僕の仕事は「大したこと」ではない。バズらず、真面目に、ひとりのために本を作る──夏葉社・島田潤一郎の仕事観
9月7日、東京・下北沢のBONUS TRACKにて散歩社とサイボウズ式ブックスが合同で開催した「BOOK LOVER'S HOLIDAY ーはたらくの現在地ー」。はたらく価値観が多様化する今の社会において、本を通してあらためて自分の仕事について見つめ直す機会をつくりたいという思いで開催した本イベント。
イベントの中では、これからの「はたらく」を考えるための3本のトークイベントをご用意しました。
その中のひとつが、夏葉社(なつはしゃ)代表・島田潤一郎さんによる講演会。20代後半まで作家を目指していたという島田さんは、夢に破れ、社会的にも認められず一度は「絶望的」な状況を味わったと言います。ただそこから出版社である夏葉社を2009年に立ち上げ、今では15年間、ぶれることなく美しい本を作りながら、健やかに仕事をして生きられています。
今の島田さんの仕事の仕方に至るまでには、どのような紆余曲折があったのでしょうか? 島田さんの仕事観をたっぷりとお話いただきました。
小説家を目指すも鳴かず飛ばず。絶望的だった20代
はじめまして。島田潤一郎です。
私は夏葉社という出版社を経営しています。2009年に始めた出版社で、今年の9月1日で15周年を迎えました。1年間アルバイトの方が手伝ってくれたこともあったのですが、基本的にずっとひとりでやっています。
「ひとりで出版社ができるものなの?」と思われる方もいるかと思いますが、それが、できているんですよ。家族4人で、ちゃんと生活できています。なんと今年は夏休みを3週間も取ることができました。こんな夢のような話はないと思いませんか?(笑)
でも、もともと僕は編集という仕事をやったことがありませんでした。当時は本を作ったこともありません。ただただ、本が好きなだけで出版社を始めたんです。
「なぜ出版社を始めたのか?」という問いに答えるには、2つのきっかけがあります。ひとつは、僕はもともとプロ作家志望で、22歳から27歳まで仕事をせずにずっと本を読み、小説を書いていたんですね。いろんな賞にも応募したのですが、まったく鳴かず飛ばず。新人賞はおろか最終候補にも残らないし、なんなら一次にすら通らない。全然芽が出ずに、5年間で諦めました。
そうすると、あまり有名ではない大学を卒業して、作家志望で5年間仕事をしてこなかった人間に対して、この社会はあまり優しくないことに気がつきました。履歴書の特技欄に「プルーストの『失われた時を求めて』を読破」って書いているような若者はどの会社にも入れないんです(笑)。
すると、朝から午前0時まで働かなければいけないような会社にしか入れなくて。しばらく会社勤めをしたけれど、うまくいきませんでした。32歳、ちょうどリーマンショックの時に2社目をやめて、働かなきゃいけないから仕事を探したんですけど、50社受けてもどこにも受かりませんでした。平たく言うと絶望的なわけです。まずはそういった、自分自身の状況がありました。
もうひとつは、同じくらいの時期に、子どもの頃からずっと仲が良かったいとこが亡くなったんですね。彼は僕にとっての一番の親友でした。まったく予想もしなかった親友の突然の死に、当たり前ですけど非常にショックを受けました。
自分の仕事の状況と、親友の死。それが重なったのが、2008年のことでした。
一番つらい時期を乗り越えるために、本を読んできた
そしてちょうど2008年ごろは、ミシマ社さんをはじめとして「小さな出版社」がたくさん出てきていた時代でした。
今のXやInstagramのようなスマートフォンをベースにしたSNSは当時なかったのですが、mixiなどはあって、そういったブログを通して、作家ではない編集者が自分たちの声を読者に対して届けるようになっていたんですね。「自分たちはこういう思いで本を作った」というようなことを、僕と同じくらいの年齢の人たちが発信し始めた。
そういう彼らの文章を見て、「ああ、僕も出版社をやってみたい」と思ったんです。
僕は人より優れた能力があるわけではありませんでした。性格は真面目ですけれども、チームを組んで何かをやるとか、マネジメントがうまいとかそういうのもないし、ExcelもWordもパソコン作業全般は今も苦手です。社会から見て僕は能力がないようなものだったけれど、じゃあ僕が20代を無駄に過ごしたのか? というとそうではなくて、文章を書いて、小説をたくさん読んできた。
そして親友が亡くなった時、思ったんです。人生で一番ハードでつらい時間を乗り越えるために、僕は本を読んできたし、文章を書いてきたのではないか? と。そう考えると、すごく自分の中にみなぎるものがあった。自分のやってきたことは無駄ではない。今までの経験を使って、本を作ろう。そうすれば何とかなるような気がしました。
だから、出版社を作ったんです。
「息子を亡くした叔父と叔母のために、本を作ろう」
出版社をやろうと決めて、僕はまず亡くなったいとこのことを思い、「叔父と叔母を慰めるような本を作ろう」、2人の力になるようなものを作ろうと思いました。
そして、最愛の息子を失った叔父と叔母のために『さよならのあとで』という本を作りました。ヘンリー・スコット・ホランドという100年ほど前に活躍した神学者がいまして、その人が書いた、「死」にまつわる一遍の詩をぼくはたまたまある本で知ったんです。それを1冊の本にしようと。
ただ、編集の経験がないのでどうすればいいかわかりません。絵を描いていただいて、造本を考えて……結局その一編の詩の本を作るのに、2年ほどの歳月を要しました。
実際に作り終わって、印刷所から会社に届いた本を見て、よくやったなと思ったかと言われたらそうではなくて、これがいい本なのかどうか、全然わからなかったんです。
でも、この本は現在、弊社で一番多く売れている本なんですね。刊行は2012年1月ですが、今でもずっと増刷を続けています。
それはおそらく、叔父と叔母のためだけに作った本だからなんです。
大多数の誰かのために作ったのではなく、叔父と叔母のためだけに作った。それ以上でもそれ以下でもない。その強い思いが、きっと他の多くの読者にも届いたわけです。誰かひとりのために作る。それが、ものづくりの一番のスタートではないかというふうに今でも思っています。
僕は15年間出版社を続けてきましたが、経験を積み、本づくりのことがよく分かり、効率よく作れるようになったから本が売れるようになるのかというと、そうではないと思っています。
ものを作るという意味においては、経験は決して自分を助けてくれない。それよりも、「ゼロの気持ち」と言いますか、初心者のような強い純粋な気持ちで何かと向き合って作れたものの方が、いいものができるような気がするんです。
自分ではなく、他者のために
『さよならのあとで』を作っている時、もうひとつ重要な価値観の転換がありました。それは、僕がそれまでに培ってきた、本を読んだり文章を書いたりする能力を、自分のためではなく誰かのために使いたいと思うようになったこと。
一生懸命やってきたことが、もしかしたら誰かのためになるんじゃないかと思えた時、自分の中で頑張ろうという思いがさらに増したんですね。
それまでは、いかに能力を身に着けるかとか、他の同級生よりも賢くなりたいとか、社会的に認められたいとか、そういうことばかり考えていた気がします。そのために努力をしなきゃいけないと思って頑張っていましたが、そうではなく、自分の努力を誰かのために使う方が元気がみなぎってくることに気づいたんです。
泥臭い言い方ですが、自分よりも誰かのことを大切に思えるようになった時、人は大人になれるんじゃないかなと思います。僕はそれまで自分が一番大切だったけれども、ある時から、自分ではない誰かのことを同じくらい大切に思うようになってきた。
そんなことに気づいたのも、夏葉社で本を作り始めてからでした。
バズらない。それでいい
僕は、自分が作った本が飛ぶように売れなくてもいいと思っています。つまり、バズらない。バズらないけれども、ちゃんとコツコツ売れていくこと。それがいいことだと思っています。
これは一般論ですけど、ものを作り、それを1ヶ月で売り切るのは非常に難しいことです。3ヶ月でも難しいと思います。何か起爆剤みたいなものがなければいけないし、それは今の時代だったら、誰か有名な人に紹介してもらうとか、それこそ「バズ」らないとそういうものの消費は生まれないわけですよね。
1ヶ月でものを売ろうとすると、挫折を多く味わう。3ヶ月で売ろうと思っても、多くの挫折を味わう。でも、それを半年、1年……もはや5年と考えたら、いけると思いませんか?
自分がいいものを作れたなという確信があって、周りの同僚や家族や友人たちもそう言ってくれたとする。1ヶ月で3,000個売りたいとなると、何か施策を打たなければいけません。でも、5年・10年かけて全部売りたいのだとしたら、途端に売る視点が変わると思います。仕事の質が変わっていく。
短く多くの人に届けるよりも、ちゃんと見てくれている読者の信頼を裏切らないこと。それが一番大切です。我々は何のために仕事をしているのかと言えば、読者のために仕事をしてるわけです。もちろん作家のために仕事してるという側面はありますが、第一義的には読者です。
だからこそ、シンプルなものづくりで、なるべく綺麗な紙をつかって、中身もちゃんとしたものを作る。それをコツコツ売っていく。誠実でいれば、商売というものはだんだんうまくいくのだと思っています。
誠実さがあれば、仕事は成立していく
もちろんこの仕事の仕方では、1年目はとてもきつかったです。2年目もしんどかった。たくさん営業に行って、全部かき集めても500冊とか600冊ぐらいの注文で、その日にたくさん売れることはありません。
でも、それでも地道に本を作っていくと、タイトル数が増えていきます。夏葉社の刊行数は、今では53冊になるかな。売り上げも、塵も積もれば方式になって、どんどんと上がっていく。
僕の場合、10年目ぐらいになってから仕事がやっと楽になりましたね。仕事のスタイルは何も変えていないし、なんならさらに好きなものを作っていますけれども、経営は楽になっていきました。それは、15年かけてコツコツといいと思える本を作ってきたからです。
ある時期から、書店に営業に行くと、書店員さんに「夏葉社の本だから買ってくれるという人がいるから、きっと大丈夫ですよ」と言っていただける機会が増えていきました。
それは今、数で言ったら2500人ぐらいかもしれない。夏葉社の本は、初版2500部ほどが、2年、3年かけて売り切れてくれることが多いです。
だから僕は、2500人の読者に対して誠実であろうと思っています。あとの1億2000万人に対しては、もしかすると誠実ではないかもしれない。でも、うちの本に対していいと思ってくれる、認めてくれる2500人に対してきちんと誠実に対応していれば、何とか出版社というものは継続していけるものだと思っています。
そりゃあ、ポルシェには乗れないですよ(笑)。ポルシェには乗れないし、高級品を買うことはできないけれど、しっかり家族4人が食べて暮らしていける。3週間の夏休みが取れる。だいたい最近は、労働時間は1日5時間ほどで仕事が成立しています。
僕には、「こんな企画の立て方があって」とか「企画の煮詰まった時はこんなことやって」とか、そういうものはまったくありません。ただ、真面目にコツコツ誠実に仕事をしてきた。僕にとっての仕事とは少なくともそういうことであって、大したことではないんです。
でも、そうやって本を作って生きていけていることは、こんなに幸せなことはないんじゃないかなって今でも思うんですよ。
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執筆
あかしゆか
1992年生まれ、京都出身、東京在住。 大学時代に本屋で働いた経験から、文章に関わる仕事がしたいと編集者を目指すように。2015年サイボウズへ新卒で入社。製品プロモーション、サイボウズ式編集部での経験を経て、2020年フリーランスへ。現在は、ウェブや紙など媒体を問わず、編集者・ライターとして活動をしている。
撮影・イラスト
藤原慶
1993年 神奈川県生まれ。2年間のバックパッカー経験を経てフォトグラファーになることを決意。最終的にたどり着いた名古屋でアシスタント勤務を経て上京。