あのチームのコラボ術
流行語大賞の仕掛け人に聞く――賞金ゼロの国民的イベントが、30年間日本人を魅了する理由
年末恒例行事の1つとして、「ユーキャン新語・流行語大賞」(以下、流行語大賞)は外せないでしょう。
この大掛かりなイベントを仕切るのは、流行語大賞を生んだ本「現代用語の基礎知識」の清水均編集長をはじめ、編集部員4名、外部のイベント会社に所属する3名の計8名です。
大手イベント会社を頼らず30年近くこのイベントを仕切ってきた清水編集長が語る「なぜ日本の大衆は流行語大賞に惹き付けられるのか」「長きにわたってイベントを継続できた秘訣」とは。
その年の象徴的なまとめになる“お祭り”にしたい
サイボウズは毎年「11月26日(いいチームの日)」に「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー」という、その年のベストチームを表彰するアワードを協賛しています。今日はアワードの大先輩である「流行語大賞」のイベント仕掛人・清水さんに、アワードが始まった経緯やここまで愛されるイベントに育ったかを聞きたくてきました。
椋田
こちらこそよろしくお願いいたします。
流行語大賞が始まったきっかけを教えてください。
椋田
流行語大賞は、イベントありきで始まったわけではなく、毎年末に出版される「現代用語の基礎知識」が元になっています。この本は、第二次世界大戦終了後の1948年10月に創刊されました。それから毎年、新年版が年末に刊行されるものとして、今日に至っています。最初にこの本を作った創刊編集者が、その時代を象徴する言葉を厳選して事典というのか、とにかく1冊の本にまとめようとしたことは事実ですが、それを毎年リリースする「年刊」にした意図はわかっていません。もしかしたら、すでに「流行語大賞」の開催をもくろんでいたのかもしれませんね(笑)
イベントはいつスタートしたんですか?
椋田
1984年です。1980年代前半は「情報化社会」とか「ニューメディアの時代」と言われ、その流れで「イミダス」「知恵蔵」など、情報用語辞典が次々に発表されていく時代でした。自由国民社はそれより40年近く前に「現代用語の基礎知識」を出しているのですから、この分野では先駆けということになります。「情報化」が盛り上がりを見せ始めたころ、新聞社から年末に「この1年間の大事なことばベスト5を教えてください」という取材を受けるようになりました。はじめは個別に対応しながらポツポツ回答しているだけでしたが、これは公式に発表したら面白がってもらえるかなと思って。でも記者発表みたいな堅いことはガラじゃないので、“お祭り”(アワード)にしたんです。
ことばの発表だけじゃなくて、ことばにかかわる人物を表彰しているところが、流行語大賞の面白いところですよね。
椋田
そうなんです。ことばの発表だけじゃ堅苦しいし、楽しんでもらえる“お祭り”にはならないでしょう。だからそのことばを発した人物や、増幅した流行の当事者がイベントに集まったら、一般の方々に関心を持ってもらえるんじゃないかなと考えました。そうすれば、その年を象徴的にまとめる"行事"にできるのではないかと。
イベントが始まる前から、本の中では「流行語」の発表はされていたんですか?
椋田
ええ、もちろん。昭和20年代から流行語にページを割いています。この本は創刊当時からずっと、政治や経済と流行を同列に扱っている本なんです。
今や知る人はいないと言ってもいいほど知名度のある「流行語大賞」ですが、はじめから注目を浴びていたんでしょうか?
椋田
今でこそ多くのマスコミに取材にきていただきますが、始まった当初は全く(笑)。会場は閑散としていましたよ。そもそも私たちは、本を作ることしか知らない人間の集まりでしたからね。そんな私たちがイベントを思いついただけなので、無理のないことかもしれません。実際それほどたいそうな野心を抱いていたわけではなかったんです。
ただせっかく発表するのだから、翌朝には記事にしてほしいなとは思っていました。どうしたら各新聞が取り上げてくれるのだろうとずいぶん考えたものです。タッグを組んでいたイベント企画会社も、まだ発足したばかりの20代中心の会社で、一緒にあれこれと手さぐり状態だったんです。流行語大賞が始まって以来30年間、結局ほとんど同じメンバーでこのイベントを大きく膨らませてきました。もともと目標になるような理想のイベントがあったわけでもなく、与えられたイベントイメージもない。小さな活字の出版社と経験の浅い小さいイベント会社が、ああしたいこうしたいと素人感覚をぶつけ合って、少しづつ形ができていったというのが本当のところです。
それはすごい! まさに結束したチームなわけですね。ところで、流行語大賞が有名になった転機は何だったんですか?
椋田
ターニングポイントはスタートして10年後あたりでしょうか。田中眞紀子議員、それに当時の小渕総理、小泉総理と政界のメジャーな面々が次々ち参加してくれるようになったことは大きかった。ちなみに一番最初に参加してくれた政治家は、当時日本社会党の委員長を努めていた土井たか子さんです。エラい政治家の方々は当時、流行語のイベントに関心を持ってくれませんでした。その中でひとり土井さんは、庶民的な感覚を持ってられたのでしょう。政治のことばを広めることを熱心に考えておられました。土井さんが参加してくれたことで、思いがけないほど多くの取材申し込みがありました。
賞金は一切ナシ。お金ではない価値が、流行語大賞の魅力
流行語大賞が30年続いている理由は、どこにあるんでしょう?
椋田
「慎重にコツコツやること」と「お金ではない価値」ではないでしょうか。私たちの本業は、本をつくることです。本は後世に残るものですから、いくらお祭りといってもその年を代表することばは、慎重に選ばなくてはいけません。どんなに慎重に選んだとしても、いろいろな批判が多いのもよく承知しています。特に認知度が高くなってきたころから「流行ってないじゃないか」「政治的な意図を感じる」など、いろいろ言われ始めました。でもそうした批判が生まれるというのは、流行語大賞がそれだけ"相手にされている"ということでもあります。流行語大賞はそれ自体、商品じゃないですからね。別にこれが盛り上がったからといって、そこからお金が生まれるわけでもなければ、イベント主催者も儲かるわけではないんです(笑)。そういう意味では、ビジネスとは言いがたいかもしれません。でもここ数年、流行語大賞をとりたいと宣言する人がいたり、今年の大賞は何に決まるのだろうと楽しみにしてくれる人たちの存在を感じることが多くなって、その期待に応えたいという気持ちで毎年続けています。
もう1つ、「お金ではない価値」というのは?
椋田
さきほどお金を生み出していないと言いましたが、この賞は、受賞者に賞金がないんです。世の中にはあらゆるアワードがありますが、そのほとんどが賞金や賞品を用意しますよね。でも流行語大賞は、そういったものはありません。つまりこのイベントはお金をかけていないんです唯一実務的な例外として、きんさんぎんさんが受賞されたときは、名古屋までお迎えにあがりましたが、基本的にはお金をかけないアワードなんです。金銭ではないところに魅力を感じ、受賞者が参加したいと思ってくれて、その上で成立する流行語大賞。そこがこのアワードの支持される理由かもしれませんね。
大賞は、どんなスケジュールで決まるんですか?
椋田
一年を通して本の準備、編集をしているので、随時ことばの候補は蓄積されています。最終候補に向けた準備は、7月ごろから始めます。まずイベントに関わっているチームで集まり、それから審査委員会と呼ばれる著名人の方々に連絡をします。7月は一年の折り返し地点ですから、前半に流行ったことばが後半まで続くとは限りません。そのため「今年前半は、こんな動きがありました。引き続き注目してください」という状況をメールで伝え、順次候補を絞って行きます。それからチーム内で月1回の顔合わせを重ね、最終的にはアワード当日の3-4週間前に、審査委員会全員が集まり決定されます。
大賞は、すんなり決まるものなんでしょうか?
椋田
受賞語にふさわしいかどうかはいつも直前まで悩むところです。どちらかというと「今年は大賞と呼べるものが見つからない」と苦戦する年の方が多いですよ。ただ、「大賞語の該当なし」という年はありません。芥川賞とは違いますから。
これだけ注目を浴びている賞です。背負って立つ方としてのプレッシャーはありますか?
椋田
もちろんあります。だから本当に流行っているのか、自分の目で確かめて納得したものしか選んでいません。でも実は私自身、子どもの頃からあまり流行りに乗るのが得意じゃないんです(笑)。つまり、流行に縁遠い私のところにまで届いてくるような言葉は、それだけ世の中で流行っているということでもあるので、これは一つの大きなポイントになるでしょう。じっ~と待ってると、流行りモノたちがじわじわと集まって来るんですよ。流行というのは不思議なもので、誰かが流行らせようと無理をすると逆をいくものなんです。これまでオリンピック選手が発したことばから選ばれたものもいくつかありますが、北島康介選手の「チョー気持ちいい」にせよ、有森裕子選手の「自分で自分をほめたい」にせよ、すべて自然に発せられたことばだと思うんです。そういう自然なことばの方が、ひとの心に伝わりやすい。つまり流行りやすいという性質があるようです。
日本人の特性が支えている流行語大賞
そもそもどうして日本人は、流行が好きなんだと思いますか?
椋田
変な話ですけど、私はこのアワードが始まった30年前、流行語の時代なんて長くはないだろうと思ってました。流行は、経済が上向きで国民が一丸となっている時代だからこそ大衆に共有されるもので、時代が変われば終わりを迎えるだろうと思っていたんです。当時は、皆がまとまって1つの方向に行こうとしてた時代だから、「流行」が成立するんだと。 80年代以降、とりあえずの豊かさが浸透して、個人の興味や関心の対象がばらけ始め、1つのものに集中することは少なくなりましたよね。だからこの30年というのは、それ以前の30年に比べるとメガヒットの流行語が圧倒的に少ない。高度成長期や70年代とは打って変わって、流行語は少なくなっていると思います。しかしそんな時代なのに「流行語大賞」への注目度は衰えるどころか、余計に熱くなってる気さえします。おかしな言い方ですが、「流行語」よりも「流行語大賞」が流行っている。そんなことを実感することがあります。世の中が「流行語」を欲しがっている。大衆のなかに、流行に対する強い憧れがあるように思えますね。
流行を意識する国民性ということでしょうか?
椋田
自分は流行に乗れなくてもいいから、今世間で何がブームになっているのかチェックするのが好きなんでしょうね。そのうえで何かしらツツいたりツッコんだりできるネタ(流行)を欲しているのが、日本人の特徴なのかもしれません。
だから流行語大賞にも、国民の関心が寄せられると。
椋田
そういうことかもしれません。流行語大賞って「突っこみどころ満載」がいいところなんですよ。誰でも参加できるんです。誰が見ても文句言えないような立派な賞だったら、みんなそっぽ向いてしまうはずです。突っこみ要素があるから、話題にされやすいんです。「賞」と名が付いていても、広い意味でのエンターテイメントなんですから、権威よりも愛嬌が大事。多少の「かわいげ」がないと、イベントは長く支持されないのかもしれないですね。
とても分かりやすいお話をありがとうございました。今年の流行語大賞の発表も楽しみにしています!
椋田
写真撮影 :橋本 直己
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