「田舎から出る」教育をぶっ壊す──海士、西ノ島、知夫を現代の松下村塾にするには?
地方創生の理想モデルとして注目を集める島根県海士町。前編では「田舎であることを言い訳にしない」地域活性化への取り組みについて、隠岐國学習センター センター長の豊田庄吾さんに話を聞きました。この後編では、地域が生き残るために何ができるのか、海士町が取り組む教育改革について具体的に聞いてきました。
「夢ゼミ」流、グローカル人材の育て方
「隠岐國学習センター(塾)」について、もっと詳しくお聞きしたいのですが。
椋田
僕らが一番大事にしているのは、“多文化協働”の素地を作ることです。自分と違う文化を持った人たちをリスペクトしながら、一緒に協働しながら成果をあげるにはどうすればいいのかを、早いうちから体験してもらいたいと思っています。
高校に島外から人を呼んでくるというのも、施策としてマッチしていますね。
椋田
そうなんです。島の子どもたちは小さいころから20名くらいのコミュニティでずっと一緒に育ってきているので、高校生にもなるといろんな面で序列が確立されていて、みんな努力しなくなっているんですよ。単に高校を潰さないための人数合わせということではなく、島外から来た子どもたちが、島の子どもたちに良い刺激を与えてくれています。
今、高校の生徒はどれくらい増えているんですか?
椋田
1学年が80名の定員なのですが、現在1学年、60名弱の生徒がいます。島外からの入学希望者はたくさんいる中で、島内の子どもの中には学力が低い生徒もいるため、テストだけで入学者を決めてしまうと、島内の生徒が通えなくなってしまったり、島外の子どもばっかりになってしまう。 そうなると、島の学校という認識が薄れてくるので、地域の人から応援してもらえなくなってしまいます。なので、県外の子どもは1学年の定員の3割しか入れないと決めました。
県外からは学年あたり24名しか入れないのですね。
椋田
そうです。逆に、島の子どもたちは56名分も枠があるので、比較的簡単にで入れるわけです。そのために、お父さんを逆単身赴任で関東に残して、中学3年生女の子とお母さんが海士町に移住してくるケースもありました。 実は、娘さんは今年の春、高校を卒業して島外の大学へ進学したんですけど、お母さんは島の暮らしが気に入って、島に残っているんですよ(笑)。こうした教育を契機とした定住促進という形でも、持続可能な地域づくりに貢献していけるんじゃないかと思っています。
島前高校の生徒は、みんなこの学習センター(塾)に通っているのですか?
椋田
今3学年合わせて160名の高校生がいるうちの130名くらいが来ています。成績でいうと、普通の塾なら上位の生徒が来ますけど、うちは真ん中より上はほとんど来ていますし、残りは均等に来ています。
いつ塾は開かれているのですか?
椋田
学校が終わって部活に行く子は行って、家や寮でごはんを食べてから、19時30分にここに集まって、22時まで2時間半やっています。1・2年生は週2日、英語と数学を勉強しに来ていて、プラス月に1度「夢ゼミ」があります。3年生の国公立志望の生徒の多くは週7日のうち5日は全教科を勉強して、残り1日が「夢ゼミ」です。基本はひとりひとり個別のカリキュラムを作って勉強しています。
「夢ゼミ」とは?
椋田
「夢ゼミ」は、大人をはじめ、多様な人とかかわりながら行う、地域課題解決型の学習です。1年生ではワールドカフェのような対話を繰り返し実施します。 自分と違う考えを持った相手を尊敬して受け入れながら、みんなが納得する納得解を見つけたり、むしろ違いを楽しもうという、いわば「 グローカル人材のOSを入れていく」イメージですね。
なるほど。
椋田
2年生になったら実際に農家さんをお呼びして、今の厳しい農業の現状や課題をお話しいただき、どうしたら地域の課題を解決できるのかをみんなで話し合います。 大切なのは 「社会的な課題が、実は自分の近くにあって、自分に関係のあることなんだと気付き、自分ごととしてとらえること」です。そこから、3年生になったらゼミ形式のプロジェクト学習に入っていきます。
確かに、社会に出てからも役立ちそうですね。
椋田
僕は海士町に来るまで企業研修をやっていたので、一流大学を出て一流企業に入った新入社員をたくさん見てきました。なかには「自分は優秀だからでかい仕事をさせろ」と言ってくるような勘違いをしている人もいて。 自己主張するのも大切ですが、現場に受け入れてもらえるような要素も大切だと思い、もっと早いうちから、社会に必要な力を身につけられる教育をやりたいと思っていたんです。 もっと言うと、 日本やこの島の未来を担う人材をここから輩出するような教育をやっていきたい。だから、ここは現代版の“松下村塾”だという思いを持っているんですよ。
ここができたのは2010年だったかと思いますが、卒業生のなかに面白い子はいましたか?
椋田
島前に含まれる3つの島のうち、知夫という人口600人の島から来ている男の子がいたんですが、おじいさんが畜産農家で牛を飼っているので、後を継いで牛飼いになりたいと言っていたんです。 それで「畜産の課題は、何だと思う?」と聞いてみたところ、「JAが諸悪の根源だと思うから、JAをぶっ壊したい」と言いだした。理由を尋ねると「おじいちゃんが毎日そう言っているから」と言うわけです。「だったら、JAががんばっている馬路村というゆずポン酢で有名なところがあるから、そこの人とSkypeで話してみるといい」ということで、つないであげたんですね。 そこから ICTを使って島外のいろんな人にも協力してもらっているうちに、“島だからできないんじゃなくて、島でもできるんだ”という意識に、だんだん変わっていきました。
世界を広げるきっかけを作ってあげたんですね。
椋田
彼のすごいのは、視察に来た大人たちがいろんな質問をしても、牛に関してだけは、絶対に「わからない」と言わないんです。英語や数学なんかの教科は赤点もあるんですよ? (笑) 。 でも、大人たちが「君、すごいね!」とほめていると、「僕自分の実力を試すために、慶應義塾大学を受けたいです」と言い始めて。
素晴らしい変化ですね。
椋田
ええ、何かスイッチが入ったんでしょうね。単に、地域の課題だけではなく、人口減少なども絡めながら、ロジックツリーを作ったり、オランダのスマートアグリティの事例を調べたりして。 「オランダは九州くらいの面積しかないのに、国外への農業出荷額が日本の30倍もあるんですよ!」と熱く語り出すわ、僕が名刺を渡した農林水産省の人にいきなり電話をかけて「僕にホームページに載っている補助金をください!」と交渉を始めるわで、どんどんアクションを起こすようになったんです。 結局、彼は慶應のSFCに合格して、国と一緒に一次産業の後継者育成について研究したり、畜産と何かを掛け合わせた儲かる畜産の作り方を研究したりしています。
すごい!
椋田
こんな風に、地域がどれほど大変か調べさせたり、体験させたりするなかで、「自分ならこんな風にやりたい」と考えさせ、“自分の未来”と“地域の未来”を重ねてもらえるような、仕掛けや場を作っていくことが僕たちの使命だと思っています。
海士町が存続するために残された最後の道
初めのほうでお話しいただいた“タグボート”になれている手応えはありますか?
椋田
すごくありますね。もちろん「光と影」の影の部分もあるんですけど、充実感や手応えは大きいです。 今まで故郷に帰ってこなかった子どもたちが「海士町に帰りたい」と言い出したりしていて、人の循環が生まれ出しそうな予感もあって。
ええ。
椋田
今までは勉強させればさせるほど、良い大学や良い企業に入って給料をたくさんもらって、帰ってこなくなるという図式があった。教育のジレンマです。優秀な子はどんどん出て行き、東京と田舎の格差もどんどん開いて行きました。 今まで田舎がやっていたのは、“田舎から出るための教育”だったんです。その結果、狙い通り子どもはどんどん出て行き、過疎化が進んできた。この図式をぶっ壊すようなことをやっていきたいですよね。
これからは、“田舎へ帰るための教育”が求められると。
椋田
はい。「海士町へ仕事を作りに帰ってくる」と言っても、現実的に考えたら、よっぽどの覚悟がないとできません。よっぽどの無鉄砲な人間か、よっぽどの思いがある人間じゃないと。 今、これだけ騒がれている海士町でさえ、6年前から比べると2,500名から2,300名へと、200名も人が減っている。この地域が続いていくためには、持続可能な形を作る“地域の担い手”を育成する以外、道はないと思っています。
なるほど。そのための“魅力化”なんですね。
椋田
そうです。今、島前高校は、北は北海道、南は宮崎といったように、全国から生徒が集まる学校になっています。3年生にはドバイから来た子もいるんですよ。 今秋には修学旅行でシンガポールに行くのですが、国内だけでなく国外からの生徒にも来て欲しいと思っています。海士町には究極のローカルがありますから、これから求められるグローバルとローカルのバイリンガルである“グローカル人材”を育成するために、多様性を広げながら“魅力化”を進めていきたいですね。
執筆:野本 纏花、写真:川島 稔
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