tech
ハッカーの遺言状──竹内郁雄の徒然苔
第24回:名前、名前、名前、……、戒名
元祖ハッカー、竹内郁雄先生による書き下ろし連載の第24回。今回のお題は「名前、名前、名前、……、戒名」。
ハッカーは、今際の際(いまわのきわ)に何を思うのか──。ハッカーが、ハッカー人生を振り返って思うことは、これからハッカーに少しでも近づこうとする人にとって、貴重な「道しるべ」になるはずです(これまでの連載一覧)。
文:竹内 郁雄
カバー写真: Goto Aki
「名前」はいろいろな意味で意味深い。と書いて、すぐ気がついた。「いろいろな意味」は「意味」の水平展開。「意味深い」は「意味」の垂直展開。妙な言い方をしたものだ。これを「妙だ」と思うような感覚はどうも私の昔からの(悪い)癖だ。
私事になるが、私には長女と長男がいる。子供が生まれると名前に悩む、というか、あれやこれや考える方が多い。姓名判断の本を参照される方も多いだろう。お察しの通り、私はその手のものにはまったく拘らない。ただし、理由とか理屈のない命名をする気にはならない。
長女の名前は摩矢である。「マヤ」の発音では頻度の低い漢字だと思う。で、理屈は何か。Mayaが国際的に通用する女性名であることが一番の理由。とはいえ、サッカー全日本代表には吉田麻也という強面ディフェンダがいる。性別を超えてユニバーサルな名前なのかもしれない。もちろん、それだけでは理屈が足りない。「摩」は空に聳える「摩天楼」の「摩」だ。「麻」ではあかん。「矢」は生まれが射手座だったことによる。うむ、完璧。
長男の名前は一弓である。読みはもちろん「イッキュウ」。この読みでは圧倒的に一休さんが思い出される。ふつう自分の子供にはつけない名前だろう。ところがあいにく、長女と同じく射手座に生まれてしまった。姉が矢なら、弟は弓しかあるまい。あとは、ユニークさの追求と、象形文字のセンスで、弓から弓矢が飛び出す姿、これは一弓しかない。と、ここまで考えたのだが、さすがにこれは簡単には家族の賛同が得られまい。というわけで出生届を出してから、名前は「一弓」に決まったぞ、とご託宣したのであった。一弓は「かずみ」とも読める。
小学校時代、両方の子を担任した先生が、「ほんと、この姉弟は、兄妹だったらよかったのにねぇ」とおっしゃったとか。そういう対照的な性格だったのだろう。どちらも成人に近づいたころ、摩矢には自衛官のお誘いのダイレクトメール、一弓には振袖のダイレクトメールが来た。名前だけ見るとそう判断されるのかと感心してしまった。
一弓で有名なのは、2013年に亡くなったイチローの愛犬である。イチローの「一」と奥さんの弓子の「弓」を結合した名前だ。いまやこっちのほうがずっと有名になってしまったが、愚息の一弓は一応それよりずっと前につけたオジジナリティのある名前である。
人の名前はその人が一生背負う重要なものであるが、それはそれとして、悪い癖のある私にはときとして遊びの対象になる。私の名前は竹内郁雄だが、ときどき郁男とか郁夫に間違えられることがある。間違えた方はそのことを知って平身低頭状態になられるのだが、そこはそれ。「単なるオス(雄)である私を男にしていただいてありがとうございます!」と感謝の言葉でお返しする。「郁夫」の場合は微妙で、相手が女性である場合に限りなのだが「単なるオスの私を夫としてお認めいただきありがとうございます!」と、どっちがどっちやねんという熱烈感謝以上の言葉を投げさせていただいているのであります。
名前のユニークさは重要である。最近、かなり大きな名簿のそれぞれの名前をキーにして、その人たちが今何をやっているかを調べる必要があり、随分Google先生のお世話になった(なっている? 進行形)。やはりちょっとありふれた名前だと数名以上の同姓同名にぶち当たる。昔その人がどんなことをやっていたかの情報を勘案して、絞り込むのだが、それでも確証がつかめない人がいる。同じ名前なのだが、2008年までどこそこにいたのに、そこからあとはしばらく(インターネット上の)足跡が途絶え、2011年ごろから同じ名前で、微妙に近いけれど何か違う業界で活躍しているといった人がいるのだ。「この2人は同一人物か?」と、大いに悩まされてしまう。こうなると、別のキーワードも駆使して、継続関係をフォローするという、まるで探偵事務所みたいなことをやらざるを得ない。要するに、インターネットだけでは、なかなか特定個人の足跡を追跡するのは難しいことが分かった。
はこだて未来大学学長の中島秀之さんとはもう随分長いお付き合いである。名前で遊んでしまう私の癖のせいか、私の目が悪いせいか、あるいは眼光紙背に徹してしまうせいか、「秀之」がどうしても「禿え」に見える。というわけで私は中島さんをつい「はげえ」と呼んでいる。もう長いことそうなのだが、ほかの人は決してそうは呼ばない。一時期「はげえ呼称普及促進連盟」を作ろうとしたが、さすがに面と向かって「はげえ」と呼ぶ人はいない。
中島さんはこれを「マカクザル」現象と説明していた。マカクザルというサルは、個体に名前が付随しているのではなく、呼ばれるサルと呼ぶほうのサルの関係性において、呼称が成立しているのだそうだ。それにより、自分が「名前」で呼ばれたときに、誰から呼ばれたかがすぐ分かる。つまり、彼が「はげえ」と呼ばれたら、ただちに竹内が呼んでいることが分かるのである。これは結構便利なのではないかと思う。その昔、米国計算機学会(ACM)のSIGPLAN(プログラミング研究会のようなもの)に「これからはgo to命令ではなくcome from命令のほうが、プログラムの理解や保守性に効果的である」という妙な論文が掲載されていたが(※1)、それには一理あるかもしれない。
「あなたぁ」とか「おーい」とかいうのは、もう流行っていないのかもしれないが、相手を呼んでいるという意味では名前の一種である。つまり、この場合は音色が名前の重要な構成要素になっている。マカクザルの音節分化はそれほど進んでいないだろうから、音色が決め手になっているに違いない。というわけで、根源的社会ユニットの中では人間もマカクザルと同じ仕組みを利用していると言えよう。
名前が重要なのは人間だけではない。人に使ってもらう、あるいは買ってもらう製品の名前は人々にどのようなインパクトを与えるかに大きな影響を持つ。例えば、ペットボトル日本茶業界で連敗続きだったサントリーが「伊右衛門」というネーミングを軸にして成功したという話は有名だ。
私が命名したプログラミング言語やシステムなどを思い起こすと、Lisp言語・処理系では、以下のようなものがある。
LIPQ(LIst Processing Language with Quaternary cells、リップク)
LIPX(LIPq eXtension、リッペケ)
TAO(ずばり、老子の道)
SILENT(以前開発したELISマシンの後継機なので、The New ELIS. 右から読んでください)
NUE(New Unified Environment, これは名前だけだったなぁ)
以前、日本ソフトウェア科学会の研究会にSPA(Systems for Programming and Applications)というのがあったが、これを命名したのは私である。もちろん、温泉をイメージしている。それより前に音声の研究者たちが「音声研究会」というのを結成していて、研究会はいつも各地の温泉で行っていた。だから別名は「温泉研究会」だった。当時の音声研究者にとっては「音声」と「温泉」を区別して認識するのも大変だったことが偲ばれる。ともかく、これに負けてはならないと頑張ったのがSPAである。名前だけではまだまだインパクトが足りないというのでSPAのロゴマークもデザインしたが、あまりに見え見えなので、採用されなかった(図1)。
私が統括プロジェクトマネージャを務めているIPAの未踏IT人材発掘・育成事業では、自分の作ったシステムには、飛びきりいい名前をつけたほうがいいよと昔から力説していたせいか、最近の未踏クリエータのほとんどが最後には名前をちゃんとつけるようになった。名前をつけるのに結構悩む人も多いが、プロジェクトの途中でいい名前をつけると開発に不思議と元気が出るのは事実である。私は研究所時代、システムの開発に入る前に名前をつけることを最大の儀式としていた。
1997年にNTT研究所から電通大に移ってRoboCupのサッカーシミュレーションの研究を学生たちと始め、わりと早く国内でもいい成績を修めるようになったのだが、そのとき学生たちと悪乗りしてつけたチーム名が「YowAI」である。もろ「弱い」なのだが、結構強かったこともあり、相当皮肉っぽい名前であった。しかし、これを「よわい」と呼んだ外部の人はいなかった。そう呼んじゃいけないと思ったらしい。AIっぽいので、「ようAI」と呼んでいただいていた。でも、研究室内ではみんな「よわい」と発音していた。複数の学生がそれぞれ独自に開発・改良を進めたものの中で一番強いチームが、竹内研究室代表のYowAIを名乗ることができたのであった。この逆転感覚が面白い。
RoboCup Rescueという災害救助・対応のシミュレーションのリーグが始まった当初、竹内研の災害救助チームは世界でも1位、2位を争う好成績であった。そのチーム名が「YabAI」である。つまり「やばい」。これも、よその人は「やぶAI」と呼んでくれていた。変な研究室だと思われていたに違いない。
プログラムを書いていてよく悩むのは手続き、関数、変数の名前のつけ方である。これについては昔日本ソフトウェア科学会誌に、学会誌が届くと真っ先にそこ(だけ)は読むというコラムを作れとのお達しで書き始めたコラム第1回に駄文を書いたことがある。いわく「我輩はコラムである、名前はまだない」。
大昔のFortran言語は、なんと空白に意味がなかったので、変数名の間にスペースを入れて書くことができた。例えば、「BAD JOB」、これはBADJOBと同じ。ただ、当時、名前は最大6文字、しかも大文字しか使えなかったので、それが嬉しいということはなかった。
プログラミング言語の進化に伴い、名前の文字数の制限が緩和され、小文字も使えるようになってから、複合語になるような名前の書き方がいろいろ使われるようになった。
do_something_mysterious(これがメジャーかな?)
do-something-mysterious(ハイフンが引き算を意味しないLispはこれが多い)
doSomethingMysterious(大文字を使えば単語区切りが不要というラクダのコブ型)
これらにもいろいろ細かい流儀があるのだが、ともかく流儀を決めたら守ることが重要だ。3作目のTAO(Lisp)を開発するとき、私はまず命名規則を整備してから設計・開発を始めた。もうあまりはっきり覚えていないが、名詞型関数は
[環境修飾子-][型修飾子-][形容詞-]名詞[-形容詞句]
動詞型関数は
[環境修飾子-] [タイプ修飾子-] [形容詞-] 動詞 [-目的語(句)] [-副詞(句)]
という風に、ある種の文法に従って命名せよというわけだ。これは面倒くさそうだけれども結果的に分かりやすくて楽なのである。
遺言状と名前の組み合わせとくると、やはり戒名だ。もう時効なのでお許し願いたいが、私はNTT研究所時代、数々の美男美女に生きながらにして戒名を乱発した。それが過去帳として残っている。由来が思い出せないものもあるが、どうしてそのような戒名をつけたかについて紹介しよう。矢印の左が俗名で、右が戒名である。
日向野 幸恵 → ヒヒのヒにガのガ(ヒガノという名前から来ている。過去帳には、その後地獄の務め良く、ヒヒヒに昇格とある)
元田 慎子 → ガンダ(元田はやはりガンダだ。その後、地獄の務め悪く、ガガガに降格とある)
吉田 竹伸 → ヨッタブタノケ(訛りとアナグラム、つまり文字の入れ替えとの組み合わせ)
井澤 牧子 → グナイ(丼の中の点を抜くと、具のない井になる)
千田 恭子 → ダヤス一世(せんダ ヤスこ)
原田 康徳 → ダヤス二世(はらダ ヤスのり、その後ハラダ自身が戒名になった)
三神 かおり → ガオー(ちょっと濁ってみました)
大塚 裕子 → ヘルベルト・フォン・ケスナー(自己紹介のときに名前を書いてすぐ消したので、消すなぁと叫んだ瞬間についた名前)
永田 早苗 → 田日田の毛生え(早は日に、苗は田に毛が生えている)
幸山 たまえ → ヤマタマ(こうヤマ タマえ)
山本 英和 → 英和辞典
以下は、昔、カタカナでボケボケにカーボンコピーされた給与明細を研究室のメンバーに渡すときに私にそう読めてしまったことに由来する。
小暮 潔 → ヨゴレ キヨシ
内藤 昭三 → ナイトウ シヨウズミ
吉本 啓 → コシモト ケッ
片桐 恭弘 → カタコリ ヒョロヒョロ
山崎 憲一 → イキザマヤ チンケ(アナグラム)
中野 幹生 → ナンカ キミョウ(自然な読み方)
島津 明 → ツマヅ アキラ(妻津 明、ほかアナグラムのアラ キマヅシなど多数。1人で戒名をたくさん持てるという幸せを味わった上に、傷口にシマヅを塗るという造語も生んだ口の悪さ)
そういう私は、NTT研究所の新米時代に個人教習の自動車教習所に通っていて、ちょっと先走って府中の運転免許試験所に行っては仮免を不合格になっていたので、ウケイク オチタと呼ばれていた。もちろん、これはタケウチ イクオのアナグラムである。
しょうがない、これを私の戒名にするか。(つづく)
※1:もちろん4月号である。
【追記その1】
前回、プログラミングシンポジウムの集合記念写真が後にも先にもないと書いたが、天海良治君が、その前の年(第40回)にも記念写真があったという情報を教えてくれた(写真1)。彼は集合写真の予行演習の場面も撮影してくれていた。
【追記その2】
前回の付録で書いた問題の答えは以下のような意外な形をしている。
ここで
は整数平方根、つまり整数 で、
となるものを表わす。Common Lispにはisqrtという標準関数(integer square root)が用意されていて、何百桁の数に対してもきっちりと答えを出してくれる。
前回の出題を見て、サイボウズの西尾泰和君が
という答えを出してくれた。平方根の記号は同じく整数平方根を意味する。一見まるで違う形をしているが、実は両者は同じ値になる。暇があったら、上の2つの答えが正しいことの証明に挑戦してみてください。
竹内先生への質問や相談を広く受け付けますので、編集部、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
SNSシェア