歩きスマホならぬ歩き読書家の二宮尊徳は、江戸時代の社会起業家だった
名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていないビジネス界の偉人を分かりやすく解説してもらい、あわよくば我々の明日の仕事にも活かしてしまおうというお得なこの「ビジネス偉人伝」。前回はカーネギーさんでしたが、今回は昔よく見かけたあの銅像の人を取り上げます。
※平山先生と千野根 滋は架空の人物です。(原作:梅崎修)
誤解され続ける偉人?
前回のカーネギーさんのお話で、偉人と呼ばれる人も身近な存在として理解できたような気がします。平山先生、今回は誰を取り上げましょうか。
そうですね。前回はアメリカ人でしたが、第二回目は、日本の偉人の中の偉人、二宮尊徳先生を取り上げましょうか。二宮尊徳という名前は聞いたことがありますよね。
二宮尊徳・・・う~ん、道徳の人ですよね。全然ビジネスと繋がりませんけど。薪を背負って本を読んでいた努力家というイメージしかありません。
尊徳先生は、常に誤解と共にある不幸な偉人です。薪を背負って本読んでいた人というのは、彼の青年時代の一つのエピソードにしかすぎません。若い人は知らないと思いますが、尊徳先生は、明治から終戦まで修身の教科書に登場する大人物で、多くの小学校には、貧しさと闘いながら勉強した青年時代の薪を背負って本を読む尊徳先生の銅像が残っていました。ちなみに銅像は実際の彼よりも若くなっていますね。今の小学校にはないでしょうね。彼は、病気で両親を亡くし、親戚に引き取られるのですが、働きながら独学で勉強し、実家の農家を建て直します。ただし、修身の教科書では、成人した後の尊徳先生にはほとんど触れていません。「まずしくても、がんばって、べんきょうして、えらいひとになりました」で終わりです。これが第一の誤解なのです。彼の激動の人生が始まるのは大人になってからです。さらに終戦後、戦前の修身の教育が批判された結果、尊徳先生が学校で教えられることはなくなりました。古臭い道徳の人、忘れ去られた偉人になってしまったのです。誤解されて教えられ、その誤解の教育が批判されたという歴史です。残念なことです。
なるほど。すると、我々が学ぶべきは、真面目な少年のその後の活躍ですか。
身長182cm、体重94kgの大男の圧倒的な顔面力
そもそも、皆さん銅像を見て、教科書を読んで、二宮尊徳先生を勉強好きな真面目な優等生というイメージでとらえてしまいます。大人になった尊徳先生は、身長約六尺(182cm)、体重二十五貫(94キロ)ですよ。当時の日本人としては、異常にデカい。さらに、その顔(肖像画)を見てください。
・・・。少年期とギャップがありすぎて、同じ人とは思えません。
この〝顔面力“の強さは、圧倒的です。尊徳先生は、実家を建て直した後は事業を拡大します。その実績が評判となり、武士の家計改革や貧しい農村の立て直しをしていきます。江戸時代の廃村の立て直しは容易ではない社会的な大事業です。でも、こんな顔の大男がやってきて「節約しつつ、一緒に働こうぜ」と言われれば、とにかく説得力があると思いませんか。
たぶん会うだけで感動します!
でしょう。そもそも尊徳先生は、上から指示するだけのリーダーではありません。率先して農作業を行い、村々を巡回して歩き、疲れれば道端でもごろ寝したと言われるこの人は、屈強な体や顔に苦労を刻んできたわけです。彼こそは、"実践する社会思想家"なのです。
社会起業家としての尊徳先生
ようやく、少しビジネスとつながりが見えてきました。自営業者としての手腕が評価されて、財政改革やまちづくりの担い手になった。
その通りです。藩のレベル、村のレベル、家のレベルに分かれますが、財政再建策の総称を尊徳先生とその弟子たちは、「仕法」または「報徳仕法」と呼びます。今の言葉で言えば、尊徳先生は、ソーシャル・アントレプレナー、つまり社会起業家と言えますね。社会起業家とは、社会の課題を事業によって解決する人、社会変革の担い手であり、「仕法」とは現場主義に基づいた変革計画です。尊徳先生の生まれは、天明7年(1787年)、亡くなられたのは安政3年(1856年)です。明治元年が1868年ですから、死後12年で明治時代なのです。尊徳先生は、江戸時代が終わろうとしている変革期の人であり、江戸末期の混乱した社会を立て直そうとした。大河ドラマでは、幕末や戦国時代を取り上げますが、1年間かけて尊徳先生を取り上げてくれないでしょうかね。NHKさんお願いします。
はは、この迫力を演じられる役者が見つかりませんよ!ところで、尊徳先生の経営センスは、財政改革やまちづくりの仕法にどのように活かされたのでしょうか。
まず、尊徳先生の経営センスについて説明しましょう。第一に挙げられるのが、徹底した経営倫理*です。経営は単なる儲け主義では成立しません。お金をその場かぎりの享楽に使わず、節約し貯めるという倫理が必要です。しかし、単なる節約主義でも経営は成り立ちません。少しずつ溜まってきたお金は、必ず将来のために計画的に投資するという倫理も必要なのです。
たしかに儲けたお金を全部使いきると、何かしたくても何もできませんし、何も目標がないのならば貯めても意味がない…。
「積小為大」-つまり、小を積んで大を為すという言葉は、彼がよく使った言葉ですが、これはどんな小さな資金でも元手として将来に投資しなさいという意味です。彼は自分なりのやり方で「日本資本主義の精神」を作っていったのです。さらに尊徳先生は、この倫理を他人にも説きます。「分限の内を省いて有余を生じ、他に譲り向来(将来)に譲る」つまり「稼いだ中からそれ相応の余剰の資金を貯めて、未来に投資しろ」と言っています。江戸時代には、「宵越しの金は持たない」という、今がよければいいじゃないか、という刹那的な生き方をする人も多かった。世の中が不安定になれば、ますますそんな人が増えてきます。だからこそ、人の心を啓蒙しなければならないと考えたわけです。つまり、投資に積極的な倹約家になれと。
日々の浪費で貯金の少ない私には耳が痛い話です。
千野根さん、小さなことからコツコツと(笑)。さて、第二に挙げられるのが、彼が持っている「自然を組み込んだ認識能力」です。尊徳先生には、茄子を食べた時にその味に違和感を持ち、飢饉の到来を予知するという伝説があります。この伝説は、尊徳先生が体の中に身体的感覚である「味」と先人たちの「伝承」をデータベースとして一緒に蓄積して、これらを繋げて世の中を認識していたことを意味します。
ナスを食べて変な味がしたら「腐っている!」としか思わないですが、そこが凡人と偉人との差ですかね。
(苦笑)。そうかもしれないですね。予知という行動は、言語では説明不可能な「味覚」や「触感」といった感覚を通して自然のような外部世界を捉えることです。節約して投資することの大切さを説いた尊徳先生の経営センスは単なる頭の良さだけではなく、経験によって培われた身体的な認識能力によって成り立っているわけです。よく考えてみてください。むろん100%の予知ではありませんが、飢饉とは逆に「以前より味がいいな」というように来年の豊作を予知することも可能なのです。尊徳先生は、先物取引をしても成功しているかもしれませんね。
なるほど、これらは現代の経営者にも当てはまる能力ですね。そして、これらの経営センスで、財政改革やまちづくりにも取り組んだ。
その通りです。しかし、事業経営とまちづくりは違うところがあるので、尊徳先生も大変な苦労をします。経営は、所有と実行の分離が明確ですし、指揮命令系統がハッキリしていりますが、まちづくりは小さな所有者が集まってボトムアップで意思決定する場なのです。だからリーダーがやるべきことは、意思決定するだけではなく、みんなの集合的意思決定が上手く機能するように導くことです。つまりこれは「政治」です。いつの時代でも、これのような集合的意思決定はとても難しい。よく経営者が政治家に立候補することがありますが、民間企業のセンスを政治に活かすと言いますよね。この難しさが分かっているのかな。
わかっていないのか、それともわかっていても言わないのか。
江戸時代にワークショップ
尊徳先生は、数々の藩や村の「仕法」を手掛けますが、大変な苦労をし、時に失敗もしています。苦労の理由はいろいろありますが、江戸末期は市場経済が拡大しており、村という共同体が崩壊している場合も多く、結局、金銭の刺激に短期的に反応する利己的な人が増えてきているからです。協力して村のための社会的インフラに投資するというような共同行動が成り立たない。尊徳先生の経営倫理が、残念ながら人々の心に届かないのです。尊徳先生も、一時、人の心の狭さに絶望し、3ヵ月間の失踪をしたことがあります。仲間や支持者が探したところ、成田山新勝寺で断食業をしていました…。
絶望しても、断食業……どこまで熱い人なのでしょうか。
熱い信念の人です。もちろん、財政改革やまちづくりには、市場経済を活かし、お金がらみの経営手法を導入します。しかし、それだけでは、藩も村の経営も上手く機能しない。財政改革やまちづくりがちょっとでも上手く機能すると、そこで生み出された利益を浅ましく奪おうとする人が出てくる。まともな人も疲弊し、結果的に相互不信が広がっていく。
それって、企業経営も同じですよ!!
そう思います。だからこそ、尊徳先生は、荒れた農村の復興は、経営手法の開発だけではなく、心の開発を第一に考えたのです。これを「心田(しんでん)開発」といいます。いい言葉じゃないですか。ではどうすれば心田は開発されるか?それに対しては、尊徳先生は「いもこじ(芋こじ)」という答えを持っています。「いもこじ」とは泥のついた芋を洗うとき桶の中でぶつかり合ってお互いが磨かれると言うことで、"芋洗い"と同じ意味です。村々では、いもこじ会をつくって村民が車座になって、自由討議を続け、お互いの心田を開発していく。これって、今でいうところのワークショップですよね。
尊徳先生、新しいです!最初のイメージが全て覆されました。
尊徳先生は、今、この日本に必要な人なのです。彼は、膨大な書き物、仕法の実践記録を残していますが、偉人としての真骨頂は、彼の心身の中で実践と思想が一体化していることです。全日本史を見渡して、これほどの「実践=思想」の人物はいません。実践が伴うからこそ、さらに実践経験が思想を鍛えたからこそ、人を感動させられるのです。彼の死後、その門人たちは、その感動を伝播させ、仕法の実践を各地の村々で続け行きます。明治の復興の陰に尊徳先生あり!実践が次の実践を生み出す!これから尊徳先生から学びたい人は、ぜひ小田原の報徳二宮神社・報徳博物館・尊徳記念館に行きましょうよ!あれ、前回同様、また最後に熱くなってしました。毎回、すいません。
いえいえ、平山先生の熱い語りも、毎回期待しています(笑)。次回もよろしくお願いします。
photo credit: jpellgen via photopin cc肖像画提供:報徳博物館
■参考文献(&著者からのおすすめ本)・内村鑑三「代表的日本人」-二宮尊徳を世界に知らしめた本です・小林 惟司「二宮尊徳―財の生命は徳を生かすにあり」-もっと二宮尊徳について詳しく知りたい方向け・井上章一・大木茂「ノスタルジック・アイドル 二宮金次郎―モダン・イコノロジー」-二宮尊徳の銅像の歴史をマニアックに探りたい人向け・経営倫理について詳しく知りたい方には、マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が古典的名作です。
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