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子供の成長を記録するということ──コデラ総研 家庭部(70)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(ほぼ隔週木曜日)の第70回(これまでの連載一覧)。今回のお題は「子供の成長を記録するということ」。
文・写真:小寺 信良
夏休みもお盆を過ぎると、急速に夏の終わりの雰囲気が漂ってくる。大人は夏休みなど短いものだが、子供を連れて実家に帰省していると、自分が子供だったころの夏休みが懐かしく思い出される。街並み、家並みは変わってしまったが、その場所に立てば、今は無き古い土地の記憶が甦ってくる。
当時の家並みなどは、写真に撮っておくという発想など無かった。子供のころは今が永遠に続くと思っていて、これが変わるなどとは想像もしていないものだ。
皆さんは自分の「アルバム」を持ってることだろう。紙焼きの写真が貼ってある、アレである。筆者も赤ん坊のころからのアルバムがあるが、それをめくっていると、昔の親というのは節目節目でちゃんと記録として写真を撮っていたのだなぁと思う。家の玄関先や出かけた先々で撮った1枚のスナップが、当時の記憶を甦らせてくれる。
一方で今の私たちの生活は、一人一人がスマートフォンというカメラを持ち歩いている。下手をすれば子供までもが持ち歩いており、日常のスナップを撮る機会は多いはずだ。にもかかわらず、というべきか、だから、というべきか、たくさん撮った割には、子供の記録として残せる写真は少ないように思う。今撮っている写真のほとんどは、撮影者自身の楽しみのために存在する。
では子供に残す写真は、どんな撮り方をしたらいいのだろうか。
時代の記憶を残す
子供がかわいいと、どうしても顔や上半身ばかり撮ってしまう。それも分かるのだが、私たちの親が残してくれた自分のアルバムを見て面白いと思うのは、その時代が分かる写真だ。例えば昔の郵便ポストは今のような四角ではなく、円筒形で頭にベレー帽のような飾りがあった。昔のポストと並んで写っている自分の姿を見ると、その時代の空気まで甦る。
基本的に、写真や映像はその場の空気や温度、匂いまでは記録することはできない。だが脳は記憶している。それらの記憶を引き出すトリガーとしての写真や映像が、子供に残すべきものなのだろう。
すなわち、子供と建物、子供と街並み、子供と看板など、その場所にいることが分かるよう、なるべくワイドな構図がいい。高級なカメラを買う必要はない。スマートフォンでも、後ろに下がって撮ればいいのだ。すべてそんな写真でなくてもいいが、子供を撮っているとき、1枚でも「残して持たせる」写真を撮るように意識してみよう。
また、親も一緒に写るとなおいい。その当時の親の姿は、子供が大人になったとき、本人の姿と比較しやすいからだ。あなたの40歳の姿を、子供が40歳になったときに見るわけである。そのときのファッションや年格好といったものは、時代を伝える大事な情報となるだろう。それらの写真は、今はあまり価値がないかもしれないが、子供はきっと懐かしがってそのときのことを思い出す。
ではその写真を、どのように残したらいいのだろうか。それはもちろん、これから20年、30年と保つメディアで残すべきだ。
おそらく多くの写真はずっとスマホに入ったままで、せいぜいiCloudやGoogle PhotoといったOS提供メーカーのクラウドにバックアップしている程度だろう。
だがそれらのソリューションが、30年後も変わらず存在するかどうかは、誰にも分からない。ましてや大量の写真データをまるごと子供に引き継いでも、わけが分からないだろう。
誰かがうまい方法を見つけるかもしれないが、個人的にはそれだけ長期間、選び抜いた写真を残す方法は、紙だと思う。現在スマートフォンからワイヤレスで写真印刷できるプリンタは多数ある。それらを使って、残したい写真は紙にして、アルバムという台紙に貼るというのが、一番確実だろう。なぜならば、これまでそうやって残してきたという実績がすでにあるからだ。
もちろん、年数が経てば退色するかもしれない。どこかのクラウドやHDDにオリジナルデータが残っていればラッキーだが、なくなっているかもしれない。たとえプリントが退色しても、ゼロよりは全然マシだろう。(了)
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、取り上げてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
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