自分の“もやもや”をはき出すことが次の一手に──野中郁次郎 一橋大学名誉教授×青野慶久
野中先生の著書に経営者としての心得を学んだサイボウズ社長の青野慶久が、先生ご自身の学びの原点や独自の理論が生まれた背景、さらにはリーダーに求められる能力などについて話を伺いました。(第1回目はこちら)
今回は、先生の理論「SECI(セキ)モデル」というものが、私たちの日々の仕事においてどう役にたつのか聞いてみました。
ベストセラーの背景
私は、1995年に出版された『知識創造企業』(東洋経済新報社)で先生の理論を初めて勉強させていただきましたが、個人的な感想を言うと、正直読破するのはとても辛かったです。サラリーマンから転身してあの本を書くまでに至った経緯も気になります。
読むのが辛かったとのことですが、書いている奴が辛いんだから、そうですよね(笑)特に第2章がね。私もこの章は書くのがとても辛かったんです。
先生も辛かったのですか(笑)どうしてそのような章を加えたのですか?
実は、この本の共著者である竹内氏は当時、読みやすい経営本にするためには、哲学を解説したこの章を削ったほうがよいと訴えていました。でも私はこの本で、マネジメントのハウツーではなく、理論に基づいた本質論を述べたかったんです。 バークレーに留学した時に私が専攻したのはマーケティングでしたが、ドクターコースでは専門分野を2つ履修しなければならなかったので、マーケティングに加えて社会学を選択しました。そこで理論構築の方法、概念や理論の作り方を徹底的に叩き込まれたんですが、その「本質を究める」作法が、その後の私の研究作法のベースになっています。
非常に難解な本だとは思いますが、実はこの章があるから、単なるハウツー本ではなく古典となった、とも思っています。
どのようにして、「知識創造」という言葉を生み出したのですか。
バークレーでの私の指導教授は、消費者の意思決定プロセス、人間の思考プロセスを「情報処理」ととらえていました。その考えのもとで私は、組織・企業・環境を、「情報処理」で考えるということをしていました。 その研究をし終えて、日本に戻ってきたのですが、当時、ハーバードで教鞭を執っており、バークレーの後輩でもある竹内弘高氏(現・ハーバードビジネススクール教授)が私のところにやってきて、ハーバードビジネススクールから同校の創立50周年を記念して、イノベーションをテーマとしたカンファレンスを開催したいから、日本企業のイノベーション事例を調査研究して発表してほしいとの依頼があったのです。 そこで、日本企業の象徴的なイノベーション事例である新製品開発プロセスを一緒に調査研究することになりました。
その研究では、ホンダ、富士ゼロックス、キヤノンなど世界的にも有名な企業の新製品開発を追跡して考察を行いました。 実際に開発現場に入り込み、エンジニアたちの話を聞いてみたのですが、人や組織は、単なる受け身的に情報を処理しているのではなく、開発に向けた情熱や信念といった強い思いがあるのを感じました。
個人でも困難な課題に挑戦し、さらにチームとしてその強い思いを共有しながら開発に挑んでいく現場を目の当たりにして、私の頭の中で、これは単に「情報処理」ではなく知識創造活動だという考え方が広がっていきました。
研究されるなかで、その言葉が出てきたのですね。
この調査研究をもとにまとめた論文が、1986年に『ハーバードビジネスレビュー』に掲載され、私が提唱した「知識経営(ナレッジマネジメント)」という考え方が多くの研究者や企業に受け入れられるようになり、欧米でも名前が認知されるようになりました。
その後、知識創造についてより考えを重ね、“知識”を取り上げるからには哲学についても触れる必要があると思い、哲学的な知見も含めてまとめたのが『知識創造企業』です。哲学の章が入っているのはそういう背景があります。
イノベーションはもやもやから生まれる
先生はその『知識創造企業』でナレッジマネジメントの考え方を世界に広め、まさに野中理論の真骨頂である「SECI(セキ)モデル」という組織的知識創造プロセスにおける画期的な理論を提唱されました。 私は「暗黙知」は、自分の中にあるもやもやとした考えや感覚のようなもので、でもそれを自分の中にとどめておくのではなく、言葉にして表現してみると、共感してくれる人がいるかもしれない。それを繰り返していけば、自分だけでは発想しえなかったような知恵が生まれるかもしれない、と解釈しています。
そして、実はこの繰り返しが、会社の中でのコミュニケーションそのものであり、イノベーションの種だと思っているんですが…。
その解釈で結構ですよ。仰る通り、暗黙知はもやもやしたものなんです。肝心なのは、そのもやもやを解消するためにも、それを言葉にして表現することです。 たとえば、長嶋監督みたいにね、「ガーンといけ」「バーンといけ」というのではなく、野村監督のように、「どうしたらヒットが受けるか」「グリップの位置はどうこう」といった「ID野球」などは、見事なまでに、みずからのノウハウ(暗黙知)を言語化(形式知化)した例だと思うのです。そして、言葉が単に事実を述べるだけでなく、相手の気持ちを触発できる言葉であると、いいスパイラルを生むようになります。
ワインソムリエの「草原の薫りがするなめらかな舌触り・・・」と言う言葉が、私たちの本能を刺激しないと、「本当かよ」と思って終了してしまい、そのソムリエの言葉からイメージされた会話(知)が生まれなくなりますよね。つまり、自分の感情(暗黙知)を、言葉(形式知)にして、人の感情(暗黙知)を刺激し、共感・共振・共鳴する「共同化」が非常に重要です。 我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。それがイノベーションなのだと考えています。イノベーションとは、実はSECIスパイラルなんです。
私は以前、戦略の振り返りを、全社員が見る掲示板に書き込んだことがありました。私の中では、“こう決めてやってみた結果、こうでした” と論理的に説明して、「みなさん、分かったよね」というつもりで書き込みました。すると、ある社員から「青野さんはそれについてどう思っているんですか?」と言われたんです。そこで私は、ハッとして、これはたぶん共感する言葉が足りてないのかな、と思って、正直な気持ちで「悔しい」と書いたんです。 「勝ちたい。悔しい」と。そしたらみんなが「納得しました」と言ってくれたんです。 「悔しい」とか「勝ちたい」とかという言葉は、私にとってあまり意味がある言葉ではなかったのです。自分が勝手にそう思っている主観だと思っていたから。ところが、みんなが求めていた言葉はそれで。それを発したことによって、みんながアイデアを出してくれるようになりました。このときに「理屈だけではサイクルが回らない」、みんなの気持ちを触発する何か言葉が必要で、その言葉(自分の暗黙知)を発しない限りは、次の共同化が生まれない、と思いました。 これを体験したときに、野中先生のおっしゃっている理論が、少しだけ体感できたような気がしました。「あ、これか」と。「理屈だけではイノベーションは絶対に起きない」と。 自分の感情(暗黙知)を、言葉(形式知)にして、共有・共感してもらい、そこから対話してお互いの言葉をぶつけ合って、新たなものを産んでいくことができるんだと思いました。
まさにその通りですね。私たちは、自分の経験を語りきることは不可能だけども、語り合うことで、お互いの不足点を補いあうことはできます。知を創造するために重要なのは、さまざまな関係性を読むことですが、私はこれを「コンテクスト(Context、文脈)」と呼んでいます。言葉には、前後関係が重要で、たとえば「結構です」ということばが「よい」という意味なのか、あるいは「必要ない」という意味なのかは、前後関係で決まります。
また「俺はうなぎだ」などという言葉、これはどう考えても論理的におかしいのですが(笑)、和食屋に行って「お前は何を食べるんだ」と聞かれたら、「俺はうなぎだ」という返事で十分に伝わります。これが文脈を読む、ということです。つまり解釈なんです。SECIスパイラルは、コンテクストを共有していくことでもあります。
そういう意味で、関係性から世界を見ることが非常に重要になります。暗黙知、というのは結構深くて、人間は、すべての経験を言葉にはできないんですね。
関係性から世界を見るためには、そういう言語・文章で表現するのが難しい「暗黙知」と、それを何とか言葉で表現した「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。マネジメントの観点からいえば、こうした取り組みは、もはやアートの世界に通じるものがあると思います。
私たちのソフトの目指す究極的な役割というのは、いかにそのスパイラルを発生させるベースになるかだと思っています。コンテクストの共有に存分に活用されるソフトでありたいと思います。社内でも、コメントがたくさんついているものを見ると、たいてい感情の発露が起点になっているものが多い気がします(笑)。
西洋的な考えは、論理的に突き詰めていって、そこから現実を診断するという考え方が強いですが、実は身体や五感を表すことが一番重要なのですね。論理だけでは、人間の想いや、未来をつくるであるとか、社会のために何をするか、という話が出にくくなります。
感情を言葉にすることが一番大事、そしてそれが、SECI理論の始まりになるんですね。萎縮しないで自分の中のもやもやとした考えをチームで共有していこう、そうするとイノベーションにつながるかも、という言葉には、勇気をもらえる気がしました。
最終回は、いわゆる“ケーススタディ(事例)”は、どのように学ぶものなのか、リーダーに求められるものとは何なのか、について引き続き野中先生と青野が議論していきます。「あんまりデータを眺めてばかりだといけないよ」と野中先生は、青野社長に言われました。その真意はどこにあるのでしょう。引き続きお楽しみに。
撮影:橋本 直己
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