レシピをフル公開しても売上は下がらなかったんです──Mr. CHEESECAKEの「オープンな心構え」とは?
ネット販売のみ、曜日や時間も限定して販売される「Mr. CHEESECAKE」。幻のチーズケーキと呼ばれ、販売開始から数分で完売することも珍しくありません。
驚かされるのは、それほどまでの人気があるのに、レシピが書籍やネットで公開されていることです。爆売れ商品なのに公開していいの……? と感じる人も少なくないはず。
運営する田村浩二さんは、フランスや東京のミシュラン三つ星レストランで修業を重ねた一流シェフ。技術を追い求めてきた経験から「技術だけで勝負せず、知見や情報をオープンにすることが大切」だ、と話します。
情報をオープンにすることと、個人の価値のあり方について、サイボウズ式編集部の神保麻希が聞きました。
レシピを公開して売り上げが落ちるなら、それまでのこと
ネット限定で商品を販売したり、レシピを公開したりと、業界の常識にとらわれずに行動できるのはどうしてなのか不思議に思っていて、今回の取材をお願いしたんです。
値段や味だけではなく、実際に作ってもらうというプロセスがあることで、よりMr. CHEESECAKEの価値が伝わり、ファンも増えるのではないかと。
レシピを見ながらチーズケーキを作ってもらうことで、「こんなに変わった材料を使っているんだ」「こんなに値段が高い材料もあるんだ」「自分で作るのは結構大変なんだ」といったことを、自分ごととして感じてもらえるのではないかと思ったんです。
リアルな経営の部分では売り上げが落ちる可能性もゼロではなかったと思います。
同じレシピで同じ材料を使っても、僕が作るのと神保さんが作るのでは、チーズケーキの出来栄えは違うはずです。だから商品や、僕自身の価値が下がることは心配していませんでした。
「売り上げが落ちるかも」という不安は……正直にいうとかなりありましたね(笑)。
ただ、レシピを公開して「なんだ、自分で作ってもおいしいじゃん」と思われるようなら、はじめから価値あるサービスとして成り立っていないんじゃないか、とも思っていました。
もし「自分で作ってもこれだけおいしいなら、本物はどれだけおいしいんだろう!?」と思ってもらえるまでのレシピにできたら、すごい価値になるよな、と。
レシピを公開して売り上げが落ちるなら、それまでのこと。そう腹をくくりました。
結果的に、売り上げはレシピ公開前後を通じてずっと伸び続けています。
お客さんから見えない「バックエンドの構築」にこそ、料理人の価値がある
でも飲食店はおいしさだけで成り立っているわけではないんです。
レシピを考え、おいしい料理を作るのは、いわば飲食業における「フロントエンド」の仕事です。
それに対して、お客さんからは見えないところで生産拡大していくためのオペレーションを回したり、食材を安定的に調達したりする「バックエンド」の仕事があるんです。このバックエンドの構築に長けている料理人は少ないと感じています。
僕は、「ランチのピークタイムでも100人分を作れる」「どんなにバタバタしていても最高の味を出せる」といった、おいしい料理を提供するための土台の部分を作れることこそが料理人の価値だと思っています。
時間をかけて世界一おいしい料理を作ろうと思えば、実際に作れるかもしれません。でもそのために1年かかってしまうとしたら、食べたいと思ってくれる人はいなくなると思うんですよね。
そうしなければ、自分が作りたいと思っても作り続けられず、売れれば売れるほど、作るのが嫌になってしまうかもしれません。
オープンソースの考え方を知り、身を置く世界が特殊だと気づいた
2018年4月にインスタグラムで告知と販売をスタートし、5月には並行して発信していたTwitterがバズって、フォロワーが1万人ほど増えました。
夏ごろにレシピ本の出版の話をいただいて、その時チーズケーキのレシピを公開しようと決めました。
チーズケーキのレシピ本が4/24に発売決定!予約販売も開始です!
— 田 村 浩 二 (Koji Tamura) (@Tam30929) April 5, 2019
僕が石橋かおりさんの本でチーズケーキを学んだ様に、誰かの為になります様に
1年間でこんなにも人生ってかわるものか!!!(笑)
Mr.CHEESECAKE田村浩二 人生最高のチーズケーキ ワニブックス https://t.co/pb37EQMJYO… pic.twitter.com/FjY3q2aqrQ
Twitterのフォロワーが増えるにつれ、僕が働く店にスタートアップ界隈のいろいろな方が足を運んでくれるようになっていたんです。
とくに衝撃を受けたのは「エンジニアはオープンソースでどんどん情報公開して前に進む」という話です。飲食業界は真逆ですからね。
僕はもともと数字が好きで、若いころから、勤務先の店の回転率や利益を勝手に計算している人間でした。
で、いざ自分がシェフになって店の数字を詳しく見るようになると、「これは厳しいビジネスだな」と思い知りました。
飲食業界には「原価率は30〜35%くらいかけないといい店にならない」という「常識」があります。
でもITの世界では、原価率ほぼ0%の会社もあります。「インターネットはすごい!」と思うと同時に、自分が関わってきた飲食の世界がいかに特殊であるかということにも気付きました。
料理の世界では、料理の話しかしないので、ちゃんとビジネスとしての仕組みを考えなければ、どんなに頑張っても、同世代の経営者とは同じ目線になれないと感じましたね。
「自分にしかできない仕事」を減らし、みえないところの価値を高める
売れれば売れるほど製造人件費が膨らむビジネスでは、うまくいきません。大きな機械を導入しようにも、最初から数億円規模で投資できるわけではない。
結果、僕が選んだのは「自分にしかできない仕事」を減らすことでした。だからスタッフにはレシピや会社の情報を共有し、ていねいに技術を教えてきました。
「技術面で追いつかれてしまったらどうしよう」とか……。
「レシピを公開しても自分の価値は下がらないはず」という自信と同じでした。
多くの人はわかりやすい部分、料理でいうなら「おいしさ」や「技術」にこだわりがちですが、実際は「技術や知識を持っている」ことではなく、「持っている技術や知識をどう組み合わせ、活用するか」が重要なんです。
同じ能力・技術の人が2人いたとして、どちらかを選ぶとすれば、そのポイントは「人柄」や「依頼のしやすさ」といった部分になるのでは。
ともすれば技術至上主義みたいな話になりがちだけど、人はそれだけじゃないんです。人の本質は本来、比較されにくい、みえにくいところにあると思います。
僕はそうした人たちのもとで修業していたのでわかるんですが、一流シェフと呼ばれる人の多くは、お化けのような体力を持っているんですよね。技術至上主義で、必要なことはとにかく自分でカバーして生き残ってきている。
生存者バイアスがかかった「成功談」を聞いていると、知見を共有することや技術を人に教えることの必要性を感じにくいのかもしれません。
人に教えるのが怖いのは「いまの自分が絶対」と思い込んでいるから
とはいえ実際の職場では、「あまり知見や情報共有できない自分」に悩んでいたり、「なかなか情報共有してくれない上司や同僚」に悩んでいたりする人もいると思うんです。
本当はそこで終わりではなく、まだまだ学び続ける必要があるはず。
今の技術や能力だけで戦うのではなく、若い人に教えながら、自分自身も学んでいくことが大切だと思います。
極端な例ですが、まったく同じ技術でお茶を淹れられる20歳と60歳がいるとします。どちらに淹れてもらうお茶のほうがおいしそうに感じられるでしょうか?
これは感覚的で、可視化しにくいものではありますが、経験によるアドバンテージは大きいと思うんです。経験があれば負けにくい。
一方で、若さがアドバンテージになる領域もあります。たとえば、新しい技術のキャッチアップは若い人のほうが圧倒的に早いですよね。そんな場面では、歳を重ねた人はあえて技術で勝負しようとしなくてもいいんじゃないでしょうか。
自分には経験によるアドバンテージがある。そう認識できれば、若い人に技術や知識を教えることが怖くなくなっていくと思いますよ。
プロダクトの裏側や思いを発信することで、個人の価値も伝わる
だから何かを作ることと同じだけ、伝える努力が必要でした。
Mr. CHEESECAKEに注目してもらえたのは、僕が何を考え、どんなことを実現したいと思っているかを常に発信してきたからだと思っています。レシピの公開も、その手段のひとつです。
Mr. CHEESECAKEがなぜチーズケーキを作っているのか。背景には、「純粋においしいものを届けたい」「飲食業界で働く人の環境を変えたい」「飲食業界の構造を変えたい」といったさまざまな文脈があります。
それら1つひとつについて発信を続けていたら、それぞれの文脈で、たくさん取材していただけるようになりました。
おいしさだけではなく、さまざまな切り口で知ってもらえたことが、初期の段階で認知度を高められた要因でした。
そして今は個人が軽快にスタートしやすい状況になっています。
どこまでの規模の店や会社にしたいかにもよりますが、個人が小さく始めて、生き残りやすい時代だと思うんです。Mr. CHEESECAKEもそのようにして始まりました。
自分が何を考え、どんなことを実現したいと思っているのか発信する。それが、個人の新しい価値を伝えるための出発点になるのだと思います。
企画編集:神保麻希/執筆:多田 慎介
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執筆
多田 慎介
1983年、石川県金沢市生まれ。求人広告代理店、編集プロダクションを経て2015年よりフリーランス。個人の働き方やキャリア形成、教育、企業の採用コンテンツなど、いろいろなテーマで執筆中。
編集
神保 麻希
サイボウズ株式会社 マーケティング本部所属。 立教大学 文学科 文芸・思想専修 卒業後、新卒で総合PR代理店に入社。その後ライフスタイル系メディアの広告営業・プランナーを経て、2019年よりサイボウズに入社。