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人類に残された時間は残りわずか──U理論・中土井 僚(7)/西尾 泰和の「続・エンジニアの学び方」
サイボウズ・ラボの西尾 泰和さんが「エンジニアの学び方」について探求していく連載の第28回(これまでの連載一覧)。U理論の伝道師、中土井 僚さんにお話を伺うシリーズ(7)です。
本連載は、「WEB+DB PRESS Vol.80」(2014年4月24日発売)に掲載された「エンジニアの学び方──効率的に知識を得て,成果に結び付ける」の続編です。(編集部)
読者から「時間は実務上は重要なリソースだが、U理論はどう言ってるのか? 『無尽蔵に時間をつぎ込んだらいつかイノベーションが起きます』では有益なアドバイスとは言えないぞ」という質問がありました。
なるほど。面白いご質問ですね。西尾さんはどう思われます?
うーん、個人的にはイノベーションを「起こる/起こらない」の1か0かで考えているところが気になりますね。事前に、期待されるゴールの規模と、それにかけられる時間リソースの両方を決めてしまうのは良い姿勢ではないように思います。それでは与えられた時間で到達できそうな「事前に知り得るゴール」に向かわせる圧力が発生しますから、新しいものが生まれることを妨げます。時間リソースがシビアなのであれば、タイムリミットを設けて、その限られた時間でどれだけ新しいものを生み出せるかというチャレンジをしたほうが有益だと思います。説得力は弱いですが、個人的な信念としてはそんな感じです。
なるほど。すごく大切な信念ですね。それができるかどうかがリーダーシップのような気がします。
ちなみに、無尽蔵に時間を費やすとはU理論は一言も語っていないです。むしろ逆で、人類に残された時間は残りわずかなのに、私たちは同じパターンを繰り返して、どんどん手遅れの状態に自らを追い込んでしまっているというのがオットー博士の観点です。私たちは何かを生み出しているつもりでも、より大きなシステムの観点から見ると、前進しているどころか破滅に向かっていることがあるのです。
なるほど、そういえばオットー博士の問題意識は、社会問題の解決でしたね。
はい。この考え方は、エンジニアの方には受け入れがたいかもしれません。たとえば決まった仕様を目の前にしてそれを実装する仕事は「確実に前進をしている」と見えるからです。ところが、せっかく構築した業務システムを誰も使わないということはざらに起きるわけです。そこを含めて、価値があったのかどうかを見極められる人でないと、イノベーションの本質は見えてこないだろうなと思います。
なるほどなるほど。「あなたは今プログラムを書いてるけど、それって前進じゃないかもよ」という言葉には感情的に反発してしまう人もいるかもしれませんね。
では、イノベーションとは一体何なのか。私は進化そのものだと思っています。人間も自然現象の一部だと考えたとき、自然現象と同じように進化を捉える必要があるのだと思います。
イノベーションと、自然界での生物の進化には似たところがある、というアナロジーですね。
はい、そう考えたとき、いつ、どのように進化を起こすのかを計画することは難しいですが、進化が起きやすくする条件を整えることは可能だと思います。それが、U理論ではソーシャルフィールドという言葉で語られている部分です。ソーシャルフィールドが耕されていれば、耕されているほど、イノベーションは起きやすくなる。それを知らずして取り組んでいることのすべては、イノベーションとはまったく関係のないことに取り組んでいるか、もしくはそれこそ無尽蔵に時間を費やしているだけの話なんだろうと思います。
なるほど、しかしそのコンセプトは視野が地球規模に広がった人にしか伝わらないですね。逆に「あなたのやっていることには意味がない」という攻撃だと受け取られてダウンローディングな反応を引き起こしそう。
あはは。その通りですね。攻撃と受け取る人はいそうです。
イノベーションが進化であるというコンセプトはブライアン・アーサーの著書「テクノロジーとイノベーション」でも語られています。テクノロジーが生物になる、と。
ブライアン・アーサーがそう語っているとは思いませんでした。私の持論でしたので。
攻撃だと受け取られないようにする必要はありますが、ただ、エンジニアの意識のレベルが上がるようにはサポートしたいですね。
「顧客が喜ばないものを使っても仕方ない」というコンセプトはすんなり受け止めてもらえると思います。世界規模の視野に広げるにはもう少し段階を踏んだほうがやりやすいかな。
そうですね。そのあたりのスコープは考えるのはもちろんとして、イノベーションの本質は伝えたいですよね。イノベーションは何によって可能になるのかがあまりにも語られていないですから。
「イノベーションを起こすためには、ソーシャルフィールドを耕すことが大事」というコンセプトですけど、ソーシャルフィールドとはどんなものかがピンときていません。
レベル1〜4のことをオットーはソーシャルフィールドと呼んでいるわけですが、日本語的に言えば「場」と捉えるといいのかなと思います。オットーは野中郁次郎先生の「Ba」の概念の定義を狭義に捉えすぎているのかなと思います。
場を、レベル4に持っていくことが「耕す」ですか?
その通りです。ただ、ソーシャルフィールドを耕すといっても、外にあるものを変えるというより、自分の内面を掘り下げるという感じなんですけどね。
確かに、自分を「場」から切り離して考えてしまうことは良くありそうです
そうしてしまうと、ソーシャルフィールドは逆に枯れちゃうんですよね。
「自分と場とは切り離せない」「自分が周囲の変化のキッカケになり得る」の2つは、異論なく受け入れてもらいやすくて、かつ盲点になっていることの多いポイントかなと思います。
「自分と場は切り離せない」が受け入れやすいというのは意外でした。この概念が分からない人が多いので。頭で「自分と場は切り離せない」と分かっても、実際に自分がどのくらい影響を場に与えているのか実感はしにくいということなんだなと思いました。
なるほど。確かに。言葉で納得させやすいと思っていましたが、実は腑には落ちてないかもしれませんね。
「テクノロジーとイノベーション」を「テクノロジーが生物になる」と主張する本だと紹介したのは、キャッチーな言葉だけ取り出してしまったように思うので少し補足します。
ブライアン・アーサーの著書「テクノロジーとイノベーション」(原題:「The Nature of Technology: What It Is and It Evolves」)と、彼が参考にしたケヴィン・ケリーの「テクニウム」(原題:「What Technology Wants」)では、テクノロジーの発展を生物の進化のアナロジーで考えています。
ケヴィン・ケリーは、生命の進化には構造的必然性・歴史的偶発性・機能的適応性の3つの力が働き、テクノロジーの進化には構造的必然性・歴史的偶発性・意図的開放性の3つの力が働く、と述べました。つまりこの2つは3つの働く力のうちの1つが異なるだけで、共通の構造があるというわけです。ここで言う「開放性」は組み合わせることが可能である性質です。原題のWhat Technology Wantsの答えとしては、生物は環境に適応して生き残ることを欲し、テクノロジーは他のものと組み合わせて製品となることで生き残ることを欲したわけです。
生物に関しては、既存の遺伝子に変異を与え、組み合わせて個体を作り、その個体が環境に適応できるか「自然淘汰」というテストが行われ、パスした個体が次の個体を作ることで改善のサイクルが回ります。
同じように技術に関しても、既存の技術知識に変異を与え、組み合わせを作り、その組み合わせが「役に立つか」というテストが行われ、パスした組み合わせを元にまた新しい組み合わせが作られることで改善のサイクルが回ります。
ケヴィン・ケリーは、このテストが社会の集団的自由意思によって行われると考え、ブライアン・アーサーは商業的に利用可能であるかどうかによって行われると考えました。この市場による商業的テストには、既に広く使われている部品を改善するのは有利、多様な組み合わせが可能な(開放性が高い)部品を作ると有利、などの特徴があります。それによって、多様な組み合わせが可能な部品が作られ改善されていく、これがテクノロジーが発展するプロセスだというのがブライアン・アーサーの主張です。
で、そのような部品が増えていくと、可能な組み合わせパターンは増えていきます。探索範囲が広がるのに、人間の探索能力は大して変わらないので、探索範囲外の領域が増えます。既存の広く知られた枠組みに従って探索している人たちは狭い範囲に密集してしまいます。その枠組みを外すと競合のいない広いブルーオーシャンが広がります。「意外な組み合わせが、市場に出してみたら予想外に好評」ということが起こりやすくなるわけです。(つづく)
参考文献:
[1]「テクノロジーとイノベーション」(W・ブライアン・アーサー、みすず書房、2011年)
[2]「テクニウム」(ケヴィン・ケリー、みすず書房、2014年)
「これを知りたい!」や「これはどう思うか?」などのご質問、ご相談を受け付けています。筆者、または担当編集の風穴まで、お気軽にお寄せください。(編集部)
謝辞:
◎Web+DB Press編集部(技術評論社)のご厚意により、本連載のタイトルを「続・エンジニアの学び方」とさせていただきました。ありがとうございました。
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