ブロガーズ・コラム
チームワークで丸裸にされることの快感
こんにちは、はせおやさいです。
少し前の話になりますが、このサイボウズ式「ブロガーズ・コラム」のメンバーで、トークイベントをやりました。下北沢B&Bというおしゃれな本屋さんの一角で、ビールを飲みながらざっくばらんにお話をしたのですが、そのときに「この4人のチームワークがすごくよい」という意見をいただきました。
言われてみれば、このメンバーはキャリアもキャラクターもバラバラで、一見みんな自分勝手にやっているようにも見えるのですが、うまく機能しているなと感じる部分がたくさんあります。
今回は、わたしがこのメンバーでこのコラムを書き始めたことでどう変わったか、「チーム」として動いたことで、どんな影響を受け取ったか、について書いてみたいと思います。
1人で書くこととの違い
このコラムは3人のブロガーと、1人のディレクターで作っています。
ブロガーというと一匹狼的な、自分で書きたいものを書いて発表するようなイメージがあり、わたし自身も自分の考えを発表するのに他人の意見はノイズになる、と思っていた部分もありました。しかし、今回このお話をいただいてチャレンジしてみた結果、とても良かったなと思っています。
誰かが自分の書くものを待っている、というのは新鮮で、良くも悪くも、緊張感を与えてもらっています。誰かが待っているから変なものは書けないと思うし、読んでよかったと思ってもらいたい。もちろんそのことで変な力が入ってしまって、自分らしさが出なくなったり、うまく書くことが苦しくなったりもするのですが、今までの「手なり」では通用しない手強さ、面白さを感じます。
さらに書いてエイヤで終わりではなく、自分の書き方の癖や、つい詳細に述べるのを避けてしまいがちなトピックを指摘され、自分がどんどん分解されていくような気持ちを味わうことができました。
第三者に感情を丸裸にされる気持ちよさ
書いたものと自分の間に他人が介在することで、自分でも気付けていない「こう見られたい」自分を見つけられ、指摘されるのは本当に恥ずかしく痛い指摘でもあったのですが、自分の小ささみたいなものを実感できたのは、良い経験になっていると思います。
自分が分解される、と書きましたが、特にわたしの場合は自分の経験談をメインに書くので、突っ込まれたり掘り下げられたくないエピソードがけっこうあります。
トピックとしては書きたいんだけど、全部を書くと自分に都合が悪かったり言いにくいなあと思ったりして、モニョモニョっと誤魔化したい部分がけっこうある。
自分1人で書いて発表するのであれば、誤魔化したい部分を避けることもできるのですが、こうやって誰かの目に触れる前にレビューされるステップがあり、「この部分をもっと知りたいんだけど」と求められ、書かざるを得なくなると、必然、自分自身でも目を背けていた部分と向き合うことになりました。
そうなると、精神的にまさに「丸裸」という感じです。
それを自覚するまえに書いて出したものはそういった指摘がズバズバあって、「この部分を書くことから逃げてるよね」という指摘がめちゃくちゃ突き刺さり、正直、いちばん最初のコラムは泣きながら何度も書き直したいきさつがあったりします。
なぜ泣いたのか、を振り返ると、それはずっと自分が目を逸らしていた部分で、目を逸らさないとやりきれないほど辛い思い出だったからだと思います。
でもそれはいつか解決しなければいけなくて、目を逸らしている限りは喉に刺さった魚の骨のようにうっすらとした苦痛を感じ続けなければいけない。これはなかなか居心地の悪いものです。
わたしの場合、自分が抱えていた問題を誰かに無理やり開示させられたことで問題が分解され、分解してみたら思ったより大したことなかったかも? と気付き、次のステップへと上がれるようになりました。
これまで自分が目を逸らしていた問題を、人により丸裸にされて、弱点まで全部見つけられ、他人にオープンにさせられることにより、問題と向き合うことができひとつずつ問題を消化し自分を再構築していくことができました。「自分という存在の重さ」によって解決できなかった問題を人によって裸にされることにより、自分から外にだされて、そして身軽になっていくことが出来ました。
脱ぐには相手を信頼していないと無理
さて丸裸にされたいきさつを改めて振り返ってみると、相手が誰にでも同じように出来たのかというと、それはちょっと違います。
自分を丸裸にし弱点も含めて全部さらけ出すことは、相手が自分を裏切るかもしれないと1ミリでも思ったら、とても怖くてできません。
わたしみたいに、ブログに書かれたネガティブなコメントを1件でも読むとすぐ死にそうになる人間にとっては、生殺与奪の権利を相手に委ねるようなものなので、超ハイリスクなやり方でもあります。
一方、わたしも自分がそういう性格なことは自分でも重々承知しているので、そもそもこいつ裏切るなと思う相手から裸にされそうになっても断固拒絶できる程度の自衛スタンスはあります。そんな馬鹿じゃない。そう思ってみると、自分でも気づかないうちに信頼の積み重ねがあったのだろうと思います。
でも信頼が顕在化するまでには、紙の一枚のような薄さの「あ、この人なら大丈夫かも」を重ねていくしかなくて、薄い薄い信頼の蓄積が、ある一定のラインを超えた瞬間、急にはっきりと実感するものなのかもしれないと思うようになりました。
なかなか簡単に手に入るものではなさそうですが、信頼できる相手の前で自分の弱さも含めてすべてをさらけ出す感覚は、1度味わってみるとなかなか癖になるものです。
信頼の積み重ねを継続できる相手と作るチームワークは、何物にも代えがたい財産になると思います。
今日はそんな感じです。チャオ!
イラスト:マツナガエイコ
SNSシェア
執筆
撮影・イラスト
松永 映子
イラストレーター、Webデザイナー。サイボウズ式ブロガーズコラム/長くはたらく、地方で(一部)挿絵担当。登山大好き。記事やコンテンツに合うイラストを提案していくスタイルが得意。