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「ガラテイア2.2」──techな人にお勧めする「意外」な一冊(10)
tech@サイボウズ式のアドベントカレンダー企画、techな人にお勧めする「意外」な一冊の10日目。小泉 真由子さんのお勧めは「ガラテイア2.2」(リチャード・パワーズ、みすず書房)です。小泉さんは、翔泳社の編集者。他社の現役編集者が、他メディアに記事を執筆するというのは、あまり例がないと思いますが、そんな私の無茶振りにも快く引き受けていただきました(上司として許可してくださった岩切さん、ありがとうございます!)。(編集部・風穴)
文:小泉 真由子
私からは、リチャード・パワーズさんの「ガラティア2.2」をお勧めしたいと思います。
「ガラティア2.2」はSFと主流文学のあいのこのような小説です。SFっぽいんですがいわゆるSFかといえば、そうでもない。主流文学のわりには、ITことインフォメーション・テクノロジーにまつわる記述が多すぎる……。
主流文学の世界でITが取り上げられることはめったにありません。
なんといっても最近のものですしね、IT。技術的な話って、なんだかよくわかんないですしね。将来的にどうなるかはわかりませんが、現時点では、どうも普遍性に欠ける感が否めないですよね。文学のテーマとしては。
幸い、最新テクノロジーの世界をフィクションで堪能したいひとには、ハードSFという、とっても勢いのあるジャンルがあります。何も小説読まなくても、漫画も映画もありますしね。
でもね、ITと主流文学、もうちょっと絡んでほしいですよね。大江健三郎だって「ファクス」(ファクシミリ)じゃなくて「eメイル」を使うような時代ですよ!(ファクスもまだ使っているらしい)
もっとも、主流文学が全部、テッキーになってしまったら、それはそれで気持ちが悪いので、とりあえずリチャード・パワーズを読めばいいじゃない、と思った次第なのであります。
「ガラティア2.2」は、作者リチャード・パワーズの分身であるところの主人公「リチャード・パワーズ」がエキセントリックな教授らとともに「ヘレン」という人工知能に英文学などを読み聞かせ(読み聞かせ!)したりする小説です。おおざっぱですみません。時代的には、大学でインターネットが使える、くらいの時期でしょうか。パワーズは、大学の客員研究員です。で、このメインのストーリーと併行して、リチャード・パワーズのこれまでの人生(主に恋愛面での)が回想されます。いわゆる「文系」と「理系」をあっちこっちしているうちになんだかこんぐらかってしまったひとのこじらせ一人称がえんえんと続きます。
いいですか、決して読みやすい文章ではありませんよ。ハードSFの難解さ(=専門的な話がよくわからない)と、ポストモダン文学の難解さ(=なんの話かよくわからない)、そしてこれは後述しますが、中二病特有の難解さ(=ねちねちしていてよくわからない)が良い加減、あるいは悪い具合に入り混じった文章は、ハードSFをばりばり読みこなす者も、前衛的な文学を読み解く者も、中二病も、ひとしく翻弄してゆきます。
ちょっとだけ引用してみましょう。
ウェブというものは新たな近隣であり、従来の近隣よりも能率的に孤独だ。その孤独感はいっそう大きくて速い。とどまるところを知らない知性がついにその計画を完了し、とうとう最後の一人となった、裸足の虐待されていた子供が、端末のドロップボックスでオンラインに結ばれ、誰もが生きている他の誰もに対してすぐに何か話しかけられるようになったとしても、僕たちはまだお互いに何もいうことがないし、それを言わずにすませる方法もまだたくさんあるんじゃないだろうか。でも僕はログオフできなかった。
どうですか。この、すごくわかるような、ぜんぜんわからないような、青臭い文章は。
ウェブというものは新たな近隣であり、従来の近隣よりも能率的に孤独
のあたりは、文学的な表現ですよね、嫌いじゃないです。青臭いですけど。
でも、
とどまるところを知らない知性がついにその計画を完了し、とうとう最後の一人となった、裸足の虐待されていた子供が、端末のドロップボックスでオンラインに結ばれ
このあたりからちょっとついていけなくなります。
計画が完了…? 最後の一人となった、裸足の……だれ?
でもやっぱり、
僕たちはまだお互いに何もいうことがないし、それを言わずにすませる方法もまだたくさんあるんじゃないだろうか。
なんてあたりはグっとくるし、私もそう思います。青臭いですけど。うんうん、わかるわかる。わかるのですが、でもやっぱり、全体的にまどろっこしいというか、「で、何の話してたんだっけ……?」と言いたくもなってきて。
でもやっぱり、
でも僕はログオフできなかった。
うんうん、わかる。私もログオフできないよ~。
ってな具合にですね、「うんうん、わかるわかる」と「で、何の話してたんだっけ」と「青臭っ」の間をユ~ラユラと揺れることでもたらされる、船酔いにも似た感覚がこの小説のだいご味なのであります。
なので、なんだかよくわからない部分を深追いする必要はありません。
サブシステムの幾何配列が深層構造を作り出しているのだろうか?
などと問われたからといって、パワーズと一緒にグジュグジュとその答えを考える必要はありません。そのまま読み進めていただいてかまいません。
あるいはまた、もしまかりまちがって、人工知能に関するパワーズの技術的苦悩を理解するだけでなく共感すら覚えてしまった奇特な方がいたとして、パワーズと共に人工知能実現への道程に思いをはせていたところに、唐突にパワーズがその身をひるがえして、
列車を思い描いてほしい、その繰り返しだけをたよりに僕は生きた。
などと、なにやら不可解なことを言い出しても、うろたえることはありません。そのまま読み進めていただいてかまいません。
「ワーもう我慢できない!」というポイント、ぎりぎりのところで比較的マイルドな女との思い出話などが出てくるので我慢して読み進めてみてください。
でもねえ、この、比較的マイルドな女との思い出話の部分っていうのが、中二病臭ぷんぷんなんですよね。お好きな方にはいいかと思います。が、基本、不機嫌な中年女であるところの私には、この部分がいちばん読むのがつらかったです。まあ、でも、なんかそういう要素も入っているということで。
そんな「ガラティア2.2」ですが、テクノロジーサイドの共感を得ることにも、文学サイドの共感を得ることにも成功したとは言い難く、パワーズの著作の中ではあんまり評判がよくないです。とりわけ、テクノロジーにも文学にも造詣が深い猛者にはクソミソにけなされていたりします。
でも私はなんとなく好きなんですよね。モヤモヤっとするんですけど、そのモヤモヤを大事にしたい。いやそれほどでもない。でも、まあ、好きなんです。
私がとんちんかんにも共感してしまったのは、人工知能のヘレン。このヘレンはね、いろいろとね、パワーズにインプットされて大変なことになってしまうんです。ネタバレ自粛(実は半分以上忘れている)で、どうなるのかは書きませんけど、とにかく、共感してしまったんですね。
インターネットを始めるようになってから、何が変わったってテキストとのかかわり方ですよ。言葉を覚えて以来、テキストと私といえば、本を読んだり、原稿を読んだり書いたりいじくったり、誰かに宛てて、あるいは宛てのない手紙をしたためるような、静謐でおだやかな関係だったのに。ああ、それなのに、ウェブブラウジング。
ウェブブラウジングという名の……えーと、えーと、なんなんですかあれは。読書でも立ち読みでもない、覗き見るでもないあの行為。記事を読むでしょう。記事は読まずにタイトルだけ読んだりするでしょう。読まなくても目に入ってくるでしょう。コメントだけ読むでしょう。ツイートを読むでしょう。読みたくもないものを読んで、勝手に腹立てて、なんか書いたりするでしょう。細切れのテキストだけどんどんインプットしていくでしょう。インプットしたという以上の理由もないまま、浅はかにアウトプットするでしょう。それすらもただただ、流れて、忘れて、また思い出して、腹を立て。SNSについては、私はもう、なにも言いたくありません。私はもう、ガクッとうなだれて「いいね!」を押すことくらいしかできません。
そうしてこうして新たなテキストとの関係が生じ、新たな、と言いつつ、もう10年以上の時が過ぎてしまいました。無邪気にテキストをむさぼり、だらしなくテキストとたわむれ、インプットを蓄積し続けた結果、わたくしの内面およびアウトプットはいま、いったい、どういうことになっているのか。「それ」がなかったときに比べて、どう変わってしまったのか、それともあんまり変わっていないのか──考えると恐ろしさのあまり、なんだかとっても眠くなってきます。あるいは、この10年、インターネットの代わりに、パワーズに英文学その他をインプット(読み聞かせ)されていたのだとしたら……?(ぜったいにイヤ)
そう思うとやっぱり、ヘレンはかわいそうだなあ。同情の念をぬぐいきれません。
そんなくだらないことをあれこれと考えながら、「Garbage in, garbage out」というやつを思い出したりするのです。GIGOは、コンピューターに限った話ではない。おお、こわい。自発的に、快適なウェブブラウジングライフを満喫しているつもりが、実はこの世とは違うレイヤーの誰かに(あるいは何かに)、なんらかの検証をされているだけではないだろうか。そんな風に勘ぐってしまうのは、何も私がバカSF脳だからではないのです。
そして、このような人間とテキストの関係性の変容が全世界的に起きている以上、やはり、ジャーナリズムや人文学的なアプローチだけでなく、主流文学の世界でも、こうした現象についてちょっとは何か語られてほしい、と思うのです。文学の言葉で語られたテクノロジー。それは、わたしたちのテクノロジー観に奥行きを与えてくれるはずです。
なにもパワーズほどややこしくなくてもいいとは思うのですが。中二病だし。でも、他にこういう小説があまりないので、ついつい「ガラティア2.2」を手に取っては、ページをめくって拾い読みをしてしまうのです。(了)
小泉 真由子さんのプロフィール:
1975年9月2日生まれ。情報セキュリティ専門誌編集を経て、2006年翔泳社に入社。エンタープライズITをテーマにイベント・ウェブコンテンツなどの企画制作を担当。最近はもっぱらDB Online担当。著書に「クラウドおかあさん」。
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