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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第15回:異国と學問
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第15回。今回のお題は「異国と學問」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
私は若いときから「60歳になるまで外国に行かない」とうそぶいていた。実際、初めて日本を出たのは36歳になってからである。「飛行機がいやなのか?」などといろいろ聞かれたが、国内では飛行機に平気に乗っていたからそれは当たらない。単に面倒だから行きたくなかっただけである。しかし、外国に行かないと公言してしまった以上、引込みがつかなくなったというのが正直なところだろう。意地を張るもんじゃありませんねぇ。
しかし36歳のとき、米国テキサス州ダラスで開かれる国際会議で、どーしても喋れということになった。しょうがないので、なるべく短時間にするために、成田出発−サンノゼ経由−成田到着72時間(飛行機内累計28時間)というトンボ帰り旅行計画で初渡航することになった。サンノゼを経由したのは、当時スタンフォード大学に行っていた、前回も登場の同僚の奥乃博さんから、美味しい明太子を運搬してほしいと頼まれていたからである。なので、ショルダーバッグの一番上には明太子のパッケージを入れていた。さらに、当時の私は髪の毛が自分の乳頭に届くほど長く、かつヒゲもしっかり生やしていた。
ダラス・フォートワース空港に着いて、税関を出た直後、全員身長190cm以上の4人の警官に呼び止められ、そのまま、6畳ほどの部屋に連れていかれた。その部屋はいまでも類例を見たことのない部屋だった(図1)。日本建築様式の段違い棚というか、奥行き30cmあまりの段違い壁。その上に手錠がぶら下がっている。そのほかには一切の物がない。もちろん窓もない。なんたる様式美!
何しろ、風貌、短時間渡米、バッグ1個の荷物など、状況証拠的に私が麻薬の密売人に疑われたのは確実だ。なぜか左の靴だけを脱がされ、手錠がぶら下がった壁に両手をつけさせられた。どうやら靴の底にヤクを入れるものらしい。いまはもっとだが、当時仕事をしすぎて(?)ちょっと小太りだったので、脚を上から下までタッチされて調べられた。なるほど、脚にヤクを巻き付けるという手口もあるようだ。そのときに気がついたのだが、着替えの入ったバッグの一番上に明太子の箱がポンと乗っている! 見つかったら、ナマモノの密輸だ! そのときまでたかをくくっていたのだが、急に不安になってきた。おお、学会での発表はどうなるのだ……。
ところが、なんと警官たちはバッグを開けないまま、「Thank you for your cooperation」というお礼の言葉とともに解放してくれたのであった。翌日の学会発表のあと、聞いていた現地のファジー論理大好きのオジサン技術者から「面白かったよ、空港までクルマで送ってあげる」と言われ、とても恐い運転(ずっと私のほうを見て話しながらの運転)を味わった。でも、あとでファジー論理の本まで贈ってもらった。
というわけで、まぁ、やっぱり外国にホイホイと行くもんじゃないと思ったのだが、大学に移ってからは、学生を連れていかざるを得ないようなことが増えてしまった。しかし、「60歳まで」ではなく「55歳くらいまで」は意地を通せたことになろう。
と、ここまでは話の本筋とは関係ない前座。いまどきの若い人はどんどん海外に飛び出すべきだ。
さて、解禁されたらもう何でもあり。前にも紹介したが、私は2011年から3年間、1年に4カ月ほどエジプトに滞在した。JICAが支援しているエジプト日本科学技術大学(E-JUST)の設立に早稲田大学の教員として協力するためである。
エジプトでの春学期は、多分気候の関係だと思うが、2月から6月までである。私はその間、講義や学生指導のために、アレクサンドリア市内のアパートから、60km以上離れたボルグ・エル・アラブ市のさらに郊外にあるE-JUSTまで、大きなハイルーフバンに片道1時間以上揺られて通勤していた。といっても、同乗するのはみんなE-JUST関係者である。特に市村禎二郎東工大名誉教授(専門は物理化学)と一緒になると、ずっとおしゃべりしっぱなしであった。専門が違うので、勉強になることも多かった。
外国での長期滞在はエジプトが初めてだったので、何もかも興味深かったのであるが、足掛け2年も滞在していると、やはり新しい知的刺激が欲しくなってくる。
そうだ。學問を作らねばならない。第3回「超芸術と超プログラム」でも一部紹介したが、路上観察學エジプト版が楽で楽しそうだ。エジプトは大半が砂漠なのに、水道のインフラ整備は素晴らしい。電気インフラも完璧とは言わないが整っている。街灯も明るくて、夜道は比較的安心である。
ところが、通勤経路の(米国流に言えば)フリーウェイの中央分離帯に等間隔に立っている照明灯が奇妙なのである。等間隔ではないのだ。といっても、最初からランダム間隔に立っているわけではなくて、途中で折れたり、根元から倒れたりして、かなりの割合で歯抜けになっているのである。傾いている照明灯もある。
早稲田大学の上田和紀先生は、あるときどれくらいの照明灯が倒れているかを数えたそうだ。だが、これは「羊が1匹、2匹、……」の類であり、途中で眠くなる。完璧な計測は容易ではない。
1日に2回も通る道路だから、しばらく観察していてあることに気がついた。この道路アクシス・レコンストラクションはアレクサンドリアとボルグ・エル・アラブを30度ほどの西下がりで結んでいる。倒れたり、折れたりした照明灯はすべて中央分離帯の上に乗ったままなのだが、アレクサンドリア向きに倒れているものが有意に多い。なぜだろう? また、途中で折れているものはどうしてこのように折れるのだろうか? やはり、學問は、まず些細な疑問から始まる。
これらの謎を解くべく私が2013年4月23日に創立したのが「電柱學」である。なぜ、日付が分かるかというと「電柱學事始め」という写真フォルダがあるからである。しかし、これはそもそも電柱ではないので、命名からして間違っている。そういえば、エジプトでは電柱を見かけない。地下に埋設されているのだ。このあたりは日本のほうが遅れている。というわけで、最初から前途多難な學問なのであった。しかし、この電柱學で挑戦すべき課題や、それまでに得られた「結果」などを行き帰りのバスの中で声高に発表して、同僚の先生方の賛同と失笑を買った。
倒れる方向がアレクサンドリア向きになりやすい原因には諸説あったが、そもそも倒れるとき、というか自然に倒れたのであれば中央分離帯の上に倒れるということ自体があり得ない。自然に倒れたものを人が中央分離帯に揃えたというほうが自然な説明だ。いや、人為的に倒した? 誰がなんの目的で?
この道路の両側の大半は地中海の塩分が混じった塩田(写真1)と汽水湖なので、塩分が柱を錆びさせて倒している、つまり塩害というが最ももっともらしい説明だ。根元からボルトが抜けて倒れているようなのもあるが、中央分離帯のコンクリートが塩害でボロボロになったのかもしれない。
この道路で目撃した交通事故の多さを敷衍すると、中央分離帯に乗り上げてしまったクルマに倒されたという原因はありそうだ。工場地帯のあるボルグ・エル・アラブからクルマ通勤の人がアレクサンドリアに帰るときのほうが、仕事の疲れや、帰りを急ぐあまりの事故が多いとすると、倒れ方の有意さの説明にはなっているかもしれない(※1)。大型トラックはともかく、そう簡単に乗り越えられる高さの中央分離帯ではないので、それも主たる原因でないように思われる(※2)。
車幅を大きく超えて木材を積載している大型トラックもよく走っているので(写真2)、荷物の木材が何かの拍子に照明灯を引っかけて倒すということも考えられる。実際、木材の運搬はほぼ一方的にアレクサンドリア方面行きなので、もっともらしそうだ。
しかし、照明灯が倒れる、あるいは倒される現場を見たわけではないので、すべては推測の域を出ない。本当の學問にするためにはもっと徹底的、長期的な観察や調査が必要なのである。しかし、天文学がそうであるように、電柱學も、自分の目で観測できなくても、バスの中での観察と研究を積み重ねれば、いろいろなことが分かってくるのではなかろうか。
となると、まず倒れ方の分類学が必要だ。路上観察學もそうだったが、分類学なくして、學問は始まらない。ここで正しい分類が行われればよかったのだが、予想どおりというか、残念ながらというか、電柱學は曲がった方向に向かってしまった。つまり、見事な倒れ方、この場合は、照明灯の高い部分でポッキリ折れて、折れた先がまだかろうじてつながっているという「美学的」な観点から、横綱、大関、関脇の称号を与えるといった、見た目だけの、世俗的、迎合的分類になってしまったのである。
横綱を写真3に示す。見事としか言いようがない。以来、私はE-JUSTからの帰路、横綱が近づいてくると胸が高まるまでになった。どうやったらこのような高い位置でポキリと折れることができるのだろうか。写真4の元照明灯はあまりにも高いところで折れたので、上部がなくなっているが、その立姿が美しい。張出横綱に相応しい。大関を飛ばして、写真5は関脇である。星の進化をいろいろな星の時間断面で観測する天文学と同様、電柱學でも超新星、もとい力士誕生が間近なものが観測される(写真6)。そうかと思うと、そもそも照明灯が最初から立てられたのかどうかが疑問に残る現場も見られる(写真7)。
この矮小化された番付編成作業によって、異国の地で新しい學問を生み出そうとした私の小さな野望は大きくしぼむことになった。いやぁ、「老人熱し易く、學成り難し」とはよく言ったものだが、毎日退屈な電車通勤をしているとか、毎日ルーティンワークしかしていないと思っている若いみなさんなら、これよりはもっとましな學問が生み出せるのではなかろうか。(つづく)
※1:朝の遅刻に関しては、学生もそうだったが、みなさん、あまり気にしない。インシャラー(神の思召のままに)の国なのだ。
※2:事故渋滞で道が詰まってしまうと、大型トラックがこの中央分離帯を乗り越えて反対車線に入り、そのまま逆走することがよくある。びっくりだが、これもインシャラーなのだろうか。いや、偉大なフレクシビリティなのかもしれない。
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
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