グローバルリーダーに学ぶ「仕事と家庭の両立」「社会を変える働き方」―JKSK理事長 木全ミツ×サイボウズ社長 青野慶久
女性のキャリア官僚がほとんどいない時代、周囲の反対にめげずに労働省に入省した木全(きまた)ミツさんは、海外協力課長としてODA(政府開発援助)を担当した後、外務省に出向。国連公使としてニューヨークへ赴任。その後、「ザ・ボディショップ」日本の初代社長を10年務め、2001年にNPO法人JKSK(女子教育奨励会)を設立。77歳の現在、理事長として日本・アジアの女性のリーダーシップ教育、震災の復興活動等に取り組んでいます。キャリア官僚と子育て、社長業と介護を両立した木全さんが、サイボウズの青野社長と、ダイバーシティ社会や職業人生について語り合いました。
「多様でいい」という価値観
先日、東大の英語サークルのOBOG会で学生さんとお話する機会がありました。2年生の方たちなのにみんながダークスーツ。フォーマルな服装でと先輩にいわれたらしいのですが、みんな同じで気持ち悪い。就職のときも、そうしているんでしょうけれど。若い子の個性を潰している感じがします。
サイボウズは、服装に関しては、和服でくる社員もいます。彼には、着やすいらしいんです。雪駄を履いて、雨が降れば番傘をさしてくる。
それは主張があるのよ。サイボウズは、どこまで俺を許すのかなと見ているんですよ。個性があるのはいいですね。
「多様でいいんだ」という価値観を、彼は社内で体現してくれています。
口では多様化、ダイバーシティ社会といっていても、実践しているところは少ないです。
先日、参加した内閣府が企画したイベントでは「女性の活用」がテーマだったんです。僕としては、「女性の活用」といっている時点で型にはまっている。「個性の活用」ではないかと結論づけました。
私の見てきた男社会では、その枠内でイキイキとやれる人はいいいですが、はまるのをよしとしない人もいます。彼らは生かされず、潰されてきたのではないでしょうか。
能力があるのだったら、どんどん前に進め
木全さんは大変なご苦労とともにキャリアを積んでいらっしゃったと思います。どうしてそのような道を選択されたのですか?
幼少期の体験からです。戦時中、父は軍医で、一家で満州に住んでいました。終戦直前、わたしは母、兄弟姉妹とともに引き揚げましたが、父はシベリアに抑留され、私たちは、かぼちゃを一切れずつ分けて食べる日々。自身でお金を稼ぐ術がなく耐え忍ぶ母を見て「どんな時代、どんな境遇に置かれても、誰にも頼らず生きていけるよう、一生仕事を続けていきたい」と働く決意をしました。
医学部への進学はお父様の影響ですか?
はい。終戦から5年後、中学生のときに父が帰国し「これからの日本に将来があるとしたら、テクノロジー、サイエンスだ。だから科学を勉強しなさい。これからの日本の社会には男も女もない。能力があるのだったら、どんどん前に進め」と進学を勧めてくれたのです。
なぜ官僚になられたのですか?
医者にかかれない人たちのために生きていきたいという思いから、労働省で労働衛生の仕事をしようと思ったからです。ところが学生の間では、官僚は世の中の悪という風潮が専らでした。しかし、官僚が隠然とした力を持っているのも事実です。労働省に入ることを父にも恋人にも反対されましたが、わたしは中に入り改革していこうと決意しました。
労働省ではODAの草分けのお仕事をされたそうですね。新しい取り組みですから、いろいろなご苦労もあったのでは?
いろいろありましたが、開発途上国のリーダーの方々が自国の将来を見据え熱っぽく語る目の奥のキラキラとした輝きに心を打たれやる気が沸きました。新しい取り組みであったため、「前例が」とか「女のくせに」といった仕事にブレーキをかける要素はありませんでした。素晴らしい仕事を真剣にさせていただきました。
経済的ニーズと人間としてのニーズ
ザ・ボディショップのときも環境保護キャンペーンなど新しい試みをされていましたね。
ザ・ボディショップは、ステークホルダーの経済的ニーズと人間としてのニーズのバランスを考え仕事をしていこうという企業です。人間として生きていく上での充実感や、「環境保護」「人権擁護」「動物愛護」についても関心を持ち、企業としての責任を果たしていこうと、ステークホルダーの方たちとともに取り組んでいました。
15年くらい前、ある自動車会社の取締役会に「カスタマーサービスの勉強をしたい」と招かれました。ザ・ボディショップは、全員がストーリーテラーにならないといけないという会社で、カスタマーサービスの全国大会で連続優勝していたのでお声がかかったのです。 取締役会に伺うと、まず「あ、女か」と言われました。それでわたしは「あ、だめな会社だな」と思いました。ザ・ボディショップの企業理念、社会変革キャンペーンの展開、社長以下全員によるコミュ二ティー活動への参画等についてお話をすると「小さい規模だから環境とか人権とかいっていられるのですよ」と幹部が平然と発言され驚きました。 わたしは「御社の幹部の中で、車愛好家の方は、何パーセントいらっしゃいますか?」と伺いました。相談の結果「13%位かな」と。回答を耳にし「あ、この会社はつぶれるな」と思いました。ホンダは「車愛好家が8割だ」と本田宗一郎さんが胸を張っておっしゃっていたことと比較して、随分な差を感じました。 その自動車会社は、車好きでもない方々が役員のポストを占め、いい車が作りたいとか、社会的責任をどう果していくべきかなどには関心がなく、「一部上場企業の経営」への関心だけで仕事をしておられる……という印象を受けました 。その後、この会社は、深刻な経営危機に陥りました。
何が好きで、何ができるか?
「好き」ということは、キーワードかなと思います。例えば、最近上場したユーグレナという会社があります。ミドリムシを栽培する会社ですが社長は、「僕は、ミドリムシが本当に好きなんです。ミドリムシが世の中に評価されるのを、夢見てやっている。」というのです。
それは絶対に成功しますよ。
日本人の多くは「何が好きなのか」を自問自答してこなかったんじゃないかな。
そういうことを思うこと自体が間違いとされてきたのでしょうね。部下がいて、上司がいて、組織があって、目標があって。自分で考えなくていいんですよ。「会社の目標に向かって競争せよー」と会社人間を育て、個性を潰してきた、自分の意見を持たない人間を育ててきたのでしょうね。もちろん例外はありますけど。青野社長のように。
僕は、大企業をドロップアウトしました。なんか違うなと思って。
組織の役割だけで生きているような男の人は、家に帰っても仕事のことしか考えられず妻の声にも耳を傾けられない。面白みのない人生になってしまいますよね。そうならないために、大いに企業経営者も、本人たちも、若い頃から真剣に考えねばならないことだとお思いになりません?
そうですね。切り替えの余裕がないというか、切り替えることができないことが、イノベーションを阻害していると思います。イノベーションは、たいてい融合することだと思うんですよ。全然違う分野からクロスさせる瞬間をもたないと。
就職活動でも、「何が好きで何ができるか」「人と違った売りは何か」「社会の中でどのような存在として生きていきたいか」「そのための場として、この企業は適切か」を明確に説明していくべきで、「ひっかかればいい」というのではなく「私を選ばないと損ですよ」という気概で臨んでいってほしいです。
育休がない時代の出産・子育て
職場では、出産も前例がなかったのではないでしょうか。
はい。わたしが出産した当時は、産前産後6週間の休暇しか法的に認められていませんでした。結果として出産日の前日まで働き続けました。産休中は、人員が補充されないので仕事は周りが引き受けることになります。私の産休を職場の仲間たちが、不服に思わないための知恵として「誕生日の当てっこクイズをいたしません?もっとも近かった方には豪華賞品を差し上げます」と同僚に持ちかけました。同僚の全員が参加しました。私の出産を「迷惑なこと」から「待ち遠しいこと」へと変化させたんです。
工夫されましたね。
産休中の業務は、私の仕事内容に興味を持ってくださっていた先輩にお願いすることにしました。先輩とは毎日お昼に1.5時間、電話会議をすることにしました。こうすることで、わたしは職場にはいないけれども、職場の仲間には私の存在が感じられるという状況を作りだすことができました。また、「出産を機に仕事をお辞めになったら?」と言っていた義母も、目の前で電話会議をしている姿に「職場のみんな様にご迷惑をおかけしているのね、早く戻らないと……」と前向きな意見へと変えることができました。
復帰後、育児はどうされていたのですか?
当時は、集団就職で上京する若者達が数多くいました。四国の商業高校出身の方に、お手伝いさん、子守さんという発想ではなく、あくまでも、私のできないところを補ってもらうパートナーとして住み込んでいただきました。 義父母と同居していましたが「子どもの面倒を両親にお願いする」という発想はありませんでした。母は裏千家の准教授で超多忙でしたし。子どもが4歳から7歳までの3年間、家族でアメリカ、ボストンに留学した際も子育てのパートナーに同行いただき、リサーチワークに没頭することができました。子育てと仕事の両立は、生きた時代背景の中で、知恵を出し、工夫することで楽しく切り開いていけるものではないでしょうか。
ロールモデルがいなければ自分自身がなればいい
人生のパートナーとの関係についてはいかがでしょうか。
「夫とは、社会的に対等な人間としてともに素敵に生きていきたい」。これが私の基本姿勢です。官僚の仕事はいそがしく、深夜帰宅の生活が日常でしたが、医学者である夫の社会への貢献度と、官僚としての自分の社会への貢献度を比較したら、わたしは、はるかに負けていると実感しました。家事や育児など、一寸得意な分野で自分が存分に力を発揮できたら、「本当の意味で彼とは対等の人間同士として生きているといえる」。そう自分を評価し、自然体で対応してきましたので、すべてがスムーズにいったように思います。 できる事はできる方が行うし、一生懸命に生きている姿にお互いに感謝をするという姿勢を持ち続ける。どんな分野であれ、得意とする力を互いに発揮し合えばいいのではないか、というのが、夫婦間での共通見解だったと思います。また、どんなにいそがしくても、できるだけ1日1時間半は2人で水割りを片手に会話をする、1週間に1日、1年に1週間はともに過ごしましょうというのも、暗黙の了解になっていました。お互いに、人格を尊重し合って生きてきましたので、考えてみますと、私たちはこれまで喧嘩をしたことはないと思います。
喧嘩しないというのはすごいと思います。我が家も共働きです。夫婦でいい関係を持続するのはパワーがいります。
喧嘩をしたり、批判したり、そんなエネルギーがあれば、ポジテイブなことに使った方がお互いも周囲も、みんなハッピーになると思われません?人生を2倍楽しく生きるコツかもしれませんね。 育児と仕事の両立は、確かに大変です。でも、会社や政府がやってくれないから、子育てができないと責任転嫁するのはおかしな話。よくロールモデルがいないからと言うことを耳にしますが「ロールモデルがいなければ、自分自身がなればいい」と思えば、もっと人生は素敵になるのではないでしょうか。社会変革の最速のやり方かもしれませんね。
育児は昔の価値観で苦しめられているところがありますよね。3歳までは母親がずっとついていけないとか。本当かと。そうしなくてもいい子に育った子はいっぱいいるぞと。
青野さんのように、ご夫婦両方で子育てをできるのが理想的だと思います。子育てと仕事の両立は、時代によって違うので、お2人が考えるベストの方法ですればいいと思います。その姿勢は、ご努力は、必ず、毎日接しているお子さんたちの人生にも良いお手本となって行きます。若い社員にも好影響を与え、考える機会を提供することにも繋がり、この国の将来のお手本になって行くのではないでしょうか。 「夫婦の愛情の結晶として愛しいわが子が欲しい」、「子どもを育てながら仕事をしたい」、「人生の目標をまっとうしていきたい」と欲する人たちが、それが出来ない、できていないということが問題です。なぜか。この国の組織のリーダー達に、問題の認識がないことと、あっても実行力がないからです。実行できないリーダー達の社会は変わらない。 わたしが社長をしていたザ・ボディショップの親会社はイオンです。お客様は95%以上が女性なのに幹部が男性ばかり。会長にお会いする機会には、「女性の幹部を増やすこと」をお薦めしてきました。数ヶ月前も「少子高齢化を解消しようと思うのだったら、待機児童をゼロにすることだと思う。政治家ができないなら、力があるイオンが、ショッピングモールごとに保育所をバンバンおつくりになったらいかがですか?」とお伝えしました。 嬉しいことに、今年のイオンの株主総会で、7年後の2020年には、管理職の50%、取締役の30%を女性にするという発表がありました。素晴らしいメッセージに心が震える思いでした。
すごい数値目標ですね。
数値目標が高いということは、素晴らしいことですが、重要なことは、実行力があるかということだと思います。日本人の判断基準は、横並びですから、先行例が示されると変革はあっという間だと思います。青野社長も、ぜひ、モデル企業としての成功例を作っていってください。
東北の女性たちと事業を起こす
東日本大震災復興支援「結結プロジェクト」へのご寄付を本当にありがとうございます。お陰様で素晴らしい活動を展開させえていただいてきました。これからも「復興完成まで」を合言葉に、被災地のみんな様に寄り添って「ごいっしょに」進めてまいりたいと考えております。
多岐にわたる活動をしていますね。
わたしは75歳になるまでは、社会に役立つ生き方をしたいと小さいときから思っていました。ところが2011年、75になる直前に東日本大震災が起こりました。これは日本中が力を出し合って対峙していかねばならない大作業だ。そうだ私もまだ、エネルギーも余っている。「よし、目標を延ばそう」と新たな決意をしました。 「結結プロジェクト」では、重要なのは、主人公を東北の女性達とすることといたしました。被災地で取り組んでいることに耳を傾けワークショップをし、出された提案をどんどん事業化しています。打てば響くような感じで、事業化20を目標にしていましたが、現在14の事業が走っています。 その中のひとつに「いわきおてんとSUNプロジェクト」があります。いわきでは、食べるものを作るのが難しい現状(放射線量が低くても売れない)なのでオーガニックコットンを育て衣料品を販売する事業、太陽光・水力による再生可能エネルギーを活用した地域づくり、語り部を組織した「いわき復興ツアー」という3つの事業を展開しています。 今日は、できたばかりの「ふくしまオーガニックコットンTシャツ」を社長にお持ちしました。今では、畑も福島県内で50か所に広がり、福島の未来の産業として育てて行こうと関係者は燃え上がっています。全国のみんなさまにも買っていただきたいと思っています。
ありがとうございます。これからも活動を、応援してまいります。
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