PTAは自由に変えていけばいい──先代がしいたレールにそのまま乗らなくていいんです
前回に引き続き、PTA改革で知られる東京都大田区立嶺町小学校PTO※のお話です。2014年度まで3年間団長を務め、すべての活動を「手上げ方式(完全ボランティア制)」に変えた山本浩資(こうすけ)さんこと「こうちゃん」と、2015年度から団長を引き継いだ玉川広志さんこと「たまちゃん」が、PTAについて語り合いました。聞き手は編集&ライター・大塚玲子(『PTAをけっこうラクにたのしくする本』著者)。後編では「ボランティアとは何か?」「自由な形のPTAとは?」を掘り下げます。
※嶺町小では「PTA」を「PTO」、「本部(役員)」を「ボラセン(メンバー)」と呼んでいます。
一生懸命さが裏目にでる? 改革後の新たな悩み
うちのPTOは、他校の人からは、全てが上手くいってるように見えるかもしれない。でも実際には、いろいろあるんですよね。この前、会員みんなにアンケートをとったんですけれど、やっぱりいろんな声がありました。
たとえば、どんなものでしょう?
僕らは「通りいっぺんのことをやっていても、みんな参加しようという気にならないから、楽しいイベントをやろう」と考えているんです。
でもそうすると「イベントをやりすぎなんじゃないか」とか「せっかく仕事を減らしたのに、どうしてまた増やすんだ」という声も出てくる。
なるほど~。やりたくない人を巻き込むのでなければ、増やしてもいいと思いますけど……。でも巻き込もうという意図が見えすぎると、うっとうしいかも(笑)。
あとは、僕らはなるべくみんなに得意分野で活躍してもらおうと、それぞれの人の専門分野のことをしてもらっているんですが、そうすると「特別なことができないと、ボラセンに入れないんじゃないか」という声も上がったりする。ハードルが上がっていってしまうんですね。
一生懸命やりすぎちゃう、というのも同じです。これから参加する人のハードルを上げてしまうので。もちろん一生懸命やるのはいいことなんだけど、ボランティアとして「より多くの人に参加してもらう」ということを考えると、裏目に出たりする。
そういうのって、絶対的な正解がないんですよね。
難しいですね~。
ボラセンの中の話し合いでも、いろんなアイデアが出てるんですけれど、全部実現しようとすると、ボラセンの仕事がどんどん増えていくというジレンマがあります。
たとえば「もっとみんなに声かけをしていこう」とか「参加した人の声を広報紙に載せよう」とか。質を高めるのはいいけれど、「じゃぁ、それはどこまでやるの」ということも考えて、いいところの加減でやめておかないと、自分たちが大変なことになってしまうんですよね(笑)。
あー、そういう「加減の問題」も悩ましいですよね。
PTAはこれまでボランティアではなかった!?
PTOをやっていると、「ボランティアって何だろう」ということもよく考えます。「ボランティア」ってよく使う言葉ですけれど、突き詰めて考えたときに、それが何なのかよくわからない。「できる人が、できるときに、できることを」やるのがボランティアなのか? というと、そうじゃないと思うんですね。
あぁ、そうですね。PTAのキャッチフレーズとして定着していますけれど、ボランティアの定義ではないです。
去年、「ボランティア学」というものを日本に最初に持ち込んだ興梠(こおろき)先生という方に、山本さんと一緒にお会いしに行ったんです。その方が一番におっしゃるのは、「主体性」ということ。つまり「主体的にやるのが、ボランティア」なんです。
だから「全員やるべきだ」となったら、それはもうボランティアじゃなくなっちゃうんですよ。それが一般に認識されていないですよね。
日本の「ボランティア」は、よく「無償労働(アンペイドワーク)」という意味合いで使われていますね。だから「強制ボランティア」なんていう、矛盾した言葉ができてしまう。強制したらボランティアじゃないんだけれど。
でも日本のPTAは、ずっと「全員がやるべきだ」とされてきましたから、もともと運営の仕方が「ボランティア」じゃなかったんですよね。
以前、山本さんがPTAの総会で「ボランティアをやったことがある人、手を挙げてください」と言ったら、ほとんどの人が手を挙げなかった、という話をされていましたね(笑)。みんな、PTAとボランティアは別ものだと思っている(苦笑)。
NPOとか、他のボランティア団体を見てみるとわかるんですけれど、やっぱりPTAって特殊なんですね。現状は「小学校に入ると、PTAにも入る」みたいなことになっているから、小学校という枠で囲えてしまう。
でも他のボランティア団体には、そういうものがない。その代わり、「私たちはこういうことをやりたいんです」という目的が最初に来るんです。逆に言うと、PTAはその「何のため」がないまま始めてしまうから、おかしな話になりやすいんですよね。
あ~、そこが始まりですよね。
その「何のために」というところを、僕らは常に振り返るようにしたんです。それも、ここ数年の大きな変化だと思いますね。今まで「前例通り」でやってきたものについて、常に「これは何のために、うちのPTOでやるんだろう」ということを考える。
それはいま、全国のPTAに、一番必要なことかもしれませんね。
地域の活動は「やらされて」やるもの?
地域の活動も、「何のためにやっているか」という捉え直しが必要ですよね。これって、僕らが始めたくて始めたものじゃないですけれど、やってみると「ありがたいな」ということがわかってくる。でも、一般の会員はそれを知る機会がないんですよ。
そうなんです。この辺の地域イベントは親子で参加できるんですけれど、一度参加した人は、本当にほぼ必ず、毎年来るようになるんですよね。都会に住む子どもたちに「ふるさとの思い出を作ってあげたい」という気持ちでやっています。
なるほど。でもやっぱりみんな、「やらされる」という感覚が強いですよね。実際に、強制的に動員をかけているPTAも多いですし。
うちはもう、参加したい人だけが参加するので、その感覚はないんですけれど、他校はそうですね。
たとえば地域の「連合運動会」というものがあって、そこには各学校の校外委員さんがお手伝いに来るんです。競技に参加する人には、地域の人がパソコンで作ってくれたシールを貼るんですけれど、あるときその印刷が逆だったの。シールが剥がれない方に印刷しちゃっていたから、ハサミで切って、剥がすしかなかった。
僕らなんかは「こういうこともあるよね、じゃあ切りましょうか」となるんですけれど、違う学校のお母さんが、そこでブチ切れちゃった。「こんなの会社の仕事だったら完全にアウトだよ! 私たちにやらせるんだったら、ちゃんとやってよね!」と。これも参加する意識の違いですよね。「やらされてる」と思ったら、そういうふうになっちゃう。
全然違うよね、あれはびっくりした。
強制されて参加していたら、どうしても、そういう感覚になるでしょうね……。それをやめたというのは素晴らしいことですが、町内会や他のPTAから「人を出せ」みたいなことを言われたりしないですか?
「強制的なPTA」から「手上げ方式のPTO」に変わって、地域の人たちは人が集まるか心配していましたね。でもこれまでと違っていやいや参加している人がいないので、コミュニケーションが深まってきている 感じがします。
「協力してもらえませんか」と言われることはありますが、無理強いはされません。逆に僕らから地域の人にお願いすることもあって、餅つきなどPTOのイベントに協力していただいています。
Tシャツ販売でPTAの資金を調達してもいい
僕らがいろいろ改革をやってきてわかったのは、いろんなことを、もっと自由にできるってことだよね。たとえば、このスタッフTシャツ。僕が会長になった最初の年に、おそろいのTシャツを作ろうと提案したときは、いろんな反対があって作れなかったんです。
それが、3年目のときに実現した。それまでは、資金集めのために古紙回収をやっていたんですけれど、年間100人ぐらいの人員が必要で、あまりにも費用対効果が悪かった。それで「違う形でお金を集められないか」と考えて、このチャリティーTシャツを作ったんですよ。
本(『PTA、やらなきゃダメですか?』)に書かれていましたね。古紙回収が、かなりお母さんたちにとって負担になっていたと。
1キロ4円くらいなので、時給換算すると、ものすごく安いんですよ。
ほかにも親子遠足を企画して募金をやったりして、集めたお金で年度末に、実験教室のようなことをしてくれる団体を呼んだんですよ。会費だけでお金が足りないときは、そういう方法もあるんです。
「PTAは非営利団体だから、モノを売ってお金を儲けてはいけない」みたいに思い込んでいる人が多いですよね。学校側とも、いろんな調整が必要でした。
「毎年古紙回収でやってきたから、今年も古紙回収じゃなきゃだめ!」みたいな思い込みもありますよね。でもじつは資金調達にも、いろんな方法がある。
この1年、団長として心がけたのは「引くこと」
玉川さん、この1年団長をやってみて「これが大変だった」ということと、「これが楽しかった」ということは?
うーん……、自分が団長じゃない時の方が楽しいかもしれないね(笑)。そのほうが、やりたいことをできる。
団長は、あえて存在を消すよね。自分が意図していなくても影響力が大きくなっちゃうから、「引くこと」をすごく意識してました。
ふーん。「引く」と、何がいいんですか?
やっぱりボランティアって、みんなでやるものじゃないですか。そこで自分ばかりが前に出ていったら、たぶん周りは面白くないんじゃないかな、と思ったんです。もともと団長って、挨拶とかで前に出る機会が多いですしね。
今年度、僕が一番目標にしていたことは、関わってくれた人たちがみんな、終わった後に「あー、ボラセンやってよかった」と思って欲しいなということ。それが結果的に自分の楽しみになる、みたいに思っていたんです。それはまあまあ、できたんじゃないかな。
大変なことのほうは何だろう……、こうちゃんは何が大変だった?
一番大変だったのは、最初の半年だけだね。仲間ができてくると、みんながいろんなアイデアを出してくれて、いろんな風に進んでいったので、熱くて楽しかった。「大人の文化祭」みたいな感じ?(笑)
「こうあるべき」が日本のPTAを縛ってきた
「山本さんが団長をやめたら、元に戻るのでは?」みたいなことを言う人もいたと思いますが、少なくともいまは、まったくそんな様子はないですね。
たまちゃんみたいに、これまでの過程を知っている人で、下に小さい子がいる人はけっこういるので、「少なくともあと10年は続くだろうな」という確信はあったんです。
その先もそうですけれど、僕たちの代がしいたレールにそのまま乗らなくていいんですよ。その時々のボラセンのスタッフや、学校の雰囲気によって、自由にすればいい。
委員会をなくしたので、前例に縛られない形になったんです。それぞれのイベントや行事も自由にできるし、本当に人が集まらなかったら、今年はやめようかという判断もできる。そうやって誰でも続けられるようなゆるい組織にできたから。
そうですね。必ずしも、「同じ形が続くことが成功」というわけでは、全然ない。
僕はずっと「PTAはこうあるべき、こういう活動をすべき」みたいなものが、日本のPTA活動で困っている人たちを縛っているんじゃないかな、と思っているんです。
PTAでもPTOでも名前は何でもいいんだけれど、学校と保護者がコミニケーションを取りやすいネットワークとして、必要なわけですよね。その目的を実現するために、どういう選択をすればいいのか、というのは、その時々の人が考えればいいこと。
戦後すぐの時代に作られた規約を、ただそのまま引きずるんじゃなしに、自分たちなりにどんどん変えていければいいんじゃないかな、と僕は思います。
文:大塚玲子 / 撮影:内田昭人 / 編集:渡辺清美
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執筆
大塚 玲子
いろんな形の家族や、PTAなど学校周りを主なテーマとして活動。 著書は『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(太郎次郎社エディタス)。ほか。