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掃除機のリクツ──コデラ総研 家庭部(11)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(隔週木曜日)の第11回目。今回のお題は「掃除機のリクツ」。
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
文・写真:小寺 信良
よく考えてみれば掃除というのは、家事の中でもっとも原始的なものであるかもしれない。例えば料理や洗濯は、小さい子に手伝わせるには難しすぎる。だが使ったおもちゃを片付ける、ゴミはゴミ箱に捨てるなどということは、小さいうちから躾の一環として各家庭で教育されてきた。これも掃除の一つであろう。
本格的に掃除の仕方を習うのは、家庭ではなく学校だ。我々日本人は小中高と、掃除の時間にそのやり方を指導されてきた。まあ途中からは掃除の仕方というよりは、「いかにサボるか vs. いかにサボらせないか」のせめぎ合いだったような気もするが、とにかく道具を使って行なう掃除の方法は、家庭では教わらなかったように思う。従って各家庭でも、掃除のやり方というのは大して変わらないかもしれない。
筆者が物心ついた昭和40年ごろ、まだうちの実家では箒を使って掃除をしていた。あの室内用の柔らかい箒をなんというのか調べてみたところ、座敷箒とか江戸箒とかいうそうである。ほうき草という植物を編んで作ったもので、今でも通販などで買える。ただ上質のものになると、1万円ぐらいするようだ。
しかしそんな時代も1~2年で、掃除機へと変わっていった。高度成長期、掃除に革命を及ぼしたのは、まぎれもなく掃除機の普及である。当時人気があったテレビのプロレス中継では、試合の合間に係員がリング上を掃除機で掃除していた。これを見て掃除機の購入を決めた家庭も多かった事だろう。のちに取材で聴いた話では、これはいわゆる生コマーシャルの一種で、スポンサーであった三菱電機がわざわざやらせたものであったという。
吸引を理詰めで考える
学校で掃除機の使い方を指導された事がある人は、少ないのではないか。学校教育内では、せいぜい箒とちりとり、雑巾がけ、モップがけぐらいのことであろう。
掃除機などスイッチ入れて先をゴロゴロ転がせば吸うだろ、と言われればその通りなのだが、掃除機の原型となっているのは、箒ではなくモップだろうと思う。掃除スタイルとしては、モップがけの要領、つまり多くの人は吸い込みヘッドを忙しく床で往復させ、ゴシゴシこすりつけるような使い方なのではないか。
実は僕もそうだったのだが、それは効率としてどうなんだろうと疑問が湧いた。そこで吸い込みヘッドからゴミが吸い取られる様子をじっくり観察してみた。
掃除機というのは、ヘッドの幅広く薄い隙間からゴミもろとも空気を吸い込んでいる。この薄い隙間というのがポイントで、これがより強力な吸引力を生み出している。ここの動作をよく観察してみると、かなり遠くからも空気を滑らせるようにして、ゴミを吸い寄せていることがわかる。つまりヘッドの周囲5cm、軽い綿埃のようなものなら周囲10cmぐらいのホコリは、何もしなくても吸っているのである。
ただし吸い寄せられるには、少し時間がかかる。ゆっくり寄っていって、スポッと吸われる感じだ。ということは、ヘッドをあまり速く動かしても、無駄なのではないか。あまりせっかちに動かしてしまうと、せっかく近寄ってきたホコリが吸い込まれる前に、ヘッドが通り過ぎてしまっている。
これだと一度通過しただけでは当然ゴミが吸われていないので、また同じ場所を往復させる必要がある。これはもうただただ気ぜわしくゴシゴシこするだけで、ちっとも吸わない、この掃除機はダメだ、という事になってしまう。
このような観察と研究の結果編み出したのが、コデラ式太極拳掃除法である。これは、太極拳の動きのように、ゆっくり掃除機のヘッドを動かしていく。スピードにすると、秒速10cm程度が目安である。
見た目は奇妙だが、この方法でヘッドが通ったあとは確実にゴミが吸えるようになった。同じ場所を何度も通過する必要もなく、1方向にずっと進んでいける。トータルでの掃除時間は短縮できないが、これまでの掃除よりも疲れないのがポイントである。
そう言えば昔見た掃除機のCMは、吸引力を誇示するためにヘッドをゆっくり動かして、床一面のゴミに見立てた小麦粉か何かを吸っていた。最近は軽快さを表現するために、素早くヘッドを動かすCMが主流だが、あのような掃除の仕方は理に適っていない。だが掃除機の使い方は誰にも教わる機会はないので、その時代時代のCMでのやり方を真似て、皆使っているだけなのではないかと思う。(了)
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