4700円払って新喜劇に来てくれるお客様に、「できひん」っていうのはプロじゃない
サイボウズ 大阪梅田オフィスのオープンに伴い、よしもと新喜劇 座長の辻本茂雄さんが梅田オフィスにお祝いに。開所式に参加した社長の青野慶久と話をしてみたところ、早速意気投合。
前編「ガチガチに基礎を学ばないと面白くならないのは、お笑いも仕事もいっしょ」につづいて、辻本さんの競輪選手・お笑い芸人としての挫折、貪欲に自分を成長させるための考え方、プロフェッショナリズムへと話題が広がります。
うどんの鉢が競輪の挫折と芸人への挑戦をもたらしてくれた
僕は「競輪と芸人」のことしか知らないんですよ。だから、もっとほかのことを知りたいというのがあるんでしょうね。
競輪、ですか?
ずっと競輪選手を目指していて、和歌山北高校の保健体育科で3年間競輪を頑張ったけど、足に2度も腫瘍ができてね……。
大きな挫折ですね
挫折しましたね。その時はもう、真っ白になりましたよ。 腫瘍ができてから、僕の人生は変わってしまった。うちの実家はうどん屋で「僕の人生はうどんの鉢」なんです。
といいますと?
高校の時、お母さんに「ちょっとうどんの鉢買うてきて」って言われてね。外に出たらちょうどタクシーと接触してしまって、病院に運ばれたら打ち身だったのですが、でも大きな病院で再検査したら腫瘍が発覚したんです。 それからリハビリの毎日です。でも競輪やりたいから、1年間リハビリを頑張って、頑張ってね。もう1度体も作って1年後の定期検診をしたら、別の足に腫瘍ができていました。 これで完璧に体も作っていったのに、また(試練を)つきつけられました。その時が一番の挫折やったんですよ。
その時は、次の目標は持てましたか?
いえ、そこから2,3年は荒れていましたよね。僕は20歳を超えてから酒とたばこに走りましたからね。いや、普通のことなんですけど(笑)。
ははは。
で、またうどん鉢の話ですよ。なんばに道具屋筋っていう場所があってね、お母ちゃんと鉢を買いに行ったんです。その時に、なんばグランド花月が建設中やって、NSC(吉本の若手芸人養成所)を卒業したダウンタウンさんのポスターが張ってあってね。 それがめっちゃ光ってみえたんです。それで、一歩芸人の世界に足を踏みいれてみようと思った。
もともとまったく芸人の世界には興味なかったんですよね?
まったくなかったですね。競輪しか興味ありませんでしたから。
クラスの人気者みたいに人を笑わせるような感じでもなく?
少しめだつ感じだったかもしれませんが、お笑いの世界に入ろうというのはなかったです。 だからいっぺん挑戦してみたかった。それがきっかけです。まったく興味なかった人間が、ですよ。今でも朝起きた時に「あ、俺って芸人なんや」って不思議になる時ありますから。
お客様は4700円払ってきてくれる、"できひん"はプロじゃない
そんな経緯でお笑い芸人になられたんですね。若手を登用する時にどんなことを大切にしているんですか?
よく、嫁にいわれるんです。「あなたと同じ考えでやっていたらアカンよ。若い人には、根性とか俺はこうやってきたとか言ってもアカンよ、おとうさん」って。 「あなたはそれでやってきたのかもしれんけど、あなたほどみんな強い人やないよ」って。「ああ、そうかー」って思ったんです。
すごい言葉ですね。
その通りやと。でも僕が嫁に言うのは「毎日お客さんが4700円払ってきてくれる」と。「それに対して"できひん"かったらプロちゃう」と。そこは強くいいますね。
サイボウズも最初は3人で会社を作って、どんとあたって、上場して、会社を大きくするフェーズになったんです。そこから入社してくる人って、テンションが違うんですよ。
温度差ですね、違うんですよ。芝居といっしょです。
最初は「もっと働けよ」って言っていたんです。すると疲弊するメンバーがいて、会社もやめちゃう。 で、ようやく気づいたんです。どうやら僕らはみんなと違うんだと。はやく気づけと。
よく嫁はんに言われます(笑)
みんな大事にしたいものが違いますし、成長のスピードも違いますし。みんながみんなガツガツやるわけではない。でもそういうみんなと一緒にやろうと思ったら、まずは受け入れようと思ったんです。それがチームワークですよね。 ただ、思いだけは共感してほしいと。世界中にグループウェアを届けて、チームワークを良くするということだけには、共感してほしいと。
僕らの芝居で言う「お客さんに喜んでもらう、笑ってもらう」っていう思い、そこだけには共感しておいてよということですね。
そうです。そこだけは共感しておいてもらう。それ以外でどれだけ頑張れるかは人によって違うと。それがないと一緒にできないと。
僕らが一番ラッキーなのは、ゆうてることは正しいかどうかすぐに出るんです。稽古中に「これは100%ウケないといえる、でもやってみと。すべったらそれは拾ってやるから」と。僕らは結果がすぐにでるから。
それは「いっぺんやってみ」と言うんですか?
いいます。けど「ちゃうと思うで」とも言いますよ。体験しないと分からないことも多いですから。
失敗を通じて──。
実感しないといかんと。その上で、ここはなんでこんなに笑ってんねやろ? と考えていくことも大事ですね。
うわ、それ強いマネージャーですね! 逆に、自分は受けへんと思っても受けることもあるんですか?
お客さんがぼくの狙いじゃないところで笑うこともありますよ。なんで今笑っているんやろ? と後から考えてみることもあります。
なるほど、なるほど。そこを受け入れて、なんですね。失敗を受け入れる文化みたいなのが、継続して面白いを作り出しているんだなと。笑いの質も時代によって変わるし、同じものを見ていると飽きてきますし。
これでいいと構えたら、成長は止まる
キャラは色んなパターンを試していますね。最近は頭がバーコードのおっさんとか。
あれ、子どもにばかうけですよ!
やっぱり飽きられたらあかんので、面白いことを次から次へと考えないといけないなと。 笑いは医学的にも健康に良いらしいです。ぼくらがみなさんに笑いを届けて、みなさんが元気になってくれたらいいなと。
ええ。
病を持った子どもがいる病院に茂造じいさんの格好で行くと、みんな笑ってくれるんです。手紙をいただいたんです。どうしても会いたいって名古屋の子どもたちからきて。 その笑顔を見て、お母さんたちがありがとうございましたって。笑いってやっぱり役に立っていて、ぼくたちがこれからもずっと面白い新喜劇を作っていくということが、周りも元気になってくれる。ぼくらはそれだけで頑張っていこうと。
関西へのこだわりは強いんですか? 一度東京に出られた経験もおありなので、また東京で面白い新喜劇をして、グローバルもひきつけたるわ、みたいな思いとか。
もっぺんリベンジしたろうかって気持ちもあったんですよ。でもある時ね、東京のルミネに呼ばれたことがあって。今田(耕司)さん、東野(幸治)さんがいるような舞台ですよ。 そして、僕が連れて行ったメンバーはメディアに出ていない芸人ばかり15人。でもね、彼らで大爆笑をとれたんです。
ええ。
関西の新喜劇をやってきた自分が思ったことは、関西の新喜劇が一番おもしろいということ。だからものすごいおもろい新喜劇を、関西に見に来いよと思ったんです。
引き寄せたるわと。
会社も新喜劇とラスベガスでやっているエンターテインメントみたいなのをやらせてくれるようになって。11月から引田天功さんと舞台もやることになりまして。
え、天功さんが新喜劇に上がるんですか!?
引田天功さんはしゃべらずにイリュージョンをして、それと新喜劇がどうコラボするかというね。
なるほど!
水と油になるとやりにくいので、イリュージョンの中に僕ら新喜劇がどう入り込むかというところを練っていますよ。
新しいカルチャーになると。
51歳、新たな挑戦
今年51歳になるんですけど、まだまだ新しいことをやっていかなアカンなと思ったんです。
こう、辻本さんは受け入れ力というかね、違う文化も「おもしろくなるんちゃう」と受け入れるのがすごいと思うんです。
怖いんですけどね。アゴネタをやめた時は怖かったですけど、その怖さがなかったら成長しないと。「これでええわ」とドンと構えてしまったら、それまでですから。 毎年ゴールデンウィークに2週間、自分で舞台を背負うのも、もう一歩階段を上がって行きたいということなんですよね。アンケートも1枚1枚目を通して、厳しい意見も見ます。
アンケートも全部見るんですか?
見ますよ。いいものを作るために。空いている時間はいつも打合せを入れていますし、もっといいものはできないかと考えています。今の若い子って、ゲームやってるでしょ。
ああ、やっています。
若手もその時間あるんやったら、違うこと考える時間に当てろと思います。あ、こんなん言うとまた嫁さんに怒られるんですけどね(笑)
僕達も、本当にお客様からお金をもらって面白いものを作るという思いに共感できていない人がいるとあかんと。
そういう人は見たら分かりますよね、姿勢で。
分かります、分かります。
前向きなやつは好きですね。前向きにぶつかっていかんと。
僕らは1個仕事をやってナンボ
僕らは「日雇い」ですから、月収じゃないんで。1個仕事やってなんぼです。たくさん仕事やれば僕らに入ってくるし、なかったらゼロ。
ええー。基本給は?
ゼロです。
ええ〜。
だからさっき話した仕事がなかった3ヶ月間、収入ゼロでしたし。
それはめちゃくちゃ厳しい……。
厳しいです。厳しいですから若手に注意もするんですけど、温度差があるというか。この温度差にどう対応していくか……
辻本さんが「アゴ本のキャラをやめて、茂造でやらせてくれ」と言って成長したように、若手にも1回やらせてみて、悔しい思いをしながら育てていくというところしかないですね。
そうですね、僕がずっと育てていた子が、トークが苦手で。「何年おるねんと、目標あるんかと。例えば自分のキャパ100でやりたいことはやる。まずは目標持ってがんばれ」って言ったら、今発声練習行ってくれるようになっていて。ちょっと前向きになってくれたんですよね。 発声練習は基本中の基本ですけど、発声をゼロからやりなおしてくれるようになったところはうれしいですけどね。
1個成功すれば、その喜びが次のモチベーションになりますから。
そうですね、そのとおりやと思います。
文:藤村能光/写真:遠山桜王
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