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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第12回:フォーミュラ0.5
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第12回。今回のお題は「フォーミュラ0.5」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
与えられた(主に時間に関する)資源制約の中でアイデアを出す。最近流行りのハッカソンはまさにそれだ。ハッカソンという言葉はご存知のようにHackとMarathonを混ぜた新語で、1999年ごろから使われたらしい。
しかし、新しい発想やデザインを出し合うアイデアコンテストはもっと昔から行われている。私の記憶で印象に残っているのは、ホンダの社内運動会の仮装行列でエンジンのついた奇妙な乗り物を見た本田宗一郎社長が「これは面白い。これこそホンダの夢と頭の運動会だ」と言ったのがきっかけになって1970年に始まった「オール・ホンダ・アイディア・コンテスト」である。バブル崩壊まで20年余り続いたという。テレビのニュースであまり役に立ちそうにない珍妙な作品が紹介されていたのを見たことがある。
社内運動会は高度成長期には普通のものだったが、その後低迷してしまったという。しかし、最近また復活しつつあるらしい。日経の記事によると、非日常的なイベントを通じて生活経験を共有することで、集団がまとまりやすくなる効果があるのだそうだ。
私が日本電信電話公社の武蔵野研究所基礎研究部に入ったのは1971年。その年の秋の運動会で部対抗のマスゲームの基礎研究部の企画が、新入社員である私に任されることになった。どうも、入社面接でアホなことばかり言っていた(※1)のを「奇想天外」と誤解(?)した当時の部長の差し金だったらしい。ホンダの社内運動会の仮装行列のことは当時知らなかったが、基礎研究部の企画はサーカス団仮装行列と決めた。部長とか室長といった偉い方々が仮装することを条件にしたような記憶がある。研究所幹部も知っている人の別の姿を見せれば高得点が狙えるという計算もあった。この総合企画のもとで研究部の各研究室がそれぞれ独自の仮装の企画競争をすることになった。仮装行列での私の役目は、サーカス団の呼び子である(写真1)。
当時の基礎研究部には8つの研究室があったが、私の所属していた第一研究室はコンピュータの研究。そのほかは、超電導、ミリ波導波管、光通信、音声処理、電子交換、半導体、新機能素子などなど、まるで異分野の研究室ばかり。お互いに何をやっているのかがあまり通じ合わないゴタ混ぜの研究部である。だから、部内での企画競争となると一層熱が入る。家族の協力どころか、業務時間に食い込んでいなかったとは思えない力作の仮装の、文字どおりのオンパレード。結局、サーカス団仮装行列は部対抗のレベルで見事というか、想定通り優勝に輝いた。
当時、基礎研究部では福利厚生の一環として、春と秋に部内のレクリエーション大会が行われていた。企画は研究室の持回りだったが、ソフトボール大会とか、ボーリング大会になることがほとんどだった。日頃、頭を使って研究しているのだから、たまに軽く体を動かすのは悪いことではない。しかし、私はそのセオリーを超えることを考えてしまった。
私が所属していた第一研究室がレクの当番研究室になったのは、私が入社して2年目の秋である。こういうのは新入りにやらせるという習慣により、私が企画担当者になった。ボーリングが苦手だった私が考えたのが「フォーミュラ0.5」である。当時は違う名前だったと思うが、企画の文書記録がもう何も残っていない。何しろ、書類は重たい感光紙への湿式コピーという時代だ。ただ、大会の様子を撮影した写真と採点記録のアルバムが残っていた。写真はすでにかなり褪色していてピンぼけなので見にくいのをお許しいただきたいが、当時の雰囲気は伝わってくる。
フォーミュラ0.5は、与えられた材料のみを使うという制約で最も高性能な車両を作れという競技である、与えた材料の詳細な記録は残っていないが、アルバムを見ると、ゴム動力で飛ぶ、いわゆるライトプレーンのキット(プロペラ、長いゴム紐、細い角材、羽根を作るためのバルサ材、竹ひご、薄い紙など)、模型用モータ、ギヤボックス、ゼンマイボックス、スプリングベルト、ゴムタイヤの車輪3個、電池、円柱形の空き缶、ゴム栓、ゴムチューブ、厚紙、糸、ピアノ線、針金、電線、ネジ類、接着剤などの雑多な部材の一式である。この材料制約は厳格で、アルバムの記録を見ると、ビス2本が支給外部品であったため、減点されたチームがある。何しろ、競技会前の第一次車検、走行直後の第二次車検と、ドーピング検査並みに厳しいチェックが行われた(写真2、写真3)。もちろん電池も支給品なので、実験走行等では別の電池を使わないといけない。競技当日まで、各研究室、秘密裡に開発を進めていたので、第1回車検のとき「なにー、そういうやり方があったのかあ!」といった盛り上がりがあった。
競技会場は、いまでもNTTの武蔵野研究開発センターにある8号館と9号館の間の35メートルほどの渡り廊下である(写真4)。幅は約2.8メートル。リノリウム貼りのツルツルした平らな床なので、クルマは走りやすいが、少し滑りやすい。そのせいか、直進性で苦しんだチームが少なからずあった。
競技は最初の10メートルを走り切った時間 t、直進性(総合走破時間)など、ほかのパラメータも使った数式の得点で競うようになっていた。というのもアルバムのコメントの中に加速点850/t という式が出てくるからである。10メートルを3秒もかからずに走ったクルマもあったので、850/t の加速点は結構大きな数値になる。記憶は曖昧だが、2回走った合計得点か、高いほうの得点で競ったのだと思う。
この評価式を予め用意して提示したのは、当然私だったので、企画担当の第一研究室(以下、一研、ほかの研究室も同様)が圧倒的に有利なはずだ、と思ってはいけない。アルバムのメモには一研のマシンについてこんな記述がある。
このクルマとその構造を写真5に示す。重い電池を最後尾に置き、昆虫のヒゲのように生えた2本の曲げ竹ひごで、壁にぶち当たっても少ないロスで反射して元の軌道に戻るという設計にしたようだが、甘い考えだったようだ。しかし、4位はひどく悪い成績ではない。
各チームが直進性に悩んだ中で際立ったチームが三研である(写真6)。
頭の三角から後ろに生えたピアノ線のヒゲも直進性のバランスに関係していたのかもしれない。成績不良は、採点システムで直進性の比重が軽すぎたからという説もある。
さて、そういうのもありだろうと思っていたリムドライブはやはり動力伝達効率が高かった。しかし、準優勝した星子特別研究室のクルマは写真7で見ても横を向いている。ゼンマイを分解して一研のようなヒゲにしたのはいいアイデアだ。竹ひごより確実性が高そうだ。
それにしても初期加速のメカなしでこの加速点はすごい。では、優勝した五研(交換技術の研究室)のクルマはどんなクルマだったか。写真8では頭しか写っていないが、写真2を見ると後ろがゴムタイヤの2輪だ。
これは空き缶を使った動輪のアイデアがやっぱり卓越している。しかも、ゴムチューブを巻いて必要な摩擦力を確保している。材料を用意しているときは、あまり深く考えず、手に入りやすいものを選んだのだが、さすが基礎研究者たち、まったくお門違いの問題に遭遇しても、いろいろなことを発想するものである。研究室対抗なので、秘密裡かつお互いを探りあいながらの開発だった。どう見ても研究室内の数奇者たちがあーだこーだと、業務の合間に開発、いや開発の合間に業務をしていたような疑いがある。アルバムのドキュメントには、庶務チーム(研究室以外に日頃お世話になっている庶務も当然参加チーム)は部長補佐が締め切った部屋に籠って開発していたという記述がある。
またも、ものすごく古い昔話になってしまったが、単なる古き良き昔の話だと片付けられないよう遺訓を含んでいるような気がする。
まずは、漉し餡とつぶ餡の議論をむし返すわけではないが、ヘテロな環境の意義、つまり異分野の人たちが集まっている中にいることの意義だ。風が吹けば桶屋が儲かる的に遠い因果関係かもしれないが、こんな「アホな」レクを思いつくこと自体、異分野ごちゃ混ぜの基礎研究部という環境のおかげだったと思う。ともかく同じ研究部なのだから、いろいろな機会に異分野の人たちの話を聞くことになる。つまり、いながらにしてというか、努力しないで門前の小僧になれる、あるいは耳学問ができる。そして、こんなレクをやると、それがますますスムーズになるのだ。冒頭で述べたサーカス団仮装行列が全体として質が高かったのは、ヘテロな研究室の間での企画競争があったからだと思う。
もうひとつのヘテロは、同じことを考え続けない、つまり頭の切り替えによって、発想のパワーを生むことである。要するに気分転換の効能である。運動をして、物理学的というか、生理学的に脳を活性化するのももちろんありで、50歳までの私は昼休みのサッカーがそれに相当した。しかし、違うことを考えたり、むしろ何も考えないでぼーっとしたりするのも、シナプス結合のレベルでは脳の再構造化に役立ちそうだ。特に「遊び」にはそれを強く押し進める作用があると信じたい。遊ぶために仕事をするのではなく、仕事をするために遊ぶというのは良い戦略だ。フォーミュラ0.5が期せずして、新しい研究成果を生む原動力になっていたとしたら、この上ない喜びである。
それにしても遊びは深い。遊びについては、また別途議論してみたい。(つづく)
脚注1: 事実上の入社面接の場には、人事担当というより研究所の偉い方々が並んでいた。面接は「どうしてこの研究所を志望したのですか?」「はあ、何となく」、「愛読書は?」「少年マガジンです」、「数学科に進学した理由は?」「午前10時始まりで、午後2時には終わるという時間割だったからです」……、といった調子。いまどきの就活戦略ではあり得ないような受け答えだった。どなたか偉い方が、こんな面接をして、私を「奇想天外」に分類していただいたのだと思う。そういえば、漫画雑誌は入社してからピタリと読まなくなったように記憶している。ますますもっていい加減だった。
本連載は、毎月下旬に掲載していく予定です(10月の掲載が、編集部の都合で遅れてしまいました。申し訳ありません)。
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
変更履歴:
2014年11月07日:「これまでの連載一覧」のリンクを正しいものに修正しました。
2014年11月07日:「秘密理」は、正しくは「秘密裡」でした。本文中の2カ所を修正しました。
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