カイシャ・組織
地方は組織も「空き家化」している? 維持できない組織やルールはなくそう──宮崎のシャッター街を再生した田鹿倫基さん
シャッター商店街にIT企業を誘致するなど、ほかの人がなかなか思いつかないアイデアを実現させ、宮崎県日南市の「油津商店街」を蘇らせた田鹿倫基さん。
2013年に「マーケティング畑の民間人登用」に抜擢され、日南市のマーケティング専門官として活躍しています。
今回の取材のテーマは、地域と企業における「持続可能な組織」の共通点。一見、違う性質を持っていそうな2つの組織ですが、共通する課題を持っているんじゃないか……そんな視点から、お話を伺いました。
「空き家化した組織」はコストがかかる
わたし、地域と企業って、共通した組織構造があるなと思っているんです。たとえば、人口流出の問題。人が流出すれば、組織を維持するのは難しくなります。これって地域にも企業にも共通の問題なのかなと。
そうですね。たとえば、地域で悩んでいる組織に「消防団」がありますね。
僕も、地元の消防団に入っていますよ。40人くらいの部隊なんですけど。
おお、結構な大所帯じゃないですか。
でも、定期的な集まりに来るのは、いつも10人くらいしかいません。
人がいないから、上の世代は「お前の代わりはいくらでもいるんだマネジメント」ができなくなるんですよね。
たしかに、「他にもやりたい人がいるから辞めていいよ」とは言えなくなります。
それは、企業でも同じですよね。そういった組織ではよく、「組織を維持しよう」と個人が犠牲になることもあります。
たとえば、「初期の消火活動」のために結成されたはずの消防団が、気づけば「消防技術を競い合うコンテストで優勝すること」を目指す組織になっていたり、ひどいときは飲み会のほうが多かったり。
たとえば、「初期の消火活動」のために結成されたはずの消防団が、気づけば「消防技術を競い合うコンテストで優勝すること」を目指す組織になっていたり、ひどいときは飲み会のほうが多かったり。
それ、よくわかります。もちろん地域の安全は守っていますが、本来の目的以外にも時間を使うような組織だと、なかなか入団してくれる人がいないんですよね。
どこかで「存続させなきゃいけない」と思って残っているような組織もある気がします。どうしてそうなってしまうんでしょうね。
どこかで「存続させなきゃいけない」と思って残っているような組織もある気がします。どうしてそうなってしまうんでしょうね。
自分たちの上の世代の「ノスタルジー」や「変化が怖い」という理由はありそうです。
僕はこの状態を「組織の空き家化」と呼んでいるんですよ。
僕はこの状態を「組織の空き家化」と呼んでいるんですよ。
組織の空き家化、ですか?
空き家、つまり「住む人がいなくなった建物」を維持するには、修繕費用などのコストがかかります。それは社会全体の負担です。
組織を建物と同じ「ハード面」だととらえれば、人がいない組織を維持するのにも、人材育成などに多くのコストがかかるでしょう。
組織を建物と同じ「ハード面」だととらえれば、人がいない組織を維持するのにも、人材育成などに多くのコストがかかるでしょう。
なるほど。
だから、維持できない組織やルールは、どんどんなくしていけばいいと思うんです。そうしないと、空き家と同じようにいつか崩れ、他にも弊害を及ぼすかもしれません。
気づけば、誰かが引いた「境界線」に支配されている
田鹿さんが、ほかにも違和感を感じる、地域と企業に共通した組織構造ってありますか?
そうですね。たとえば、僕らの行動は「誰かが引いた境界線」で勝手に支配されているな、と。
その考えに至ったのは、なぜでしょう?
きっかけは、隣接する地方銀行「A銀行」と「B銀行」が参加する飲み会に参加したことです。
その状況って地方に住む僕としては、少しハラハラするんですよ。だって2つの銀行は、地元企業の融資残高を奪い合う間柄なわけですから。
その状況って地方に住む僕としては、少しハラハラするんですよ。だって2つの銀行は、地元企業の融資残高を奪い合う間柄なわけですから。
「犬猿の仲」というわけですね。
ただ、その2つの銀行を隔てる「県境」は誰かに決められただけで、実際にはありません。経済圏と行政区は別物のはずです。
にもかかわらず、地方銀行の人たちは、「県境の内と外」で相手を判断しようとする。そして、「ライバル行には負けない!」と言って行動します。
にもかかわらず、地方銀行の人たちは、「県境の内と外」で相手を判断しようとする。そして、「ライバル行には負けない!」と言って行動します。
よく考えたら、変なことですよね。
機会損失につながりますし、もったいないですよね。あなた達がすべきなのは、縮小する地域経済を立て直すために、金融でサポートすることであって、県境の内か外かに縛られている場合じゃないと。
でも、こういう現象ってあらゆるところで起こっているんじゃないかと。
でも、こういう現象ってあらゆるところで起こっているんじゃないかと。
地域も企業も「架空の存在」のために損をしている
「誰かが引いた境界線」でいえば、サイボウズには、「カイシャさんはいない」という言葉があります。
「カイシャ」とは、人の集団を分かりやすく表現するために、便宜上そう呼んでいるだけで、「カイシャさん」という人がいるわけではありません。つまり、「架空の存在」です。
「カイシャ」とは、人の集団を分かりやすく表現するために、便宜上そう呼んでいるだけで、「カイシャさん」という人がいるわけではありません。つまり、「架空の存在」です。
うんうん。
たとえば、飲み会の席で「うちのカイシャはさ、やりたいことをさせてくれないんだよね」と聞こえてくることってありませんか?
よくありますよね。
でも、「カイシャって誰なんだろう?」とよく考えてみたら、それは会社を無意識に擬人化して、人格を持たせただけです。
そもそも、カイシャさんなんて存在しない。それなのに、誰かが引いた境界線によって作られた、架空の存在に支配されています。
そもそも、カイシャさんなんて存在しない。それなのに、誰かが引いた境界線によって作られた、架空の存在に支配されています。
企業も地域も一緒ですね。よくわからない境界線のなかで動くのって、損していると思います
個人を犠牲にしないために、境界線をなくしていく
「この地域をどうにかしたい」と言いながら、それだけが目的になってしまうのは、おかしなことなのかもしれないですね。
結局、「地域」というのは架空の存在であって、実態ってないんですよね。でも、それに頭が支配されて、問題を勝手にややこしくしてしまうときがある。
どのようなことでしょう?
たとえば、宮崎県の人口減少問題ですね。2005年には40ほどあった自治体の人口減少問題が5年後の2010年には25ほどになりました。たった5年で15の人口減少問題が解決したんですよ。
一気に? どうやってですか。
言ってみれば身もふたもない話なんですが、平成の大合併による市町村合併です。宮崎県内に44つあった市町村が2010年には28つになったんですね。それで一気に自治体の人口減少問題が解決したことになりました。
例えば宮崎県の山間部にあった人口減少に悩むA村、B村、C村の3つの自治体が合併してD町になったのですが、それにより3つの行政の問題が、1つの行政の問題に集約されたのです。
例えば宮崎県の山間部にあった人口減少に悩むA村、B村、C村の3つの自治体が合併してD町になったのですが、それにより3つの行政の問題が、1つの行政の問題に集約されたのです。
なるほど。境界線がなくなることで、問題もなくなったんですね。
村民の生活は何一つ変わってないのに、行政の境界線を引き直しただけで、問題が認識されなくなったんです。
僕らが認識している「問題」って、思い込みなのかもしれませんね。
「キャンプファイヤー経営」でゆるやかに集まる組織へ
境界線を引いて内と外を分けない考え方は、サイボウズ副社長の山田も唱えています。それを「キャンプファイヤー経営」と呼んでいて。
うんうん。
会社のなかには、つくった囲いのなかに社員を閉じ込めて、さらに、その塀を高くするようなところがあります。社員に忠誠心を求め、転職させないようにするためですよね。
ただそれだと、囲みのなかにいる社員は、何のために仕事をしているのか、ビジョンを見失ってしまいがちです。どうしてその組織にいるのかがわからなくなってしまう。そうなれば、一体感がなくなったりと、あらゆる弊害が出ます。
ただそれだと、囲みのなかにいる社員は、何のために仕事をしているのか、ビジョンを見失ってしまいがちです。どうしてその組織にいるのかがわからなくなってしまう。そうなれば、一体感がなくなったりと、あらゆる弊害が出ます。
たしかに。
そうではなく、人が集まりたくなるように、マネージャーは真ん中にいて「僕らは目的のために、こうしたい」と「想いの火」を焚こう、と言っているんです。
なるほど。やはり企業でも、キーワードは「境界線」なんですね。
境界線の内と外には温度差がある
ちなみに、活気が戻る前の、日南市の油津商店街にも、境界線はあったんですか?
ありましたよ。それは「地元住民」と「商店主」のあいだに引かれていました。これは、全国どこの商店街でも起きていることでしょう。
青春時代、その商店街で過ごした人の多くには、「にぎわっていた頃のような商店街へと再生させたい」という思いがあります。一方、高齢を迎えたほとんどの商店主は「引退して稼いだお金と年金で悠々自適な生活を送りたい」と思っている。
青春時代、その商店街で過ごした人の多くには、「にぎわっていた頃のような商店街へと再生させたい」という思いがあります。一方、高齢を迎えたほとんどの商店主は「引退して稼いだお金と年金で悠々自適な生活を送りたい」と思っている。
境界線の内と外には温度差があったんですね。
はい。にもかかわらず、地元住民の声で動く行政によって「商店街の活性化」がはじまってしまう。その雰囲気を感じた商店主は、店を閉めたくても閉められず、店は空けていてもモチベーションは上がらないので商店街から活気が失われていくんです。
そして地元住民が「商店街活性化のために商店主ももっと頑張るべきだ!」とか言い出すわけですね。
そして地元住民が「商店街活性化のために商店主ももっと頑張るべきだ!」とか言い出すわけですね。
地元住民が「頑張り」を押し付けてしまうのですね。
「昔からずっと頑張ってきたんだから、そろそろ休んだらいいじゃない」と僕は思っているのですが、「困っている商店主のために」というありがた迷惑を押し付けて、お互いに不幸になっていく構図が見え隠れします。
そういう仕組みなんですね。
そこで僕たちは、内と外の温度差を克服するため、商店主に「商売を続けてもらうのではなく、店舗を貸したい」と思ってもらえるような施策を打ち出し、働きかけました。
そして、貸してもらった店舗に、次々と誘致したテナントを入れていったんです。若者が働きたいと思えるIT企業などを誘致しているので、市内の若者やUターン者の新しい雇用も生まれています。
そして、貸してもらった店舗に、次々と誘致したテナントを入れていったんです。若者が働きたいと思えるIT企業などを誘致しているので、市内の若者やUターン者の新しい雇用も生まれています。
なるほど。境界線をなくせば、人があつまる新しい商店街をデザインすることもできるんですね。
プロジェクトメンバーの決め手は「理念」の共有
ほかの地域に人材が流出し、衰退しやすい時代です。そのなかで、地域に求められることって何でしょう?
最近、気づいたのは「地域の再定義」ですね。僕は「日南市とは何か?」を改めて考えているところです。
「ここまでが日南市」と土地の面積だけで定義するのではなく?
それだと、合併したら定義が揺らいでしまいます。一方、「日南市民の集まり」と定義しても、毎日のように人の出入りがあるので、それも違うなと。
なるほど。田鹿さんはどのような結論を出したんですか?
「“日南”というプロジェクトをしていること」だと思い至りました。
日南市に定住している人、関係人口としてかかわる人、観光に来た人……何かしらの形で日南市にかかわる人たちがいます。その人たちを「少しでも幸せにすること」が、このプロジェクトの理念です。
日南市に定住している人、関係人口としてかかわる人、観光に来た人……何かしらの形で日南市にかかわる人たちがいます。その人たちを「少しでも幸せにすること」が、このプロジェクトの理念です。
それは面白いですね。たとえば、日南市で働こうと思っている人が、最大のポテンシャルを発揮できるように、働く環境を提供するとか。
そうです。ほかにも、日南市に観光で訪れた人に楽しんでもらおうと、自然のアクティビティを提供したりすることもできるでしょう。
その人たちは、そもそも「日南」という概念が好きなんです。そこで幸せを感じているからこそ、「日南って良いところなんだよ」と周りに広めたくなるし、広めた先の人が幸せになるのを見て、また自分も幸せになれる。
その人たちは、そもそも「日南」という概念が好きなんです。そこで幸せを感じているからこそ、「日南って良いところなんだよ」と周りに広めたくなるし、広めた先の人が幸せになるのを見て、また自分も幸せになれる。
うんうん。
そんなふうに、かかわる人たちに幸せを提供できる地域であれば、たとえ人口がどれだけ減ろうと、何らかの概念として残り続けるでしょう。
たしかに。ちなみに、プロジェクトメンバーの定義とは?
「理念を共有できている人」ですね。もちろん、全員がそうなる必要はないと思っています。
日南市に住んでいても共有できない人もいますし、強要すべきでもない。でも逆に、日南市外に住んでいても、日南プロジェクトの理念を共有できている人もいる。いま流行りの関係人口は、こういう人のことを指すんだと思っています。
それに、それぞれのメンバーができることは違います。日南市で生まれ育った両親の最期をサポートする人もいれば、旅館の女将さんとして宿泊客を楽しませようとする人もいるはずです。
日南市に住んでいても共有できない人もいますし、強要すべきでもない。でも逆に、日南市外に住んでいても、日南プロジェクトの理念を共有できている人もいる。いま流行りの関係人口は、こういう人のことを指すんだと思っています。
それに、それぞれのメンバーができることは違います。日南市で生まれ育った両親の最期をサポートする人もいれば、旅館の女将さんとして宿泊客を楽しませようとする人もいるはずです。
理念を共有できた人たちが集まって、いっしょに何かの活動をするのは、企業も同じですよね。それを広く捉えると「地域」と呼ばれるものになるのかな、と。
そうですね。
企業という単位であれば、プロジェクトによりチャレンジしやすいはずです。そこで得た成功体験を、次はより規模の大きな「地域」に落とし込んでいくこともできる。
それを想像したら、ワクワクしてきました。
企業は「地域の実験場」になりうるのかもしれませんね。
執筆:流石香織/撮影:二條七海/編集:松尾奈々絵(ノオト)/企画:竹内義晴
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執筆
ライター
流石 香織
1987年生まれ、東京都在住。2014年からフリーライターとして活動。ビジネスやコミュニケーション、美容などのあらゆるテーマで、Web記事や書籍の執筆に携わる。
撮影・イラスト
写真家
二條 七海
写真家→ホームレス→LIG.inc→フリーランスフォトグラファー。 現在は著名人や芸能人の人物撮影を中心に行っている。 多様な作風が持ち味。好きな食べ物はハンバーグ。