「GNUは衰退しました」「自由都市としてのフリーソフトウェア」、あるいは「『ハッカーはクラッカーじゃない。』の30年」──GNUについて知るワークショップ

GNUプロジェクト30周年を記念して、MIT(マサチューセッツ工科大学)で2013年9月28日から29日にかけて(米国時間、27日には前夜祭も)、「GNU 30th anniversary celebration and hackathon」が開催された。

関連して、世界各地でも記念イベントが開かれた。日本でも、FSIJ(特定非営利活動法人フリーソフトウェアイニシアティブ)により、「GNUプロジェクトについて知るワークショップ」が9月29日に開催された。

写真:「GNUプロジェクトについて知るワークショップ」の会場風景

世界各地で開催されたGNU 30周年記念イベントの1つとしてFSIJが主催した「GNUプロジェクトについて知るワークショップ」。20人弱の小規模なワークショップながら歴史を語るにふさわしい「濃い」面々が顔を揃えた。

「GNUって何?」という方も、以前の記事「GNUプロジェクト30周年──すべてはここから始まった」を読んでいただくと、GNUプロジェクトやその中心人物であるRichard Stallman(リチャード・ストールマン)氏について分かっていただけると思う。GNUプロジェクトとその団体であるFSF(Free Software Foundation)は、ソフトウェア面では、コンパイラやライブラリ、シェル、各種ツールなど、UNIX互換システムを次々と開発した。Linuxディストリビューションのことを「GNU/Linux」と表記することがあるのも、Linuxカーネルの上にGNUのソフトウェアが乗っている様子を示したものだ。

GNUプロジェクトにおいてソフトウェア自体と同じく(あるいはそれ以上に)重視されているのが、自由ソフトウエア運動(フリーソフトウェア運動)だ。これは、Stallman氏が守ろうとした「ハッカー倫理」がベースになっており、ソフトウェアのコピーや改変を制限することを禁止するという考えは、GPLライセンスに如実に現れている。「オープンソース」も、フリーソフトウェア運動の考え方を実務的な形でまとめたものといえる。なお、Stallman氏は、9月28日付でWired誌に「Why Free Software Is More Important Now Than Ever Before」と題して、SaaSやプロプライエタリなソフトウェアは、ユーザーをスパイしたり攻撃したりする可能性があり、フリーソフトウェアであればユーザーがコントロールできるという主張を投稿している。

FSIJによるワークショップでも、歴史や成果を中心とした話と同時に、GNUプロジェクトの思想や社会的な面についても語られた。ここでは、この2つの面を中心にイベントをレポートする。

1983年のStallman氏の戦い

写真:「ハッカーは、クラッカーじゃない。」の30年について語った、 山根信二氏。

山根信二氏は「ハッカーは、クラッカーじゃない。」の30年について発表。
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GNUの活動の歴史という面では、山根信二氏が「Hackers in 1983: 30 years review」と題して、GNUプロジェクトがスタートした当時の「ハッカー」の状況を解説したセッションが興味深かった。

山根信二氏は最初に、1983年当時、民族衣装を着て踊るStallman氏の写真(若い!)を見せた。この写真は雑誌に「ハッカーの姿」として紹介されたもので、山根氏は、「なぜこのような写真が雑誌に載ったか」の背景を説明した。

1983年は、映画「ウォーゲーム」の公開や、クラッカー集団「414」の逮捕といった事件があった年だ。この年に、UNIXを開発したKen Thompson(ケン・トンプソン)氏がACM(Association for Computing Machinery、米国計算機学会)のチューリング賞を受賞し、講演で「ハッカーに立ち向かわなければならない」(ここでのハッカーはコンピュータ犯罪者の意味)と発言した。これを受けてACMが会誌でコンピュータ犯罪者の意味でのハッカーについて連載し、Newsweekなどでもハッカーの特集が載るようになったという。

そのときにNewsweekに載ったのが、踊るStallman氏と、氏の自由を求める発言だ。結果としてStallman氏がACMにたてついているような形となり、Stallman氏も直接ACMの会誌に投稿して反論。「そもそもハッカーとはクリエイティブな人のことである」と賛同人リストを添えて主張したという。

このACMとの論争のあと、1983年にハッカーコミュニティのジャーゴン(Jargon、いわゆる業界用語)集「Hacker's Dictionary 1st edition」が書籍として出版され、1984年にはSteven Levy(スティーブン・レヴィ)氏がハッカー文化を取材したノンフィクション「Hackers」が登場して、ハッカー文化が知られるようになった。

こうした時代について山根氏は「1983年はハッカーが変な意味で注目された年で、1984年はそれに対するハッカー側からの反論の年。そのさきがけがStallmanであり、激動の時代だった」とまとめた。

g新部裕氏は、GNUプロジェクトのサイト掲載用に「GNU宣言」を新しく翻訳したことを発表した。GNU宣言はいままでいくつかの日本語訳があり、書籍「フリーソフトウェアと自由」に載っているプロの翻訳者による訳がクオリティが高いという。しかしそれは、商業出版された訳文であり、FSFで定めている「自由ソフトウェア」という用語を使うなどの変更を加えて利用できないため、今回の30周年に合わせて新しく訳したという。

氏は、1980年代の訳と現在を比較して「隔世の感がある」と感想を述べた。「Free」という単語は今でこそ「自由」と「無料」が意識して使い分けられているが、当時は翻訳でも原文でも明確に分かれていなかったという。g新部氏は「GNU宣言を読み返すと、当時のStallmanの心の叫びを感じる」と語った。

g新部氏からはそのほか、「1990年代に日本でのイベントで一人ぽつんとブースを出していたStallmanを見たのがきっかけでFSIJを作った」といったFSIJの歴史や、「『GNU』の発音は『グヌー』が近い」といった話も語られた。

写真:「GCCプロジェクト史」というテーマで発表する、小島 一元氏。

GCCのメンテナを務めていたこともある小島一元氏は、「GCCプロジェクト史」というテーマで発表。
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GCC(GNU Compiler Collection)のメンテナの一人である小島一元氏はGCCプロジェクトの歴史を紹介した。GCCは、1985年にStallman氏が最初に開発(当時はGNU C Compiler)して以来、何度も内部が再構成され、アーキテクチャやコントリビュータなどを増やして成長してきた。特に大きな出来事が、1990年代後半にGCCからEGCSがフォークし、さらに本家がEGCSベースになったことだ。小島氏は、このときにコントリビュータ数も等比級数的に増えたこと、現在では落ちついて等差級数的な伸びとなり定期的なリリースを実現していることなどを紹介した。

写真:「技術的希望リスト、過去、現在」と題して発表する、引地信之氏。

日本人として初めてFSFで活動した引地信之氏は、当時の思い出も交えながら、「技術的希望リスト、過去、現在」と題して発表。
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1990年代初頭に日本でGNUプロジェクトを積極的に紹介し、実際にプログラマとして派遣されてFSFで作業した経験も持つ引地信之氏は、昔と今の「hack value」(ハックの価値)が高い技術課題をリストアップした。自身の歴史としては、TECOをベースにしたスクリーンエディタ(初代EMACS)に関する論文でStallman氏の名前を知ったことや、複数のターゲットを想定したCコンパイラを考えていたらGCCで実現されたことを紹介。「GNU時代以降」のテーマとしては、GCCやEmacsをC++できれいに書き直すことや、Emacs LispをSchemeベースで作り直すこと、Emacsのマルチスレッド対応、ソフトウェア単位ではなくOS全体での最適化機能などを挙げてみせた。

GNUプロジェクトの歴史の面についてはそのほか、tech@サイボウズ式編集部の風穴江氏が、「Super ASCII」誌や「Linux Japan」誌でのGNUやStallman氏に関するエピソードを語った。第1回LinuxWorld Expoのパネルディスカッションで、「伽藍とバザール」の著者であるEric Raymond(エリック・レイモンド)氏がStallman氏へのリスペクトを語り、会場中でスタンディングオベーションが起こったエピソードなども紹介された。

GNUの使命は達成された?

社会的・思想的な面での発表としては、八田真行氏による「GNUは衰退しました」というライトノベルをもじったタイトルのセッションがあった。

八田氏は、UNIX互換OSを作るというGNUプロジェクトの技術的な目的はすでにほぼ達成されたとし、FSFが「悪の帝国」としていたMicrosoftの力が衰えてAppleやGoogleなどのほうが帝国となってきたと述べ、国家による通信監視やDRMなどの問題などについて「GNUはこういう方向に力を入れた方がいい」と主張した。

すずきひろのぶ氏は、Edward Snowden(エドワード・スノーデン)氏によって暴露された米NSAの通信監視網「PRISM」や関連する問題について論じ、「フリーソフトウェアは技術ではなく、『どういう態度をとるか』というアチチュード。プライバシーについて技術者として考えていくことが重要」と論じた。

なお、今回のMITでのイベントでも、米政府による通信監視網「PRISM」からプライバシーをいかに守るかがテーマのひとつとなっているという。

写真:「歴史のメタファを考える」と題して発表する、 岸田孝一氏。

最初期からの、GNUプロジェクト支援者として知られる岸田孝一氏は「歴史のメタファを考える」というテーマで講演。
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岸田孝一氏は、アジアの歴史とのメタファーで、フリーソフトウェア運動やハッカーについて語った。モンゴル帝国を、出入り自由な都市を道でつないだ「ユーラシア大陸を覆うネットワーク」「ユーラシア大陸をひとつの海にした」ととらえ、フリーソフトウェアをインターネットという道の上の航海者、反逆者として論じた。

そのほか、技術的なセッションや、自由ソフトウェア運動についてのパネルディスカッションなども行なわれた。

最後に、世界中のGNUプロジェクト30周年企画の一環として、参加者が集まって6秒間のビデオが撮影された。この映像は、FSFの30周年企画のページで公開される予定だ。(了)


変更履歴:
2013年10月10日(木):引地信之さんご本人から「勤務」という表現は正確ではないとのご指摘を頂き、より実際に近い表現ということで、「FSFでの勤務の経験」を「実際にプログラマとして派遣されてFSFで作業した経験」に変更しました。引地さん、ありがとうございました。

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