ガチガチに基礎を学ばないと面白くならないのは、お笑いも仕事もいっしょ
サイボウズ 大阪梅田オフィスのオープンに伴い、よしもと新喜劇 座長の辻本茂雄さんが梅田オフィスにお祝いに。開所式に参加した社長の青野慶久と話をしてみたところ、早速意気投合。話題は新喜劇のチームワークにはじまり、仕事における基礎の大切さ、お笑いの世界での挫折と覚悟など、さまざまな話題が広がりました。
後編「4700円払って新喜劇に来てくれるお客様に、「できひん」っていうのはプロじゃない」に続きます。
心は大阪にありますから
よろしくお願いします。
僕最初に辻本さんを拝見した時、「辻本さん」だと認識できなくて。てっきりマネージャーの方がでてきたと思って(笑)
ふだんは茂造じいさん(*)ですから、(この出で立ちと)雰囲気ちゃいますよね(笑)。昔はバラエティ番組に出演していましたけど、いまは舞台中心ですから。
(*)茂造じいさん:辻本茂雄さん扮する吉本新喜劇のキャラクター
確かに。サイボウズ大阪オフィスの開設を祝っていただき、ありがとうございました。元々サイボウズは大阪にオフィスがあったのですが、2015年11月から新たに梅田オフィスをオープンしたんです。サイボウズが「大阪でやってるよ」というのを打ち出していくには誰がいいかなと。そうしたら、辻本さんしかないなと。
来年で吉本興業に入って30年です。21、22の時から、ずーっと大阪でお笑いをやってきました。
僕も大阪の大学にいて、18歳から22歳まで大阪やったんですよ。その後、松下(パナソニック電工)に就職して、辞めてすぐにサイボウズを立ち上げたんです。
ご出身はどちらですか?
愛媛県です。でもサイボウズの本社が大阪にありましたから、足掛け10年くらい大阪にいた感じです。
今、家は大阪に?
家は東京に移してしまいましたが、「心は大阪に」ですね。あと阪神ファンなんです。
あはは。これは盛り上がりますね。
子どもも変化も、まずは受け入れよう
いま子どもが3人いまして。「育児する社長」、イクメンとしてやってます。
お子さんはおいくつですか?
いま3人いて、5歳、3歳、0歳です。子どもが生まれるたびに育児休暇をとっていて。上場企業の社長で育児休暇をとる社長は極めてめずらしいらしいです。辻本さんのお子さんは何歳ですか?
長女は20歳で、長男は16歳ですね。長女はいまアメリカにいますよ。はじめは留学でカナダにいってました。で、やっぱり一人で海外に行くと、大きくなって帰ってきますよね。
僕らも西海岸のサンフランシスコに行って、10人ぐらいでビジネスをやっているんです。
そうなんですね。そういえば娘が外国人と友だちになって、家に泊まりに来てええかと言うので、3日くらいなら良いかな? と思っていたら、2週間泊まっていきましたね。(笑)
あははは。2週間も。
娘が僕と違う経験をしてるということが非常におもしろかったです。
辻本さんはオープンなんですね。もともとの基本の考え方が「まずは受け入れよう」という。
そうですね。僕が知らん世界を知れるっていうのがありますから。
お笑いはストーリーであり、チームワーク
辻本さんの舞台を拝見していると、動きのキレがとにかくよい。茂造じいさんキックもいいと。
やっぱり新喜劇はチームワークで成り立っていますし、動きはきちっとしたいですよね。
で、うちの5歳の子どもに新喜劇を見せたら、めちゃくちゃ受けましてね。たぶん芝居そのものの意味はあんまり分かっていないんですけど、動きの1つ1つがめっちゃおもしろいんでしょうね。
顔の表情とチームワークは大切ですね。例えば一言もしゃべらなくても、人を笑わせられるようにちゃんとストーリーを作るんです。
ええ。
いろんな考え方はあると思いますが、ぼくは基礎工事をちゃんとやって、きちっとストーリーを作って、その上でアドリブをします。そのほうがウケると思っているんです。まずはきっちり作り込みます。
きっちり作って、場の流れでアドリブを入れる?
そうです。アドリブができて、それですごくウケた。次にいっしょの間(ま)でボケて突っ込めるかというと、また難しいんです。お客さんはアドリブと思ってるけど、実はそうじゃない。そういうおもしろさもあるんです。
久々に新喜劇見たんですよ、どこからどこまでがアドリブかがまったくわからない!
そう見ていただいているのが、ぼくらの見せ方です(笑)。これが「え、わざとちゃうか?」って思われたら僕らは終わりなんです。
このアドリブにしか見えない展開をもし台本ありきでやっていたら、演じている人は天才ですよね。
ハプニングがあったとしても、それをうまいことアドリブでできる芝居になったらええなと思います。若手でね、ウケることを意識して「アドリブ言わなあかん、言わなあかん」ってなってしまうのもいる。それはやめとこうと、白々しいのはお客様もすぐにわかってしまいますからね。
ガチガチの基礎がないとおもしろくないのは、お笑いもサッカーもいっしょ
サッカー元日本代表の岡田武史監督と話す機会がありましてね。愛媛でFC今治というチームを作って、ヨーロッパの強いサッカーを目指していらっしゃる。で、小学生を育成する時に、まずはガチガチの型や基礎を覚えさせるんです。基礎ができていない人がアドリブなんてできるわけないと。まず基礎が当たり前になっている人が個性を出し、素晴らしいプレイができると。
お笑いとまるまる一緒ですね。よく内場(勝則)座長とは「基本の演技もできひんのに、すぐに笑いを取りにいくな」という話をしていました。ベタで笑いが取れそうな展開でも、演技がへたなら受けないんです。それやのに、すぐ笑いをとりにいこうとする。違う。基本を磨くのって大事やなと。
ええ。
僕は「緊張と緩和」の入った笑いが大好きでね。よく風船に例えるんです。膨らませて、パンパンになっているところに針を挿すと大きく破裂するでしょ。笑いもそれと同じなんです。ためて、ためて、振って、振って、「きたきたー」って期待が大きくなったところで針を指す。それが勢いになっておもしろくなるんです。
なるほど。
例えば、2人がすごい秘密を握っていて、それを茂造じいさんが聞いている。緊張があって、でいきなり「茂造じいさんが聞いてたで!」って物陰から出てくる。そう言う時に笑いって起こるんですよね。
それは絶対おもしろい。緊張と緩和ですね。
笑いを膨らまそうとしている時にね、若手が変なアドリブをやってしまったんですよ。
ひきつけて、ひきつけてってやってるところを。
膨らませているところで、小さなところで笑いを取りにいったんですよね。すると、あとが全部受けへんようになるんです。お客さんもくいついて、くいついて、「いやーおもろい」ってなるところで小ネタ入れてすべると、膨らませた風船がしぼんでしまう。それをまた膨らまさなあかんっていうのは大変なんです。なんでそんなことすんねんと、「自分のことしか考えてない、チームワークちゃうやないか」っていいましたね。
1着とっても上に上がれないお笑いの世界で「どうしたらええねん」
新喜劇には年代が上から下までの人がいますよね。1つにまとめるの大変やなと思うんですね。
そうですねえ。
上の人は上の人で勝ちパターンがあって。で、若い子は基礎を知らなくて、って。それをまとめるのはそうとう大変だなと。
僕はなかなか(世に)出られなかったんですね。お笑いの世界に入って「どないしたらええねん」って思い続けていました。僕、学生時代に競輪をやってたんです。プロの競輪選手は1着とったら上に上がれるし、賞金も上がる。勝てば勝つほど上にあがれるんです。でも笑いは違う。なんぼ笑いを取っても上に行けない。若手の時はお笑いができる場所がNGK(なんばグランド花月)しかなくて、そこに呼ばれなかったら1週間休み。また呼ばれなくて2週間休み、そして1カ月休み……となる。(今のお笑いのままで)どうしたらええねんと思ってましたよね。
はい。
で、アルバイトをしながら「よっしゃ、もっぺんお笑いを勉強しようと思って」、週3回劇場に見に行くことにしたんです。芝居がどう変化するか? どういう展開が良いか? 徹底的に研究しました。自分でもハングリーだったと思います。
下積みを長くしていたと。
どうやってオリジナリティを出していくか? 3カ月仕事なくなった時もあった
今の若手は、芝居ができる劇場が1つやないんです。出演できる環境がたくさんあって、恵まれすぎていて、どうやってはい上がっていくんかなと思ってしまうんですよね。
出る劇場はたくさんあるけども……。
出演場所がそろっている中で、どうやってオリジナリティを出していくか? ですよね。僕らがやってきたことと同じことやっていても、今は勝てないでしょうし。
ええ。
僕はね、1個自分がやりたいことをしぼらないとダメとおもっているんです。最初「アゴ」(を使った)ネタをやっていてね。「アゴ本」ってキャラもネタも何年間もやり続けたんです。「このままではアカンな」と思って、会社に言ったんです。そしたらプロデューサーから「お前アゴネタしかないやんか、それやめたら仕事なくなるで」って言われたんです。で、このネタをやめてみたら、ほんまに3カ月仕事がなくなったんです。その3カ月はつらかったな、なにせ仕事がないんで……
なくなったんですか!?
はい。僕のやりたいことは芝居だと思っていたんですね。たまたま間寛平さん座長の芝居に呼んでもらえて、寛平兄さんをバンバン突っ込んでいったんです。「辻本、ツッコミおもろいがな」ってなって、NGKの出演につながって、やりたかった芝居ができるようになっていきました。それがなかったら僕はたぶん、ずーっと昔のままで、座長にもなってなかったんやないかなと思います。
ただ、思いだけは、この思いだけは共感してほしい
与えられた役をやり続けていてもポジションはあったのに、自分を「変える覚悟」があったんですね。
競輪でもお笑いでも、いっぺん地獄を見ました。そこにずっとおっても、上に上がれないという挫折をね。だから絶対負けへんからなと思っていたし、常におしりに火が付いていたと思います。
その後もご活躍が長い。
1度東京に進出した時もくやしい思いをしたんです。1・2年いて、大阪帰ってきたら、「やっぱりおもしろい新喜劇をやりたい」ってなって。「1年間チャンスを下さい。1年間茂造じいさんをやらせてください」と言ったんです。それからは茂造じいさんが1日警察署長になったり、芸人に挑戦したり、いろんなことをやりました。自分で自分をプロデュースしないといけなかったんですよね。
辻本さんは自分で自分を変化させていますよね。
そのへんは、僕らの会社は何もしてくれないですからね(笑)。
だからこそ、自分でやらないといけない(笑)。
毎年背負っているものがあるんです。ゴールデンウィークに祇園花月で芝居をやっていて、自分で必ず6000人動員するんです。自分で脚本書いて、演出して、キャストを集めて。全部一人でやるんです。
すごいです。
昔からずっとやっていたから、基礎体力があってこそできるものなのでしょうけど。
文:藤村能光/写真:遠山桜王
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