一生フリーランスの生存戦略を学ぶ──東海林さだお、マンガ界・エッセイ界の最長距離ランナー
名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていない "ビジネス界の偉人" を分かりやすく解説する「ビジネス偉人伝」。
前回は吉本隆明を取り上げ、「意識高い」とは何か、考えました。今回は「一生フリーで稼ぐ」ことについて、偉人を介して考えてみます。
組織に縛られない生き方
前回の吉本隆明さんでは、20代のわかばさんの相談から講義がはじまったのですが、私の周りにいる若者たちからも、たいへん評判が良かったですよ。思想家というとっつきにくい偉人が、実はわれわれの身近な問題を考えていたのかと驚いたらしいです。
身近な問題をとことん考えるのが思想家なのかなと思いました。評判がよかったということで、今回も相談からはじめちゃってもよいですか(笑)。
また!(笑)、まあ若さとは、悩みの宝庫ですからね。
実は、最近、大学の同窓生が急に会社を辞めちゃったんです。びっくりして、落ち込んでいないかと思って、ご飯を一緒に食べたんですけど…。これが、結構明るいんですよ。
彼女は、理系女子でITスキルが高くて、一人でプログラムをどんどん書けちゃう、エンジニアの友達も多い。だから、フリーで食べていける。大学院で勉強し直す計画もあるそうです。
思い切った選択だけど、スキルに支えられているわけですね。
辞めたといっても、収入はだいたい変わらないらしいです。励まそうと思って会ってみたら、なんか羨ましくなってしまいました。
組織に縛られない生き方というやつですね。少し前にはノマド・ワーカーが流行りましたね。
私のような文系出身者にはうらやましい話です。フリーの営業って聞かないです。
おや、わかばさんも独立の希望があるんですか?
独立というか自由業ですね。今の会社は安定しているけど・・・私も、大学時代はフリーライターとかモノを書く仕事に憧れていたんですよ。
フリーエージェント社会の誕生
「一生一つの会社」という働き方が少なくなっているという議論は世界的にも盛んです。日本の場合、「終身雇用(という神話)」がありますから、特に自由業と終身雇用が対比されてしまうんですが、転職社会と言われるアメリカでも基本的には同じです。
アメリカで2001年に刊行され、翻訳本は2002年に刊行されたダニエル・ピンク著『フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか』では、オーガニゼーションマン(組織人間)(=企業内に囚われたキャリア形成)に対比して、フリーエージェント(組織に雇われない働き方)の未来を明るく語っています。
まさしくその言葉が、私のイメージにピッタリ。
言い換えると、それまでのアメリカ社会には、大企業中心の組織人間が多かったと言えるでしょう。組織人間って、日本語に言えば、会社人間ですよね。日本もアメリカも大企業では終身雇用、正確に言えば長期雇用慣行が一般的であったと言えます。
では、ビジネスの世界も、どんどんフリーエージェント社会になるのでしょうか。
フリーエージェントの人は増えると思いますよ。でも、それが明るいかどうか・・・暗い未来という見方もできる。まず収入が不安定ですよね。それに、そもそも本当に自由なのか。
フリーエージェントは、「ニューエコノミーのセブン-イレブン」と呼ばれています。つまり、独立自営だと完全にオフの時間がない。顧客第一ですから。雇われるって、時間を切り売りしているけど、余った時間は完全にフリーでは、どちらが自由かはわかりませんよ。
自由と余裕の両立は難しいわけですね。
先ほど、わかばさんは独立ではなくて自由業と言いましたが、でもフリーエージェントは独立起業ですよ。つまり、フリーエージェントの人は「経営者=雇用者」になるわけで、自分で自分を忙しくしてしまうかもしれない。一方、まったく仕事依頼がなければ、倒産なのです。
そうですよね。かりに今、仕事依頼があっても、将来も続くとは限らない。
フリーエージェント社会は来ますよ。でも、われわれがフリーエージェントである続けるのは難しい。だから、ビジネス偉人から学ばなければならない。
ワクワクしますね。今日はどなたから学べるのでしょうか?
ずばり、東海林さだお先生です。
東海林さん?すいません、知りません。
若い女性は、東海林作品のファン層とはずれるかもしれないですね。東海林先生は、漫画家であり、エッセイストであります。新聞四コマ漫画や男性向け週刊誌の連載が中心ですから、わかばさんは読んだことがないかもしれません。これこそが、おじさんの密かな楽しみです。
漫画家さんなんですね。
東海林先生は、凄い漫画家なのですが、「凄い」が似合わない漫画家でもあります。東海林先生の作風は、自虐ユーモアですからね。「凄くないけど凄い人」なのです。
御年78歳の東海林先生の驚くべき点は、まず20代で作品デビュー、30歳で連載デビューをしてから現在までずっと現役であること、そしてそのほとんどの作品が超・長期連載であることです。
なるほど!だからフリーエージェントの偉人!
最長の連載を持つ漫画家であり、日本の三大エッセイスト
毎日新聞朝刊に連載されていた四コマ漫画『アサッテ君』は、1974年から2014年まで約40年間連載され続けていました。一般の全国紙4紙に連載された連載漫画では過去最長の13,749話です。
40年、新聞に毎日・・・。
それだけではありませんよ。『週刊現代』に現在も連載中の「サラリーマン専科」は1969年から、『週刊文春』の「タンマ君」は1968年からです。連載の同時並行です。
東海林先生曰く「始まったら終わらない・・・(笑)」(本の話/1997年/文藝春秋))そうです。
40年越えの作品がたくさんある!大卒のサラリーマンが60歳まで働いても、38年ですよね。
東海林先生は、漫画家の仕事だけでなく、エッセイの仕事もはじめます。エッセイ連載の「あれも食いたいこれも食いたい」(週刊朝日)は1987年 から、「男の分別学」(オール讀物)1980年から現在まで。つまり、エッセイストとしても、長期連載者なのです。
モノを書く仕事に憧れていたと言っておきながら、東海林先生を知らなくてすいません。
「あれも食いたいこれも食いたい」は、食べ物の話だけで28年ですよ。「丸かじりシリーズ」として単行本化されているのですが、最新作は37巻です。軽い口語口調の文体でユーモアがある。私は、清少納言、吉田兼好、東海林さだおを日本三大エッセイストと呼んでいますが、質量ともに東海林先生が史上ナンバーワンです。
わあ、先生、力入っていますね。
ファンとして思わず、熱くなりすぎました。すいません。話を戻して、東海林先生は、なぜ長期連載が可能かについて考えましょう。
それを、ぜひ聞きたいです。
仕事人間であることは変わらないですが、そのスタイルは全然違います。手塚先生の場合、ストーリー漫画を軸にアニメ・映画へと進出して行くわけですから、多くのアシスタントを従えた、いわば大企業の経営者。東海林先生の場合、どこまでも個人プレーです。
東海林さんの漫画はコマ数自体が多くないので、たくさん描くというよりも、毎日、新しいアイデアを出し続けることが求められます。
はじめはよくても、直ぐに行き詰まりそうです。
フリーの生存戦略 その1.「非日常」を活かす
東海林先生の話には、フリーエージェントとして生きる戦略がてんこ盛りです。ここでは厳選した3カ条を挙げてみましょう。
心して勉強します!
東海林先生の仕事場は西荻窪、自宅は八王子にあり、電車で一本なのですが、なんと東海林先生は半妻帯・半独身生活を送っています。仕事場のマンションに泊まり、数日自宅に帰るという生活です。
さびしくないのでしょうか
さびしくないらしいです(笑)。一人で居酒屋に入り、一人でスーパーに行くという生活を楽しんでおられる。だから、食べ物エッセイの丸かじりシリーズが生まれたと言えます。こんなことをおっしゃっていますよ。
「ぼくは家庭の食卓がとてもわびしく感じてしまいます。たとえそれが豪華な食事であったとしても、です。何ででしょうね(笑)」
全然、わかりません。家庭の団欒は?
キーワードは「非日常」です。東海林先生は、「漫画家や物書きにとって、生活が安定してしまうのはマイナスです。」と言います。新鮮な感覚は非日常に宿るわけです。そもそも仕事成功が生活の安定を生み出すのならば、成功した時が一番危険と言えるのではないでしょうか。
「長らく続けていると、生活はどうしても安定してきてしまいます。そうなると、作品的にはダメになっていいきます。自分から壊す努力をしないと、いい作品は生まれないでしょう。」
新鮮であるための努力ですね。成功は持続の最大の敵。これまで考えもしませんでした。
フリーの生存戦略 その2.「若さ=好奇心」を保ち続ける
次に挙げられるのが「若さへの強い執着」ですね。東海林先生は、若者風俗の中に入っていく努力を続けておられ、次のように言われています。つまり、肉体だけでなく、感覚も退化する。特に「感覚の退化」は、本人が気づかないうちに静かに進行してしまう。だから次のように努力するしかない。
「自分も年を忘れ、若者気分になることです。自分が「年、とった!」などと感じてしまったら、その時点でもう若い読者向けのものは描けません。」
感覚が退化して読者に飽きられたら・・・。
東海林先生は、「ここまで漫画のネタが尽きずにこられたのも、好奇心によるところが大きい」ともおっしゃっています。若さの感覚とは、好奇心と言い換えてもよいでしょう。たいていの子供は好奇心のかたまりですが、大人になるにつれてそれは薄れてくるわけです。
フリーエージェントの欠かすことのできない資源は「若さ=好奇心」なのです。東海林先生の長期連載は、外から見ればマンネリズムのように見えていても常に変化し続けている(変化する努力を続けている)。
ヒットを生む漫画家、小説家、ミュージシャンはたくさんいますが、加齢に抗って継続できている人は少ないです。では、どうすればいいのでしょうか。
フリーの生存戦略 その3.将来に活きる副業を持つ
副業を持つという方法がありますね。
副業ですか?
よく考えてみれば、エッセイを書くことは、漫画家の東海林さだおにとっては副業だったわけですね。東海林先生は、「漫画と文章の二股状態は、自分にとってはうまい具合に精神のバランスを保つのに役立っています。」と言っています。
「副業ならば私にも」と思っちゃいます。
でも、なんでもいいから副業をすればよいと言うわけではないです。相互に良い影響を与える本業と副業でなければ、時間の無駄でしょうね。東海林先生は、面白い喩えをしていますよ。
「漫画と文章とは、まるっきり関係がないとはいえないので、ま、いってみれば、おそば屋さんが店の片隅で、てんぷらの揚げ玉を袋に詰めて売っている、というようなものかも知れない。あるいは、お肉屋さんが、店の一角に「コロッケ及びトンカツのコーナー」を設けている、というようなものかも知れない。
比喩としては、「お肉屋さんのコロッケコーナー」のほうがいいような気がするので、こっちのほうで話をすすめていくことにする。」
『ショージ君のコラムで一杯』(文春文庫)
たしかにお肉屋さんのコロッケは美味しいです(笑)。
本業の能力を伸ばす経験を副業で手に入れ、副業の能力を伸ばす経験を本業で手に入れる。仕事の幅を広げる自己育成の好循環ですね。
今の仕事が続くための副業ですか・・・そう考えると難しいですね。
その4? 孤独であることを恐れない
「ぼくには、仕事のない人生は、どうしても意義が感じられないんです」という東海林先生は仕事第一の人間です。
今独立できるかではなく、独立しても続けていけるかですね。
ここからは想像なのですが、東海林先生が今の仕事術のコツをつかんだのは、悩める20代の頃だったと思います。
東海林先生が、世間から注文が舞い込み、商売でお金が稼げるようになったのは1966年の28~29歳の頃です。大学時代に仲間と漫画を描き始めた時からはだいぶ時間がかかっています。ちなみにサラリーマン漫画の巨匠である東海林先生にサラリーマン経験はありません。
サラリーマンを経て独立されたのかと思っていました。サラリーマンの気持ちを描いているわけですから。
『ショージ君の青春記』(文春文庫)によれば、大学に通わず(その後中退)、大学の漫画研究会の仲間が漫画家としてデビューする中、東海林先生も漫画家デビューを目指します。といっても、一人自分の仕事のスタイルが見つからないわけです。
「学校に籍はあるが学生ではなく、漫画家ではあるが、漫画家としての仕事はなく、定年退職者のようではあるが、定年ではなく、楽隠居の生活ではあるが、金はない、と言った不思議な生活を送っていたのである。」
20代の模索。努力の空回り。東海林先生を身近に感じます。
努力の方向性が定まらない「辛い青春時代」ですね。でも、私はこの時代が東海林作品の原点だと思います。もし自分のサラリーマン経験だけをネタにしていたら、長くは続けられないでしょうね。
自分は非日常の孤独の中に合って、読者であり、主人公であるサラリーマンを観察し続けた。
観察できる眼を持っておられた。
東海林作品の第一の武器はユーモアですから、どこか俯瞰して自分や社会を観察し続けなければならない。孤独であることの不安の恍惚が創作の秘密です。東海林先生の半妻帯・半独身生活も若さへの執着も、かつての辛くて楽しい孤独を取り戻す方法なのかもしれません。フリーエージェントは、孤独であることを楽しめなければならない。あれ、これで4カ条になってしまいました。
おまけですね(笑)。東海林先生の仕事術はとても勉強になりました。意外だったのは、作品は知らなかったけど、その生き方に共感できたことです。これを機会に東海林作品も読んでみたくなりました。
ぜひ。笑えること間違いなしです。笑いながら今日の話を思い浮かべてもらえばうれしいですね。
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