海士町でIターン創業した巡の環──挑戦し続ける現場の雰囲気をほぐす「まかないランチ」を食べてきた
気になるチームのランチを突撃取材する「チームめし!」。今回は都内を出て、島根県の隠岐諸島の1つ、海士(あま)町に行ってきました。
過疎化、高齢化が深刻な問題となりつつある地方都市が多いなか、若者の人口が増えている地域として注目されている海士町。そこにIターンしたメンバーで創業して島の特産品を販売したり、島で「海士五感塾」という企業研修を手掛ける株式会社巡の環のランチにおじゃましてきました。
「今日はまかないの日なんです」とのこと。まるで誰かの家に来たようなあったかいランチをどうぞご覧あれ。
海士町ってどんなところ?
そもそも、島根県隠岐郡海士町ってどんなところなんでしょう。若者の人口が増えているのはなぜなのか、巡の環の代表取締役である阿部裕志さんに聞いてみました。
海士町は人口が約2400人の小さな島で、その4割が65歳以上という超少子高齢化の過疎の町です。
当然ながら財政破たんの危機にあったので、町長の給与カットをはじめとする財政面での改革を断行しました。それを皮切りに「ないものはない」と町で掲げ、岩牡蠣や隠岐牛など島の産物のブランド化と教育の魅力化を進めてきました。
その結果、2009年以降、高校の生徒数やIターンで移住してくる方などで若者の人口が増えてきています。島の生き残りをかけた挑戦を続ける島の人々に魅力を感じ、一緒に取り組みたいという若者がたくさん移住してきていますね。
「奇跡の町」とも呼ばれる町で巡の環は、この島を未来の社会モデルとし、それを日本中に広げるための事業を展開しています。社員は全員海士町とはゆかりのなかったIターンの人で構成されており、地元の方と結婚して子育てをしている社員もいらっしゃいます。
現在社員数は8人。みんなでご飯を食べる「まかないランチ」はどうして始まったのでしょうか?
メンバーは独身者が多いんです。以前は個別でお弁当を買ったり、みんな住んでいる近所の家に帰って食べたりしていました。ですが、人数に比べて仕事量が多くなり、まともにお昼がとれないことも出てきていました。
僕自身も会社にいないことが多く、メンバーとのコミュニケーションがなかなか取りづらくなり、ちょっと雰囲気が良くない環境になりつつあるなと思っていて……。育児休暇から復帰する社員に試しに『まかないはできる?』と聞いてみたら、『できる』と言ってくれたので『まかないランチ』をはじめてみました。
「せっかく島にIターン就職してきたのに、仕事量が増えた結果、職場の雰囲気が悪くなるのは本末転倒です。食べながら会話することって大事で"ほっとする"雰囲気になるから」と阿部さん。食をともにすることは、チームや人と人との関係の潤滑油になりやすいですね。
さて、ランチの準備!
ちょうど、時間がお昼にさしかかってきたので、今日のランチの準備に入っていきましょう。この日の献立は以下の4品です。
・豚丼(オクラと細切りたくあんをお好みでかけて)
・ナスとみょうがのお味噌汁
・ツルムラサキのおひたし
・梨
「まかないランチ」を担当しているのは吉村史子さん。12時前くらいに吉村さんが動き始めたら、徐々に手が空いたメンバーから昼食の準備に取り掛かります。
私(サイボウズ式 椋田)も「いただきます」をして、ランチに同席させていただきました。
豚丼を1口いただいたあとに各自自由に付け合わせる、オクラと細切りたくあんをのっけてみました。
おいしくなるのは当たり前!
お惣菜もヘルシーです。
「献立は店に並んでいるものを見たりしてその場で決めることもあります」と吉村さん。まかないランチの頻度は基本は不定期で、通常の仕事に無理がないようにと「週3日くらいはできるようにしたい」とのこと。金額は1人300円で、10回分の費用で11回分使える回数券も発行されていました。
巡の環のオフィスは古民家
そういえば巡の環のこのオフィス、門構えがとても立派なんです。
昔、この地域の有力者で、隠岐に流された後鳥羽上皇のお世話をしたと言われる旧家の一部をオフィスとして利用させてもらっているとのこと。
「歴史的資料館なので、見学に来られる方の案内も私たちの仕事の一部です」(阿部さん)
前例踏襲せず、挑戦し続ける海士町へ
最後に海士町の魅力について聞いてみました。
地方にくると人との距離が近くなる分、ワークとライフが密接になり、『ワーク・ライフ・ミックス』状態になります。それが居心地がよいときもあれば、窮屈に思うときもある。でも『生きているなあ』という実感が生まれるのは、そういうところからのような気がします。
今、海士町はこれまでの取り組みがようやく功を奏して、『挑戦事例』として世界中から視察が来るまでになりました。しかし、より魅力的な地域になるためには『挑戦し続けること』が一番大事。現在の町長だからできたことももちろん大きいですが、この先は後を継ぐ地元の人が中心になって、挑戦を生み出していくことが必要です。
頑張る大人の背中をみて育った郷土愛にあふれる子どもが、大学などの本土で学び、人生の攻めとして島に戻ってきた時、僕たちIターン移住者はそれを支えていくことが理想と思っています。まだやることはあり、しんどさとやりがいの両方があります(笑)。
地域とともに生きていくのは、昔からの日本人の生き方や働き方でもあったはず。お話を聞いていて、東京のさまざまなものが異常なのかもという気がしてきました。ご飯をいただきながら「生き方」や「働き方」について少し考えてみたくなるまかないランチ体験でした。
写真:川島稔
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