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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第9回:アナログがデジタルを支えている
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載(毎月下旬に掲載)の第9回。今回のお題は「アナログがデジタルを支えている」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真:
Goto Aki
第8回の遺言状は「いくらデジタルの時代でも、アナログは生き続けるのだ」で締めくくった。今回はそれを受けて立とう。
最近、私は楽器の練習に時間を取られてしまい、音楽を聴く時間がなかなか取れないのだが、一応オーディオマニアの端くれである、というか、端くれだった。いまはもっぱらデジタルオーディオだし、装置のアップデートをする元気も財力もなくなった。一応昔から使っていたアナログレコードの装置は維持しているが、1年に1回電源を入れるかどうかすら怪しい。
知合いの偉い技術系の先生のほとんどは、音楽はデジタルデータになったら、デジタル処理の段階で、音が変わることはないとおっしゃる。それにしては、数多い種類のデジタルオーディオ機器が販売されていて、あーだこーだとオーディオ雑誌を賑わしている。
さらに、100KHzという人間の可聴音域をはるかに超えた超音波域のスピーカー(写真1)を追加すると音像定位が変わるとか、接続ケーブルや電源ケーブルを変えたら音が変わるとか、CDにアナログ的細工をすると音が良くなるといった話をすると、大概の人はそれをオカルトと呼んで無視する。あるいは単なるプラシーボ(偽薬)効果だと断定する。だが、ガリレオは言った。「それでも音は変わっている」。
ちなみに拙宅はオーディオ専用の30Aのブレーカーから、30Aの特殊コンセント、NTTの研究所で廃棄処分になり、雨ざらしになる直前に拾ってきた重さ45kgの絶縁トランス、歪んだ交流を正しい形の正弦波に戻す電源レギュレータ、さらにメインアンプ以外は医療機器用の絶縁トランスを噛まして、電源供給をしている。超マニアの中には専用電柱を自宅前に立てる人もいるようだが、幸い拙宅の入電装置の直前が電柱だ。というわけでコンセント類、電源ケーブルも含めて、まぁまぁ万全の構えだと思う。
正しい正弦波? そんなの装置の中の整流装置を通せば関係ない......。はい、電気工学的にはその通りです。でもなぜか音が違う。10年以上前になるが、NHK技研から北陸先端大に移られた宮原先生の、どちらかというオカルト系を究めようとしているオーディオ実験室にお邪魔したことがある。「あー、今日は電源がだめだ、これじゃまともな実験ができない、ということがよくある」とのこと。もちろん、拙宅以上の重装備の電源装置が直列に繋がっているのにだ。自作PCだって電源に拘る人は多いはず。もっとも、それで計算結果がより良くなるとは考えにくい。
ともかくオーディオにまつわるオカルトは数知れない。なので、ここではデジタルの象徴であるCD(コンパクトディスク)に話題を絞ろう。昔のLP(アナログレコード)の時代、オランダフィリップスの盤は国内プレスのフィリップスの盤よりずっといい音だった。まぁ、これはアナログだからさもありなん。ところがCDでも、同じ録音なのに買うたびに音が違う。私は好きな録音を発売されるたびに買うことがよくあった。これも実は理由が明らかで、CDを作るたびに、リマスタリングなど、製造段階で音を調整しているのだ。
問題は、物理的に同一のCDをいろいろいじると音が変わることである。昔からCDの縁を黒く塗ると音が良くなると言われていた。私はやったことがないが、CD上の信号を読み取るレーザ光線の乱反射を抑えて読み取り精度が上がるのだという説明がなされていた。CDには螺旋状にピットという微細なくぼみが並んでおり、それがbit情報を表している。レーザ光線でそれを読み取るわけである。CD面にはキズがついたり汚れがついたりしてもいいように、必要なbit数の2倍近い冗長な情報を追加し、10-9程度までのエラー訂正能力を持たせている。まぁ、CDの読み取りで滅多にエラーは起こらないと説明されたら納得できよう。
しかし、CDに細工をすると音が良くなるという商品が結構あるのだ。仕事はデジタル、趣味はアナログというわけではないが、ことオーディオとなるとだまされやすかった(過去形であると祈念したい)私はこの種の製品を5つも持っている。私の主観で音質改善効果が高かった順に紹介しよう。このあたりで読者が「なんじゃそりゃ」といってブラウザを閉じるのが目に浮かぶ。
最初は「CD消磁器」である(写真2)。
つまり、CDが帯びている磁気を消す装置だ。「えっ、CDはプラスチックだから、磁気があるわけないのでは?」。ごもっともだが、通常CDにはラベルが印刷されている。そのインクには金属元素が含まれているから多少の磁気がある。特に鉄分の多い真っ赤や真黒なCDは要注意というわけだ(※1)。しかし、クラシックのCDには文字しか印刷されていないものも多い。それでも効果はある。プラシーボ効果、だまされやすいとはそのことだろうとおっしゃるあなた、実は拙宅にCD持参でお招きしたお客さんのすべてが使用前と使用後の愕然たる差に驚かれるのである。拙宅のCDドライブ(CDを回して、信号を読み取るだけの専用装置)は一応それなりの装置で、かつ強力マグネット内蔵の台の上で空中浮遊させて床からの振動をシャットアウトしているので、そんな微小な磁気(もちろん高速回転すればフレミングの法則でいろいろな作用はあるだろうが)でどこかがフラつくわけがないと思うのだが......。
どうよくなる? これの表現が難しい。うるさめに耳についていた音が、すっと整理されて音場の見通しがよくなるといえばいいだろうか。音を言葉で表現するのは難しい。ともかく、私はどんな安直リスニングでもCD演奏の前にはこの消磁の儀式だけは必ず行う。
2番目は静電気除去器(写真3)。
なんのことはない、LPが入る大きさのただの箱である。導電性のフェルトのようなものが敷かれていてそこにCDを置いて蓋を閉めて待つ。ちょっと時間がかかるのだが、実際、LPを処理すると、プチパチノイズが激減する。LPに触ったことのある人はすぐわかると思うが、あのビニール盤は驚くほどの静電気を蓄える。でも、「CDってそんなに?」と思うかもしれないが、静電気除去をすると、たとえば、弦楽合奏の音が澄みきった爽やかな音になる。これは、高音域の特性が改善されたと思うしかない。
3番目はトルマリンイオン発生器(写真4)。
ここまで読んできた人は、おお、とうとうそこまで来たかと思うに違いない。写真のように上面がちょうどCDがはまる火鉢みたいな恰好をしている。中には電球とトルマリンが仕込まれていて、光と熱でトルマリンに極小サイズのマイナスイオンを発生させる。CDをあぶるときは、さらにファンを回して「イオン注入」する。えっ、さっきは静電気除去で、こんどマイナスイオンの注入? わけわかりませんねぇ。しかし、実は私の想像するところ、この装置は室内空気環境を改善しているのだ。空気の振動伝播は分子の力学的な斥力によるバネ効果で起こっていると思ってよい。だったら、それに電気的な斥力が加われば音の伝達効率はさらに上がるはず。実際、このイオン発生器を止め、プラズマイオン発生機能のある空気清浄機を止めたら、がっかりするような音になる。そういえば昔、イオンを駆動するスピーカーがあった。オーディオマニアは室内の空気の改造から始めなければならないのだ。
4番目はCD焼き付け強化器、通称ディスク・ファイナライザー(写真5)。
CDはプラスチックだが、ピットの反射率を上げるためにアルミ(あるいは金)をスパッタリングさせて反射膜を作る。大量生産工程ではこの膜が完全にピットに固着されていないのだ、というのがこの装置の言い分である。この装置にCDをセットしてスイッチを入れると、CDが回り始め、目で見てはいけないような強い光を照射して、膜を完全に焼きつける。2度以上やっちゃいけないので、処理済みのCDにはマークをつけておくことが必要。愛聴盤を何枚かやってみて、効果があることは確認したが、面倒なのでほとんど使っていない。
さあ、最後はディスク・エナジャイザー(写真6)。
ここに至ってとうとう量子力学が出てくる。もう売り切れらしいが、好奇心のある方は下記のページをご覧いただきたい。
http://www.otaiweb.com/audio/tokusen/aer/discenergizer.html
一部を引用すると、「動作の原理は、内部機構により、大量の陽子(振動の方向性を整えるエネルギー)を発生させ、それらがディスク上に配列され、レーザー光線を受けると、それによりデジタルの大敵であるジッター(時間軸のゆがみや遅延などにより、伝送ロスや伝送特性などが著しく阻害される現象)を大幅に減少させる、と言ったことのようです。」(上記Webページより引用) と、心許ない。日本語を担当した人にはちゃんと理解できなかったのだろう。たくさんの陽子さんが踊っている漫画解説もついているが、面白すぎて(?)私には理解できなかった。「じゃあ、なんでこんなもの買ったの?」と詰問されそうだが、これからは量子コンピューティングの時代だし......と、しどろもどろ。というわけで、これからあとはCD改善器には手を出していない(※2)。
もうひとつだけ、CD改善器ではないが、さきほどのトルマリンイオン発生器と同様のリスニング環境改善器を紹介したい。その名も超低周波発生器(写真7)。
といっても音波ではなく、地球が地表と電離層との間に発生させている7.83Hzのシューマン共鳴波(電磁波)を発生する。いわく「地球創世以来、地球上の生物はシューマン共鳴波に守られて生活してきましたが、現代社会では、飛び交う電波や電磁波などによって、かき乱されたり、消されたりして、さまざまな悪影響が起こっている」。大地直結の田舎の一軒家では効果があまりないそうだが、都会のビルの中ではそれなりに効果があるという。精神も安定するらしいし、楽器の練習にもいいとか。約10年前に導入して、私の部屋で24時間365日稼動中なので、もう意識もしていないが、ひょっとして電源を切ると、なにかがガタガタッと崩れてしまうのだろうか?
今回もとんでもない話にお付き合いいただいたが、ある程度の装置であれば、なにか変なこと(?)をしたら音が変わることは確かである。ただし、買ってきたソフトのCDやDVDを消磁したからといって、ソフトの性能が上がるわけでない。だが、いくらデジタルコンピュータといってもアナログの初心を忘れてはいかんのだ。
1990年代にLispマシンを自作していたとき、ハンダ付け10万回で3回しかミスがなかったという吉田雅治名人がハード設計と試作の担当者だった。配線の引回しの問題や、「弱いIC」などいろいろなアナログ問題に悩まされたのだが、その彼も驚いたエピソードを紹介しておこう。A4サイズの14層基板にすでにたくさんのICが工場の自動ハンダ付けによって配置されている。プリント基板の配線で設計以上に配線遅延があった場合にジャンパー線を張るというのが吉田君の大部分の作業だった。ところが、あるとき非常に不思議な現象に遭遇した。電源を入れて1~2時間は正常動作するのに、そのうちおかしなことになる。熱でICが誤動作するというのはわりとよくある話なので、そういうときの定番、冷却スプレーを、私がソフト的な検査で絞りこんだ怪しい場所にかける。すると正常動作に戻る。ここまではよくある話。ところがおかしくなったときに、件のICにデジタルアナライザのプローブで触っただけで正常動作に戻るではないか! プローブで触ると動くということは、プローブの先端の3ピコファラッドの静電容量のお蔭でということはときどきあったが、そういう場合は電源オンの直後から動かないものだ。
なんと、原因はそのICにプラスの電源を供給する足のハンダのクラック(ひび)だった。熱でICがバイメタルのように反って、足が顕微鏡レベルで浮いてしまうのだ。おお、これは高熱になったら安全のため電源自動オフするIC実装法として特許が取れるのではないかと笑ったものだった。いくらデジタルといっても、それを支えているのはアナログだということを実感させてくれた面白い事件だった。そういえば、HDDもいつかはアナログ的に壊れる。
よい子のみなさんはオカルトオーディオをハッキングして泥沼に踏み込んではいけないが、上の教訓だけは覚えておいてほしいなと思う。(つづく)
※1:紙幣の印刷は磁気インクを使っている。簡易判別機は磁気インクをスキャンしたときの波形の周波数分析などを行う。
※2:「そんならCDをリッピングしてHDDに入れてしまってから再生すれば、こんなお呪いは一切不要になるのでは?」とおっしゃる方がいるだろう。ごもっとも! しかし、拙宅ではまだCDを回して聴くほうが音がいい。具体的には音像がシャープなのだ。つまり、演奏者が一人一人実物大の大きさに「見える」と言ったらいいだろうか。多分、クロック精度(ジッター)の問題だろう。デジタル回路ではクロックは本当に重要です! ちなみに拙宅ではCDドライブとDAコンバータの間のクロック同期のケーブルは2回変更して3本目である。これで歌っている歌手の口が圧倒的に小さくなった。
本連載は、毎月下旬に掲載していく予定です。竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
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