海士町への移住で「都会の選択肢」をあきらめたら、迷いが減って人生の仲間が増えた──風と土と

自分がいる場所は、“ここ”ではないんじゃないか──。
都会に暮らしながらも、“ここではないどこか”、地方への移住が頭を過ぎることがあります。地方であれば、今ある違和感がなくなり、今はない充足感が得られるんじゃないか。
漠然と期待を膨らませる一方で、不安も拭えません。自分がこれまで培ってきたスキルを活かせる仕事があるのだろうか。キャリアダウンしてしまうのではないか、と。
「地方移住で得たものの代わりに、『あきらめたもの』はありますか?」
都会から地方へ移住した人にそんな問いを投げてみました。答えてくれたのは、島根県隠岐諸島の1つ、海士町の株式会社風と土と 阿部裕志さんと長島威年さん。
阿部さんは13年前の2008年に海士町で起業。長島さんは半年前の2020年夏に移住しました。お2人に、移住を決断した理由から伺っていきます。移住の決め手は「守るための強さ」を持ったその土地で暮らす人






阿部 裕志さん(ベック)。株式会社風と土と 代表取締役・1978年愛媛県生まれ。京都大学大学院にてチタン合金の研究で修士号を取得後、トヨタ自動車の生産技術エンジニアとして働くが、現代社会のあり方に疑問を抱き、2008年海士町に移住、起業。島のビジョン・戦略・プロジェクトを生み出す地域づくり事業、島外の企業や自治体、大学の研修を島で行う人材育成事業を行うほか、辺境の島から温かい関係性を高める叡智を広げる出版社「海士の風」を立ち上げ準備中。田んぼや畑、素潜り漁、神楽などローカルな活動を実践しつつ、イギリス・シューマッハカレッジやドラッカースクール・セルフマネジメントなどのエッセンスを活用した研修プログラムづくり、JICAと提携し海士町とブータンとの交流づくりなど、グローバルな視点も取り入れながら、持続可能な未来を切り拓いている。環境省・プラットフォームのあり方に関する検討ワーキング委員、海士町教育委員教育長代行、隠岐國商工会理事、AMAホールディングス株式会社取締役、一般社団法人ないものはないラボ共同代表を務める。平成26年度ふるさとづくり大賞総務大臣賞受賞。著書『僕たちは島で、未来を見ることにした(木楽舎)』


肩書きやスキルではなく、根底にある想いの部分で人として向き合ってくれる、この人たちといっしょにやっていけたらおもしろそうだと思ったんです。


1人勝ちするよりもみんなで幸せになりたいタイプの僕は、競争社会の中で「勝つための強さ」に磨きをかけることに、疑問を持ち始めていました。勝った先に何があるの? それって本当に社会をよくするための強さなの? って。
そんな中で出会った小さな島、海士町の人たちは、自分たちにできないことを認めて弱さをさらけ出したうえで、自分たちが大事なものを「守るための強さ」を持っている。


その姿が僕には美しかったし、本当の強さだと感じたし、その強さを自分も身につけたい、と思ったんですね。



長島 威年さん(カントク)。株式会社風と土と 取締役1983年、東京都生まれ。「学習する組織」に出会ったことがきっかけで人事領域に興味が湧き、パーソルホールディングスにて組織開発・人材開発に従事。2020年8月より海士町に移住。暮らしの中に社会課題があり、それを日々解決するこの島に次の時代に繋がる希望を見出している。13年間、続いている風と土とのバトンを受けつつ、次の世代にいい形でつなぎたい。



僕にとって海士町の人たちはナンバーワンではなく、オンリーワンでした。
自分が向かいたい道へ。新たなキャリアを築くための移住


京大の院を出てトヨタに入っていたので、そういう、世の中が評価するレールを踏み外したかったんです。



2007年当時、関心のあるサステイナビリティの動きが加速していたので、時間をかけて力をつけてからでは自分の出番はなくなるんじゃないか。
現場に飛び込んで、自分の汗と涙を流して得たものこそが、自分の居場所をつくることになるだろう。そういう思考で、すぐに海士町に行くことを決めたんです。


どうせなら今の環境と対極の、将来何が起きるか予想できない、予定不調和なほうがおもしろそうと思ったんです。
そうしたときに、挑戦と安定はセットじゃないと機能しないと思っていて。
ベックが13年間海士町で培ってきた地元の人たちの信頼は、僕にとって「安定」でした。海士町はよそ者を受け入れる風土があるので、溶け込みやすい安心感がありました。
「選択肢」をあきらめたからこそ、人との関係性が育まれた




ただ、選択肢がないことで得られるものもあって、その1つが人との関係性。たとえばいっしょに働く人も代わりがいないから、その人を生かす以外の選択肢がない。
仕事でも、地域行事でも、飲みの場でもいっしょになるから、相手の全人格に触れることができるんです。
なので、相手への解像度が高くなる。「好き嫌い」ではなく「この人はどんな環境が一番力を発揮しやすいのか」という見方を自然とするようになりました。







みんな、会話を遊びに転換するユーモアの達人なのでめちゃくちゃ話がうまいんですよ。話に尾ひれがつくこともあるけど、会話をしているだけでおもしろい。
移住を含めた自分だけの経験、人との信頼関係がキャリアになる


起業した当初、年収は3分の1になりました。でも、自分で旗を上げると決めて覚悟はしていたし、今は年収もちゃんと上がっています。
お金はあきらめたものの1つかもしれないけど、僕はカントクとは逆で「選択肢は増えた」と思っています。「トヨタを辞めて不安定で大変でしょ」とも言われるんですが、そんなことはなくて。


キャッシュフローが回らなくなったとしても、コツコツ信頼貯金を貯めてきたから、きっとカントクも僕も困らないって。
僕は海士町に来て、キャリアが高まったと感じているんです。


人とは違う経験をした人の周りには、おもしろい人が集まってくる。そういう意味では、移住自体もキャリアになると。

株主総会を海士町で実施した際の株主見送りシーン。海士町では見送る際に「海士町をホームだと思っていつでも帰ってきてね」というメッセージを込め、フェリーに乗船した見送り者と紙テープをつないでお見送りをする。

僕は経営もしてるけど、漁業権も持ってて漁もしているし、田んぼもしているし(笑)。


たしかに「この人といっしょに働きたい」という気持ちは、人間性や関係性の中に生まれるものでもありますね。

安定した収入を求めてお金持ちになることよりも、自分だけの経験をして、人との関係性を大事にしたほうがいいこともたくさんあるんですよ。
たとえば僕、ちょうど今首のヘルニアをやっちゃってこれから病院に行くんですが、人の紹介で頚椎(けいつい)治療の第一人者の先生に診てもらうことができる。こういうことってお金を払ってもできないことで。
お互いの人間性を知って信頼しているから「この人の頼みだったら受けよう」と思える。持ちつ持たれつの関係に支えられています。
地域で働くことへの不安を取り除くロールモデルになれるように


「風と土と」では「海士町で暮らす人々を知る」取り組みを不定期に実施。写真は海士町唯一の墓石を扱う石材店の現場見学と仕事について理解を深めるヒアリングした際のもの

でも、一歩踏み出すことができない不安や恐れがあるのも理解できる。
だからこそ、キャリアダウンしてしまうと思っていることへの不安に対して、ロールモデルが必要だと思っていて。
僕自身だけでなく、会社のメンバーも地域でおもしろい仕事をして、ちゃんと稼いで、経験値を積んでスキルを高められる。そういう会社を目指しています。

ただ1つだけ、家業を継ぐとかその土地から離れられない人の気持ちは汲み取り、その気持ちから自分を見た時に誠実な言動をすることは忘れない。
たとえ離れることがあったとしても、その後も続いていくような関係性が築けるのであれば、また別の地域へ移住してもいいんじゃないかな。

そんなことを以前話したら、地元の人に「嘘でもいいから一生この島にいると言って」と言っていただいたこともあります。その気持ちはほんと嬉しかったです。
会社としては、ほかのメンバーが都会や別の地域に移ったときにも引っ張りだこになるようなキャリア形成をしていきたいです。
島の人と外の人と、ともに現実を育んでいく


たとえば、出版事業を立ち上げるにあたり、英治出版さんとタッグを組ませてもらっています。

出版事業 第1冊目(2021年4月21日発売予定)『進化思考』の試作本と一緒に。創刊の著者はNOSIGNERの太刀川英輔さん。立ち上げに関しては元ハーバードビジネスレビュー編集長の岩佐文夫さんにもアドバイスをもらっていて、研修も早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授の入山章栄教授と開発を進めている


2020年の株主総会の様子。英治出版の原田英治さん、面白法人カヤックの柳澤大輔さん、元総務大臣補佐官の太田直樹さん、起業家仲間の鶴直人さんが出資して応援してくれている


外から新たな風を吹かせ、自分の中の風を感じながら、土という海士町の現実を育んでいきたいと思っているんです。
だから僕も、東京の大企業や霞ヶ関、地方、海士町と交流のあるブータンまで、積極的に外に出ますし、島外の人たちにも来てもらっています。


もちろんカントクをはじめ、会社のメンバーの存在も大きい。みんな仕事だけのつきあいというよりは、僕にとっては人生の仲間、という感じなんですよね。
信頼できる人たちとやりたいことに挑戦できているので、楽じゃないけど、楽しいです。
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