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片付けられない病から脱却する──コデラ総研 家庭部(13)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(隔週木曜日)の第13回目。今回のお題は「片付けられない病から脱却する」。
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
文・写真:小寺 信良
2000年に出版された「片づけられない女たち」という書籍がベストセラーとなり、女性だからといって誰でも片づけが上手いとは限らない事実が客観的に明らかになった。AD/HD(注意欠陥・多動性障害)は、大人になると見かけ上の多動が減少するため、かつては子供にのみ見られる障害と言われていたが、実際には大人になっても注意欠陥のほうが残ることがあるという。元々は集中力が維持できない、情報をまとめることができないといった障害だが、結果的に部屋の片付けができない病気として誤解されるに至っている。
だがこれをきっかけに、いわゆる「汚部屋」をカミングアウトする女性も増えたように思う。NAVERまとめにて驚愕の状況を垣間見る事ができるが、病気だからしょうがないね、と早々に諦めるというのもどうなのかと思う。
うちもかつては大量にモノがあふれている家庭であったが、妻との別居をきっかけにおよそ半分の荷物がなくなってしまったので、家の中が軽くなった。これを機会にもっと片づけていこう、ということで、色々と試行錯誤を積み重ねているところである。
片づけサイクルの謎
片付いた家というのは、いつも片付いている状態が維持できているという事である。多くの家庭がなかなかそうならないのは、別に片づけられないわけではなく、片づけるのが面倒で放置し続けるからだ。そしてある日我慢の臨界点に達すると、集中していっぺんに片づけ、一時的に綺麗になる。だがまた生活とともに生活用品を放置していくので、だんだん散らかっていくことの繰り返しだ。これをグラフ化すると、次のようになる。
このようなサイクルを描くのは、人類特有の病だろうと思っている。そもそも他の動物は、巣の大掃除とかしない。快適であるように常に同じ状態を維持し続ける。生活と現状維持が一体化しているのである。これをもっと低コスト化しようとか、省力化しようといった工夫はない。
一方で人類は、常に現状打破を生きる目的とし、さらに支配圏を拡大しようとする。例え相手を打ち倒してでもだ。そして成し遂げた成果として、破壊的イノベーションによる快楽を得る。そして更地の上に、これまでにないまったく新しいものを作りたがる。その一方で、現状を維持し続ける能力が極端に低い。人間とはそういう動物なのである。
これを件の片づけサイクルに当てはめると、以下のようになる。
意を決して徹底的に片づけし終わったあとに、何か新しいことを成し遂げたかのような達成感を得ている。よく考えてみれば単にスタートラインに戻っただけにしか過ぎないのだが、大量のアドレナリンが分泌されてオレはやったぜやったぜやってやったぜ感に没入し、快楽を得ている。
2010年に「断捨離」という書籍がベストセラーになって以降、これを実践してモノをどんどん捨てる人が出てきている。まあ結果的には部屋が片付くという目的があるのだろうが、この原理原則を知っていると、モノへの執着を捨てるという破壊的行為によって擬似的なイノベーションを得、アドレナリンを分泌させている様が手に取るようにわかる。
しかし家の中を最適化していくという片づけ行為は、快楽を得るためではない。ここは冷静になって、いかに合理的に片付いている状況を維持していくかという運用技術が課題となる。うちではものをしまうルールと、捨てるルールを制定したことで、なんとなく上手く回るようになった。
いっぺんに綺麗になるということはないが、掃除と同じで認識した時点で片づけするか捨てるかの判断をしていくと、しらないうちに、だんだん綺麗になっていくという方法論である。
次回は、その具体的な方法論をご紹介しよう。(つづく)
変更履歴:
2015年10月2日:記事末が「(了)」となっていましたが、正しくは「(つづく)」でした(次回も「片付け」シリーズなので)。お詫びして訂正いたします。
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