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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔第7回:世にも奇妙な事件
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載(毎月下旬に掲載)の第7回。今回のお題は「世にも奇妙な事件」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
遺言状は残された人たちに遺産を分けるためのものだから、本当は未来を見据えたものだと言える。しかし、中には負の遺産というものもある。私の昔話はそちらのほうだと思うが、ま、いいか。
共立出版から出ていたコンピュータサイエンス誌「bit」をご記憶の方はいらっしゃるだろうか? 1969年に創刊して、2001年3月に「休刊」となった(別冊も入れて通巻499号、あと1冊で500号に達するところだった)、当時の日本を代表するコンピュータサイエンスの商業誌であった。私が「bit」の編集企画委員を休刊まで10数年間続けていたから言うわけではないが、記事は学会誌なみに引用されることもあり、高度でありながら、親しみやすい記事を掲載しているのが売りだった。休刊のときは、最後のお仕事として品川プリンスホテルで「bitを偲ぶ会」を主催し、70名ほどが別れを惜しむのを手伝った。
そんなこともあり、共立出版から隔月刊で出ていた薄いミニ雑誌「科学と随想『蟻塔』」にたまに雑文を書いた(蟻は共立出版のシンボル)。「蟻塔」は1996年に廃刊となったようで、国会図書館にも全部は揃っていない。そんなわけで、もうほとんどの人の目に触れることのない私の雑文の1つ「私の事件簿より──レコード事件」を、共立出版のご厚意を得て、ここで復刻したい(写真1は掲載号)。少しだけ原文の表記と数値を変更した。また、参考になりそうな写真を追加し、脚註も加えた。記述されている事件は恐らく1968年の晩秋のことである。
人それぞれに事件簿があろう。私も人並みに事件簿にだいぶ記録が溜ってきた。中でも圧巻は今から20年以上前の「レコード事件」だろう。「蟻塔」のページを占拠するにはあまりにも格調の低い話だが、軽い息抜きとしてご紹介したい。
加藤と水野は金沢大学付属高校時代の友人である。私はなにを間違えたか、東大の数学科で数学がわからないうちに大学院に進んでおり、加藤も水野もなんだかんだあって、それぞれ上智、早稲田の学部生というところだっただろうか。加藤は(当時)学生の分際でクルマ(といっても軽四輪)を乗り回しており、水野は東京にも自宅があった、旅行会社に勤めるお兄さんと優雅な二人暮しであった。私は四畳半に下宿する貧乏学生。だから、加藤と私はよく水野の家に遊びに行ったものである。
晩秋の夕刻、例によって私は加藤のクルマに便乗して水野の家に遊びに行った。やることは大体決まっていて、闘球盤がメインである。これは随分昔からある四人用の一種のオハジキ・ゲームで、菊池寛がよく文壇仲間と熱中したという。こんな面白いゲームが今日あまり知られていないのは残念だ(昔のあの絶妙の木のコマが、このごろはゲームの奥行きと味を半減するプラスチックのコマになってしまったのはもっと残念[※1])。ひとしきり遊んだあと、兄さんが明日は会社だからといって先に寝てしまったので、じゃ、夜中のドライブにでも行こうか、ということになった。
水野の家は西武池袋線のひばりヶ丘、東京郊外で住宅と畑が五分五分の勝負になるあたりである。家は駅から近いのだが、細い道が入り組んでいてあまりわかりよくない。しかし、軽四輪なら問題なし。クルマに乗るのがまだ楽しい年代だから、狭い軽四輪に三人ギューギュー詰めでも話がはずむ。
クルマは南下。国際基督教大学のキャンパスの北側にクルマを止める。その辺は私が学部学生時代に住んでいた寮があるので、土地勘がある。で、キャンパスの中のゴルフコース[※2]に忍び込む抜け穴から侵入。三人とも室内ゲームで疲れた体を思いきり解放する。いやぁ、真夜中に手入れの行き届いた芝生の上でキャーキャー喚きながら走り回るのは実に気持がいい。ところが、当時はどこの大学も紛争の真っ最中で、なんと夜中でも見張りが厳重だった。突然ものすごく明るいサーチライトで照らされて、「何者だー!」とやられてしまった。こういう場合は逃げるにしかず。連中が走ってくる前に、一目散で逃げ出した。
「アー、ビックリした」とか「なんだ、ありゃあ、まるでスラッシュ本部だぜ」とか言いながら、また話ははずんで今度は府中の多磨墓地へ向かう。夜中の墓場は恐いぞーなどと、またまた気分はハイになる。すると夜中でも人、しかもアベックが歩いているんですね、あそこは。なまじお化けより恐い。で、ヘッドライトの向こうになにかが光るだけでも、もう我々はしっかり興奮して大騒ぎ。折しも、ラジオの深夜放送でなにやら恐い話をやっていてキャーーアという女の悲鳴。こうやって一度ハイな気分になると見るもの聞くものなんでもかんでもゾクゾクしてしまう。
こうやって「恐怖」の深夜ドライブをすっかり楽しんだあと、水野の家に戻ることになった。今日もいつものとおり水野のところに泊まりである。ひばりヶ丘の近くまで戻ったころ、水野が「帰る前にコーヒーでも飲んでいこうか、この近くに深夜までやっている店がある」と誘う。我々が「ま、そうしようか」とかなんとか言おうとしたら、また水野が「やっぱり、家に帰ろう。うちで好きなレコードでも聴きながらコーヒーを飲むほうがいいや」と気持を翻す。貧乏学生としてはそっちのほうがありがたいので今度は即座に「うん、そうしよう」と答える。
水野の家へ行くには舗装もしていない細い道に入っていかないといけない(写真2)。すると向うから若い男が一人歩いてくる。「まったく、こんなところまで夜中に人が歩いてるんだなあ、参ったぜ」「まったくだ」さっきから人を見るたびにこんなやりとりが続いている。運転をしていた加藤が「あれ、あそこになにかある」という。塀の前の電柱のそばで、ヘッドライトに照らされてなにかが光ったようだ。「なんだろう?」もう家まで50メートルもないところなので、降りるついででもあるし、ちょっと見ておくかというぐらいの気分である。
ところが、水野が急にこっちに振り向き、息を潜めて「おい、静かに」という。上にボロ布が被せてあるが、下のほうに100枚ほどのLPレコードが積み重ねてあるのだ(写真3)。我々はすべてを了解した。夜明けのコーヒーを飲むためにはレコードが必要なのだ!それとなくクルマを止めて、作業をよそから見えにくくし、加藤と私が道の両方向を睨む。息を殺してはいるものの水野の興奮が伝わってくる。「これはゴミじゃない、本物だ」「おっ、エリック・ドルフィーだ」「すげえ、コルトレーン。あ、でもこれ俺もってる」「やや、ビル・エバンズ、俺このレコード欲しかったんだよなー」見張り二人もあたりに目を配りながら「ホントか、やったね」などとくぐもった声で喜ぶ。
でも、さすがに加藤も私も少し心配になってきた。「一体これはなんなんだ」とヒソヒソ話。ふと前を見ると完全に明りの消えた家が立っている。「夜逃げかなあ」「それにしちゃケチくさい夜逃げだね」「大体レコードだけで夜逃げもないだろうが」「そりゃ、そうだな」「でも、捨ててあるわけでもないよね」「ウン」「おい、水野。目立たないように二、三枚だけにしろよ」「でも、四、五枚くらいならいいかもしれないな」(良心の競り市?)
「ウン、もうちょっと見させてくれ。スゴイのが揃ってるんだ」水野はジャズ狂いだから夢中である。気が気でない我々は「早くしてくれ、夜逃げのオッサンが戻ってくるとヤバイ」と彼をせっつく。ものが置いてあった場所が場所だが、れっきとした泥棒だ。「あー、こんなことだったら、深夜喫茶に寄っておけばよかったなー。見つかったらどうしよう」などと少し弱気になってくる。
ところが、水野の様子がどうも変だ。「おかしいなあ、この辺のレコードは大体うちにもあるんだよね」レコードをまさぐる手が少し荒々しくなってくる。「やっぱり! これは全部うちのレコードだ!」
「エーッ」驚いたのは加藤と私である。「ということは泥棒は我々ではなくて、水野の家に入ったのが泥棒?」またしても我々はすべてを了解した。見張りを一人。水野ともう一人が水野の家に駈け込む。玄関の戸は開けっ放しである。用心の悪い家なのだ。「兄さん、ドロボーだ」と寝込んでいた兄さんを叩き起こす。その兄さん、寝ぼけ眼で日本刀をギラリと持ち出したから、こっちのほうがビックリした。
「さっきの男だ!」推理するまでもなく犯人はさっきすれ違った男だ。というわけで、日本刀ギラリで寝ぼけ眼の兄さんを残して、まず我々は容疑者を捜しに出た。無論、見つかるはずがない。我々が泥棒からコソコソとピンハネしようとしていたのを目撃したに違いないからだ。泥棒もさぞビックリしただろう。
侵入された部屋を見わたすとたしかにタンスの引き出しが見事に開放されている。「ウーム、この開け方はプロの手並だ」などと兄さんは妙なところで感心する。盗まれていたものを調べると、暗闇ではよくわからなかったが、ボロ布と見えたのは背広やコート類、そのすぐ下にカメラやラジオといった類が隠されており、一番下にレコードが平積みされていたのである。
警察へ届けるのがやはりスジである。派出所に行って、かくかくしかじかとは決して言わずに「泥棒に入られた」と報告したら、まだ若い警察官が「ちょっとすぐには席を外せない」と言う。奥で寝ている上官に報告してからでないと出られないのだ。ところがその上官はすっかり高イビキなものだから、新米さんはオドオドしてしまって、なかなか起こせない。「あの、あの、本官、あの、窃盗事件で、あの、......」「エーッ、なんだあ? うるさいな、もう......」「ハッ、では本官ただいまより行ってまいります」
こんな具合だから、さっきからおかしいことばかり続いている我々は笑いを堪えるのに懸命だ。兄さんも兄さんで、「やったね、これで俺、明日会社休めるぞ」などと喜ぶ始末。泥棒に入られて楽しそうにやっているので、新米警察官は呆気にとられている。結局、犯人は見つからず、この事件は迷宮入りとなった。我々の窃盗行為というか逆泥棒行為も未遂に終わってメデタシメデタシとなったのである(いずれにせよ時効が成立しているだろう)。
それにしても昨今の日本にはもう夜中だから特別という概念がなくなったようで、この話も古き良き時代のエピソードになりつつあるような気がする。それとも単に私が年とっただけのことだろうか。はたまた、計算機屋の常で、夜中に鈍感になってしまっただけのことだろうか。
(引用終わり)
ヒッチコックばりに怪奇な事件が起こると見せかけて、単に奇妙というか、珍奇な事件になったという竜頭蛇尾であった。いまから25年近い前の文章で、もう時効だろうと書いているのだから、時効の時効で「有効」かもしれないが、こういう奇妙な経験をした人はそうはいないと思う。
実は、水野はこの事件のあと1年ほどして亡くなってしまった。高校時代から、彼の非常に繊細な感受性と紐づけられた「奇妙」がまとわりついていた奴なので、いまも生きていたら、もっと奇妙な事件を一緒に楽しむことができていただろう。惜しい友人を失った。加藤は医療ジャーナリストとして、下手な医者よりも医療に詳しくなっていて、いまでもメル友だ。
ハッカーの遺訓? ありそうにもないが、他人のバグだと思ってほくそ笑んで調べたら、結局自分のバグだったという童話と共通するものがあるかもしれない。あと、夜更しすると面白いことがあるかもしれん、ということだが、こちらはお薦めしません。(つづく)
[※1]
「闘球盤」はもう販売されていないが、インターネットで調べると2000年ごろまでは一部で愛好家が盛り上がっていたようだ。画像検索で見つかる、真中の大きな円が黄色いのが闘球盤である。コタツの上に乗せるといい具合の大きさの盤だ。本文にも書いたように、水野の家で遊んだ闘球盤のコマは平たい円筒形だったので、中心の小穴にビッタリ落ち込む(50点)ほかにその中で車輪のように立つこともあった。これは我々のローカルルールでは倍の100点と勘定して、ゲームの投機感を上げていた。本文で「プラスチックになって面白みが半減」と書いたのは、私があとで買ったもののことで、コマの衝突の繊細さがなくなり、また、平たい樽型になったので立つことがなくなってしまった。
闘球盤はベニヤ板とボール紙で作られていたので、自宅でさんざん遊んだら痛んでしまった。買い直そうとしたらもう売ってない! インターネットを調べまくって到達したのが「Crokinole」(クロキノール)というゲーム盤である。これは世界選手権も行われるような本格的なゲーム盤である。分厚い布製の立派な袋とセットにして比較的いいものを2セット買ったら、10万円ぐらいしたと記憶している。カナダから直輸入して自宅に届いてびっくり、盤が10Kg以上あるのだ。木工品として芸術的に精度が高く、摩擦が最適化された、触るとほれぼれするような表面仕上げになっている。障害となるペグ(釘)の本数は闘球盤の6本ではなく、8本であり、精度の高いシリコンゴムが巻かれている。確かに、これなら4人のプレイヤーにとって平等だ(写真4)。盤も少し大きい。両面が微妙に違う曲面になっているコマにはグレードの違いが2~3種類ある。ただし、これもパッと見には平たい樽型だ。
遊び方の詳細は説明しないが、対面した競技者同士がペアを組む、障害物ありのおはじき型卓上カーリングだと思えばよい。私は正規のルールではなく、水野家で楽しんだ闘球盤のローカルルールで遊んでいる。
上手な人がどれくらい正確にプレイできるかは、下記のYouTube映像を見るとよい。
さすがにこれは真似できない。このオジサンでも、対面の相棒が真っすぐにオハジキできないような下手糞だと苦しいはずだ。これもあり、我々のレベルでは、罵詈雑言だらけの口三味線が闘いの油に火を注ぐ。言語能力というか、ディベートの訓練には最適だ。言葉で負けたら、指も負ける......。
そういえば、編集の風穴さんもちょっと遊んでみてCrokinoleに取り憑かれてしまった。下手糞でも取り憑かれてしまう魅力があるのだ :-)。
そう、今回の遺言状の最も重要なポイントは、脚註を借りた、実は高度な言語能力訓練ゲームCrokinoleの紹介なのであった。
[※2]
いまはもうゴルフ場ではなく、こんもりとした樹林になっている。さすがに45年の歳月だ。
本連載は、毎月下旬に掲載していく予定です。竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
謝辞:「私の事件簿より──レコード事件」(初出:「科学と随想『蟻塔』」1990年3・4月号、共立出版)の引用について、共立出版株式会社にご快諾いただきました。ありがとうございました。
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