繊細さは「どうにもならないもの」ではない。「期待しないこと」こそが、働き方の改善につながる
「誰かが喧嘩をしている声を聞くと、自分のことじゃないのに具合が悪くなってしまう」「相手を不快にさせないか細かい部分が気になって、なかなかメールを送れない」
心細やかで繊細な人は、こうした悩みを抱えることが多いもの。その繊細な気質は「HSP(Highly Sensitive Person)」と呼ばれ、5人に1人の割合でいるとされています。
一方で、「繊細な人」にかかわる人の中には、その細やかな気質にとまどい、どう接していいか悩むことも少なくありません。
では、感じ方が異なる人同士が、ともに健やかに働くためにはどうすればいいのでしょうか。
今回、サイボウズ式編集部では、SNSにて「繊細さに関する悩み」を募集。『繊細な人が快適に暮らすための習慣 医者が教えるHSP対策』(KADOKAWA)の著者で、精神科医の西脇俊二さんに、集まったお悩みに対する原因と対策法について教えてもらいました。
「HSP=どうにもならないもの」ではない
しかし、それは同時に「繊細さゆえの傷つきやすさや、不便さは受け入れなくてはいけない」とも言っているような気がしてモヤモヤしてしまいます。
一方で、繊細さを「なおらないし、なおすべきものでもない」としてとらえるのは、苦しんでいる当事者にとって身も蓋もないことです。
なぜなら、「なおらない前提」にとどまっていると、対処法がひたすら自衛に徹することになってしまうからです。
でも、生まれもっての性質を変えられない以上、繊細さはどうすることもできないようにも思います。
もちろん、繊細という「性質」を変えることはできないのですが、繊細であるがゆえに感じてしまう「苦痛」を和らげることはできると考えています。
大切なのは、自分がどんなことに、なぜ苦痛を感じるのか、その原因を把握すること。原因にアプローチすることで、同じ出来事でも感じ方を変えることができるはずです。
「相手に期待しない」ことの大切さ
その悩みを先生に読んでもらい、それぞれの原因と対策について教えていただきたいです!
強い言葉、思いやりに欠けたコメントが苦手です。わたしは誰かに向けられた言葉であっても、自分が傷つくような感覚に陥ってしまいます。
人が怒られているのを聞くのがとても苦手です。大きな声で電話している人も苦手で、他人の感情が自分にも伝播しているような感覚になり、居心地が悪く感じます。
これは、なぜそう感じてしまうのでしょうか?
1つめは、脳の構造の問題。脳には偏桃体(へんとうたい)と呼ばれる、感情を司る部位があります。この偏桃体は、強い刺激にはフィルターをかけ、刺激を弱める機能があるんです。
ところが、繊細な人はこのフィルターが弱く、外部からの刺激をダイレクトに受け取ってしまう。そのため、ストレスを感じやすくなっていると考えられています。
簡単に言うと、完璧主義だからですね。自分の中に「こうあるべきだ」という強い気持ちがあると、それゆえに細かいことが気になってしまいます。
同様に、周りの人に対しても無意識のうちに完璧を求めてしまい、「自分のイメージから外れた」ときに裏切られたと感じ、強いストレスを抱いてしまうのです。
そのうえで、とにかく「他人に期待しない」練習をしましょう。
しかし、他人に期待していなければ、「相手を変えよう」とは思いません。目の前の出来事に対して「どうすればいいだろう?」とフラットに考えることができ、一歩進んだ対策を講じることができます。
繊細さの度合いを問わず、これを意識するだけで人間関係におけるストレスを大きく軽減できると思いますよ。
人に相談するのが苦手な人は、まず目的を明確化する
オフィスで電話をかけているとき、同僚に変な言葉遣いをしていると思われているのではないか、と不安になってしまう。
自分の体調がすぐれない時でも、周りのことを考えると、どうしても弱音を吐くこと(体調がすぐれないことを周りに伝えること)ができないと感じてしまいます。
もちろん話を聞いている間は、親身になっていっしょに悩んでくれます。しかし、それが終わればその人は自分の生活に戻り、また別の関心ごとを見つけるでしょう。だから、重くならず、軽く考えればいいんです。
でも、頭ではわかっていても、「そもそも相談してもいいことなのか」「ささいなことで悩んでいる、と思われないか」などと考え込んでしまいそうです。
事前に目的を明確にしておくと、人に相談する価値があるのか公平に判断しやすくなりますよ。
それに、人は思っている以上に「相談されるとうれしい」ものです。相談されるということは、頼りにされている証ですから。
気にすることでストレスを感じるのなら、開き直るのもひとつの方法
ビジネスメールを送るのが苦手です。何度も下書きを書いては消す、を繰り返してしまいます。
ていねいな説明、言い回しを含むと長文になってしまうので、悩みに悩んで、簡素な文章でお送りしてしまうことがあり、それがまた結果的に失礼な体裁になっているように思えて……。
返信がくるまでメールボックスを10分おきに何度もリフレッシュして確認してしまいます。
「ここは改行したほうがきれいに見える」など、ほかの人からすると、どうでもいいんじゃないかと思うようなことでも、こだわって作り込むことができる。ここはひとつの長所だと思います。
一方で、そういった行為に対して「無駄なことに時間をかけているな」と自分で思ってしまうのも繊細な人の特徴。どちらかというと、必要以上にクヨクヨして、ストレスを感じているのが問題なのかなと思います。
時間がかかってしまうことを申し訳なく思っているのかもしれませんが、最初からそのこだわりにかかる時間を考慮してスケジューリングをすれば問題ないと思います。
自分への期待が高すぎるからこそ、自己嫌悪になる
他人の意見に対して「これまでの背景を考えると、そんな考えにはならないはず」「もっと俯瞰的に見て、判断したほうがいいのに」とよく感じてしまいます。
それが気になるトピックだと、数日間頭から離れないです。そうしてささいなことに悩み続ける自分は、器が小さいな~といつも思っています(笑)。
「もっとよい自分」を期待しているからこそ、その期待と一致しないことに嫌悪感を抱き、傷ついてしまう。結果的に、自己評価を下げることにつながってしまうわけです。
どんなに一流の人でも「自分の理想を常に体現できている」という人はまずいないでしょう。
白か黒かではなく、「自分はまだ、理想の自分ではない」というグレーゾーンを許容した自己評価ができると、自分のことを受け入れやすくなるのではと思います。
個人だけではなく、組織レベルで繊細さを理解することが、これからの課題
直属の後輩は繊細なタイプです。正直相手の繊細さを想像することには限界があり、知らぬ間に傷つけてしまっているように思います。ただ、わたしはそれに気づけず、予防ができていません。
正直、相手が繊細すぎることに、気を揉んでいます。自分の想像を超えたところで相手が傷ついていたりする場合、こちらで考えた打開策を施してもうまくいきません。
ただ、わたしは繊細さゆえに困難を抱えている人の数自体は、いまも昔も変わらないと考えています。
かつて、うつ病は「メンタルが弱い、ごく一部の人がなる病」と思われていました。いまでは著名人がうつ病を公表するようになり、「誰しもなり得る病」として認知されています。
それと同じように、繊細さが世間に認知され始めているのだと思います。
やっぱり、日本の企業では「そんなに傷つきやすくては社会人としてやっていけない。根性で乗り越えなきゃ」といった精神論がまだまだ根強く残っています。
組織全体として、繊細さによる困難があると理解していれば、たとえばチームとしてどんな対策ができるか、というアプローチもできますよね。今後はそうした考え方が当たり前になっていくといいなと思います。
こうした環境であれば、どんな人であっても働きやすいのではないでしょうか。
たとえば、高そうな腕時計をしている人に、「その腕時計ステキですね」とほめると、喜んで話してくれることが多いです。
自分にはあまり興味がない話題だったとしても、相手が関心のある、話したそうにしていることを汲み取って耳を傾ける。これが「相手のための会話」ですね。
どんな人間も、自己重要感を満たしてくれる相手には好意を抱き、大切にします。そうした関係性が組織の中で広がっていけば、繊細さの度合いは関係なく、多様な人が働きやすい環境に近づけるのではないでしょうか。
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執筆
早川大輝
1992年生まれ。Web系編集プロダクションを経て、フリーランスの編集者・ライターに。「エンタメ」や「食」「生活」に関する記事制作をよく行う。趣味は「記録」。最近の関心ごとは「独り言」。