「一貫性のある人生を歩まないといけない」って、実は幻想なんです──文化人類学者に聞く「対話と学び続ける姿勢」の大切さ

わたしたちの周りには誰かが残してくれたノウハウやハウツーが溢れています。
簡単に情報にアクセスできる便利な時代。それは知識を得るだけで満足してしまったり、既存の知識の範囲のみで目の前の出来事をとらえ、わかったつもりになったりしやすい環境ともいえるでしょう。
「思考停止せず、学び続けたい」
そう考えていたとしても、実際に仕事をしながら日々実践するのは難しいと悩んでいる方もいるのではないでしょうか。
今回お話を聞いたのは文化人類学者であり、岡山大学文学部准教授の松村圭一郎さん。
松村さんは、ご自身の著書『これからの大学』で、文化人類学の視点に立ち、これからの学びのあり方について問いを投げかけています。学び続けるために大切な姿勢とはなにか、そのヒントを伺いました。
知識が役立つのは、あくまで課題とマッチしたときだけ

イギリスの人類学者ティム・インゴルドの考えに触れながら、知識ではなく知恵の大切さについて書かれていたのが印象に残っています。松村さんはなぜ知恵が重要だと考えたのでしょうか。


松村 圭一郎(まつむら・けいいちろう)。岡山大学文学部准教授。京都大学総合人間学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有と分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)『これからの大学』(春秋社)、『はみだしの人類学』(NHK出版)、編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)がある。

知識はすべて役に立つと思います。ただ即効性のあるものと、じっくりと漢方のように効いてくるもののような違いはあるかなと。



たとえば、英語で観光ガイドができるレベルの知識を大学で得たとします。その職業につかなければ役に立つ機会は限られますよね。2020年においては訪日観光客がほとんどいない状況になり、役に立ちづらくなっています。


「この知識を知っておけば大丈夫」という考えは幻想になりつつあるのではないでしょうか。
だからこそ、自分の置かれている状況を把握して、情報を取捨選択し、課題に対して自分なりの解決策を導き出す力、「知恵」が重要なんです。
「対話できる環境」があれば、自分の当たり前を点検できる

知恵の要素である、自分の置かれている状況を把握する力を育むために大切なことってなんでしょうか?

「対話」を通じて、異なる価値観や背景をもった人たちと価値観のすり合わせや意見交換をすることが大切です。
なぜなら相手との差異を知ることで、はじめて自分がもつ当たり前の輪郭に出会えるからです。自分がとらわれている当たり前に気づくことで、それまで見えなかったものが見えてくるはずです。

『これからの大学』では、いろんな情報をもとにひとつの「答え」として創り出された知見を「知識」と呼ぶ。「それは別のあらたな知識と置き換えられる可能性のある一時的なものだ」と松村さんは語っています。


こうでなくてもいいかもしれない、と。それが「わかっているはず」から「わかっていないかも」という状態に変えてくれます。
なので対話できる環境が学び続ける上で重要になってくると思います。

過去の成功法は、そのとき固有のもの。枠組みを押し付けずに、自分を開いておくこと

自分とは異なる意見と向き合い、学び続けるために大切なことはなんなのでしょうか。



たとえば、大きなカテゴリでくくって、相手を見ていないか見直してみるのがいいかもしれませんね。「新入社員」「リーダー」というカテゴリを一旦おいて、固有の「〇〇さん」として見ているかどうかとか。


目の前の出来事に関しても、そのとき固有のものとしてとらえて見ていく。それが自分を開いていくことに近づいていきます。
自分の人生に一貫性を持たなくてもいい





自分が飽きてしまったことに気づいて、手放してみる。自分の当たり前にとらわれないためには重要だと思うんです。




だからこそ、気づかないうちに「一貫性のある人生を歩むべき」と幻想を抱いてしまうのかもしれません。
一貫性のある人生がだめなわけではありません。でも効率よく目的、目標達成を優先しすぎると、想定外のことやプロセスの途上にあるおもしろさを「余計なもの」とみなしてしまうこともあります。
なので違うものさしも持っておくことが大切です。



異なる意見に出会うという意味では、人だけではなく、自分やそばにあるモノも他者としてとらえることが有効なのだと気づきました。

現在の環境がすでに多様であると自覚して、差異に気づき、学びの原動力とする。それが日々学んでいくための第一歩になるのではないでしょうか。
まあ、ときには正直に「嫌だな」って思ってしまう差異もあると思いますが(笑)。
揺さぶられながら差異と付き合っていけたらいいですね。そうすれば、多様性は可能性だ、といえると思っています。
組織の中で「問いの前ではみんな平等」と思えるかどうか


その一方で、「主体的な学びが発生しない」と課題に感じているところも多いと思うんです。

知識をもっている人が、もっていない人に教える状況は、一方通行なコミュニケーションに陥りやすく対話が生まれづらいんです。


組織にある問題や課題に対して、メンバーの違和感や疑問を排除しない。そのために1人ひとりが行動を重ねることで、自らの意見が伝えやすくなり対話しやすい環境になっていくはずです。

たとえば仕事で自分が理解できないことがあった場合、その人には「なぜ○○する必要があるのですか?」と問う「質問責任」があり、質問された人にはその問いに答える「説明責任」があることを明文化しているんです。
これは、立ち止まってお互いの知識量が違うことを知り、対話をはじめる仕組みになっているのかもしれないなと。

組織においては、課題や社会の状況が刻々と変わるなかで、意思決定を進めていく必要がある。そのときに、これまでうまくいっていた方法、つまり固定化された知識だけで判断するのは得策ではないんです。


たとえば、AとBの課題が表面的に似ていたとしても、課題が生まれるまでのプロセスや原因は違うはずです。
過去にAでうまくいったからと、Bの課題を見ずにそのままの方法を導入してもうまくいかないんです。


なので今回の話も学び続けるために必要な対話の足場として、とらえてもらえると嬉しいです。

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執筆

撮影・イラスト

あさののい
千葉県出身、2012年から岡山県に移住。書籍やチラシ、webなどさまざまな媒体でマンガやイラストを描いている。岡山県奈義町での生活を綴ったマンガ「こんにちは、なぎさん」をwebにて更新中。
編集
