「意識高い系(笑)」にならず、意識高い系を笑わないためには? ──吉本隆明、最初にして最後の課題

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名前だけは知っていても、その具体的業績は意外と知られていないビジネス界の偉人を分かりやすく解説してもらい、あわよくば我々の明日の仕事にも生かしてしまおうというお得なこの「ビジネス偉人伝」

これまで、D・カーネギー二宮尊徳手塚治虫萩本欽一池波正太郎を取り上げましたが、今回は最近よく耳にする「意識高い」ということについて、偉人を介して考えてみます。

「意識高い系(笑)」とは何か?

戦後最大の思想家

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ほげほげ

全集を発刊する晶文社のサイト

意識高い系=自意識過剰?

「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」廃人の歌より 『転位のための十篇』
 

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大衆を啓蒙する知識人は「終わってる」

ほげほげ

擬制の図式

「市井の片隅に生まれ、そだち、子を産み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」『カール・マルクス』
ほげほげ

吉本図式

最後の吉本、最後の課題

「人間が知識―それはここでとりあげる人物の云いかたをかりれば人間の意識の唯一の行為である―を獲得するにつれて、その知識が歴史のなかで蓄積され、実現して、また記述の歴史にかえるといったことは必然の経路である。

そして、それをみとめれば、知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であると言える。」 『カール・マルクス』
「<知識>にとって最後の課題は、頂を極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂を極め、その頂から世界を見おろすことでもない。頂を極め、そのまま静かに<非知>に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。」
『最後の親鸞』

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