仕事がしんどい。そう感じても、「周りはもっとしんどそうだし、ここは我慢しておこう」「しんどいけど、自分もあの人くらい頑張らなきゃ」と、つい気持ちをおさえてしまった経験はありませんか?
しんどさを人と比べる必要はない。そう言われても、人と比べて自分を責めたりプレッシャーに感じてしまったりするクセは、そう簡単に手放せないものです。
今回は、感情についての研究や働く人のメンタルヘルスを専門とする臨床心理士・公認心理師の関屋裕希さんに、「しんどさを比べてしまう」ことの原因や対処法、そして闇雲にしんどさを比較させない組織づくりのためにできることについて、お話を伺いました。
「人と比べる」には3つの機能がある
生湯葉
そもそもこの「人と比べる」って、どういう心の動きなのでしょうか?
関屋
「人と比べる」ことは、社会心理学ではずっと研究され続けてきたトピックです。怒りや悲しみという感情に意味や機能があるのと同じで、他者と自分を比較するという心の動きにも、いくつか機能があるんですよ。
大きく分けると、「自分自身を知るための機能」「集団をサバイブしていくための機能」「自尊心を保つための機能」の3つがあると考えられています。
関屋裕希(せきや・ゆき)。心理学博士、臨床心理士、公認心理師 東京大学大学院医学系研究科 精神保健学分野 客員研究員。専門は、産業精神保健(職場のメンタルヘルス)。業種や企業規模を問わず、ストレスチェック制度や復職支援制度などのメンタルヘルス対策・制度の設計、職場環境改善・組織活性化ワークショップ、経営層・管理職・従業員それぞれの層に向けたメンタルヘルスに関する講演や執筆活動を行っている。
生湯葉
それぞれ、くわしく教えてください。
関屋
ひとつ目は、「自分のことをもっと知りたい」という、人間だれしも持っている欲求を満たすための機能だといえます。自分のスキルや特性って、周囲の人と自分を比べてみることではじめてわかるものですよね。「他の人と比べてみると、自分はこの作業が得意だな」というふうに。
ふたつ目は、他者をお手本にすることでなにかを学んだり、社会の規範やルールを身につけるための機能です。たとえば私たちは、電車に乗るときに他の人を押しのけてはいけないというルールを、周囲の振る舞いを観察することで学んでいきますよね。
生湯葉
たしかに。実際に他の人の動きを観察して、自分と比べることですこしずつ覚えていきますね。
関屋
そして、最後の「自尊心を保つ」というのは、大変なときでも自分の心ができるだけ傷つかないよう守るための機能です。
言葉にするといやな感じですが、つらいときに自分よりもつらそうな人を見て、「こんなに大変な人もいるんだから、自分はまだ大丈夫だ」と安心することってありませんか? これは心理学では「下方比較」と呼ばれていて、自分よりも不幸な人、優れていない人と自分を比べることで安心しているのだと考えられています。
それとは逆の「上方比較」というものもあって、この場合は、自分よりもすこし優秀な人や幸せそうな人と比べ、「自分もああなれるように頑張るぞ!」と思うことで自尊心を保っているんです。
生湯葉
なるほど。なんとなく、「人と比べる」ってよくないことなんじゃないかと思っていましたが、それを手がかりに自分をより理解できたり、モチベーションを上げられたりすることもあるんですね。
関屋
そうですね。比べることにもいろいろな機能があって、必ずしも悪い側面ばかりではないんですよ。
この程度で「しんどい」って言っていいのかな?
生湯葉
仕事をしていると、自分の状況を同僚や周囲の人と比べて、「あの人のほうがしんどそうだし、自分ももっとやらなきゃ」とプレッシャーに感じてしまうことがあると思います。これはいまの3つの機能のうち、どれにあてはまるんでしょうか?
関屋
しんどさを周囲と比べた上で、それを休む理由にしたり努力するためのモチベーションにしたりするのではなく、自分を追い詰めてしまうということですよね。ちょっと新しいケースかもしれないな、難しいですね……。でも、「集団のなかでうまくやるために自分ももっと頑張らなきゃ」と感じているとしたら、ふたつ目が近いかもしれないです。
じつはこのインタビューの企画をいただいたとき、周りとしんどさを比べた上で「もっとやらなきゃ」と思っちゃうって、なんて真面目なんだ! と感じたんです(笑)。これって、実際にみなさんが悩んでいることなんですか?
生湯葉
職場において、すこしずつ後輩や、部下が増えてきた中間層の人たちはとくに、しんどさを周囲と比べて悩んでしまいがちだと感じています。新卒の社員は定時になったらちゃんと帰っているのに先輩たちはずっとオフィスに残っていて、自分はどうするべきなんだ……と板挟みになってしまうなんて話は、同世代の人たちからよく聞きますね。
編集部のみなさんはどうですか?
深水
私は社会人2年目なんですが、同じように、しんどさを人と比べて悩んでしまうことがあります。勤務経験がまだ長くないので、仕事でしんどいと感じることがあっても、「これって『しんどい』に該当するんだろうか……?」とわからなくなってしまって。
しんどい気はするけど、同じように働いている周りの人たちは大丈夫そうだし、自分ももっと頑張らないとなのかな、と思ってしまうんですよね。
関屋
なるほど……!
深水
結果的に、それで体調を崩したり睡眠の質が落ちたりしてしまって、あとから「ああ、あのときしんどかったんだな」と気づくこともありました。同じパターンを繰り返さないようにしたいんですが、どうすれば周りと比べることでしんどさを測るのではなく、自分で自分のしんどさに気づくことができるんでしょうか?
しんどさを測るための「ものさし」をつくってみる
生湯葉
いま深水さんがおっしゃったのは、「しんどい気持ちや体の不調を漠然と感じていても、もっと事態が悪化するまでそれに自分で気づけない」という問題ですよね。これで悩んでいる方、多いんじゃないかと思います。
関屋
そうですね。前提としては、「ちょっとしんどいかも」と自分が感じたら、もう他者と比べるまでもなく「しんどい」でOKなんですよ。でもいま言われたとおり、自分のしんどさをなかなか自分で受け止められなかったり、リアルタイムで不調に気づけないこともあると思います。
深水さんは、これまでを振り返ると、どんなときに「しんどい」と感じることが多かったですか?
深水
うーん……単純に仕事が忙しいときは常にしんどかったかというと、そうじゃない気がしています。周りの人たちと比べてちょっと忙しいんじゃないかと感じるときでも、充実していて心地いいと思う場合もあるし、逆に「こんなに忙しいの自分だけなんじゃないかな……」と考えてしんどくなる場合もある。自分でも傾向が掴みきれていなくて、難しいです。
関屋
でもいまのお話をお聞きする限り、深水さんはセルフモニタリングがかなりできていますよね。しんどさというのは自分にとって、どうも仕事の忙しさだけでは測れないものだとすでに気づいている。そうやって自分を注意深く観察していって、自己理解を深めていくことが大事なんだと思います。
深水さんのケースだと、忙しくても充実しているときとしんどくなってしまうときの違いを思い出してみて、それを見分けるためにはどんな“ものさし”があるといいかを考えてみるといいかもしれませんね。
生湯葉
しんどさを見分けるためのものさしというのは、たとえば「イライラしてしまう日が増える」というような指標のことであっていますか?
関屋
そうですね。でもここで大切なのは、他者を基準にしたものさしを自分にあてはめてみるのではなく、自分のオリジナルのものさしをつくることだと思うんです。
さっき深水さんがおっしゃっていた「睡眠の質が落ちる」というのも、オリジナルのものさしのひとつだといえます。ただ、しんどいときって判断力も落ちていることが多いので、主観的な指標よりも、できればもうすこし客観的な指標があるとよりよいです。
たとえば「1週間のうち、なかなか寝つけない日が4日以上ある」というものさしを自分で用意しておけば、それを基準にいまの自分の状態を振り返ってみて、「今週は相当きてるな……」と判断できますよね。
深水
たしかに! 自分用のものさしをあらかじめつくっておくと、わかりやすいですね。
関屋
「しんどいとSNSを眺めているだけの時間が増える」というような人もいますし、心身に負荷がかかっているときにそれがどんな行動や体調に表れてくるかは人それぞれなので、その都度振り返って観察してみることが大事だと思います。
ちなみに私は、しんどくなってくるとYouTubeで大食いしている人の動画を見がちなんですよね(笑)。大食い動画をボーッと見てしまう時間が増えてきたら、まずい、そろそろ休もう……と思うようにしています。
「自分自身を過剰に責めるクセ」を手放すには
生湯葉
さっき関屋さんは「自分がしんどいと感じたらしんどいでOK」とおっしゃっていましたが、深水さんのように真面目な人や社会人経験が長くない人ほど、「しんどいなんて思っちゃだめだ」と自分の気持ちを抑えてしまいやすいように思います。
「しんどい」という気持ちを自分で受け入れられるようになるためには、どうすればいいんでしょうか?
関屋
そうですね……。これも難しいのですが、そもそも私たちって、うまくいかないときに自分自身をつい責めてしまいやすいと思うんです。「しんどいのは自分の努力が足りないせいだ」とか「周りはもっと頑張っているはず」と、自分が自分の鬼コーチのようになってしまう。
深水
鬼コーチ……たしかに。私も、「この程度でしんどいなんて言っちゃだめかも」と思っていました。
関屋
それは私たち自身のせいというより、学校教育や社会環境の影響を受けて、知らず知らずのうちに自分に厳しくしてしまう姿勢を取り込んでしまっているからだとも思います。だから根本的には、自分自身との付き合い方を変えていくしかないと思うんです。
関屋
自分との付き合い方を変えていくにあたって、私がいま注目しているのは、「セルフコンパッション」という考え方です。
これは、自分自身に対して思いやりの気持ちを向けることを指します。たとえば私たちは、後輩が仕事に悩んでいるのを目にしたときに、「それはあなたの努力が足りないからだよ」と追い詰めるようなことってまずしないですよね?
生湯葉
そうですね。「大丈夫?」と声をかけたり、負担を軽くできないか考えたりすると思います。
関屋
だから私たちって、他者に対しては自然とコンパッション(思いやり)の気持ちが向けられるんですよ。それなのに、なぜか自分には向けられない。過剰な自己批判をすることに、あまりにも慣れてしまっているんですよね。
でも本当は、自分を過剰に責めるよりも、まずは思いやりの気持ちを持って「しんどい」ということを認めるほうが、問題に立ち向かうためのエネルギーが湧いてくるはずなんです。
深水
いまの関屋さんの話をお聞きして、まずは自分のしんどさを否定せず、向き合おうとしてみることって本当に大事なんだなと実感しました。
ただ、あまりにもしんどい気持ちが大きいと、ときにはそれに向き合いたくなくなってしまうこともあるように思います。「弱い自分を認めたくない」と思って、問題から目を背けてしまうというか……。
関屋
うん、そうですよね。私としては、「もうこのしんどさに向き合いたくない」と感じたときこそ、プロのカウンセラーや心理士の力を頼ってほしいと思うんです。
関屋
しんどさに自分で向き合えなくなってしまっているときって、まず必要なのは、「向き合わなくていい」と言ってくれる存在なんですよ。その姿勢を無条件に肯定されて、「この人は自分を理解しようとしてくれている」と感じられることによって、ようやく問題に立ち向かおうとするためのエネルギーも徐々に湧いてくる。
だからそういうときは、しんどい気持ちに自分だけで対処しようとせず、プロを頼ることもぜひ選択肢に入れてもらえればと思います。
「しんどさ」を不用意に比べさせない環境をつくるには?
生湯葉
さっきの関屋さんのお話に、私たちが自分を責めすぎてしまうのは学校教育や社会環境の影響もありそうだ、という言葉がありましたよね。
そう考えてみると、組織のなかにも、「他の人のほうがしんどいはず」と自分と周囲を過剰に比べてしまいやすい環境と、そうでない環境があるように思えます。この違いって、どんなところにあるんでしょうか?
関屋
同質性が高く、多様性が担保されていない環境では、人は不用意に他者と自分を比較してしまう傾向があるように思います。「みんな同じ」がよいとされる環境にいたら、「自分も周りと同じだけ頑張らなきゃ」という姿勢が前提になってしまいますよね。
一方で、それぞれ仕事における役割がある程度明確であったり、組織や同僚に対する信頼感がベースにあったりする環境であれば、周囲と自分のしんどさを必要以上に比べずにいられるのではないかと思います。
生湯葉
役割が明確というのはイメージしやすいのですが、「信頼感のある組織」って、具体的にはどんなふうにつくっていけばいいのでしょう?
関屋
そのためには、チームでも組織全体でも「手続き的な公正性」がある環境を目指すといいのではないかと思います。
何かを決めるときのプロセスが公正におこなわれている環境かどうか。公正性のある環境を実現するためには、組織のなかで以下の6つの項目が担保されていることが必要です。
・意思決定に一貫性がある
・定められたルールが、偏った先入観や私利私欲によるものではない
・情報や意見が適切に集められている
・多様な人々の意見を反映している
・一度決まったことでも場合に応じて訂正・修正される柔軟性がある
・現代社会の倫理・道徳に反しない
関屋
企業ポリシーやプロジェクトにおけるミッションが、こういったポイントをおさえた上で定められているか。そのプロセスがきちんと開示されていて、社員にも十分に説明されているかどうか。その都度確認していくことで、組織において「手続き的な公正性」を高めていけると思います。
組織が「対話と説明」の機会を設計することの重要さ
生湯葉
なるほど。ただ近年だと、会議や総会などもオンライン開催というケースが増えてきていますよね。リモートの場合、決定事項に関する社長や上司からの説明に疑問を感じてもなかなか質問できなかったり、そもそも同僚との対話の機会自体が少ない……ということもありそうです。
関屋
そうですね。だから組織としてはむしろ、リモート環境だからこそ、社員同士の対話の機会を積極的に設計したほうがいいんです。
周囲の反応を見たり意見を言い合ったりする機会がないと、人ってだんだん疑心暗鬼になってしまうものなんですよね。たとえば社長からのメッセージひとつとっても、「どんなプロセスで決まったんだろう」「上司の〇〇さんはどう感じたんだろう」というのがわからないと、自分のなかでどこかモヤモヤしてしまう。
生湯葉
オンライン上のテキストのやりとりだけを見て「〇〇さん、あんまり納得いってない感じがする……」とか勝手に考えてしまいそうですね……!
関屋
ええ。だからこそ、手続きや説明が公正におこなわれているかどうかは、組織を考える上でとても重要だと思います。
さらにいうと、人が自分らしくいられるためには、自分で主体的に動ける「自律性」、自分の成長を実感できる「有能さ」、周囲とよい関係を築きたいという「関係性」の3つの欲求が満たされていることが大事だと考えられているんです。
こういった欲求がすべて満たされている環境であれば、「ネガティブな気持ち」になることも少なそうだと思いませんか?
生湯葉
たしかに。主体的に働けていてチームメンバーのことも信頼していると感じられれば、他の人と比べて、自分だけでしんどさを抱え込んでしまうこともすこし減りそうです。
関屋
人ってやっぱり、環境から大きな影響を受ける生き物なんですよ。だから組織づくりにおいては、こういった3つの欲求を満たす環境が整備されているかどうかを考えてみることも、大切なことなんじゃないかと思います。
企画:木村和博、サイボウズ式編集部 取材・執筆:生湯葉シホ 撮影:加藤甫 編集:木村和博