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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第6回:このお店はなんでしょう?
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載(毎月第4週に掲載)の第6回。今回のお題は「このお店はなんでしょう?」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真:
Goto Aki
いつも現物を超越した素敵なカバー写真を撮ってくださるのはGoto Akiさんである。サッカー談義から始まっていきなり意気投合してしまった。うすうすお察しと思うが、撮影は3回分ほどまとめて行う。お色直しが大変だ。 第1~2回は東大構内、第3~5回は都下の調布近辺での撮影だった。私は撮られる側だが、自分でもカメラを持って、楽しく連れ撮りをさせてもらっている。
Goto Akiさんは大学までまったく写真には興味がなかったと。それが、大学内での自分の存在意味に疑問をもって安カメラ(もちろんフィルムカメラ)を携帯して、8カ月間8000ドルの超安上がり旅行で世界一周をしたときに、写真の師と遭遇して目覚めたのだ。
そういえば、私は、授業時間が毎日午前10時~午後2時という短時間であることに合点(?)して数学科というところに進学したところ、激しい挫折。早い話、数学がなんもわかっていなかったのである。ま、若気の至りの軽い間違いですね。実際、数学科の同期に竹内光弘さんがいて、彼は「できる竹内」と呼ばれ、私は「普通の竹内」ならよかったのだが、対照性を尊重して「できない竹内」と呼ばれていたのであった。
しかしそこで、フリップフロップ回路がすべて個別のトランジスタなどで構成されていた、なんというかその当時でもイニシエの24ビット8K語のコンピュータ「TOSBAC 3400」と遭遇したのである。アキュムレータへの足し算が200μ秒なので、いまどきのコンピュータの百万倍ほど遅い。もちろん、入出力装置は機械的に読み書き(穿孔)する紙テープつきのフレクソライターであった(写真1)。プログラム(もちろん、アセンブラ)は紙テープで読み書きする。思うに、Goto Akiさんの「師」との遭遇と同じ類のものかもしれない。
そういう意味で、私はGoto Akiさんに激しく共感できるのであるが、撮影会では「はい、そこで笑ってください」どころか「笑い続けてください」という注文の連発。おかげで私は年間の笑顔の80%をここで顔面を引きつらせながら消費させられる。だから激しく疲れる。そもそも遺言状でいつも笑っていていいのだろうか?
しかし、撮影会でGoto Akiさんに刺激されると、面白いものが自然と見つかる。東大構内でも、なに、これ?という怪しいものをいくつか見つけた。さすが、魑魅魍魎跋扈(?、書けないけれど、読める漢字ではありますねぇ、ちみもうりょうばっこ)の東大。
写真2~3は農学部構内にあった反射鏡である。よくあるカーブミラーの小型版である。でも、これがなんのために設置されたのか、おわかりだろうか? もともとクルマがブォーッと走る場所ではないのだが、たしかにこの鏡はT字路の交差点の植込みにある。だが、両方の鏡がほとんど下向きなので、真下に行かないと鏡面が見えないし、そもそも2枚の鏡の位置が交差点用としては変だ。しかも、写真3にあるように鏡面は限りなく曇っている。これはまさに、遺言状第3回で紹介した「トマソン」にほかならない。
このほかにも、私が「できない竹内」として存在していた理学部1号館の「残骸」風(まだ使用されているので、残骸と言ってはいけない)でもすごいものをいくつか見つけたのだが、心が痛むので写真は載せない。中庭のあるロの字の建物の一辺が削られ、一時期コの字になったが、いまや、三辺が削られた丨の字になっている(写真4)。関心のある方はぜひ見学されるとよい。でも、もうすぐこの丨の字も、「できない竹内」とともに葬り去られるそうだ。太りに太ってから捨てられた某OSとは対照的である。
ここで話は突然飛ぶのだが、函館は不思議に面白い街だった。「だった」と過去形なのは、不思議な面白さの所以がだいぶ減ってきているからだ。
正確な年号は覚えていないが、10年ちょっと前、はこだて未来大学の木村健一先生に連れていってもらった、函館駅からそう遠くない松風町にあった天麩羅屋。入った瞬間に驚いたのが壁。灰色に黒ずんだ壁の漆喰が、日焼けで剥けかかった皮膚のように、あるいは干ばつで干上がった田んぼのように、といったら失礼なくらいに見事にきれいなパターンで浮き上がっている。いまにも落ちてきそうだ 。店の中央にどーんと鎮座していたのが、MITSUBISHIの文字が浮かぶ丸っこい形の大型冷蔵庫。これがなんとアンモニア冷媒の冷蔵庫なのだ。21世紀にこれが現役で活躍しているとは驚異! なんとも古びた雰囲気なのであるが、天麩羅を揚げているところを見てまた驚いた。一口ガスコンロの上で、これまた普通の片手鍋を使って揚げている。およそ天麩羅屋のスタイルではない。なんというところに来てしまったかと思ったが、お客さんはちゃんと入ってくる。この風情がいいのかもしれない。味とコストパフォーマンスは良かった。
どうしても質問したくて、店を出るときに、天麩羅を揚げていた、わりと若い主人に尋ねた。「お店のなんともいえないレトロな雰囲気は、わざとやっているのですか?」 なんと、その返答は「いえ、単にうちが貧乏なだけなんです」だった。私の見事な一本負け。すべからく、質問に対する答えはこれくらいシンプルでインパクトがあるべきだと感服した。残念ながら写真が見つからない。畏れ多くて、撮れなかったのだと思う。だが、調べたら「食べログ」に写真 があった。割と最近までこの風情で残っていたようだ。「入るのに勇気がいる」と書いてあった。御意。
さて、ようやく今回の本題に入る。
写真5~7は函館の末広町付近で2003年2月に撮った写真である。
店風の造りなので、なにかの商売が目的であることは間違いない。実際、教えてくれた木村先生によればちゃんと商売している。別の機会にこの店の前を通ったとき、お客さんがいるのを目撃した。写真にはわりときちんとした身なりのオジサンが写っている。それにしても、屋根は青いビニールシート、看板にあったはずの文字や意匠の面影はまったく残っていない。そして、出入口のガラス戸の桟の素晴らしい造形。縦の枠も中心でずれている。カギがかかるのか心配だ。しかし、ガラスは毎日拭いていると思われるくらいにピカピカなのである。左下にはかすかに「いらっしゃいませ」の文字が見える。この戸はどのように開くのか?
実は目をこらすと、なんの商売かのヒントがある。答えはすぐ下に書くので、しばし観察してほしい。
この店は、撮影の約1年後にはなくなっていた(写真8)。これは無用の長物ではなく、ちゃんと機能していた建物なので、「トマソン」ではない。惜しい!
最近、函館に行ってレンタカーであちこち走り回ったが、さすがに10年も経つと、このような不思議な建物はほとんどなくなってしまった。
さて、答えは、○○である。出窓に貼ってある小さな丸いシールに例の赤青の模様がかすかに見える。そういえば、写真7に写っている主人のきちんとした身なりは床屋さんと言われれば納得。こういうところは、上の天麩羅屋と同様、ちゃんと入ってから、さらに確認を深めるべきなのだが、私は20代半ばころから今日まで床屋に行ったことがない。いつも自分でカットしている(だから変な髪型と言われることがある)。それを曲げてまで入ることができなかった。
それにつけても、私はガラス屋さんがすごいと思う。この桟に合わせてガラスをカットしたに違いない。究極のカスタムメイドである。いびつな仕様に合わせて、ソフトを受注してなんとかしてしまう日本のソフトウェア会社も、同じようにすごいということになる。しかし、いびつな仕様の発注主は、函館の床屋のように早晩なくなってしまう運命なのかもしれない。
日本のソフトウェアの大半がカスタムソフトであり(最近はちゃんとした統計がないようだが、2000年の統計で70%超)、カスタムソフト対パッケージソフト+内製ソフトの比率が日米で逆転していると言われてから長い。たしかにこれではソフトウェアの輸出は伸びないだろう。これが日本のソフトウェア産業の最大の課題であるとも、日本の企業風土の問題であるとも言われている。結果的にソフトウェア技術者の処遇は悪くなる。
こういったことを無言で思い起こさせてくれた床屋であった。(つづく)
前回=第5回:つぶ餡と漉し餡(ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔)
Acknowledgement:
The photo of "Friden Flexowriter" is courtesy of Dave McGuire.
本連載は、毎月下旬に掲載していく予定です。竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
この記事(写真1を除く)を、以下のライセンスで提供します:CC BY-SA
これ以外のライセンスをご希望の場合は、お問い合わせください。
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