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ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第19回:再びエジプトを訪問して
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第19回。今回のお題は「再びエジプトを訪問して」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
デジャブ、つまり既視感という言葉がある。この光景、いつか見たことがある記憶があるというもので、誰にでも経験があると思う。
第3回と第15回の遺言状で紹介したように、私は2011年から2013年までの3年間、毎年4カ月程度エジプトに出かけて、エジプト日本科学技術大学(E-JUST)での大学院教育と指導を行ってきた。その後も、Skypeなどで修士や博士の学位審査会に参加していたが、顔を見知っている学生は次第に減っていく。優秀な学生が多いから、修了が遅れてもせいぜい半年だ。エジプトは記憶の中で次第にフェードアウトしていくことになった。
しかし、つい最近の5月17日の週、E-JUSTの5周年記念の国際シンポジウム(The Second E-JUST International Conference on Innovative Engineering──略称、ICIE2015)が開催される、ついでに久々に過去3回分の卒業式をまとめて行うというので、文字どおりいきなりのご招待を受け、懐しいアレクサンドリア(アレキ)を再び訪れることになった。いわゆるイスラム国(IS)が絡んでいると見られる爆弾テロが散発的に起こっていたので(※1)、心配も多少あったが、エジプトがどうなっているか見てみたいという好奇心のほうが優勢だった。
一番心配、あるいは楽しみだったのは、2013年にエジプトを離れる直前に樹立(?)した「電柱學」のその後である。これはアレキから南西に向かう高速道路の中央分離帯の街路灯が途中で折れて上の部分が倒れるとき、有意にアレクサンドリア向きのほうが多いのはなぜかという「學問(?)」である。
ボルグエルアラブ空港からアレキまでの道はE-JUSTからアレキまでの道とかなりの部分オーバーラップする。少なくとも電柱學に必要な観察は十分に行える。しかしなんと、倒れてしまったネズミ色の街路灯に代わって新しい銀色の街路灯がどんどん立てられているではないか。例によってすべてが鉛直ではない(写真1)。
しかし、工事は高速道路の南西側から進められていて途中までしか終わっていない。アレキに近づくに従い、街路灯は2年前に比べてさらにたくさん折れている。連続して10数本以上平気で折れていることもあった。しかも、どれも残っている残骸の高さがきれいに揃っている(写真2)。電柱學の友、東工大名誉教授の市村禎二郎先生もこの会議に参加されていたが、街路灯が折れる部分に点検口と思われる大きな穴が空いており、その穴に応力が集中して折れるのだとおっしゃる。写真1でもその「点検口」が見える。たしかにそれが最も合っていそうな説明だ。要するに街路灯の設計ミスらしい。なお、倒れる方向は、今回の印象ではあまり有意な偏りがなかった。
しかし、第15回で紹介した「横綱」はその穴とは無縁の場所で折れ、かつ折れた上部がそのまま斜めに残った美しい姿なのであった。実は一番心配だったのは、この横綱がすでに残存していないのではないかということだった。相撲の世界は厳しい。場所は覚えていたのでハラハラしながらクルマに乗っていたのだが、嬉しい(?)ことに横綱は健在だった(写真3)。このリンとした折れ姿を見るたびに心が引き締まる。しかし、これも早晩、銀色の柱に置き換えられるのだろう。
久々にアレキの街に降りてみると、わずか2年ぶりだからそう大きな変化はないはずなのだが、私の住んでいたアパート(※2)周辺のマンション建築ラッシュはものすごく、いつのまにか16階建て以上のマンションが30メートル以内(!)に3つも建っていた。これらが、木の足場だけで建造されるのが驚異的である。しかも、どういう建築基準があるのかよく分からないが、ベランダなどが道路の上にせり出している。狭い道でもそうなので、向い合せに高層マンションが建つと写真4のようになる。
ここまで密度を上げないといけないほど、アレキへの人口集中が激しいということだろう。いまから30年ほど前には200万人程度だった人口が、いまはもう500万人に近づいているとのこと。
街に多数あったゴミ箱がなくなって、ゴミが路上の片隅に積み上げられている(写真5)。
とても都会の風景とは思えないが、テロ対策だという話を聞いた。しかし、しばらくして分かったのは、ゴミ収集が私がいたころよりずっとシステマチックになっていたことである。ときどきロバ車が来たりしていい加減に集めるのではなく、大きなトラックで収集していく。しかも、収集したあとを(直後ではないが)別働隊がついてきてきれいに掃除していくのである。蠅退治のために消毒すらしている。だから、アレキの街全体が以前より少しきれいになった印象だ。
こうなった事情は、ICIE2015のセッションで、Nahdet Masr CompanyのMohamed Fouad Fayed氏の「代替燃料生産の開発」と題する講演を聞いて分かった。エジプトではゴミから燃料を作るプロジェクトが進んでいる。以前はフランスの会社がゴミ収集を行っていたが、従業員のストライキなどが多発するなどして、とうとう撤退してしまった。いまは上記のエジプトの会社がゴミ収集を行っている。これが見た目に大きな変化を生んだのだ。実際、ゴミ収集・清掃の人々の働きっぷりを見ると以前と全然違う。きびきびとしている(写真6)。
地中海沿岸に沿って細長い形をしたアレキの市街地の背骨を走っているトラム(路面電車)は、とても遅くて、かつダイヤらしいものがまったく感じられないのだが、安くて便利な交通手段である。ICIE2015の会場である有名なアレクサンドリア図書館に行くのにも便利。この料金が最近、25ピアストル(約4円)から、50ピアストル(約8円)へと2倍に値上げされた。2倍とは強烈だが、何しろ元が安いので、利用客は以前と同様平然と乗っている。通常車両の3両編成と横2+1席の小型の2両編成があるのだが(写真7、写真8)、3両編成の中にはペンキを塗り替えて、見た目ちょっとだけきれいになったものがある。
それの2両目の車両(※3)には窓にカーテンが下がっていて、窓ガラスがスモークになっている(写真9)。
といっても誰もカーテンを引かない。この車両は「特別車両」で、なんと1ポンド(約16円)である(※4)。大した差はないのだが、一応グリーン車相当なのだろう。そういえば、ときどき、以前は見たことのなかった掃除人が来て、床のゴミを掃いてくれる。一緒に行った上田和紀先生は「クリーン車」と命名していた。何度か乗ったが、中にはゴミ箱が設置されているものもあった。4倍高くなったこちらにも以前と同じように平然とお客さんが乗っている。そういえば、トラムの線路に平然と捨てられていたゴミがかなり減った。エジプト人のマインドが少しずつ変化しているように思われる。
思うに、私が東京に出てきたとき(1965年)、いまでいうJRの初乗り料金は20円だった。正確にデジャブというわけではないが、この道はいつか来た道だ。
ICIE2015のメインテーマはInnovative Engineeringだが、エジプトにおけるアカデミアと産業界のギャップをいかに埋めるかについて、何人もの講演者が論じていた。中でも面白かったというか、エジプトの実情が本音ベースで語られたのが、Zagazig大学(カイロの北東にある公立大学)のMahmoud Z. Sitohy教授の講演である(写真10)。
いわく、アカデミア、つまり大学から産業界へのスムーズな技術移転がエジプトの発展にとって重要なことは言うまでもない。この点に関して、エジプトはまるでだめである。むしろもっと小さな国のほうがうまくやっている。しかし、6000年の文明を持つエジプトなら、産学連携さえうまくやれば世界屈指の国になれる!
悲しいことに、エジプトの大学から出たシーズがヨーロッパの企業に採用され、製品化されてから、慌ててフォローするエジプト企業が多い!
アカデミアと産業界はいまのところ、まるで違うマインドセットを持っているとしか思えない。お互い、産業界のニーズを大学に伝えようとしないし、大学のシーズを産業界に伝えようとしない。たとえ伝えても、それを聞く耳、あるいは体制がない。人材の交流・流動も含めて、もう少し歩み寄らなければならない。そのためにいろんな施策を実施しなければならない。云々かんぬん。
Zagazig大学でTICO(Technology Innovation Commercialization Office)を主宰するSitohy教授の道が、大学の名前のとおり(?)ジグザグ(zigzag)でないことを祈るばかりである。そういえば、この会議、産業界から(と言えるかどうか微妙)の発表は前述のゴミ収集会社のFayed氏のみであった。最初から前途多難だ。
それにしても、どこかで聞いたような話ではなかろうか。昔より少しは事情が改善されたかもしれないが、実は日本も似たようなものだ。遺言状第1回に紹介した、1999年3月の情報処理学会全国大会の「世紀末討論会:20世紀、コンピュータ・サイエンスは何の役に立ったか? 〈現場エンジニア vs 理論研究者たちの壮絶バトル〉」を思い出す。これはまさにアカデミアと産業界のマインドセットの違いを浮き彫りにするパネルであった。
ICIE2015の最後に、激しく議論が盛り上がってしまい、座長が事態収拾に苦労した講演があった。E-JUSTのAll Kamel教授による太陽熱+太陽光利用に関するものである。以前、エジプトは石油輸出国だったが、いまは輸入国である。ちょっと脱線するが、エジプトで買う米はとても美味しい。JICAの協力によるジャポニカ品種の米だからだ。ナイルの水と豊富な太陽光によりなんと三期作が可能で、いまやエジプトは世界最大の米の輸出国だそうだ(※5)。要するに、この豊富な太陽エネルギーを再生可能エネルギーとして利用しない手はない。しかし、エジプトの石油価格は脚註4でも述べたように、国の財政支出により非常に低く抑えられている。
このお蔭で太陽エネルギー利用にかかる初期コストを負担するインセンティブがまったく湧かないのである。Kamel教授は「こんなことだからだめなのだ。石油を大量に使う企業は自分で輸入して、そのコストを自己負担すべきだ」と、一般のエジプト人が驚くような主張をなさる。これが議論に火をつけたわけだが、どこぞの国でも食糧関係で似たような問題があったことを思い出す。
エジプトの年齢別人口分布(人口ピラミッド)は若年層が圧倒的に多い、文字どおりギザのピラミッド(富士山型)である。1920年代に富士山型だった日本は、釣鐘型を超えて、とうとう人口減少傾向の壺型になってしまっている。
これも含めて、今回のエジプト再訪問は、デジャブというかなんというか、何かタイムスリップをしたような気分にさせられた。(つづく)
※1:私が携帯電話の手続きで数回行ったことのあるEtisalatという外資系の電話会社の立派な店舗が爆弾を仕掛けられて大破した。早朝だったので怪我人はなかったとのこと。今回その前を興味本位で歩いてみたが、爆破の形跡はきれいになくなっていた。しかし、店内から外を険しい目付きで見ている人がいた。通勤路上にある、やはり外資系のVodafoneの近くの立番ボックスの回りに土嚢が積んであった(写真11)。
これがどういう状況で役立つのかよく分からないが、どう見ても爆弾避けに見える。※2:現在は私の後任の石塚満先生がそのまま住んでおられる。
※3:進行方向最前車両は女性専用車。
※4:ちなみに掌からはみ出すくらいに大きいクロワッサンが1.5ポンド。現地の食糧品は日本の10分の1から7分の1ぐらいの価格である。ガソリンもほぼ10分の1。国の政策的な補助がある。
※5:エジプト人は白米としては食べないようで、大体濃い味付けをして食べる。だから生産量のわりにそんなに米の消費量が多くないのかもしれない。
[追記]
E-JUSTの久しぶりの(おまとめ)卒業式の模様を示す写真を紹介しておく(写真12)。
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
変更履歴:
2015年06月02日:写真8のキャプションで「この写真は2010年に撮影した」としていましたが、正しくは、2011年の撮影でした。お詫びして訂正いたします。
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