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数学は最善世界の夢を見るか?――techな人にお勧めする「意外」な一冊(5)
tech@サイボウズ式のアドベントカレンダー企画、techな人にお勧めする「意外」な一冊の第5回は、サイボウズ・ラボの川合 秀実さんです。川合さんとは、オープンソースカンファレンスで初めて会いました。調べてみたら、2005年の北海道でした。あのとき、Rubyのまつもとさんほか、みんなで連れだってジンギスカンを食べに行った記憶があります。(編集部・風穴)
文:川合 秀実
いきなりですが、読者のみなさんは物理学の「最小作用の原理」をご存知でしょうか。きっとご存知ないですよね。もし知っていたら、私の以下の話は蛇足でしかないので、読み飛ばして書名やAmazonの書評を見て、読むかどうか決めちゃってください。
最小作用の原理について
私は物理学が大好きです。大学、大学院でも物理学を専攻していました(情報科学ではなく)。
ニュートン力学では、F=maという式があって、これさえ前提として認めてしまえば、他の様々な法則を導くことができます。つまりこれさえあれば万事OKで、これを使って解けない問題は、何を使っても解けないということです。
私は高校生の時、エネルギー保存則を理解して、これはすごいと感心した思い出があります。エネルギー保存則を使うと、「このボールがこの高さまで上がることは絶対にない」みたいなことを簡単に確認できます。もしこの法則が無かったら、私はF=maを出発点にしてひたすらにそのボールの運動を求めて(tの関数として解いて)、そのすべての時刻でボールがその高さに達していないことを確認するしかなかったでしょう。……しかしエネルギー保存則を使えば、方程式を解く必要は全くなく、易しい計算だけで判断できてしまうのです。
もちろんエネルギー保存則を使った方法では、「ボールがその地点に行くかもしれないかどうか」が分かるだけで、「本当に行くのかどうか、行くとしたら何時何分なのか」ということは分かりません。それを知るには結局F=maの運動方程式を解くしかないです。だから結局F=maが最強なことに変わりはありません。それにそもそもエネルギー保存則そのものもF=maから容易に導出できる法則でしかありません。……そうであっても、私はエネルギー保存則が本当に便利だと感じて、これを思いついた人は本当に頭がいいなと感心しました。
ちなみにエネルギー保存則は中学校の教科書にもちょっとだけ書いてあったことが後に分かったのですが、中学生の時には私はありがたみが全然分かっていませんでした。出来のよくない学生ですみません!
大学に入ると解析力学の授業があって、そこで最小作用の原理を習いました。最小作用の原理を簡単に言うとこんな感じです。
- 運動エネルギーから位置エネルギーを引いた値を「ラグランジュアン」という。これはエネルギーの次元をもつが、もちろんエネルギーとは別物なのでこれ自体が保存量になったりはしない。
- ラグランジュアンを、想定している時刻t0からt1まで時間積分したものが「作用」。この作用そのものは(とりあえず)よく分からない物理量で、何を意味しているかはとりあえず保留。そもそもラグランジュアンの値の物理的な意味もよく分からない。
- さて、時刻t0の時点でボールがある位置にあって、これが時刻t1になったら、どこかへ移動しているとする。その際にはきっと途中にいろいろなところを通るだろう。もしF=maの運動方程式を使わなかったら、どんな経路を通るのかもちろんさっぱり分からない。しかし、なんと、F=maを直接使わずとも正しい経路を求める方法がある。正しい経路では作用の量が最小になっているのだ。だからすべての経路を想定して、その経路をとったときの作用を計算し、最小なものを選べば、F=maは使わなくても運動方程式の解が求められる。
- この最小作用の原理そのものも、結局はF=maから導くことができる。そして最小作用の原理を出発点にして式変形をしていっても、F=maを導くことができる。つまりこれらは同じくらい重要、というか同等なのだ。
神様がこの世界を作った、そしてこの世界はきっと神様にとっては最善に違いない、という哲学的思想があります。さて、では神様にとっての「最善」とはなんなのでしょうか。この哲学的思想と、最小作用の法則を組み合わせて、「神様にとって最善なのは作用(という謎の量)をできるだけ小さくすることなのだ」と考えた人たちがかつていました。
この考えの面白いところは、なぜF=maが成り立つのかという説明がついにできるということです。神様はなぜか作用がお嫌いで、これを最小にしたいのです。そしてそのためにF=maを成り立たせる必要があったのです。
ボールが放物線を描いて飛ぶのは、ボールがいろいろな飛び方のすべてを瞬時に計算、比較して、最終的に作用が一番小さくなるコースを選んで、その通りに進んでいるからなのです。
私はこの考え方が面白くて、すごくわくわくしました。「作用すごい!」って何度も思いました。この作用という量が何を意味するのかと一生懸命に考えたこともありました。
実際は、作用は必ず最小化されているわけではなくて、最大化されたり、極値を取ったり、場合によっては極値ですらない停留点でしかないこともあります。結局は微分がゼロだというだけです。
私はそれが分かって(これは私が発見したのではなく、学校で習ったことです)、なんだ作用って結局はF=maの式変形程度のことでしかなくて、深い意味も幅広い応用もなさそうだなと思いました。……しかしそれでも、今でも最小作用の原理は好きです。
さてやっと前提の紹介はおしまいです。ここからが本題です。
「数学は最善世界の夢を見るか?
──最小作用の原理から最適化理論へ」について
この本では、この最小作用の原理の数学的な発展が書かれています。最小作用の原理はもう「終わった」分野だと勝手に思っていたので、まさかこんな発展があるなんて知りませんでした。これを読んだら、「最小作用の原理はただの式変形」だなんて思えなくなりました。いややはり式変形ではありますが、それはエネルギー保存の法則くらいに有意義な式変形だったのです。なおこの本は基本的に古典力学の本です。量子力学の話は出てきません。
この本を最初書店で見つけた時には、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というタイトルが頭に浮かび、にやりとしながら手に取りました。しかし中身はSFとは全く関係のない、あまり一般的ではない専門書です。まあ数式がたくさん出てくるような本ではありませんが、しかし誰でも平易に読める内容ではないです。
しかし「ファインマン物理学」や「EMANの物理学」とかが大好きな私にとっては、非常に楽しめる本でした。2013年に読んだ本の中ではナンバーワンです。だから私のような趣味の人にはお勧めです。すごくお勧めです。そんな人はここの読者にはあまりいなさそうですが……。
翻訳の質も非常に高くて、イライラさせられることは全くありませんでした。
さてこの紹介の何が意外なのかですが、まさかここでこんな本を勧める人はいないだろうという意味で意外かなと自負しています。
それに私は「最小」というキーワードが好きなのです。プログラムを小さく作ることは私の特技で、ライフワークでもありますから。……おっとそういう意味では、意外ではなかったかもしれないですね(笑)。(了)
川合 秀実さんのプロフィール:
サイボウズ・ラボ株式会社の社員。「30日でできる! OS自作入門」の著者。OSASK計画代表。OSECPU-VMの中心的開発者。プログラムの高速化、コードゴルフ、OS自作、データ圧縮に関心がある。
この記事(書籍の表紙画像を除く)を、以下のライセンスで提供します:CC-BY-SA
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