「人間関係は浅くていい」とソーシャル時代の新しい組織が見えてくる? おちまさと×山田理(サイボウズ副社長)
会社員にとって長年の悩みの種と言えるのが仕事での人間関係です。良好な人間関係を維持することは仕事を円滑に進めるためにも大切なものの、そのために無駄な残業や、無用な飲み会への出席などが強いられることも決して少なくありません。
多数のヒットテレビ番組のプロデュースを手がけ、古くからのサイボウズ「ヘビー」ユーザーであり、この程サイボウズのCBO(チーフ・ブランディング・オフィサー)に就任頂いたおちまさとさん。おちさんはこうした“不条理”に警鐘を鳴らすべく、『人間関係は浅くていい。』と題した本を6月に出版されました。「深める」ことが当たり前とされた人間関係についておちさんは、「浅くても構わない」と断言します。サイボウズで新しい働き方の実現を次々と進めている副社長の山田理さんとの対談を通じ、ソーシャル時代の新しい組織のあり方を探ります。
対談を記念して、本記事で取り上げた「人間関係は浅くていい。」をおちさんのサイン入りで30名様にプレゼント!記事の最後に応募方法についてご説明していますので、ぜひご覧下さい
同調圧力の中で同じ行動しか取れない日本人
遅ればせながら『人間関係は浅くていい。』を読みました。なかなか刺激的なタイトルですね(笑)。私も共感する部分が多々あったのですが、まずはこの本を書かれたいきさつについて教えてもらえますか。
きっかけは、日本人の振る舞いに素朴な疑問があったんです。例えば人気アーティストのコンサート会場では、えてして観衆が総立ちで手を振ったりしています。でも、これって気持ちが悪くないですか?本来、コンサートを鑑賞する方法は人それぞれのはずです。確かに海外でも立ち上がって、場合によっては踊り狂ってる奴もいる(笑)。でも、カップルで来て座って鑑賞する客も確かにいるんです。でも、日本でそれをやると「あの人なに?」って。
日本人の変な同調圧力というか……。
そうそう。で、気づいたのが、これは日本の企業組織にも通じているのではないかと。今の日本では、毎年3万人以上が自ら命を絶っています。その代表的な理由の1つが人間関係の悩み。そこで思い至ったのが、「人間関係は深くなければいけない」という昔ながらの“神話”に、皆が縛られているからではないのかと。ならば、それを打ち破って、苦しんでいる人を少しでも手助けできないかと考えたことがこの本の出発点です。
「浅い」は「深い」、ソーシャルネットワークのつながり
人間関係が「浅くていい」と正面を切って言われると、普通の人は面食らってしまうはずです。その理由について、もう少し詳しく教えてもらえますか。
確かに人とのつきあいは生きていく上で欠かせません。だから、昔ながらの人間関係に疑問を抱きつつ、僕も昔は飲みの席などに参加していました。ただ、当時と決定的に違うのがSNSの普及です。もはや人と人とがいつでもつながった状態になっているということです。見ようと思えば相手の顔や、個人の日記までみることができる。酒を飲まなくても日頃から深い付き合いができるわけです。
「~なう」とか言って、休みの日の行動までさらしてしまうあまり、月曜日に話すネタがないなんて笑い話も聞くようになりました。
年代が上の方ほど「ネットのつながりは浅いつながり」と言いますが、これ以上どうしろと逆に問い質したい(笑)。そう考えると、昔ながらの飲みニュケーションなんてもはや不要だと思いませんか?
「浅い」と言っても、昔からある年賀状だけの浅い付き合いとは質が違いますね。
ですよね。僕は七夕の織姫と彦星の話に良く例えるのですが、年に1度しか会えない二人の関係は果たして浅いのか、それとも深いのか。僕はむっちゃくちゃ深いと思うんです。二人には絶対に超能力があって、遠くの相手と会話したり、姿を見ていたりするはず(笑)。で、何が言いたいかといえば、実はSNSによって僕たちは二人と同様の力を手に入れたのではないのか、ということなんです。
なるほど(笑)でも、仕事相手とSNSでつながった場合、相手との距離が変に近くなりすぎて、困ってしまうことも十分に考えられますよね。ツールが増えていることはコミュニケーションにとって良いことであるには間違いないのですが、要は使い方次第ということでしょうか。とりわけ、相手との距離感には気をつけるべきかもしれませんね。
SNSはうまく使いこなせれば、自分にとって大きな武器になる。そのメリットを享受するためにも、とにかく経験を積むことが大切でしょうね。
経営陣の力が問われる"境界があいまい"な組織とは
言い換えると、人間関係は“浅い”と“深い”の両極端でなく、その中間部分があり、それを豊かにするテクノロジーが発達してきたということだと思うんです。遅かれ早かれ、従来の会社組織の概念は確実に薄らいでいくでしょう。会社の中と外という明確な線引きが消え、会社の理想への共感度合いに応じた、多様なメンバーの様々な働き方、例えるなら「グラデーション」のような組織に変わるはずです。
そうなりますよね。
日本の一流と呼ばれる企業はビジョンが魅力的です。例えるなら、社会という大きな広場で歌う創業者の歌が上手く、それに魅かれて多くの人が集まり組織となったようなものです。ただ、これまでは近くで一緒に歌ってくれる人ばかりを重視してきました。しかしよく見渡せば、ちょっと離れて聞いてくれている人もいるし、遠くの方で一緒に歌う人もいる。遠くにいた人が近くに来ることもあるし、逆に近くにいた人が家の都合で離れることもある。これがグラデーション型組織のイメージです。そんな距離感のある組織観を社外でお話しすると、経営側の方々は「それでは社員がきちんと働くか不安だ」とおっしゃる。横に座っている部下の行動を、正確に把握できている上司がどれだけいるか分からないにも関わらずです。要は経営側にスキルと覚悟が不足しているだけで、そのしわ寄せがすべて社員にいっているのが今の日本の企業組織だと思うんですね
その話を聞くと、日本の会社組織はサザエさんのサザエとカツオの関係にそっくりだなと。閉じ込めて勉強させようとしても、カツオはサザエをだます作戦しか考えず、全然勉強しないという(笑)。逆に山田さんの考える組織は、子供部屋ではなくリビングで勉強させる「リビング学習法式」と言えるでしょうか。リビングはテレビや出入りする人など子供にとって誘惑も多いものの、実はこちらの方が子供自身が主体的に勉強するので成績が良くなるのだとか。“成果”という面では後者の方が圧倒的に優れていますよね。
昔の考えでは長く働いた人が偉いと捉えられがちですが、私は社員の評価基準は成果が第一だと思うんです。そして、スマートフォンやクラウド、SNSの登場によって、以前なら実現しにくかった働き方ができるようになり、成果を評価軸にこれまでの組織を見直すことも可能になった。サイボウズでは社員のほか、派遣社員や外注さん、パートナーさんなど様々な方と共に働いています。普段、何をしているのかまでは知りませんが、それでも協力が得られ仕事をうまく回すことができています。では、なぜ世の中が“正社員”中心なのか。
確かに日本人は正社員への変なあこがれがありますよね。ただ、今が変革期ではないのでしょうか。日本経済は遅かれ早かれこれから確実に下り坂に入ります。そうした中、日本の強みであった製造業の力が落ち、IT企業の力が増していく。ただし、製造業が大量の雇用を生んでいたのに対し、新興のIT企業の従業員は数百人程度。当然、仕事にあぶれた人が数多く生まれるはずです。そうなれば、ワークシェアが今後、確実に広がるでしょうし、2つの会社に籍を置くような人も登場し、正社員へのこだわりも薄れるはずです。
入社も退社も、働く場所も時間も、関わり方で柔軟に変わる組織へ
そこでサイボウズでは、社員の副業を解禁しました。社員にはこれを好機と捉え、自分で飯を食える力をぜひ養ってもらいたい。もちろん、会社を辞めろとせっついているわけではありません(笑)。いつでも辞められる社員が「仕事が面白いからいてもいい」となるような魅力ある会社にするのが理想です。ただし、会社として与えられる仕事には自ずと限界もあります。社外に興味のある仕事があるのにチャレンジする機会を奪う、そういうことは避けたいという考えが当社の人事制度のベースにあります。だから、副業も許しますし、一度、退社をしても再び戻ってこられる「育自分休暇制度」といった制度も始めました。
社員を雇ったとしても、十分に仕事を与えられないことは往々にしてあります。その場合の社員の給料は、極言すれば会社として無駄な出費であり、社員がスキルを磨く機会も奪われていると言えます。しかし、副業が日本中で認められるようになり社員の自立が進めば、そうした不幸なミスマッチも防ぐこともできますね。
グラデーションは中心が無いと存在しませんから、「歌の上手い」人材発掘や育成にも力を入れないと成り立ちません。サイボウズの理念に共感しつつも、自分の力を試したいと思っている社員もできる限りバックアップしていきたい。場合によっては管理業務などをサイボウズでサポートすることで、独立したい社員が営業や開発に専念でき、独立しやすくなるような仕組みも考えています。このような、「理念に共感するメンバーを緩く束ねる新しい組織の仕組み」を私は「ソーシャルチームワーク」と呼んでいます。また、「ソーシャルチームワーク」を実現する人事制度の一環として、「ウルトラワーク」と呼んでいる制度を試験運用しています。仕事時間や働く場所も自分で決めるという制度です。フレックスタイムはサボリの温床のように見られがちです。また、業務内容を考えると、利用が難しいケースもあるでしょう。ただし運用を工夫することで、効率を上げ、クリエイティブな成果を上げられる方法を模索しようと考えています。
フリーということは、非常に不自由ということでもあります。すべて主体的に考えないといけませんからね。その点に気付けるかどうかが鍵になりそうです。
将来は「個人」や「家族」が会社の中心に?
その点にはまったく同意です。世の中のルールや制度にはなぜこういう決まりなのか、メンバーがわからないまま守っているものも少なくありません。私は一度完全にフリーにした上で、「これぐらいのルールがあったほうがお互い働きやすいよね」という線引きを社員みんなで考えていきたいと思っています。おちさんは、今後こうした「ソーシャルチームワーク」を実現する上において、何が大切になるとお考えですか。
やはり、メンバーに対する理解でしょう。もちろん、毎日の行動まで知る必要はまったくありませんが、チームとして仕事をするうえで、個々のスキルの把握も成果物の品質を高める重要な要素です。そして、ネットを使えば、書き込みなどからおおよそのスキルを類推することも可能なのです。
もしかすると、近い将来には、多くの人の集団である「会社」という組織は存在しなくなるかもしれませんね。個人、もしくは、家族の単位が「会社」という存在になり、その「会社達」が様々な理念や理想、目的や目標を自由に選択し、自分がしたい仕事を、自分の好きな場所で、自分の好きな時間だけするような、完全に個が中心となる働き方になるのかなとか。きっと「はじめ人間ギャートルズ」の時代は、そんな感じだったと思うので、まさに原点回帰というか原始人回帰ということかもしれませんね(笑)
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