お話をお伺いするのは、チーム発足人である株式会社マテリアルの細貝淳一社長と、メンバーの一人、株式会社ソフトウェアクレイドルの吉川淳一郎課長です。
可能性アリ、競合ナシ。地域発プロジェクトで世界へ
下町ボブスレーのプロジェクトを発足したのは、細貝さんだとお聞きしています。どんな経緯で始まったのでしょうか?
椋田
はじめからボブスレーのマシンを作りたいと思っていたわけではなく、将来的な会社の経営危機を見据えてスタートしたんです。私が経営している株式会社マテリアルは、アルミ、ステンレス、銅など数多くの素材を販売しています。2000年はじめ、第三世代携帯が普及して液晶パネルの需要が伸びました。私たちもその追い風を感じていましたが、その後ITバブルが崩壊すると、このままでは10年先に仕事がなくなるかもしれないという危機感が出てきたんです。
どのような危機感だったんでしょうか?
椋田
当時、アジアを中心に、海外に生産拠点を移す企業が増え始めていました。人件費などのコストが安くつくので、国内生産に比べると、うんと安い価格で商品を提供できるからです。安全性や質の面では、国内で生産したものの方が圧倒的に優れているのですが、テクノロジーの進化により、必ずどこかで追いつかれます。価格が安くて技術力が見劣りしなければ、国内で生産している私たちに勝ち目はありません。
安いものが大量に手に入るようになれば、いくら技術力が高くても厳しい戦いになりますね。
椋田
はい。ですから負けが想定される戦いはやめ、次の一手を考えることにしました。そのとき、自社だけではなく地域の他の企業も巻き込めることはないだろうかと思ったんです。そうして、たどり着いたのがボブスレーマシンの開発でした。
どうして他の企業も巻き込んで、ボブスレーマシン開発を?
椋田
私は21年前、大田区で会社を始めました。従業員がほとんどいない小さな会社でしたので、地域の人の助けがなければ今日まで続けることは難しかったでしょう。しかし昨今は情報漏洩が弊害になって、なかなか近所の会社同士付き合いができません。私はまた昔のように、醤油の貸し借りができるくらいの近所付き合いがしたいんです。だから新たなビジネスを始めるにあたって、地域を巻き込んだことがしたくて。もっと色々な会社を巻き込めるようなプロジェクトを、と探しているなかでボブスレーに行き着きました。大田区には金属加工会社が集積しているので、ボブスレー開発に適している地域でもあるんです。
新規参入は大変だと思いますが、ボブスレーがビジネスになると思われた理由は?
椋田
まず、大手企業が参入していなかったことが挙げられます。大手がライバルだったら勝ち目はないかもしれませんが、国内市場において競合となるところはありません。それに、私たちのように「地域発で世界を目指す」ことを前提に取り組み始めたところはないでしょうから、本気で向かえば十分参入余地はあります。私たちの最終的な目標は、2014年のソチ五輪で、ボブスレー日本代表の公式マシンとして採用されることです。こうしてオリンピック出場を目指し、2011年11月、プロジェクトがスタートしました。
お金ではなく、「志」で仲間を集める
ボブスレーのマシン作りは、非常に大掛かりなプロジェクトだと思います。どんな風にして、メンバーを集めていったのでしょうか?
椋田
言い方は悪いですが、お金が絡んでいたら誰でもついてきますよね。しかもこのプロジェクトは、大量生産して販売するモデルはないので、すぐにお金になるものではありません。むしろ開発費は、かかわっているメンバーの持ち出しです。それに日本での生産事例がほとんどないので、日本語の設計図もなく、すべてゼロからのスタートです。大変な苦労が待っていることが容易に想像できるなか「ソチ五輪で走らせたい」という思いにどういう判断を下すかは、それぞれの企業に任せるしかありません。しかし、もし大田区で誕生したボブスレーがオリンピックでメダルを取るくらい活躍したら、それはとてもすごいことですよね。この思いに共感してくれた30社が集まり、プロジェクトが始まりました。今では100社を超える応募がきています。私たちはこのプロジェクトを通じて、大田区が「モノづくりのシリコンバレー」となり、さらなる進化を遂げると信じています。
そうしてお声がけしていった中で参画を決めたのが、株式会社ソフトウェアクレイドルの吉川課長ですね。吉川さんは、どうしてこのプロジェクトにかかわろうと?
椋田
もともとのきっかけは、同じくプロジェクトに参加している株式会社童夢カーボンマジック(現 東レ・カーボンマジック株式会社)に声をかけてもらったことです。私たちは、熱流体解析のソフトを開発・販売し、自動車メーカー等に提供しています。ボブスレーのマシンを新たに開発するには、さまざまな解析が必要となるため、当社製品のユーザーでもある童夢さんが話を持ちかけてくれたのです。ありがたいことに、こういう大きなプロジェクトへの協力依頼は多くいただきますが、さすがに「オリンピックを目指している」というのは初めてだったので、興味がわきました。それに海外のチームは、BMWやフェラーリ、NASAなどが開発した高性能のマシンを使っているのに対し、日本は外国製の型落ち版を使用しています。今回国産のソリを作るということで、私たちも国産のソフトウェア開発会社としてなんとかしたいという思いが、どんどん芽生えていったんです。
それまで、ボブスレーの開発経験はあったんですか?
椋田
いえ、まったく(笑)幸い私たちは自動車の空力解析の実績があったので、自動車でできることであれば、できるに違いないという見込みはありました。自動車の場合、前後の空気抵抗だけでなく浮き上がりなど上下も考えなければいけませんが、ボブスレーは主に前後だけでいいと言われていたので、それであればこれまでの経験から導きだせるかもしれないと判断したんです。
開発にあたって、何から着手したんでしょうか?
椋田
まず日本にある既存のボブスレーを借りてきて、専用の機械で3次元の計測をし、それから、強くて空力性能の高いマシンを作っていくためのあらゆる計算をしました。いろいろなケースを想定して計算するんですが、解析ソフトがあればすぐにできるというものでありません。1つの計算に、パソコンの約10倍の処理能力がある大型コンピュータを利用しても、1時間半ほどの時間を要します。それを何十ケースも試し、さらに最新の最適化技術を利用しながら、最も空気抵抗の小さいボディ形状を導きだしていくのです。
それは大変ですね・・。ところでこのプロジェクトは、すぐにお金になるものではないと、先ほど細貝社長も言われていました。そうなると企業としてはかかわるべきか悩むと思うんですが、どうして社内決裁がおりたんでしょう?
椋田
やはり、「オリンピック」というキーワードが大きかったのではないかと思います。当社のソフトウェアを使ってオリンピックに出場したとなれば、大きな宣伝効果になりますから。この話をいただいたあと、まず社内で誰に相談をするべきか考えました。はじめに全部署のトップに「企業プロモーションの一環として、このプロジェクトにかかわりたい」と話をしたところ、「こういうものは積極的に取り組んだ方がいい」と前向きな返事が返ってきて、動くことができたんです。当初私は、「業務に差し支えのない範囲で取り組みたい」と言ったんですが、経営陣も「かかわるなら業務としてしっかりやろう」と理解を示してくれて。それで思いっきり取り組むことができました。
Facebookで情報を共有し、超短期間の開発を乗り切る
いろいろな企業がかかわっていると、一つの情報を共有するのも大変だと思うんですが、そこはどのようにされていますか?
椋田
主に、Facebookを活用しています。最近は、マスコミが私たちのプロジェクトに注目し、多くの取材依頼がくるようになりました。うちの会社だけではすべて対応できないほどなので、参画している企業が代わる代わる取材対応をしています。そうした取材に関するものにはじまり、ボブスレー貸出の日、講演日やスポンサー関連など、大半の情報は、Facebookのグループ機能内で共有されます。あと、プロジェクトを応援してくださる皆さんへの情報発信の場としても、Facebookを活用しています(Facebook公式サイト)。
Facebookで日々情報共有がされているから、多くの企業がかかわっていてもプロジェクトを推進することができるんですね。すでに、マシンは完成しているんですか?
椋田
1号機は完成しています。これがまた超短期間での開発だったので、とても大変で(笑)。2012年1月に初めて打ち合わせをしてから、5月の外部向け発表会までに従来型マシンの調査と計算を終え、7月末に1号機の形状を決定。9月までに設計図を完成させ、最終的な実機の出来上がりが10月末という約9か月のスケジュールでした。細貝社長もおっしゃっているように、日本語の設計図がなくすべてゼロからのスタートですから、私たちの設計段階もさることながら、実際に製造した童夢カーボンマジックさんや、大田区の町工場の方々はもっと大変だったはずです。10月末を目標にしたのは、11月に開催される展示会に出展して、公にお披露目しようと考えていたからです。この展示会に出展したことで、マスコミからも大きな注目を集めました。
1号機はその後、大会で走ったんでしょうか?
椋田
展示会でお披露目した段階では、残念ながらまだまだ大会で使えるものではなかったので、改修を行い、12月にテスト走行しました。そして、このテスト走行で思わぬ結果が生まれたんです。元オリンピック選手をはじめ、3名に試乗してもらったのですが、なんと選手の自己ベストを上回る好タイムが出ました。選手の感想も好印象でした。この結果が出たことで、わずか10日後の12月23日から始まる全日本選手権で使用したいという申し出があり、より優れたマシンにするための改修工事が突貫で行われました(笑)。
すごいスピード感ですね。気になる全日本選手権の結果は…?
椋田
初の実践デビューだったにもかかわらず、なんと優勝することができたんです!乗車したチームが、昨年の全日本選手権優勝者だったなど他の要因もありますが、それでも下町ボブスレーが手がけたマシンの効果を、十分アピールできたのではないかと考えています。
努力が報われた瞬間ですね!社外も含めいろいろな方がかかわりながら、短期間で突貫工事を行うのは、大変な苦労があったと思います。
椋田
オリンピックを目指す以上、基準が「世界で通用すること」なので、いくら時間がないとはいえ、妥協は許されません。そうした高いモチベーションを、かかわっている全員が持ち続けていることが、複数の会社をまたいでもチームがまとまる要因かもしれないですね。ただ苦労だけではありません。私自身、今回のプロジェクトでは町工場の方々から強い刺激を受けています。会社組織という枠組みの中で忘れがちになっている、大胆さやスピード感といった刺激を受けられるのも、このプロジェクトに参加して良かったと思う点です。
全日本でいい成績が残せたとなると、次は国際大会ですね。
椋田
今までは女子用のマシンを作ってきましたが、女子は国際大会で走るためのライセンスを持っていないため、男子用マシンの開発に取り組んでいます。2013年3月に初めて、国際大会に出場しました。
オリンピック出場に向け、弾みがつきましたか?
椋田
はい、ただしオリンピックで公式に採用されるためには、マテリアルチェックと呼ばれるテストをクリアしなければいけないので、まだ乗り越えなければいけない壁はたくさんあります。実は2号機の開発も進めていて、オリンピックはこちらのマシンで目指しているところなんですよ。
そうだったんですね!2号機の詳細も気になるところです。
椋田
オリンピック出場に向け、一歩を踏み出した「下町ボブスレー」。後編こちら。2号機開発の経緯やプロジェクト開始後、町工場にどんな変化が起きたのか。ボブスレーを普及させるために、地域が一丸となって取り組んでいることとは?
(写真 :橋本 直己)
SNSシェア