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GNUプロジェクト30周年──すべてはここから始まった
「GNU」と書いて「グニュー」と読む(※1)──この奇妙な名前のプロジェクトが世に発表されてから30年が経ちました。
1983年9月27日(米国東部夏時間の13:35、日本時間の9月28日 2:35)、Richard Stallmanが「新しいUNIXの実装(new UNIX implementation)」と題するメッセージを発信しました。
Free Unix!
という書き出しで始まるこのメッセージでStallmanは、「GNU」というUNIX互換のソフトウェアシステムを開発し、それを「free」で公開する、と宣言しました。「GNU」と書いて「グニュー」と読むのは、同じスペルの「ヌー」という動物と区別するため。GNUは「GNU’s Not Unix」に由来しますが、これは、元のフレーズがGNUそのものを含んでいるという、再帰的な言葉遊びとなっています。
すべてはGNUプロジェクトから始まった
このGNUプロジェクトからは、GCC(GNU Compiler Collection)、Bash(GNU Bash)、coreutils(GNU Core Utilities)、glibc(GNU C Library)など、GNU以外でも広く使われているソフトウェアが多数生み出されました。たとえば、今日広く利用されているLinuxは、開発プロジェクトとしてはOSカーネルにフォーカスしていて、エンドユーザが使えるOS環境とするには、GNUの成果物などと組み合わせることが前提となっています。GNUプロジェクトがなければ、Linuxがこれほど広く使われるOSになることも、そもそもLinus Torvaldsが、新しいOSカーネルの開発を決断することもなかったかもしれません(※3)。
さらに重要なのは、このGNUプロジェクトが「フリーソフトウェア」(自由ソフトウェア)という考え方を世界に広める役割を担ったという点です。
一般によく使われる「フリーソフト」という言葉は、無料で入手できるソフトウェア、無料で使えるソフトウェアを指しています(Free=無料)。しかし、Stallmanの言う「フリーソフトウェア」では、「Free」を「自由」(=Freedom)の意味で用いています。具体的には、
- 実行する自由
- 動作を研究し、改変する自由
- 再配布する自由
- 改変したものを配布する自由
という4つの自由がすべて満たされているソフトウェアです(「自由ソフトウェアとは?」)。こうした「自由」を守るために作られたソフトウェアライセンスが「GNU General Public License」(GNU GPL)というわけです。ちなみに「コピーレフト」(Copyleft)は、著作権者の権利を、こうした自由を守るために行使する、という考え方です。普通は、諸々の権利を専有するために使われる著作権を、逆に「誰もそれを専有できない」とするために用いるので、「right」をもじって「left」としたわけです。「ソフトウェアの自由」を守るための戦術(の1つ)として「コピーレフト」が考え出され、それをライセンスという形で実装したのが「GPL」という関係になります。
今では、1998年に登場した「オープンソース」という言葉のほうがメジャーになってしまい、「フリーソフトウェア」よりも「オープンソースソフトウェア」(OSS)という語を耳にすることが多くなりました。しかし、「オープンソースの定義」を見れば分かるように、オープンソースは、フリーソフトウェア(自由ソフトウェア)の考え方に大きな影響を受けています(※4)。なので私は、GNUプロジェクトによって始まった「自由ソフトウェア運動」がなかったとしたら、人類が「オープンソース」という考え方に到達できていただろうか……ということを考えてみたりもします。
Stallmanという人
GNUプロジェクトの宣言から30年を経た今でも、Stallmanは、先頭に立って「自由ソフトウェア運動」を推進しています。その、決して揺らぐことがない信念と飽くなき情熱は、本当にすごいとしか言いようがありません。
そんなイメージがあるためか、Stallmanのことを「頑固で怖い存在」のように思っている人は、少なくないのではないでしょうか。
私は、これまで4回ほどStallmanにインタビューしたことがありますが、それとはまったく違う印象を持っています。怖いと感じたことは一度もなく、むしろ、拙いこちらの英語をどうにかくみ取ろうと努力してくれたり、こちらが理解するまで何度も丁寧に言い直してくれたりと、優しい気遣いを感じることが多々ありました。
Stallmanといえば、何かあれば、知らない人にでも、それがたとえ極東の島国に住んでいる人にでも、「いきなりメールしてくる」という性癖(?)がよく知られていますが、それも、彼らしい一面だと思います。信念を持って取り組んでいる「自由ソフトウェア運動」を推進するためなら、行動を躊躇することはしないし、また、自らの主張を広めるためには、英語の下手な日本人インタビュアーにも丁寧に対応する──それもこれも、すべては信念のためという真面目さゆえのことなのかなと。
インタビュー中、不用意に「Free」という言葉を使うと、すかさず「それは、どっちの意味?」(Free beerのFreeなのか、Freedomなのか)とツッコミが入るし、単に「Linux」と言おうものなら「それは間違ってる。GNU/Linuxと言うべきだ。なぜなら……」と、インタビューそっちのけで自説の主張が始まるなど、なかなか気難しい面はありますが、それも真面目さに由来するのだと考えれば、私はあまり気にはなりませんでした。
お願いすると「フリーソフトウェアの歌」を歌ったり、リコーダーで演奏してくれたりする陽気な一面もあり、私にとっては、すごく真面目で、案外気さくな人、というイメージです。
意外だったのは「辛いものが苦手」ということ。ハッカーといえば、SpicyでHotな食べ物が好き、というイメージがありますが、Stallmanは辛い食べものが苦手なのでした。あるとき、インタビューの後に食事をしようということになって、目星をつけていたインド料理屋に誘ったら「辛いのはいや。焼き鳥がいい」と返され、飛行機に間に合う時間が迫る中、必死に焼き鳥のお店を探したこともありました。
その信念があまりに強固なので誤解されることも多いStallmanですが、人間として、個人的にはすごく好感を持っています。「ルームシェアするなら、どっち?」と二択で聞かれたら、私ならSteven JobsよりRichard Stallmanを選びます。StallmanとLinusなら……ちょっと悩むかもしれませんが(笑)。
ともあれ、30年も続けてきたというのは、本当にすごいことです。Stallmanを始め、GNUプロジェクトや自由ソフトウェア運動を支えてきたすべての人に、改めて感謝の気持ちを捧げたいと思います。
(了)
※1:オフィシャルサイトの日本語版では、「ぐぬー」という読みがなが振られています。
※2:http://www.fsij.org/monthly-meetings/2013/Sep
※3:筆者が以前、Linus Torvaldsにインタビューしたとき、Linusは「Linuxカーネルの開発を始めようとしたときに、すでに利用できる周辺ツールがGNUの成果物などによって揃っていたので、OSのカーネルさえ開発すれば、自分が欲しかったUNIX互換環境を構築できるという見通しがあった」という趣旨のことを言っていました。
※4:「オープンソースの定義」(Open Source Definition、OSD)は、元々、Debianプロジェクト「Debianフリーソフトウェアガイドライン」(Debian Free Software Guideline、DFSG)をベースに作られたものです。そのDFSGは、GNUプロジェクトの「フリーソフトウェア」(自由ソフトウェア)に大きな影響を受けています。
変更履歴:
2013年9月28日:記事のライセンスに関する文章が抜けてしまっていたので、追加しました。
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