tech
仕事部屋はなぜいつも散らかっているのか──コデラ総研 家庭部(17)
テクニカルライター/コラムニストの小寺信良さんによる「techな人が家事、子育てをすると」というテーマの連載(隔週木曜日)の第17回目(これまでの連載一覧)。今回のお題は「仕事部屋はなぜいつも散らかっているのか」。
文・写真:小寺 信良
いつも家事の話を書いているのだが、ここでちょっと息抜きして、仕事の話をしよう。息抜きで仕事の話をするってこと自体が間違っているようにも思うが、まあ最終的にはいつもの展開になるのでご安心いただきたい。
今年4月頃だったか、「歴代の天才たちも…デキる人ほど机が散らかっていた」というNAVERまとめがバズったことがあった。ジョブスやアインシュタインなど、歴代の「できる男」はみな机の上が散らかっていたというのである。
掲載された写真をみると、机に留まらず部屋全体が雑然としている。散らかる理由、というか主に散らかってる人の言い訳としては、「掃除より仕事に集中したい」「整理するぐらいなら寝たい」などの時間がもったいない派、「雑然としていたほうがクリエイティブになれる」という研究結果支持派があるようだ。
僕の仕事部屋も、客観的に見れば散らかってるほうだと言えるだろう。あいにく守秘義務がある資料やモノが数多くあるので全体の写真はお見せできないが、まあこの部屋を見て良く整理されてますねとは言わないはずだ。なぜこのような状況になるのか、僕なりの理由は、上のどちら派でもない。
クリエイターやエンジニアも含め、プロジェクト単位で仕事をしている多くの人はそうだろうと思うのだが、ひとつの仕事というのは、大抵その日のうちに終わらない。短期間とはいえ数日、中期なら数週間その仕事に携わっていることになる。しかも、その仕事ひとつにだけ関わっているわけではない。同じようなペースのプロジェクトに、複数荷担している。特に管理ポジションになれば、その傾向は強くなる。
つまり、「仕掛かり」が多くなるわけだ。常に終わってない作業を並行でいくつも抱え、同時並行で遅滞なくプロジェクトを進めなければならない。仕事ができると評価されている人の多くは、決断が早いはずだ。
なぜ決断が早いかと言えば、急にそのプロジェクトの話を振られても、すぐにその内容に入っていけるからである。「えーとそれ何の話でしたっけね? 最初から説明してくれる?」というようなアホウが管理職だと、部下は絶望するだろう。
すぐに「それ」を考えられるようにしておくには、どうするべきか。常に複数の仕事を「開いておく」必要がある。つまり関係する資料や道具などは、常に自分の周りに展開しておく必要があるわけだ。
しかもそれらの資料は、雑然とそこにあるわけではなく、ひとつの法則性がある。あの仕事は右の山、この仕事は左の山、こっちの仕事はサイドテーブルの上、そして必要な小物は右上の棚の上、といった具合だ。だからこれらは散らかっているという言い方は、正確ではない。それらのものはすべて、現在オンライン(使用中)なのだ。
言うなれば、完璧にカスタマイズされたドラムセットみたいなものである。自分の周りに乱雑にただ並んでいるように見えるが、目をつぶっても叩けるように配置がきちんと決まっている。だから勝手に片付けられたり位置が変わると、とたんに探せなくなってしまう。
コデラ式、後片付けの法則
そんな中でも、プロジェクトはいつか終了する。終了したプロジェクトの資料は邪魔なので、撤去することになる。終わった仕事の資料の上に新しくまた別の仕事の資料を積むヤツは本気でアホウなので、そいつにはちゃんと片付けろと言うべきである。
問題は終わった資料の保管だ。何かリベンジマッチがあるかもしれないので、景気よくすぐには捨てられないだろう。僕はそういう終わった資料は、全部まとめて紙袋に入れて、奥行きの長いマガジンラックに手前から突っ込んでいく。別にマガジンラックでなくても普通の棚でもいいのだが、ある程度の長さは必要だ。
常に手間から突っ込むので、資料はどんどん後ろに押されていく。つまり、時系列順に並ぶわけである。だから、「そうだあの時の資料!」となったときにも、やった時期を思い出せばすぐに見つけられる。
資料の端が一番奥まで到達し、もうこれ以上入らないネ、という状況になったら、一番奥の資料から順に処分していく。一番奥の資料はだいたい2年ぐらい経過しているので、その間一度も使う機会がなければ、もう完全に不要だと判断できる。だから常に一定量の資料はあるが、それ以上は増えない。
仕事部屋は「タスクを処理する場所」なので、こういう方法論でいけるのだが、子ども部屋はまた別だ。そこはガンガンに片付けさせるし、一緒に片付ける。なぜならば子どもの遊びや宿題などのタスクは、大抵1日で完了するようになっているからである。しかも、翌日の予定は決まっていないのが普通だ。これは、1日終われば完全に初期状態に戻しておくべき作業形態であるということである。
テレビシリーズで長編大作、映画にもなった「スター・トレック」シリーズの脚本には、プロデューサーである故ジーン・ロッテンベリーが提唱したルールが守られている。それは、「おもちゃはおもちゃ箱に片付ける」ということだ。
スター・トレックの出演者はそれぞれ役割が決まっており、彼らが毎回事件に巻き込まれていく。途中が散々な結果になったとしても、最後には元の状態に戻して話を終われ、という意味である。そうしておかないと、次の作品を作るときに、以前に変更された設定を引き継がなければならなくなるため、自由な創作ができなくなるからである。
子供の遊びも、これと同じではないかと思うのだ。毎日新しいことをするために、白紙を用意する。ただ白紙というのは、自由なようで不自由な空間である。ヒントが何もないからだ。
だからココロの中の引きだしがいつでも開けられるように、トレーニングするわけである。ゼロからやるタスクと、根気よく続けるタスク。世の中はそうやってできている。(了)
本連載では、読者の皆さんからの、ご意見、ご質問、とりあげてほしいトピックなどを、広く募集しています。編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
SNSシェア